公共哲学とは何か

山脇直司
公共哲学とは何か、ちくま新書、2004 [2298冊目]

http://ericweblog.exblog.jp/20197247/

「原爆がどんな結果をもたらすかを知り、世界の良心となって核兵器廃絶を呼びかけながら、どうして日本が原子力に投資し原発を建設してきたのか、疑問に感じました。」と(ウルリッヒ・ベックが)と述べたことに対して、日本国民はまじめに応える義務があるでしょう。139/2011

科学技術のガバナンスと熟議型民主主義145/2011

山脇さんは『グローカル公共哲学』の中で「国民教育からグローカル・シティズンシップ教育」へと説いています。194
さらに、山脇さんは、それを生涯学習でも実践されるべきことを主張。

『公共哲学とは何か』では、すでに草稿されていた『グローカル公共哲学』からも引用しながら、活私開公の考え方を提唱している。

『公共哲学とは何か』では、近世から明治、戦前から戦後の公共哲学的な系譜もまとめられている。

近世においては安藤昌益(漢字の脱構築も!)「互性」「直耕」「お上の公を否定」による平等社会、横井小楠「公論」「公正」「有道の国」「公共の天理」などを説いた。

五箇条の誓文(1868年明治元年)の一番目「広く会議を興し、万機公論に決すべし」は「公権力の正当性」を「民の公共性」におこうとしたもの。092

自由民権運動は、誓文に立ち返る形で「公議輿論」の制度化を求めた。092

植木枝盛の『三酔人経綸問答』「洋学博士」「豪傑君」「南海先生」は公共哲学の古典。094

1989年の明治憲法と1890年の教育勅語による「天皇と臣民」というビジョン・・・「民の公共」が欠けている。・・・起草した井上毅、元田永孚は「反公共哲学的な公教育論者」095

福沢諭吉の『学問のすすめ』や『文明の概略』を「国民主義的公共哲学」と。「お上の公」ではなく「民の公共」を宣言した。

しかし、帝国主義の時代背景によって、「日本人という集団的な自己とその外部の他者」という図式をつくりあげてしまった。098

田中正造のエコロジカルな公共哲学、国家に回収されえない地方町村の自治=民の公共性の正当性  100

大正デモクラシー、吉野作造と福田徳三

公共哲学にとっての「反面教師」の昭和初期。105
・外部への帝国主義思想(八紘一宇思想)は、日本内部での「滅私奉公的な国民道徳論」とリンク
・『国体の本義』文部省、1937年、万世一系の天皇の主権国家に本とその臣民、教育勅語の再強化。108

p.109
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そして、戦後。現在の「学会の業界化」。「思想的に失われた80年代」「混迷の90年代」「漂流する2000年代」。

さらに、教育を俯瞰して、山脇さんはこう言います。

「戦後教育の現場では・・・レーニン主義的な集団主義を理想とするなど・・・左翼教師が数多くいた」
民主主義を支える「個人」の問題がないがしろにされてきた。198

いわゆる人権派教師の多くが人権を根源的に考えることをしなかったのは、日本の教育にとって真に不幸なことでした。199

その反動が70年代から80年代までの管理教育強化・・・90年代以降のいじめや学級崩壊・・・現下の教育基本法改悪案  199

佐藤学の「学びの共同体」論 「学びの公共世界へ」


理念をかかげて、現状から実現可能性をはかっていく。バックキャスティング法と同じだね。
べき-ある-できる
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by eric-blog | 2014-09-18 08:59 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)
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