日本会議の研究
菅野完、扶桑社新書、2016
2523冊目
5月に出たばかりですでに三刷りである。
扶桑社と言えば「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書販売会社じゃないか?日本会議につらなるような歴史修正主義でありながら、その元凶についての本を出すんかい、それがベストセラーかい。なんたるマッチポンプ! と思いました。はい。
サラリーマンである著者が、社会の異様さが気になりだしたのが2008年頃だという。2006年の第一次安倍内閣以降の動きだ。
変だなと思う動きのサンプルを集め、分析し、2014年頃からSNSなどで投稿。それがウェブメディアの編集長の目に留り、編集部とともに情報を集め、連載を開始したのが2015年2月。一年間、図書館通いなど情報収集を繰り返し、本にまでなった。
なぜ、彼、なのか。
「むすびにかえて」で彼は言う。
メディアには書けない。調査報告は新聞やテレビ以外の仕事だ。また、学問の範疇で見ない。生々しすぎる。テレビ・新聞にとっては歴史が長過ぎ、学問の対象にするには歴史が短すぎる。
日本会議のルーツは生長の家、谷口雅春の思想にある。
国家神道および日本の伝統復活
男女の役割分担や伝統的家族観の意思
この二つが大きな柱なのではないだろうか。
日本会議は、大きな組織ではないという。その方法論は市民運動だ。
小さな組織が、地方に運動支部を持ち、そこが地方議会を動かし、請願を出させる。デモをする。学習会をする。そして国政を動かす。地道な「市民運動」を実直にやってきたのだという。
そこに多様な宗教団体が、神道だけでなく、仏教系も、そして新興宗教系も入っている。
生長の家からの運動を育てたのは安東巌。なんと、彼は1969年、鈴木邦夫と「全国学協」の初代委員長の座を争っていた。鈴木は早稲田大学での左翼デモ粉砕の成果をかかえ、そして、安東自身は長崎大学学園正常化勝利の担い手として。
選挙で選ばれた鈴木を、スキャンダルで、いまの言葉で言えば「キャラクター暗殺」したのが安東だったと、278
右翼学生運動の組織を把握した安東は、生長の家の雑誌「理想世界」100万部運動で地方組織固めを行い、さきほど言ったような「市民運動」による社会の動かし方を実践していく。
運動は、1975年の「天皇在位50周年」の式典の成功、そして、その後、1979年「元号法制化」に取り組み成功させる。
1995年には戦後50年の政府決議を参議院で葬り去り、村山談話とだけに骨抜きにした。
そして、いま、憲法改訂である。
有能な事務方、おそるべし。アイヒマンのような能吏が仕えるのは独裁者なのか?
ためいきばかりの本である。