憲法24条+9条

78-4(363) 憲法24条+9条-なぜ男女平等がねらわれるのか
中里美 博、かもがわブックレット151、2005

著者は、憲法改変は「男女不平等な性別分業型家族に基礎をおいた軍事国家へと日本を作り変える」という構想なのだという。8
9条の改変だけではあまりにも露骨すぎて、国民の危機意識に火をつけてしまう。そこで「新しい人権」議論とセットにして、議論の行方を見えないようにする。

改変議論の背景や論点は次のように整理されています。
・家族や共同体の破壊が懸念される 9
・国民の義務に「家族を扶助する」ことが入れられるべき 10
・国家は家族を保護する 10
・家族の扶助する義務は男女不平等に課す 11
・国防の協力義務 11
・兵役の義務 「男は男らしく、女は女らしく」13

なんてことを読んでくると改変派らは「攻められるには強国すぎ、攻め出るには小国すぎる」という17世紀に確認できた地政学的地位をどのように認識しているのかと思わざるを得ない。

改変の方向について人権に照らして考えてみる。
◎世界人権宣言「国家は個人の権利を奪えない」
◎差別撤廃「差別は社会的・文化的・歴史的に形成されており、それを理由に正当化することはできない。また、積極的差別是正措置を社会的・文化的・歴史的にとること」
◎子どもの権利「生存・保護・発達・参加」
少なくとも、改変の方向は「新しい人権」についての積極的な方向とは考えにくい。
また、人権については国際標準が先行している。日本は後追い状態。ということは、ここにいう「新たしい人権」というのは、現在の「男女共同参画」についての議論と同じく「国際標準はああいうてまっけどな、わてらは別の基準もってまっさかい」ということの表明を国家レベルでもやっちゃおうよ、ということ、そして国家レベルでなら、外交や交戦など、国家固有の機能についての条項も入れないとね、ということらしい。

国家レベルでも「新たな公共」についての議論が求められているということだ。しかし、しつこく、わたしは「攻められるには強国すぎ、攻め出るには小国」という認識の共有なしに、そして、いま日本が国際的にどのような位置にあるかの認識の提示のない国防議論は危ういと思う。すべての認識を書くことはできないのは当然だが、外交・交戦はセットのはずであり、それらの認識の提示、共有、前提としての言及なしで、「家族」や「国民の義務」の側だけから語られるのは納得できない。

著者は24条と9条のセットを「近代国家が、男性市民に与えた2つの正統な暴力」46すなわち公的暴力=軍隊と私的暴力=DVととらえます。そして、「男性の私的暴力と公的暴力のあいだに相互関係・強化関係があるということは、それらの暴力をなくしていく過程や努力にも相互関係があるというを意味します」47
「あれだけ凶暴な軍隊を維持し行使している社会では、DVは減らないでしょう。」48

「日本国憲法は公的暴力をなくす努力の指針。9条の消極的非暴力主義と前文の積極的非暴力主義。」

49
自民党案が国防の義務という"男らしい"公共心を育むためには、24条の男女平等家族では無理であり、...と考えた

男女の「私的平等」の課題、家族内労働の不平等は先進国と比べて大きい。

「家族」という枠組みをとりはらっても、人間のリプロダクションの場である親密圏は存続する。24条はそのような「新たな親密圏」のあり方の原則を言っているものだ。61
[PR]
by eric-blog | 2005-03-01 09:40 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)
<< 軍事組織とジェンダー-自衛隊の... テロリストは誰? ガイドブック >>