日本の安全保障政策がその正体を表した日

日本の安全保障政策がその正体を表した日
2015年9月17日

ベトナム社会主義共和国のNo.1、グエン・フー・チョン共産党中央委員会書記長は18日まで日本滞在中である。霞ヶ関の外務省前を中心に、日越の国旗が翻る中、日本の安全保障関連法案が、最終的な議論の局面を参議院特別委員会で迎えようとしていた。

このことが本当に象徴的であるのは、ベトナムが戦ったのが対米戦争であり、その米軍を支えていたのが在日米軍基地であり、沖縄だったからだ。

もちろん、日本社会において、ベトナム戦争に反対する運動もあり、その中核であったゆるやかな運動組織、ベ平連は、その後の日本の市民社会運動の萌芽となり、学生運動から市民運動へという歴史的な流れが生まれたことは、記憶すべきことだろう。

一方で、もっとあからさまにベトナム戦争に加担したアジアの国は韓国である。韓国は5000人もの兵士を米軍支援に送り出し、500名の戦死を被った。戦死者を悼みつつ、ベトナムの民衆的な独立に向けた戦いを弾圧する側に加担したことは、いまも韓国のアジアにおける立ち位置に影響している。

アジアは忘れていない。日本が侵略戦争を戦い、徹底的に破れ、時の国連主義に後押しされる形で平和憲法を採択し、東西冷戦の現実の中でゆるやかに再軍備の道を歩み始めたこと。自衛という名の下に、米国の傘下できばを提供して来ていることを。

今回の安全保障法案は、日本も韓国並みに人も出せるようになったということ。米国の対中国包囲政策に軍事的にも協力していくこと。米国とともにイスラエルの側に立ち、アラブに対して、軍事的にも対抗していくこと。などをメッセージとして世界に伝えている。

もちろん、ISなどのテロに対する戦いは重要な課題である。中国の圧力をひしひしと感じているベトナムは日本の協力を歓迎するかもしれない。しかし、中国のアグレッシブさに対しても、ベトナム外務省は、「われわれは軍事的な手段は取らない。戦争がどのような痛みを意味するか、我々はよく知っているからだ」と言ったのだ。涙ながらに言ったことを、わたしは忘れない。

日本は、これから韓国が、そしてベトナムが感じて来た痛みを感じる側になっていく。これまでのように隠された形で、ではなく、あからさまな形で。しかも、それがどのような戦いなのかについて、国家的な協議も、討議も、合意もないまま採択された安全保障の方針の下で事態は時の政権の胸先三寸ですすんでいく。その政権が日本会議の影響の下にないと、誰が言えるだろうか?

体もなく防衛省の増殖を許し、追随している外務省の、ささやかな抵抗が、あの翩翻と翻る日越の、日の丸と赤に黄色の星の美しい国旗たちに、込められていたのかも知れない。

教育関係者としてさらなる蛇足を述べれば、さらに姑息に防衛関連予算を紛れ込ませているのが文科省なんですけれどね。
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by eric-blog | 2015-09-18 07:11 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(0)
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