秘録 核スクープの裏側
太田昌克、講談社、2013.4.1
2003冊目
非核三原則、持ち込ませない。それが、核搭載艦が寄港する際持ち込まれていないはずがない。米国はNDNC否定も肯定もしないという方針。同時に核搭載艦を、日本に寄港する際にだけ解除することはないこともはっきり明言もしていた。陸上げはしないというのが、ギリギリの攻防戦のようなものだった。
そんなことを延々と国会でやりあい、そして茶番を演じていた政治家たち。
著者は外務省がかわしていた密約をスクープした人。
核の傘は期待するのに、核の持ち込みはさせない。そんな矛盾に満ちた立場が日本だ。
では、はっきりさせようじゃないかと、改憲し、軍隊も核も持とうという心づもりの政治家もいるんだろうなあ。プルトニウム44トンもどうするんだ、と。
世界に福島第一原発由来の放射性物質を撒き散らし続けているのに、そんなことは大したことではない。日本の原発は安全だ。新規制基準は世界で一番厳しいんだもん。日本国内でつき通した「安全神話」を今は世界に対して押しとおそうとしている。遣り口も一緒。経済下降中の国(国内では地域)に対して、何らかの経済援助とセットで売り込もうというのだろう。要注意ですな。
本に戻る。
第七章では、核被爆者らが、時代の空気の中1956年には原子力を人類の幸福と繁栄に向かわせることが願いであると、推進側となったこと。しかし、1975年には森瀧市郎が転向する。人類と核は共存できない、と。
被爆者らも取り込んでの原発推進。それを広島市長であった平岡敬さんは「米国による洗脳」なのだと。232
核不拡散条約と核の傘、非核三原則の矛盾、核燃料サイクルを欠いたまま原発を動かし続けることと日米原子力協定の矛盾。
こいつあほどけにくいパズルだのう。
さて、日本はこの迷路を上手く抜けられるのか?そしてその道は持続可能性の高い道を拓くものなのか。
ヒロシマ、フクシマの被爆者は核をこれ以上受け入れない。道を探そう。