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ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観
ダニュエル・L・エヴェレット、みすず書房、2012
1946冊目

多分、この本が与えた衝撃は、西洋社会に対して与えた影響に比べれば、格段に小さいはずだ。もう一つの『ブリンジ・ヌガク』あるいは文化人類学的報告書と受け取られたとしても、それでも十分におもしろい本である。

しかし、レポーターは言語学者で、伝導団から「聖書をピダハン語に翻訳して、キリスト教を広げる」という使命を与えられた宣教師である。1977年から30年以上、彼らとともに暮らし、観察し、発見したものは何だったのか。

1983年、彼は、聖書のマルコ伝を翻訳するところまでこぎつけ、そして、さらに、それをテープに吹き込んで、聴かせることができるようにまでした。最初は、自分自身が読んで吹き込んだが、反応がある箇所にしか得られないでの、ピダハン人に頼んで吹き込んでもらうことにした。371

起こったことはこんなことだ。

「おい、ダン。テープでしゃべっているのは誰だ?ピイホアタイみたいに聞こえるが」
「ピイホアタイだよ」
「そうか、やつはイエスを見た事がない。あいつはイエスを知らないし、ほしくもないと言っていた。」372

1980年代の後半には、すでに著者自身が信仰に疑いをもっていたが、それを打ち明けるまでには20年を要し、それでも、回りに与えた影響は測り知れないという。376

ピダハンのことばには「数」も「色」も勘定もない。音素も少ない。母音が三つで子音は男性で8つ、女性で7つだ。それを補うのがコンテクストと声調だ。

ディスコースのチャンネルが五つある。260

口笛語り、ハミング語り、音楽語り、叫び語り、それに通常の語りである。これらは、特定の文脈によって使い分けられる。例えば、猟りに出ている時の男性たちは、互いに口笛語りをする。低い声より野生動物を警戒させないということと、よく音が通るからだ。ハミング語りは、口に何かをほおばっている時や、わたしたちであれば囁くような時に使われる。ささやきでは十分に声調を使えないからだ。

再帰というのはリカージョンrecursion、再帰代名詞のように、同じ主題が文章の中で共有されている語り方だ。「魚をとった男が家にいる」というような表現だ。それがピダハンにはない。

具体的な、自分が見たか、あるいは他の人が見たということしか語らないことば。しかし、精霊たちは、確かに存在し、語りの中にもあらわれる文化。

創世神話や儀式のない文化。

生活文化と環境、体験と認知のシンプルな世界観。

そして、おのれ1人を頼む生き方。にもかかわらず、集団であること、集団でいることの意味や価値に、しっかりと重きをおいている社会。

無信仰から信仰へという発達段階の仮説をもっている人にとっては、説き伏せがたい生き方が、そこにはあるのだ。



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げんこは、人類という主がたどり着いた最もすばらしい到達点だ言えるだろう。サールが指摘しているとおり、言語をかくとくしてはじめて人間は、自分たちの周囲の世界をどのように名付け、色分けし、分類するか、共通項をもてるようになった。この共通項が、社会におけるそのほかのさまざまな合意形成の基礎となる。・・・限゛こそが初めての契約なのだから。ただ言語は、それがけが社会的価値の源泉ではない。言語以外では、伝統や生物学が強力な役割を果たしている。社会における価値の多くが、言語を介さずに伝播されている。

■ムラブリ 文字も暦も持たない終了最終明から言語学者が教わったこと
伊藤雄馬、集英社インターナショナル、2023
タイの少数民族。定住化が進んでいるが、映画『森のムラブリ』としてドキュメンタリーを著者も出演して制作。著者自身の生き方が変わったしまったことがムラブリ研究の成果の一つだと、断言する。「ノマド生活」って表現されるようになるんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=5_pgz60dtqE
https://www.youtube.com/watch?v=vqEvg3CiUDM

by eric-blog | 2013-04-15 08:31 | ■週5プロジェクト13
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