うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か
東アジア鰻資源協議会日本支部編、青土社、2013
2195冊目
2013年7月22日土用の丑の日に開催されたシンポジウムの内容をまとめたもの。豪華絢爛な出演者である。
少し前に、東京新聞で、一面記事で、うなぎの産卵場所を水温から探究した研究者の紹介があった。思い出せないが、インド洋の方まで行っていたのではなかったか。
この本で紹介しているのはマリアナ海溝あたりが産卵場所ということになっているが。
いずれにせよ、ウナギと言えば、「河の主」というイメージではなかろうか。海で生まれた稚魚(シラス)が川で成長する。成長する時に、コンクリート護岸がなされている川はだめで、穴が必要。そうだよねぇ。ウナギ釣りは、護岸のブロックの間をねらうもんでしょう、普通。
主になるまで育ったようなものが「親」になるべく海まで出かけるようには思えないなあ。海まで降りて親になる奇特な個体はすくないんじゃない? 生涯未婚率も高そうだ。など、子どもの頃、ウナギ釣りに親しんだものとしては疑問はつきない。
それほどに、生態が謎なのだという。
IUCNのレッドリスト検討会に出席した海部健三さんの報告にも驚く。こんなにウナギ好きで、大量に食べているのに、検討会に参加した研究者たちの間で、日本のデータが圧倒的に少ないというのだ。80
調査捕鯨しかり、海洋国日本の海洋生態系研究は本当にお粗末だ。研究者が育っていない。基礎研究にかける資金が圧倒的に少ないのだ。
ルールメイキングの場における存在の軽さについても言及されている。
いまのような「国益優先」研究の姿勢では、国際的な地位を確立するのは難しいだろうなあ。研究が国益、省益で左右されるんじゃ、まともな研究者は育つはずもない。それは、基礎教育の時からの姿勢そのものなのだ。
大学になってから、とってつけたように「真実の探究」なんて、身に付くわけなかろう? にもかかわらず、いまだに日本は、明治時代の複線式教育の考え方を引きずっていて、普通教育は国民教育、高等教育は専門家や官僚の教育などと考えているかのようだ。いや、そちらに回帰しようとしているというべきか。
そこに追い撃ちをかけているのがメディアの姿勢だ。井田徹治さんの自戒の言葉だ。171
安いウナギ、新しい種類のウナギの加工や流通に工夫する業者を賛美するような記事の数々。ある種類のウナギが捕れなくなった、次の種へ、次の地域へと矛先を変えて行く姿勢を「乱獲のヒットエンドラン」と呼んでいる。
ウナギは国際資源である。それはクジラも同様だ。
捕鯨論争ではメディアや政治家を巻き込んで「クジラを食べるのは日本の伝統だ」大合唱で国民を愚弄してきた日本の水産業であるが、果たして、そこから何を学び、どう変り得るのか。
そして、クジラ、マグロ、ウナギの次に来るのは?
体質改善が望まれるところだが、難しいだろうなあ。基礎教育、大学教育、研究者の育成、学界・学会、などなど。社会の姿勢そのものが非科学的だからなあ。これだけ科学技術の恩恵を受けているし、開発にもかかわることができている国なのになあ。不思議だなあ。