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Mama Africa  ミリアム・マケバの歌声



Malaika
タンザニア、スワヒリ語
http://www.lastfm.jp/music/Miriam+Makeba/Mama+Africa/Malaika

Malaika, nakupenda Malaika         
Malaika, nakupenda Malaika

Ningekuoa mali we,
Nibgekuoa dada
Nashindwa na mali sina we
Ningekuoa Malaika.

Nashindwa na mali sina we,
Ningekuoa Malaika.

Pesa zasumbua roho yangu.
Pesa (wo) zasumbua roho yangu.

Nami nifanyeje, kijana mwenzio,
Nashindwa na mali sina we,
Ningekuoa Malaika.

Nashindwa na mali sina we,
(wow) Ningekuoa Malaika.
(ah)
Kidege, hukuwaza kidege    
Kidege, hukuwaza kidege

Nami nifanyeje, kijana mwenzio,      
Nashindwa na mali sina we,   
(Wow)Ningekuoa Malaika.
Nashindwa na mali sina we,   
Ningekuoa Malaika.

Malaika, nakupenda Malaika    
Malaika, nakupenda Malaika

Nami nifanyeje, kijana mwenzio,
Nashindwa na mali sina we,(wo)
(Wow) Ningekuoa Malaika.
Nashindwa na mali sina we,
(Wow) Ningekuoa Malaika.
Ningekuoa Malaika.

Ningekuoa Malaika.

Angel I love you

I will marry you

if I will not be defeated by fortune

Money is troubling my soul

Little bird, I dream of you

Was I not defeated by lack of fortune,

アルバムより

南アフリカの歌姫、ミリアム・マケバはアフリカの母、そしてアフリカの歌の女帝として世界に知られている。
1932年3月4日に南アフリカに生まれ、1954年マンハッタン・ブラザーズのボーカリストとして注目を集めた。すぐに、女性ばかりのグループ、スカイラークスに移り、アルフ・ハーバートのアフリカジャズ他と公演旅行を行った。その18ヶ月におよぶツアーは、多くのアフリカ人歌手たちのデビューを飾るものだった。
1959年、マケバの比類なき歌声が、南アのミュージカル「キングコング」のショーでの女性リード役を射止めた。彼女はその後アメリカに渡り、ケネディ大統領の誕生日にも歌った。ニューヨークで、ハリー・ベラフォンテと組んで「クリック・ソング」や「パタパタ」などの古典的名曲を世に送り出した。
1963年、彼女はアパルトヘイトについて国連で証言を行ない、その結果南ア政府は彼女の市民権を剥奪、帰国の権利を奪った。彼女は米国にとどまり、ブラック・パンサーのリーダーであったストークリー・カーマイケルと結婚。南アからの亡命生活が始まった。
米国政府高官からハラスメントを受けた後は、ギニアに移住。
ポール・サイモンとのグレイスランド・ツアーによって再び注目を集めた。
1980年代後半に、自由南ア人として故郷に帰った。イタリアでの慈善コンサート後に病気になり、2008年11月10日、死亡。

Wikiより 
<ミリアム・マケバ>(Miriam Makeba)
1932年生まれ。国際的な女性歌手で「ママ・アフリカ」と敬愛されながらも、その反アパルトヘイト活動により、31年間故国への入国を許されなかった。 歌手としてはもちろんの事、アフリカ文化の架け橋、また反アパルトヘイトの旗手として、残した足跡は極めて大きい。
マケバは1959年の渡米後、人気を博し、多くの有名音楽家と共演。ケネディー大統領の誕生パーティーにも招待され、1963年には国連アパルトヘイト特別委員会で演説を行ったほか、1967年にはオリジナル曲「パタ・パタ」が世界中でヒットした。
しかし彼女の活動は、南アフリカでは当然受け入れられず、また黒人人権運動家の急進派ストークリー・カーマイケルと結婚したこ とで、アメリカでの人気も急落。その後ストークリーとギニアに生活拠点を移すも離婚するなど、人生の辛酸をなめ尽くした。断続的ながらそれ以降もマケバ は、ヨーロッパ・アフリカ諸国での音楽活動を続け、1987年、ポール・サイモンが主催した「グレースランド・アフリカン・コンサート」ツアーにも参加し て、大きな反響を呼んだ。
そしてアパルトヘイトの雪解けが感じられた1990年、ようやく帰国が許され(フランス人としてのビザで)、31年ぶりに南ア フリカの地を踏んだ。その時、空港には何千もの群衆が歓喜して彼女を出迎えたという。さらに翌年のアパルトヘイト撤廃に伴い、彼女が南アフリカで歌うこ と、また彼女の曲がラジオ・テレビで放送されることが許可された。
by eric-blog | 2014-06-11 11:04 | ◇ブログ&プロフィール
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