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紀ノ川

紀ノ川
有吉佐和子、新潮文庫、1964年、1997年65刷、新刊本1959年

いやーーー、読んだことがなかったです。

 「紀ノ川」の舞台になった和歌山市木ノ本。紀ノ川に沿ったこの一帯は、戦前まで木本、垣内の大地主が占めてきた。忙しい旦那衆にかわって、「大御っさん」と呼ばれるしっかりもんの女主人が家を支えてきた。「紀ノ川」は流域に生きた旧家の女たちの物語である。

 物語は、高野山に近い九度山から嫁ぐ主人公の花と祖母との慈尊院詣でから始まる。
やがて花嫁らを乗せた五艘の舟が紀ノ川の流れに。川沿いからの祝福の中.六十谷へと下る。 「紀ノ川沿いの嫁入りはのう、流れに逆らうてはならんのやえ。みんな流れにそうてきたんや。自然に逆らうのはなによりもいかんこっちゃ」。下流の旧家・真谷家への縁組みは大御っさんのこんなひと言で決まった。」http://www.zusi.net/meisaku/kinokawa/ariyoshi.htm

なんと、有吉自身の出身地の物語、フィクションなんだね。明治から大正、昭和の三代の女たちの物語を通してみごとに歴史が重ねられていく。ジェンダーについて検討するいい教材だと思うけどなー。以前映画化されたときは、大竹しのぶとかが出たんだっけか、なんだか絢爛豪華な着物の映画みたいな記憶しかない。

週末用に借りて読んでみて良かったあ。

解説を桂芳久さんが書いているが、有吉と岡本かの子の違いを次のように表現する。「女の系譜をたどりながら、歴史の縦糸をしっかりとらえている。...有吉には「生々流転」の意識はない」297
しかし、流れに逆らわない。自然を支配するには自然に従順であるべき。
あの敗戦と農地解放によって凋落した家のみが「家」と呼ぶにふさわしかった。
「われわれは伝統ということばを否定的な意味でしか使うことができない」T.S.エリオット
否定すべき対象の重みを実感した者のみが伝統とは何かと問い続ける。
三代目として描かれる華子も決してラストランナーではないと解説者は言う。そして「作者は将来第4部を書かねばならないだろう。そのとき華子の娘が、否定できなかった部分だけが新しかったことを証明するだけである。しかし、その娘もまた次の世代によって挑戦をうけるだろう。」301(昭和39年)

有吉佐和子、1931-1984
20年後とは昭和54年。1979年のことだ。http://www3.ocn.ne.jp/~ariyoshi/sawako/reading/sawakod10.htm
によると、この年有吉は『最後の植民地』を翻訳している。これが有吉なりの答えだったのかもしれない。
やはり、本文を引きたい。135
「水流に添う弱い川は全部自分に包含する気や。そのかわり見込みのある強い川には、全体で流れ込む気迫がある。」
それを生命力の強さと、有吉は表現しているのだが。
明治気質の花の娘、文緒の言動の何から何まで、わたし自身を見るようで、いまとなっては逆に親の立場からその言動を見るがゆえの苦しささえある。しかし、それもこれもありながら、決して花の人生も、そしてその後も暗い結末ではないところが不思議な読後感につながっている。
by eric-blog | 2005-02-27 11:34 | ■週5プロジェクト04
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