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スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか

スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか
池谷孝司、幻冬舎、2014
2389冊目

ラジオ番組「子ども相談室」
http://podcast.tbsradio.jp/kodomoreal/files/20150118_soudan.mp3

大人と子ども、教師と児童・生徒、男と女、これらの関係性が対等だと思っている、いや、そこに強制力が自動的に働くことはないと思っている人が、おろかにも、陥るわなが、ハラスメントだ。

力の格差は「権力」を生み、権力は暴力に堕落する。

これらの権力関係を背景に、性的な行為を強制することが、強制なのかどうかすら判断できない。

これらの権力関係が、学校には常在しているからだ。

「教師はどのような正当性のゆえに、子どもたちを教えているのか」

あまりにも安易に、その「なぜ」がシステムの中でぼやけていく。

著者は、高校2年生の時に担任から性的な関係に「誘い込まれた」と感じている20代の女性と出会う。

そして、その相手の教員との対面に同行することへの同意を得て、それがなんだったのかを両方から取材することに成功する。

教員の側の鈍感さは、生徒が教員から誘われた時、それを断れば「内申書」や「成績」への影響があるかもしれないと怯えること、そして怯えながらも、「まさか、そんなことしないだろう」と明るく振る舞うことを、「明るかったよね」と受け取ることだ。

教員側の鈍感さは、「ここまでOKだったのだから」といくつかのハードルを自分自身の心の中にも設けながら、そのハードルごとに、なぜ否やを言えないかという力関係が働いていることを理解していないことだ。

教員側の鈍感さは、「誰にも言わないこと」という秘密が、生徒をどれほど孤立化させ、自尊心を削り取っていくかということだ。

この物語が第一章。

第二章は、母子家庭の女子から、たくさんの「ハートマーク」つきの手紙を毎日のように受け取った教員の事例だ。

寂しかった、かもしれない女の子からのメッセージを、性的な関係への誘いと思い込み、実際にキスしようとした時の拒否感や拒絶の意味を受け止めることができず、権力関係を後ろ盾に、踏み越えてしまう。

第三章は、部活動で、全国大会に出ることを明言し、実績もある教員が、ことばたくみに、「プライドが、指導を邪魔するのだ」「素直に言うことを聞けるかどうかを示せ」「どうすればいい?」「裸になってみせろ」などと、個室で、一人ひとりを呼び出して「指導」することを繰り返していた。

問題提起をした人々は、全国大会に行けたことを評価する人々から攻撃されることになる。

そして、第四章はメールを使って生徒とつながる教員。熱心な。そして、いまスクールセクハラ問題で活動する亀井さん自身の体験。職員室の「生徒」よりも「自己保身」の体質。二次被害。

問題はあきらかだ。課題は、指導者育成だ。

池谷さんは、ここに書かれた何十倍、何千倍もの悔しい思いがあるのだという。書きにくい問題なのだと。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181014-00054313-jbpressz-soci&p=1

私が取材した加害者たちは「自分に権力があるなんて、考えもしなかった」と語る。「子どもと同じ目線」で見ていた、というわけだ。教え子にとっては、圧倒的な強者だと気付かない。

 そして「対等な立場の恋愛だと思った」と言う。「嫌なら、そう言うと思った」と話す。被害者が「ノー」と言えない、という想像力が働かないのだ。


by eric-blog | 2014-12-21 20:12 | ■週5プロジェクト14
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