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ヒロシマとフクシマのあいだ ジェンダーの視点から

ヒロシマとフクシマのあいだ ジェンダーの視点から
加納美紀代、インパクト出版舎、2013
2084冊目

5歳で広島で被ばくし、反原発運動にも長年力を尽くしてきた著者による時々の文章をまとめたもの。

なぜ、被爆国日本が、これほどの原発大国になってしまったのか。

1970年代には原発反対に立っていた武谷三男さんも、1950年頃には「科学信奉」、科学による未来を訴えていた。

栗原貞子さんの「<ヒロシマ>というとき」という詩は、57
・・・・・・・
<ヒロシマ>といえば、女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
<ヒロシマ>といえば
血と炎のこだまが 返ってくるのだ

とある。

原発はあこがれのアメリカ文化、電化生活、そして女性解放のシンボルとして、喧伝されたのだ。76

「反原発運動と女性」p.131から
柏崎刈羽原発を中心に

1969年3月、柏崎市議会は原発誘致決議をあげる。
1970年、反対同盟結成。
1974年、75年と、電調審、安全審査、1976年には公聴会。機動隊に守られた「国」の壁はあつかった。

1973年、小林柏崎市長は、原子力産業会議に提言。その内容が1974年6月、電源三法として、田中角栄総理大臣によって、結実。

越山会は原発推進派。柏崎は推進派と反対派の間で、分裂してしまったのだ。
by eric-blog | 2013-11-07 07:50 | ■週5プロジェクト13
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