エルクラノはなぜ殺されたのか 日系ブラジル少年集団リンチ殺人事件
西野瑠美子、明石書店、1999
2076冊目
1997年に起きた事件についての取材ルポ。従軍慰安婦についての本を出している方なので、出会ったもの。
日系三世の母とその伴侶の夫婦が、最初は子ども二人を親戚に預けて来日していたのだが、子どもたちも呼び寄せて生活するようになってから2年後の出来事だ。
12歳で来日したエルクラノは、日本語習得がすすまず、ブラジルに帰国することになっていた矢先のこと。友達との別れを惜しむ気持ちが、夜の町に出かける行動につながったのだろうか。
こういうルポを読んで、いつも暗い気持ちになるのが、学校の対応、外国人に対する警察の対応、そして裁判である。これらの三者は「人権教育の特別対象」とされている人々である。まだまだ、取り組みが不十分だと感じることばかりである。
学校は、日本語ができない生徒に対して配慮が足りない。教育を受ける権利は普遍的なものである。
さらに、母語の維持、自分の出自に対するアイデンティティを保持すること、尊厳をもって扱われることが必要だ。
警察は、暴行事件であるのに、しかも死亡したのに、捜査を始めようとしなかった。裁判所も含め、ことなかれ主義、予定調和的であり、「真実」の探求という側面が希薄だ。
少年の死後「いのちが大切キャンペーン」を始めた父親は、裁判を傍聴するたび、「日本の裁判ハズカシイ」と訴えたという。
20数人もの日本人の若者がかかわりながら、捜査の対象となったのはわずか7名。
少年の父親は、加担していた少年たちすべてが、反省する必要があるという。
一方で、犯行に及んだ若者、少年たちも、中学校を出て、就職。仕事先をてんてんと変えていたりする。いまのヘイトスピーチにも通ずるものがあるように思う。
事件のきっかけは、「ガイジンに車を傷つけられた」。その犯人のガイジン探し。
エルクラノだけでなく、数名のブラジル人少年たちが暴行を受けている。
逃げてきたエルクラノらの訴えにも、警察に通報しなかった駅員にも驚くが。
なぜ「ガイジン」というだけで、ここまで冷たい対応、非人間的な対応をすることができるのだろうか?
経済、物質、知、さまざまな社会制度などが相互交流し、乗り入れ、影響し合い、均質化もしている、このグローバルな時代に、感覚的鎖国主義の方こそを払拭する努力をする必要があるだろう。
それはとりもなおさず、エルクラノの両親が訴え続けた「人のいのち」として一人ひとりを見、そして尊重する姿勢のことである。