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セクシャル・ハラスメント オブ ワーキング・ウィメン

90-5(418)セクシャル・ハラスメント オブ ワーキング・ウィメン
キャサリン・マッキノン、桐書房、1999

「ある言動を、それは「セクハラ」だと言ってしまうことで、何かわかったような気になってしまい、実はそれが、重大な性差別であるというところまで、議論が進められずにすまされてはいないだろうか。」4

これは、まったく、わたし自身の課題意識と一致する。セクハラは重大な性差別なのである。そして、性差別は暴力であり、人権侵害であり、痛みであり、だからこそ、性差別主義者たちとわたしたちは共存できないし、共存を拒否する。

なぜ、そのことを断言できないのかな。

「特に、加害者個人の言動にのみ的を当てる理解の仕方には、事柄の本質が性差別であることを、曖昧にする危険がひそんでいる」4

とまれ、この本は、マッキノンが弁護士として、上司からの性的ないやがらせで退職を余儀なくされ、失業保険の給付も自己理由での退職ということで受けられなかった事件を弁護することから始まった。彼女をして、角田由紀子は「社会変革の法を創造するひと」と呼ぶ。

第2章はまず「女性の仕事」についての概観から入っている。
42
・他の人間によって管理され監督され運営される地位についている
・より低い地位の公務員職に集中している
・男性の使用者または管理職が雇用の継続や昇進を認めてくれるかどうかに依存する弱い立場にある場合には、女性は不利な状況におかれている。
・昇進の可能性が制限されている場合に、同じ職務の下級の地位で働くのは、違う種類の仕事をすることと同じである。
・垂直的な階層化と水平的な職務分離とは、その根拠が性別であるかぎり、結局同じことになる傾向がある。
・収入の不平等
・貧困女性は、同じ貧困男性よりかなり高い学歴を有している場合が多い。44

さらには、その求められる「役割」そのものに、女性の行う仕事には次のようなものが求められている。
・服従関係を示す才覚と技術
・従順さ
・主従関係
・個人的な欲求を察知しそれを満たす能力
・容姿を気にする

役割は周囲の人間の見方から生じているにすぎないのに、そのような性的な役割を果たしている存在と見られることで、彼女のそれ以外のあらゆる特徴が消し去られてしまう。52
・仕事において女性が性的な存在にされていることは、行動様式や制度的慣行としてわりも、むしろ態度や雰囲気として現れることがしばしばある。53

・従って、秘書の専門学校では、...自分を「可愛らしい包み紙パッケージ」で包むよう教えられている。

男性と女性はこの仕組みに平等に参加するのではない。「女性は男性に性的魅力を売ることを求められているのに対し、男性は自らの好みを押し付ける経済力と地位を手に入れやすい」という自室の重要性を低めてはならない。
「仕事がおもしろくなくなりあまり労力がいらなくなればなるほど、「苛酷な労働が少なくなるに連れて、性は遊び時間の意識だけでなく日中の仕事時間の意識にも浸透し」その結果、性は仕事における「消費財」とみなされるようになる。マルクーゼと同様、リースマンは「有閑精神」の発展なるものが女性にも男性にも等しく降りかかるわけではないという事実を見逃している。むしろ、仕事において女性の性的魅力を消費するのは男性の側であり、自分たちの仕事の一部としてこうした事実に適応しなければならないのは女性の側なのである。」55

「女性が拒否すると、男性が、女性の職務や昇進・昇格に対して権力を行使することによって報復をしている」74

第3章ではセクハラの事象を扱っている。

対価型というのは、明示的な解雇の脅しを伴う取引的なものであるが、それに対して「職場環境型」というのは、男性の性差別を女性の職場環境にしてしまうことである。

「女性が女性の体をもっているというだけの理由で、望まない性的な誘いが女性の職業生活において日常的に行われることもある」81
「大部分の女性は大目に見るように強要されている」81

「無能だ」「忍耐力がない」「しょっちゅう休む」「あたにできない」「女の幸せはセックスにある」
などの言動。82-3

「我慢することは、職場環境型のセクシャル・ハラスメントが要求する同意の特有の形態である。...つまり鷹揚な姿勢を外見上維持することが大切」89


第4章は諸判例の紹介である。
セクハラ問題の発生を職場や使用者の問題と切り離そうとする論調がよく見られる。
・雇用関係において生じたセクハラはそれ自体性差別である。
・影響が被害者の雇用や雇用機会に及ぶため、使用者はそれを救済しなければならない

154セクハラは、「女性を祭り上げるふりをして、実は籠の鳥にしてしまう、あのロマンティックな「父権的温情主義」の一面かもしれない。

第6章がいよいよ性差別としてのセクシャル・ハラスメント である。

「セクシャル・ハラスメントは、性別役割が性差として創造する社会的意味の一つを表現している。つまり、性別にしたがって権力が分配されると同時に、分業がつくり出され、その分業は性的な手段によって強化されるのである。」248

「強姦は、強引に性的主導権をとるという男性の役割が、女性の意向を無視してあらわれた一つの表現」248

しかし、職場におけるストレス管理の問題としても取り上げることができたはずだ。

「職場のセクシャル・ハラスメントは、女性の役割を家庭内とまったく同様に性的なものとすることによって、家庭外での女性の自立をさまたげる」330

性的不平等と経済的不平等という二つの不平等が相互に支えあう強制としてのセクシャル・ハラスメント

「男女の不平等のもとにおける通常のセクシャリティを健全だと前提してもいいのだろうか。男女のセクシャリティ、男らしさ、女らしさ、セクシーであること、異性の魅力などに関する社会の見方の中に、すでに不平等が入り込んでいるとしたらどうだろうか」333
「男性はその弱みにつけこむことができると感じ、したがってそうしたいと思い、弱みにつけこむのである。」333
by eric-blog | 2005-07-01 10:20 | ■週5プロジェクト05
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