日韓歴史認識問題とは何か 歴史教科書・「慰安婦」・ポピュリズム

木村幹『日韓歴史認識問題とは何か 歴史教科書・「慰安婦」・ポピュリズム』(ミネルヴァ書房、2014-10)
2358冊目

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その意図とは逆に、村山談話は、歴史問題を政治化してしまった。

細川総理は、それなりにリベラルな発言を時々に行い、それらの発言は好意的に韓国でも報じられた。しかし、村山総理は、三者の連合内閣であるにもかかわらず、内部調整なしで、談話というまとまった形で、日本政府の立場として言及してしまった。そのことによって二つのことが起こった。

一つは、日韓というそれぞれの立場から、どうしても合意できない歴史の側面について、反発を招くことになった。
一つは、内閣内での調整不足、あるいは調整不可能性のゆえに、閣僚級の人から「妄言」が出たこと。そのために政府内不一致が強調されたこと。

戦後補償問題はすでに済んでいるという立場なのか、それとも個別の保障請求がありえるのかということについて、日韓は同じ立場であり続けた。しかし、韓国の民主化によって、運動が政府の立場を揺るがすようになり、両者の政治エリートによる合意や交渉だけでは、問題が収まらなくなってきた。

それは、日本も同じで、自民党政権が続いて状況が一転し、細川内閣、村山内閣と連立内閣が続く中、政治エリートの統制が困難になり、ポピュリズムに支配されるようになる。改革を掲げて人気が高かった小泉首相も、破壊の次に何を作るのかを明確に示せないまま、政権を投げ出してしまう。

日韓双方の政治の流動化、ポピュリスト化、そして、日韓関係がよりグローバルな国際関係の成長に伴い、その相対的な重要性が低下し、歴史問題が政治的駆け引きの道具として使われるようになる。政治的な駆け引きに外交資源を振り向けられる程度に余裕があるというべきか。

1992年、宮沢首相が訪韓した時、最大の課題は韓国の貿易赤字であり、ひいては対日貿易の赤字がその6割を占めるという問題についての交渉が、韓国側の焦眉の課題であった。盧泰愚大統領は、ことあるごとに従軍慰安婦問題を持ち出し、反省をせまる。公式な発言の機会があるたびに「反省」と「謝罪」を求められ、訪韓中に6度も反省を示したことに、宮沢自身もいらだちを隠せなかったという。

しかし、日韓基本協定についての合意を双方の政治エリートが合意していれば、「謝罪」はいくらしても実質的な保障問題には発展しないということだったはずだった。だからこそ、「謝罪」の安売りのような事態をも甘受したのであった。それは、日本側の統治エリートの読み違いだったという。

経済の貿易赤字を初め、政権基盤が揺らぐ時、慰安婦問題は、格好の国民感情に訴えることのできるものだった。特に、政権後半になって、支持率が低下している時には。

盧泰愚大統領も「誠意ある謝罪」を求めることで、何が誠意であるかの判断は日本に丸投げしたのである。

そして村山総理の歴史認識問題解決への強い意欲の下、ばたばたとした対応が、続いて行く。官民で起債した「アジア女性基金」というカードすら、なんの効果もなく、無駄に切られて行くような事態をとどめることはできなかった。



という木村氏の分析を読んでいて、こんな寓話を思いついた。

略奪婚とDVである。

侵略的併合は略奪婚であり、略奪婚とはいえ、それが合法であるという文化や社会は存在する。結納を払えない男衆だったり、侵略者によるものだったり、権力者によるものだったり。何が文化的に許容され、何が合法であるのかは、それぞれに違うのだろう。

略奪婚とはいえ、結婚すれば、婚家の利益になるように働きが求められ、貢献することになる。

略奪婚を強制した側は、いつ寝首をかかれるかと心配したり、支配を強化したりもするだろう。支配と、貢献を当たり前だと思う心理がDVにつながらないだろうか?

略奪された側に合法性はない。強制があっただけだ。

こんな会話を想像してみる。

「だって、あの時は、きみも結婚に同意していたじゃないか」
「何言ってんのよ。強制されたから仕方なく、愛しているふりをしただけじゃない。強制的に結婚させられて、その上DV男だったなんて。賠償してよ。」
「え、離婚調停の時に、保証金を払ったじゃないか。その上、過去についてはこれ以上弁償を求めませんと、念書も交わしたじゃないか。」
「それだって、仲人口にだまされたのよ。DVの被害については、言えなかったのよ。謝ってよ。」
「離婚調停したということは、結婚が合法だったってことだろう? まあ、謝って欲しいなら、謝るけどさ。」
「えー、何、その態度。何を謝っているか、わかっているの?」
「DVについてだろ?」
「DVの何が問題か、わかっているの?」
「そんなつもりはなかったんだよ。だって結婚しているんだし、君だって、家のために挺身してくれるものとばかり思っていたからさあ。いやだったんだ。」
「いやに決まっているじゃない! そもそも略奪婚すら認めたくないんだから。わたしの履歴にはあなたとの結婚の事実はないのよ!」
「何言ってんだよ。じゃあ、調停もなかったっていうかい?」
「あなたが暴力ふるったんだから、謝るのが当然でしょ。結婚が合法的だったかどうかは認めないけど、暴力の事実は消せないわ。謝ってよ! それともあなたは、暴力を肯定するの?」
「するわけないじゃないか。いまは21世紀だよ。19世紀の昔に生きているわけじゃないんだから。夫婦の間でも望まないセックスの強要は強姦だよ。」
「だったら、暴力は悪かったって認めなさいよ。謝って。」
「だから、さっきからずっと謝っているじゃないか。」
「あなたの謝り方には誠意がないのよ。実際、何を謝っているのかわかっているかどうか怪しいもんだわ。お友達には「あいつが理不尽な、感情的なことばかり言うからさ、ちょっと合わせてやってんだ。本当は暴力なんかふるってないよ。ふるうわけないだろう、ぼくが。」とかなんとか言ってんでしょ。うわさで聞こえてくるんだから。あああ、腹が立つ。謝って!」
「だから、謝っているじゃないか。これまでに何度も。」
「誠意がないのよ。」
「なんだよ、誠意って。」
「そんなの自分で考えなさいよ。自分の問題でしょ?」
「えーー!? 君って、お金で解決したい人なの?」
「何言ってんの! そんなわけないでしょ! あなたおかしいんじゃない?」
「そっちこそ、おかしいんじゃないか?どうしたらいいのか、はっきり言ってくれよ!」
「だから、あなたの問題なんだから、あなたが考えなさいよ!」

と、どうしてこんな想像になってしまうのだろうか。そして、この寓話が現実と違うのはどこだろうか?

沖縄とヤマトも略奪婚だったのではないか。
侵略というのは、忠誠も求めるだけに、問題は複層的だ。しかも、一人の人間ですら、葛藤があるのに、国家という集合体は、さらに複雑だ。

しかし、個人において葛藤が大きすぎるのは病になるように、国家も根本的な価値観の共有がなければ、危うい。民主主義や人権を否定するような閣僚がうようよしている政権って、どうよ?
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by eric-blog | 2015-08-31 00:30 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)
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