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中国外交 苦難と超克の100年

中国外交 苦難と超克の100年
朱建栄、PHP研究所、2012
2341冊目

10月16日の勉強会で「習近平体制と日中関係」の話を朱建栄さんから聞いた。

中国は、尖閣諸島について強硬な行動には出れないこと、いま、日中関係の回復の動きが、日本側からも9月26日の安倍首相国会所信演説としても出されていること、マクロに見た場合、「民主化」は大きな流れであって、それは変えられないことが語られた。

大きくは毛沢東時代30年、鄧小平時代30年という鎖国から開国、経済発展へという流れから、中国型の発展を探る時代へと。政治の民主化は、社会の民主化の後に続くようにして起こるだろうと。

9月3日の習近平主席談話より
四つの政治文書を起訴に関係を安定・発展させる。
1972年のコミュニケ、1978年の友好条約と合意、2008年の共同声明である。
「前のことを忘れず、後の戒めとする。」未来に対する責任ある態度で、中日関係とアジアの安定発展を守るという大局的見地から歴史問題を慎重かつ厳粛にあつかい適切に対処する。

そして、この本。

中国の外交政策の根底にあるもの、中国人の世界観を理解することが鍵だという。そのために、約100年の対外関係をひもといているのがこの本である。

おもしろかった。
 
中国人の近代史の受け止め方のパターン。『冤婦』『溌婦』『情婦』
すべて列強が悪い、自分はいじめられたという思考様式
いじめられたのだから、こっちが反抗するために過激に暴れてどこが悪い?
情婦とは、「植民地の過程を経なければ中国は近代化ができない」という西洋かぶれの心理。
前ふたつのパターンは、中国の歴史教科書の随所に見られる。30

アヘン戦争を起点とする史観は、過去の革命と現在の経済優先路線のあいだに相通じない溝をつくった。32

欧米を中心とする開放的で輸出型の世界体系と、閉鎖的で内向きの中国の王朝システムとの衝突。
その小文明が大文明に巻き込まれていくプロセスが中国の近代史なのだと。33


19世紀、中国のGDPは世界の32%だったという。『世界経済1000年の歴史』より

その中国がなぜ「アヘン戦争」に負けたのか。そして、なぜ日本は短期間に中国に戦争をしかけるほどになったのか。中国の敗北が日本にとっては鑑であった。

「経済が発展しても開明的な制度と開放的な意識がなければやはり他国に負けてしまう。」朱維錚 35
清朝の最盛期における自己満足の優越感、探究心と自己改革の意識の喪失が、産業革命以後の外部世界とのギャップをつくり、敗戦を重ねる原因だったと。36

日本との関係においては、1874年の台湾出兵があった。中国は琉球も台湾も自分たちの領土であると考えていた。が、1871年に琉球漁民が台湾に漂着し、数十人が殺害された。日本は、この事件を渡りに船と、清朝に責任追及を求めた。それに対し「化外の民」という答えがあり、日本側は「中国は台湾が自らの管轄外と認めた」と自ら懲罰に行くと決めた。76

さらには1875年、琉球に清との冊封・朝貢関係を廃止、明治年号の使用を命じ、1879年、琉球処分によって琉球国をほろぼした。83

日本はまだ内乱を平定したばかりで、実力が足りないと見ていた中国は列強を巻き込んだ外交政策でも遅れをとる。

琉球分割案などを議論している内に、日清戦争となり、琉球の日本帰属が決着する。

華夷秩序を維持することができなくなり、中国は世界体制に入っていくことに。
しかし、国際社会における平等で尊厳ある地位をめざす外交努力はつねに内部から足を引っ張られる状況となった。109

1931年に始まる「日中戦争」、満州事変は、1937年の盧溝橋事件によって、「抗日戦争」という形を明確にとっていく転機となった。143

老獪植民主義国家のイギリス、帝政ロシアの伝統を受け継ぐソ連、口先で理想主義的な美辞麗句を並べる米国も、実際は自国の利益のために他人を平気で犠牲にし、取引に持ち出す。160

1949年に建国した中華人民共和国は、カイロ宣言の調印や国連の創設などを通じて、大国的地位が認められていたものの、旧列強諸国にあしらわれていた微妙な国際的スタンスから再出発。

21世紀の中国外交

温家宝首相、2007年論文「民主、放置、自由、人権は資本主義の独占物ではなく、異なる歴史の段階と国でその実現の方式とルートに違いがあっても、人類が協働で追求してきた価値観であり、共同で創造した文明の成果である」173

中国の外交姿勢を形作っている三つの前提。
1. 欧米諸国の本質はかわっていない。自国の利益優先。
2. 外交的影響力の背景は、「実力」。経済力、軍事力。
3. 近代史における「屈辱感」「被害者意識」がぬぐえない。

れっきとした大国として「有名税」を払う覚悟と心理的準備ができていない。183

一方で日本はどうか。
中国蔑視論の裏返しとしての中国脅威論、嫉妬心。
自己中心的で尊大な気持ちがある限り、日本は中国やアジアの人々を友人にできない。189

日中韓の三者協力は世界に未来モデルとして示すことができる。190

世界的「責任ある」大国をめざすには、道義的側面、価値観の側面で、全世界に認められる新しい外国理念と行動スタイルをつくっていくべきだ。

共通のアジア人の意識を育成する教育の普及。漢字文化圏の再統一によって、東洋文明を共有していく重要な土台になる。191

帝国主義列強時代の産物によって深い傷跡を残したが、歴史認識の相違や憎しみを早く
乗り越えるメカニズムを共同で構築し、共通の歴史教科書を一緒に編纂すべきだ。こによって日中韓三か国とも未来志向の協力にスクラムを組みやすいようになる。192

国際関係にいまだに潜む弱肉強食の発想と帝国主義的な行動パターン、極端な民族主義と宗教至上主義を克服するために、東洋文明に含まれる優れた価値観を一緒に発掘し、それを西洋文明の合理的部分と補完・融合し、21世紀の新しい普遍的価値観と新しい外交理念を創り上げていくべきだ。192

もっと長期的視野をもち、もっと胸襟を開き、もっと共通意識をもっていく。



◆福沢諭吉の「脱亜論」は、弱肉強食の欧米をみならって接することと喝破したものであり、鎖国政策をとっていた中国には、共通認識がまだなかった。ということか。


2014年10月25日 東京新聞
習近平氏が周氏近辺を切ることができた理由、それは、習氏らの「太子党」という同年代の存在があると、朱さんは言っていた。
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by eric-blog | 2014-10-24 13:19 | ■週5プロジェクト14
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