鉄砲を手放さなかった百姓たち 刀狩りから幕末まで
武井弘一、朝日新聞出版、2010
1935冊目
おもしろい! 「おわりに」である。
「どこの台所にでもある包丁が、・・・殺害のために使われてしまう。本来は別のも茎でつくられた道具が、ヒトが手にして武器と化す。
ところが、江戸時代の百姓はちがう。もともとは、”武器”として日本に伝わり、最強の兵器として使われた鉄砲を
、あえて”農具”として利用したのである。・・・ヒトは絶えず道具を武器として転用するだけでなく、むしろ武器として使うことを自制して、平和的に有効利用することもできるということだ。」
原子力も同じような運命を日本でたどったのだなあと、感慨しつつ、鉄砲と核の違いはなんだろうかと、思いめぐらす。
さて、ぜひ、『鉄砲を捨てた日本』も読んで欲しい。
http://ericweblog.exblog.jp/1668375/
この武井さんの本からわかることは、何度も何度も、鉄砲を差し出すようにという命令がくだされていること。その命令に抗して、鉄砲を百姓が、その「農具」としての有用さに、手元に置き続けたということだ。
あの、大岡裁きの大岡忠相も、地方御用掛として、鉄砲の摘発に協力した村に「御言葉のご褒美」をしているという。時は享保。すでに1726年のことである。度重なる摘発が行なわれた後に、さらに村が報告してきた事例に対して、「ことばのほうび」なのである。村とお上の丁々発止の関係が読み取れておもしろい。
背景には、お上と村とのやりとりにおける文書システムがありそうだ。124
「領主からの命令は回状によって順に村に伝えられ、村はそれを御用留めと呼ばれる帳簿に書き留める。村自らも文書を管理するシステムを持っていた。・・・すなわち文書を提出させるだけの形式だけの管理に陥ってしまう、ここにも文書システムの問題点があったのである。」125
なんだか、いまの「いじめ調査」を見ているようではないか。
領主は村の自治に任せるしかない。
領主と村の関係が、いまの時代にも続いているようだ。