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江戸の非人頭 車善七 100万人大都市を「裏」で支えた男

江戸の非人頭 車善七 100万人大都市を「裏」で支えた男
塩見鮮一郎、三一書房、1997
2099冊目

史資料が、残されにくい非人。それは非人が一世かぎりの身分だからだ。江戸時代、身分、職業、居住地を固定した封建時代。非人とは、その固定を逃れた人のこと。地方から流れ込んできた貧民は野非人と呼ばれ、彼らを排除することを「野非人制道」と呼んだ。78

江戸には地方から人が流れ込み続けた。江戸幕府は、非人に非人狩りをさせたのだ。人口増大を政治的に統御するための装置を、非人自身が引き受けさせられたのだ。

その非人頭の車善七の居宅は、吉原遊郭に近接して定められた。それを著者は、遊郭で遊ぶ人に対する「見せしめ」だったのではないかと、推測している。おまえの場所に居続けろよ、さもなければ、非人になるのだよ、と。

そして、刑罰の執行を行っていたのも、非人であった。

公儀のお役目以外に、非人が従事することができたのが「乞食」と「紙くず拾い」であった。浅草弾左衛門との間に、管轄する職種をめぐっての裁判沙汰が記録されている。

ここで、先日の全国人権・同和教育研究大会で紹介された人形浄瑠璃の話になる。

人形舞は浅草弾左衛門の職業リストのいちばん下「28番目の下」とされた。その背景には、「勝扇子事件」という人形からくりの興行にまつわる裁判があった。(『弾左衛門の謎』参照)

この裁判は、それぞれが自分の勝ちだと、理解したものだったのだが、弾左衛門は、人形舞を「28番の下」とすることで溜飲を下げていたのだろう。

何百年もたって、山谷堀がふたたびホームレスの「溜」になっていることはなぜだろうかと、著者は言う。

地方における「川向こう」感覚も同じことだ。空間の記憶、場の記憶は、根強い。だからこそ、場を否定するのではなく、その場で営まれた生活に自負心を持つことが、大切なのだ。一方で、そのことは、その場を離れたり、別の選択をする自由を阻むものではない。一人ひとりの選択として、差別をどう生きるかの多様性のある時代なのだ。

朴和美さんが「オモニ世代の「生き延びる戦略」から、わたしたちの世代の「解放の戦略」へ」と語った時、その次に来るのが「自己実現の道」だろうと予感した。阿波のでこまわしは、まさしく、「木偶廻し」という自己実現の道と出会うことによって、相互尊重を獲得したと言えるのではないか。

出雲のおくにや、人形からくりを、「28番の下」とする封建制度はもうここにはないのだから。芸能に対する根強い差別感覚と比して、今の時代は、芸能万能時代でもある。その中で、「消費される」だけの芸能に終わらないものをもっていることの強みが、歴史によって与えられたとも見えるのだ。
by eric-blog | 2013-11-27 08:53 | ■週5プロジェクト13
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