百人百話 第二集
岩上安身、三一書房、2014
2194冊目
第二集が届いた。見本版を読んで、三宅洋平さんが、「発刊に寄せて」の一文を書いている。
「無名の人々の日常に根付いたドラマを解せずして、福島の人々に寄り添うことはできない。」岩上安身、第一集より
・己の稚拙なイメージを反省する。
・市民メディアの存在が「名もなき一市民の発信力」の大きさを証明した。
・真実は、人の数だけ存在する。
・これからの日本社会をどう良くしていけるか、ヒントや課題が浮き彫りになる。
口で語られた歴史、オーラルヒストリーの決定版。
であると。
第一集に続いて、第31話から第58話までの27名の方々の語り。それぞれに6時間もかけてのインタビューが、まとめられている。
動画はこちらから
http://iwj.co.jp/feature/100100/list2/
http://100100.iwj-beta.com/
いま、大文字の歴史を修整したいと、蠢動している人々がいる。(大文字の歴史という表現は石母田正『歴史と民族の発見』より)
河野談話の元となった16名の元従軍慰安婦の方々の証言の根拠がないと言い募る人々。16名の証言によらざるを得なかった事情があり、それも考慮しての決定であったのにもかかわらず、だ。さらに言えば、日本国皇軍が敗戦の退却騒動の中で歴史資料を焼却処分した罪については、まったく言及がない。身びいきにもほどがある。
『はだしのゲン』の描写が過激だと、子どもたちに読ませないようにしようとする動きがある。「過激」だとされているのは日本国皇軍の残虐行為が、だ。
サンフランシスコ講和条約締結日を「主権回復記念日」とするのは、そのことによって、「公職追放」されていたA級戦犯の人々が、公職に復帰することができたからだ。そのことが、あたかも、第二次世界大戦において日本がアジアに進出し、多大な加害をした罪を、死刑にされた戦犯にだけ背負わせて、安倍首相の祖父も含む死刑を免れ、公職追放も解かれた戦犯は、無罪放免だと言わんばかりである。果たしてそうなのか。サンフランシスコ講和条約第11条は、「東京裁判を受け入れ、それを執行する」責任を日本が負うと書いているのだ。
ぐるぐるとねじまがった文言の解釈が、連綿と続いているのが、大文字の歴史の御都合主義だ。
百人百話の功績と貢献は、福島第一原発事故にまつわる「大文字の歴史」がどのように書かれて行こうとも、歴史は、一人ひとりの生の集合体として織りなされて行くのだという、当たり前のことを、確認できるようにしていることだ。
ブルドーザーで表土がはがされ、除染できたとうそぶかれるような歴史修正主義に、細やかに、否やを突きつけ続けるのが、わたしたち一人ひとりの生なのである。
ていねいに、見続けて行く思いの力に感謝。百人百話まで、後43話。
がんばれ!
歴史は消せない。
2014年5月1日 東京新聞