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A級戦犯 かく語りき 60年前

A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦 我々の責任でない」

高知新聞 2013年8月13日朝刊

http://www.kochinews.co.jp/18janataisho/130813taisho.html

彼らの発言から、60年。

 《制作の経緯》

 「マイクの広場 A級戦犯」のプロデューサー、水野繁さんによると、取材は1953年7月に始まった。「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」の衆院可決に合わせての企画だった。

 制作は文化放送教養部が担当。同年8月にA級戦犯19人(逮捕後の不起訴を含む)をリストアップ。その全員に取材を申し込んだ。

 その結果、15人が内閣情報調査室を通して断ったり、病気を理由に親族が断ったりした。取材に応じたのは、荒木貞夫氏ら4人。放送された番組は約30分間だが、収録は1人2~3時間に及んだという。

 56年4月の放送後、大きな反響を呼び、当時再放送もされた。
    ◇
 水野さんの資料によると、取材を断ったA級戦犯と理由は次の通り。(敬称略)
 【病気を理由に親族が断った】岡敬純、畑俊六、嶋田繁太郎、大島浩、佐藤賢了、星野直樹
 【内閣情報調査室が断った】平沼騏一郎、南次郎、岸信介、木戸幸一、児玉誉士夫、正力松太郎、鮎川義介、真崎甚三郎、天羽英二

A級戦犯の言葉 今に影 57年前のラジオ音源 戦争責任を語る


 ラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」はナレーションを挟みながら、約30分間続く。A級戦犯の言い分はどんな内容だったのか。それに疑義を唱えた人たちは何を語っていたのか。音声の一部を掲載する。(発言趣旨を変えない範囲で、語尾など一部表現の修正や省略をほどこしている箇所があります)

 【写真】1955(昭和30)年9月17日、東京裁判で終身刑を受けて服役していた橋本欣五郎元陸軍大佐、賀屋興宣元蔵相、鈴木貞一元企画院総裁の3氏が巣鴨プリズンを出所した。A級戦犯は裁判に関与した11カ国の同意を得て、翌年までに全員赦免された

■戦争責任■  けしからんというのは筋違いだ

【橋本欣五郎氏(陸軍大佐、大政翼賛会常任総務)】
 「戦争をやるべく大いに宣伝をしたということは事実ですよ。そうして、これが負けたということは誠に、僕は国民に相済まんと思っておるですよ。そりゃ、はっきりしとりますよ。けれども、外国に向かって相済まないとは、一つも思っておらない」

 橋本欣五郎(1890~1957年) 陸軍大佐。天皇帰一主義の超国家主義体制を実現させるとして、三月事件と十月事件(いずれも1931年)という2件のクーデター未遂事件を起こす。大政翼賛会では、壮年団本部長を務めた。
【賀屋興宣(おきのり)氏(開戦時の大蔵大臣)】
 「敗戦は誰の責任か? われわれの責任じゃない。それをだな、われわれに(対し)けしからんと言って憤慨するのは少し筋違いじゃないか。お前、自分の責任が大いにその原因してるぞ」
 「あらゆる責任は、いわゆる軍閥が主です。財閥や官僚というものは、戦争を起こすことについては、非常に力が薄いです。むしろ反対の者が相当にあった。主たるところは軍人の一部です」

 賀屋興宣(1889~1977年) 太平洋戦争開戦時の東条英機内閣で大蔵大臣を務める。中国資源の収奪や大東亜共栄圏を中心とするブロック経済を視野に入れ、軍事優先の予算を編成した。戦後は、池田勇人内閣で法相を務めた。

【鈴木貞一氏(陸軍中将、戦時中は内閣顧問)】
 「戦争責任を考える上については、やっぱり国民のね、政治的な、その何と言うか、責任と言うかね。もし、国民が戦争を本当に欲しないというそれが、政治の上に強く反映しておれば、そうできないわけなんだ。だから、僕は政治家の力が足りないと。足りなかったと。もしも、戦争が誤りであるとすればだよ、その誤りを直すだけの政治の力が足りなかったと」
 「政治の力が足りないということは、何かと言うと、国民の政治力が、すなわち、政治家は一人で立っているんじゃないわけだからね。国民の基盤の上に立っているんだから。今日の言葉で言うならば、世論というものがだね、本当に、はっきりしていないことから起こっていると思うんだな」
 「当時の堂々たる政治家が、極端に言うなら、軍に頭を下げるようなことをやっておった。そういうことでは、軍人を責めることが、むしろ僕は無理だと思うんだ」

 鈴木貞一(1888~1989年) 陸軍中将。第2次近衛文麿内閣で国務相兼企画院総裁を務める。1941年の御前会議で、日本の経済力と軍事力を分析した結果として、天皇に対し「座して相手の圧迫を待つに比しまして、国力の保持増進上(対米開戦は)有利であると確信いたします」と進言した。100歳まで生き、A級戦犯最後の生き残りと言われた。


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■敗戦か終戦か■  イチかバチか戦争するのが普通の人

【荒木貞夫氏(陸軍大将)】
 「(米軍が戦争に)勝ったと僕は言わせないです。まだやって勝つか、負けるか、分からんですよ。あの時に(米軍が日本本土に)上陸してごらんなさい…彼らは(日本上陸作戦の)計画を発表しているもんね。九州、とにかくやったならば、血は流したかもしれんけど、惨たんたる光景を、敵軍が私は受けたと思いますね。そういうことでもって、終戦になったんでしょう」
 「だから、敗戦とは言ってないよ。終戦と言っとる。それを文士やら何やらがやせ我慢をして終戦なんと言わんで、『敗戦じゃないか』『負けたんじゃないか』と言っとる。そりゃ戦を知らない者の言ですよ。簡単な言葉で言やあ、負けたと思うときに初めて負ける。負けたと思わなけりゃ、負けるもんじゃないということを歴戦の士は教えているものね」
 「(対米開戦をしなければ)ジリ貧と言った東条(英機)君の言葉も、必ずしも一人を責めることはできんじゃないかと。どうせしなびてしまうようにさせられるなら、目の黒いうちにイチかバチか(戦争を)しようというのは、普通の人の頭じゃないかと、こう、私は言いたいのです」
 「戦争中にあったことは、いつまでもグズグズ言うのは、これは間違いだ」
 「逆コース(1950年代前半の日本の再軍備などを指す)なら逆コースでよろしい、と。いま端的に言うなら、憲法問題。(改正反対などと)グズグズ何か言うなら(明治政府の)五箇条のご誓文でいいじゃないかと」

 荒木貞夫(1877~1966年) 陸軍大将。陸軍大臣、文部大臣も務める。天皇親政のもとで、国家改造を進めようとした「皇道派」の首領格。文相時代は「皇道教育」を軸に、軍国主義教育を推し進めた。

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■言論の自由■  自らが自らを縛っている格好に

 【鈴木貞一氏】
 (国民に対する言論弾圧について問われ)「治安維持法も総動員法も議会でやるんだな。議会でやるんだから、その政治力が『そういうもんはいかん』ということであればだね、(戦時関連の立法は)できないわけなんだな。そういうものを作ったということは、自分(政治家)がそれを承認してだ、そういうものに服するということにしたんだから。自らが自らを縛っている格好になっているんだよ」
by eric-blog | 2015-08-17 17:44 | ◇ブログ&プロフィール
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