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ERIC NEWS 294号 ともによりよい質の教育をめざして 2012年7月22日

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ERIC NEWS 294号 ともによりよい質の教育をめざして 2012年7月22日
202020第5号 学級人数の削減を 明治時代の遺産を乗り越える
これからの未来へ 子どもと社会、自然をつなぐ
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(文責: かくた なおこ 角田尚子
http://ericweblog.exblog.jp/
twitter : kakuta09  FBも)


1. 世界に誇れる「子どもは宝物」だと示せる指標はどこにある?
2.参加型学習を継続的に、かつ日常的に行なうのに適切な規模は何人?
3.「学習からの逃避」と高等教育修了率の低さ
4.子どもを自然の中に連れ出す、地域との連携を深める。必要な指導者数は?
と、議論をすすめてきて、今回2020年までに学級定員を20名にプロジェクトでは、日本のいまの教育の形を明治時代にさかのぼって検証したいと思います。

近代の第二段階と言われる「近代科学技術産業社会」のための教育はどのような形をとったのか。もしも、「近代の人間化」を目指すなら、どのような「形」をデザインする必要があるか、考えたいと思います。

5.民主主義と教育。明治時代に始まった「兵舎型」校舎の「集団の規律」中心形式の限界。

近代学校教育が、日本においては明治時代に始まったことは、異論のないところでしょう。1863年。トーマス・クックがパックツアーを始めた年。
http://ericweblog.exblog.jp/11373500/

効率的に読み書き算をおしえるためのシステムが「学級」として考案されたのも、この頃だ。そして、「兵舎型」と言われる日本の学校建築の完成。

近代化のために、日本が超えなければならなかった壁が「全国の共通語で話す」つまり、どこから徴兵されてきても、ことばが通じるということ。徴兵された人びとというのは、郭ことばが「お国ことば」を凌駕したように、「標準語」によって凌駕される必要があった。
それを支えたのが近代学校教育だ。標準語で書かれた共通の国定教科書があり、国家から派遣された師範学校で養成された教員たちがいた。そこに、「方言札」のような行為が、教育の現場で展開した。「方言札」とは、集団圧力による懲罰的指導の手だてであり、いまならば考えられない。といいつつ、最近では「外国はがし」のような行為があったことを考えると、学校の本質が変わったようには思えないが。

集団的圧力による抑止と強制。そして、競争。それが近代学校の手だての本質なのではなかったか。

富国強兵という国家的な目標への、津々浦々からの協力の強制は、全国民を、国家という想像の共同体にリクルートしていくことで可能になった。山県有朋による「文部省唱歌」「ご真影」「教育勅語」のセットは、刷り込みのためにとても効果的なツールだ。そのことに気づかされたのがこの本だ。『奥丹後の日の丸』ごんぶとの本だが、ぜひ、読んでください。
http://ericweblog.exblog.jp/2604496/

国家が幻想だということ、近代を押し進めるために国家というアイデンティティ・ポリティクスが使われたのだということ、その危険性と落とし穴を体験してきたわたしたちは、近代国家を支えた教育のデザインを見直す必要がある。

一方で、あれほど強固であった地域共同体と国家共同体の共存がどのようにしてなされてきたか、一つの仮説が「産業科学技術社会と伝統的集団的価値観のマリアージュはなぜ起こる?」である。
http://ericweblog.exblog.jp/6966734/

□ 均質さ
□ 集団思考
□ 同質の社会化への圧力が高い
□ 想像の共同体の歴史を受け入られる程度の学力
□ ローカルな伝統がある
□ アイデンティティの源を提供する

伝統は、近代化の中にあって、「消費可能な個性」あるいは「アイデンティティの根源そのもの」として、人間形成に重要な役割を果たしている。そこに依拠しつつも、どのように、そこを離れ、「近代国家」という均質性の中に取り込んでいくか。

明治時代は、非常に巧妙に、それをなし遂げた。

そして、その近代は、日本社会にあっては江戸時代にすでに準備されていたのだと、尾藤さんは指摘する。『江戸時代とはなにか 日本史上の近世と近代』
http://ericweblog.exblog.jp/15372523/

「役」に生きようとする姿だ。きっとオルダス・ハクスレーの『すばらしき新世界』を読んでも、違和感を持たない人びとが、たくさんいるのだろうと思う。ハクスレーが描いた究極の効率的な役割社会とは、受精卵の段階から人間を三種類に分けて、生育環境を整えていくというものだ。その三種とは、意思決定、リーダー層、専門家層、一般労働者層だ。そして、さらに、生まれた後には、それぞれがそれぞれの役割におさまるように、「よかった、おれたちは、リーダーのような重い責任もないし、専門家みたいにひとつのことをつきつめたりする必要がなくて」とか「わたしがこの国を背負っているのだ」とか、考えるように教えられていく。

それはまさくし、日本社会で言う「分(ぶん)」なのではないか。分相応に、とか、分にあわせてなど。

人生とは何か。この問題には、人生観も、関わってくる。

標準化、均質化、社会的適応、それが教育の果たす機能の一つであることに疑問はない。教育は、社会をつくる基盤だからだ。しかし、一方で、その社会はどんな社会なのか? 

ESD持続可能な開発のための教育は求める。「価値観の変革が、このままでは続けられない社会を、持続可能な社会に変えて行くためには必要なのだ」と。

国会原発事故調査会は、わたしたちが許容してきた何かが、問題だったのだという。原子力の問題だけではないのだ。さまざまな組織にも共通するものとして、ある何か。隠したり、見ないふりをしたり、自分たちの組織の保身を問題解決に優先したり、不都合な存在をはじきだしたり、何のための存在であったかを忘れてしまったかのような本末転倒を起こしていたり。

このままを続けていくための教育ではない教育が求められている。それは、どのような教育なのだろうか?

スティーブ・トゥールミンは『近代とは何か-その隠されたアジェンダ』で以下のように指摘する。

近代の第一段階は、16世紀に盛期を迎えた「ルネッサンス人文主義」
近代合理主義は近代の第二段階。いわゆるモダーニティ。合理性・論理性・形式 性。あらゆる局面における確実性の探求。それにあわない部分の切捨て。それに対し不確実であいまいな人間、ヒューマニティの本質。ルネサンス人文主義が もっていた人間味をとりもどすことが第三段階の近代、現在および未来なのだ。341
http://ericweblog.exblog.jp/2474456/

最近、連載で紹介しているジーン・シャープの『独裁政権から民主主義へ』を、わたしは、「官僚制度から民主主義へ」という、これから書くべき本の底本として、読んでいる。いまある政権に否やを言っているだけでは、別の同様のもの席をゆずりわたすだけだ。その指摘は、あたかも、どんどんすげ変わる民主党政権そのもののことを言っているようだ。

去年の5月、参与であった小佐古さんの辞任も含め、「20mSv撤回」を文部科学省に認めさせた。しかし、それがいかに表面的なものでしかなかったか。官僚たちは、何一つ変える気などなかったことは、福島県の人口の64%に当たる人びとが20mSvを超える環境にあることからも明らかだ。あの時約束した「1mSv」など、はなから達成する気も、約束したことを守る気もなかったのだ。

官僚の原子力推進体制は何も変わっていないことは、今回のエネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会でもあきらかだ。三つのシナリオ、2030年に、原発の電気をどれだけ使うか、ゼロか、15%か、20-25%を聞いているようでいて、実は、「原発の新設はしない、順次廃炉」シナリオか、「原発を維持し、核燃料リサイクルも続行」シナリオか、「原発新設、核燃料サイクルも増設」シナリオかなどという選択肢になっている。2008年シナリオと違うのは、再生可能エネルギーの比率を増やしたために、相対的に低く見えているだけだ。

3.11以降も何も変わらぬまま、変えぬまま、なんとか生きのびるのか、それとも、近代を超えるのか。シャープは言う。「民主主義政権へと変わりたいのであれば、それはどのような形なのか、イメージをはっきり持つ必要がある」と。

「役を生きる」という擬似官僚制度が津々浦々、隅々まで行き届いた社会、「魂の植民地」から、わたしたちは、どこへ行こうとするのだろうか。

心の健やかさとは、所属と信頼と貢献だと、アドラーは言う。教育は、同じコミュニティに所属する次の世代を社会としてしっかり受け止め、彼らがこの社会を信頼し、その上で貢献しようという意欲を持てるようにするための社会的営為だ。

家族が、地域が、学校が、信頼できるコミュニティであること。
そして、国という機関も信頼できるコミュニティであること。

民主主義を信頼すること。

民主主義には手間ひま仲間がかかることを、わたしたちは、何度も、何度も、思い知らなければならない。民主主義は不断の努力で維持し、実践し続けるものなのだから。

あなたの参加なしで、信頼に足る社会はない。

与えられた役割をこれまで通りにこなしているだけでは、これまで通りの社会を維持することにつながるだけだ。何かが変わらなければならない。変えなければならない。

いまは、Think Nukes by 30% of your power! Think on.
エネルギーと環境の未来を選択するために。

意見聴取会への参加、パブリックコメントの提出(8月12日が締め切りですよー)、デモやアクション、そして、寄付行為など、参加の手だては、たくさんある。

自分の「役」を超えた市民としての参加が支える民主主義の力を生きていこう。

うん、選び続ける道が未来に続くのだから。道が未来であるような、道を選ぼう。

もうちょっと考えよう。Think on.

そんな「公共的な課題について、もうちょっと考え続ける」姿勢や力を育てるには、
画一的な集団化圧力の高い学級人数も、考え直す必要があると思う。

学校を、人間が生きる場所にする。


゜゜・☆彡今後のERIC主催研修の予定*:.。.:*・゜

2012年度、第三回までの実施要領ができました。ぜひ、ご参加ください!

第三回 テーマ「人権」/「人権のための教育-解放教育の果たした役割」
   2012年9月29-30日
  http://ericweblog.exblog.jp/15405209/

4. スキル「対立から学ぼう」 2012年10月27-28日
5. スキル「市民性を育てる」 2013年1月26-27日
6. スキル「TEST13 Teachers' Effective Skill Training 教育力向上講座 

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  (特定非営利活動法人)国際理解教育センター
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  blog 「リスク・コミュニケーションを対話と共考の場づくりに活かす」

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by eric-blog | 2012-07-22 07:06 | ERICニュース
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