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「権力」としての予算。

「権力」としての予算。
権利の保障や正義としての配分ではなく。

どんな予算が「権力的」かというと、

給料や奨学金、生活保護、児童手当などの権利保障として一人ひとりに支払うための予算ではなく、

「あなたのところで受注したくないですか?」「受注したい人はいっぱい居るんですよね」と競合させることができる予算。
権力に媚びさせることができるし、うまくするとリベートや口利き料などの実利も伴うかもしれない。企業に言うことを効かせるにはこれだ。あいみつなどと言いながら、相蜜なのは権力と力を付与する人々との間である。
新たに財団法人や公益法人を設立することができる予算。官僚や政治家の天下り先を確保することができるし、行政の中で後輩たちに言うことを聞かせることができる。できれば箱ものの建設が伴うととてもうれしいが、最近はそうも言っていられない。看板のつけかえや裏表のひっくり返しでもいいか。縦社会権力関係型予算。
新たな「国益」や「国威発揚」など、「国」をふりかざして執行する予算。「国土防衛」のための防衛費の拡大や東京オリンピックの開催など。この予算で「節約」や「省資源」などという、一方で公益法人を設立した目的でもあった視点などはさらさら省みられることはなく、下々の隅々まで、国益へのたかりの気質が蔓延する予算である。これらをふりかざす政治家たちもたかっているだけである。名誉までついてくる権力関係を手に入れることができる。国益たかり型予算。
「これは市民参加や市民協働など、広範な人々への働きかけや協力が必要なので、市民社会組織にやってもらう方がいいプロジェクト/イベント/サービスだと思うので、NPO支援の予算で」と市民側からの社会的提言(アドボカシー)に答える形で出す予算。時代のニーズや要請に答えたようなポーズで権力をより確固なものにできるし、たいていの場合は、ボランティアの多用や団体自体にボランティア的労働をさせることで値切ることができている。しかも、「時代の要請」が変わるとともにこれらの予算は行き先を変える。どこに行くか行かせるかが権力関係と絡んでくる。元官僚や行政マンがいる団体が予算をとりやすいというのもこれだ。時代の要請型予算。
いずれの権力誇示型予算も、PDCAによる改善など望むべくもない。風見鶏と権力に媚びる人々が増殖するだけである。
なんだかなあ。選挙運動していたら「なんで人の就職活動のためにそんなにがんばるの?」と切り返される時代だからなあ。

あ、も一つあった。安倍みつぐ君みたいに自分の権力を保障してもらうために動かす予算。「ごますり予算」。権力関係にいる人は、自らも「力を付与」する側にもなっていく。
by eric-blog | 2016-04-30 08:59
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