私が生きたふたつの「日本」

私が生きたふたつの「日本」
篠田正浩、五月書房、2003
2227冊目

岐阜の芥見村は長良川の上流に面している。篠田兄弟は川から村に引き込まれている農業用水の水流を利用して、物理の授業で学んだ発電機(ダイナモ)を自らの手で制作して2キロワットの発電に成功・・・日本で二番目の水力発電ではなかった。明治40年のことである。11

とかの文章にひきつけられて、読んでしまった。一作一作の映画についての写真が紹介されている。紹介されているシーンは、美しい。

心中天網島
沈黙 SILENCE
はなれ瞽女おりん
桜の森の満開の下
瀬戸内少年野球団
写楽
スパイ・ゾルゲ

視力が中学生の頃から悪いので、視覚的記憶が弱いわたしは、映画鑑賞には向いていないと、最近つくづく思うのだ。すべてラジオドラマにしてくれないかとも思うほどだ。

しかし、篠田作品は、見てみたいと、思った。

で、どうしても採集しておかなければならない一文があったのですが。

「戦時下の中学生の教室では様々な問題が生徒を悩ませていた。職業軍人ではない一般市民が戦争に参加するとはどういうことかといった問題が試験にでたことがある。正解は、現代の戦争は総力戦だというのである。
・・・・
お前たちは天皇陛下の赤子である・・・赤子は絶対に敵の捕虜になってはいけない。捕虜の辱めを受ける前にいさぎよく腹を切れ、と中学に配属された陸軍の将校に命じられた。そこで私たちは講堂に集められ、切腹の作法を学んだ。」24

「役者は人間悪の代理人・・・芸能者は・・・愛玩される一方で、穢れた存在として畏怖されたことであろう。・・・
だから私は、日本の芸能を考えるとき、部落問題を避けて通ることはできないと思っている。芸能と差別部落はそのトポスを共有していたからだ。
・・・・
こんな体験をしたことがある。京都で私は妻の岩下志麻と伯母の河原崎しず江と・・・伝手あって桂離宮を見学する機会が訪れた。・・・係の顔が急に曇り「河原もんは入られへん」と告げた。・・・俳優と書いたためである。」89


遠藤周作の「沈黙」についてのエピソードも興味深い。

遠藤は、「日本人は外来の文化を受入れるが、でもそれはすべて日本化されてしまうのだ」115
・・・
「ここにはキリストは根付かない。・・・植えても根腐れしてしまう。・・・その地では神の沈黙が続くばかりだ。」118

映画は日本に布教にきた宣教師の物語。

著者が、皇国少年として見た国は「聖戦の中味はいつも無惨なものである。」北朝をひく天皇をどうとらえるかと悩んだり。富国強兵の向こうに皇国史観。国のために死んだ人の物語がちりばめられた歴史教育。

1960年から30年、毎年一本のペースで作られた映画で、わたしの印象に残っているのは「瀬戸内少年野球団」?
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by eric-blog | 2014-05-31 08:30 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)
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