差別のカラクリ

差別のカラクリ
奥田均、解放出版社、2009
2261冊目

部落差別の原因を「存在論」「状態論」「関係論」および心理/実態、部落内/外の二次元四領域プラス差別事件の5領域から解説。

存在論とは、部落の存在が差別を招くのだから、部落を分散させてしまえばいいという極端な解決法を提示する考え方。

状態論というのは、部落の貧困や低学歴などの状態が差別の結果であり、差別の対象となるのだから、その状態を改善すればいいという考え方。1965年の同対審の答えがこれだったと言える。

それらの「部落内外」の比較に立脚した議論ではなく、すべての差別との共通性としての「関係性」に差別の根を見るのが「関係論」である。

『土地差別 部落問題を考える』解放出版社、2006
『見なされる差別-なぜ部落を避けるのか』解放出版社、2007
がそれぞれ状態論、関係論について著者がすでに書いたものだという。

今回、この本を紹介しようと思ったのは、「果たして、部落はなくなることがよいことなのか」という問いが強烈に湧き出たからだ。

女性差別があるからと言って、女でなくなればいいのか。女がなくなればいいのか。

誰もそれが答えだとは思うまい。

在日コリアンが、コリアンというアイデンティティやルーツをなくせばいいのか。

障害がなくなればいいのか。

わたしが衝撃を受けたのはこんなところだ。

同対審で、「状態」の改善が取り組まれたとき、上下水道の整備、住宅建設などがすすんだ。住宅は公営住宅として建てられ、安い賃貸で住めることになった。

それが1996年に「公営住宅法」の改正によって、変化が生じてきた。応能応益家賃制度によって、公営住宅地域が、その入り口が低所得者層に限定され、そうでない世帯は住み続けて行くことが困難になった「追い出されて行く」。160

2002年「地帯財特法」の失効。公営住宅の入居対象者が一般にもひろがる。

ついのすみかだと思って住んでいた人にとっては、とんでもない法律だ。

それでなくとも、スラムであれ、極小であれ、彼らが住んでいたところの権利関係はどうなったのだろうか。これでは時間をかけた立ち退き政策だったのではないか。

故郷を、奪われてよいのか。生活改善とは、どのようにあるべきだったのだろうか。

そして、公営住宅が新たに抵所得者層・高齢者層のスラム化して行く可能性が生まれている。

なんかショックだなあ。まちづくりとしてそれで良かったのだろうか。
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by eric-blog | 2014-07-25 08:26 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)
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