83-7(388)クレオール語の民話
パトリック・シャモワゾー、青土社、1999
2001年にわたしが古本屋で購入したもの。ERIC資料室蔵書。
クレオール語というのは、最近このブログでよく出てくるキーワード。「われわれの物語と語り部は、奴隷制度と植民地化の時代に生まれた」10
「植民地化された国で生きのびることを学ぶ方法」11
「力を見せてしまうのは敗北の前兆....弱い者は計略や回り道、忍耐、...によって強い者に勝つことができる、と語っている」11
「クレオールの民話は、支配している価値体系に泥をはねかける...革命への呼びかけはない...集団とは関わらない。...自分ひとりが逃げ出すことを考えている。....全面的解放は遂げられないという無力さが、そして自由になろうとがむしゃらに試みる執拗さが、その迂回路、この体系を通して現れ出る」12
」
不透明で遠まわし
遮断されながらも、意味を形成すること
危険な要素を取り去ること
見せながら、見せないこと
形作り、かつ形作らないこと
これらの物語を読むのは夜だけにすること。
物語を通して行われる教育が、それでも与える「自由」への希望、その喜び。なんだか、いまの日本の教育で与えられるどきどき感を越えるのではないかと、思う。