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母の遺したもの 新版 沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実

母の遺したもの 新版 沖縄・座間味島「集団自決」の新しい事実
宮城晴美、高文研、2000初版、2008新版
1880冊目

著者が2000年に、この本を出してから、集団自決は軍の命令によって引き起こされたということを覆そうとする動きが出た。2005年頃からの藤岡信勝氏らによる「皇軍および無念の冤罪を着せられた軍人の名誉回復」である。

1970年に出版された大江健三郎さんの『沖縄ノート』に対する裁判も起こされた。

軍の命令だけが、島民を集団自決においやったわけではない。集団的狂気、流言、思い込みなどの総体が、わんわんとした空気となっていたことが、この本を読むと伝わってくる。

中でも、目を引くのは、教育者の果たした役割だ。彼ら自身も率先して自決しているのだが、自決の論理を徹底させているのも、また、彼らだ。

また、男手のなかった家族は、自決を免れている。力がないということもあるのだろうが、家長が家族を手にかけているのだ。こんな家族の描写がある。

米軍が迫って来た時、妻に「早く殺して」とせまられ、子どもたちを手にかけ、妻にも斬りつけ、自分ものどをかき切ったが、子どもを死なせただけで、自分は声を失い、妻も生き残った。戦後は、ずっと、妻に、子どもを死なせたことを責められ続けている。声の出ない彼は、「空サンシン」、歌のない三味線、に自分の気持ちをたくすのみなのだ。86〜

戦後60年たって、なぜ、裁判なのか。2005年の裁判時に88才。なんと、隊長、隊長と呼ばれている彼は、当時28才でしかないのだ。
28才にして、奪われた未来と失われた自分のよってたったところ。同じようなことが、多くの人びとに、あの時代、あったのだ。無数の物語りの中で、なぜ、この物語りなのか。まつろう人びとが作り出していく物語りによる悲劇でもあるなあと、思ってしまう。


いずれ、基地のなかった座間味に、軍隊が駐留を決めさえしなければ、起こらなかった悲劇なのである。沖縄を盾にすると決めさえしなければ。

苦しかったのは、「自分自身の視線」以外の何者でもなかったはずだ。その視線の元を知らなければ、解決などないのに。

原子力ムラもどのように撤退するのか。撤退の仕方を知らない。敗戦の責任の取り方を知らなかったのと同じだ。
by eric-blog | 2012-10-10 09:06 | ■週5プロジェクト12
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