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森と文明

72-8(333)森と文明
ジョン・パーリン、晶文社、1994年、1995年3刷
John Perlin, A Forest Journey: The Role of Wood in the Devleopment of Civilization, 1988

「序に寄せて」を書いているのがレスター・ブラウン。薪資源の減少、頻発する大洪水、加速度的な土壌浸食、砂漠の拡大、土壌劣化。いま起こっている環境問題の多くが「森」と関係したことだと彼は指摘する。森を破壊し、新たなフロンティアを求めて移動するのは、アメリカの専売特許ではなく、5000年以上前にメソポタミアで起こったことが繰り返されているに過ぎないとも。

訳者あとがきで安田喜憲は「ここには描かれていないもう一つ別の文明がある。それは森の文明である。ヨーロッパ文明のように、森を食べつくし、奴隷を酷使し、他民族を絶滅の危機に追いやるような文明とはまったく異質の文明の潮流が存在するのだ。この森の文明の潮流をたどってこそ、「森の旅」は本当に完結する。」そしてそれを安田は書き上げたいと。468

『石油神話』で、わたしたちは化石燃料が人類社会の森林破壊にブレーキをかけた側面に気づかされる。安田の語る「森の文明」の本当の危機は「森を求めて移動する文明」との出会いを直接的な対決的危機と表現するならば、間接的な危機として文明の森からの相対的な独立を得る「化石の文明」の到来にあるのではないだろうか。「イギリスの石炭の可採年数は50年もあるのに...」というような表現に、同調し、胸をなでおろしてしまうのだから、いかにすでにわたしの感覚が短期的な見通しで満足するものになっているかを示しているように思うのだが。

塩野七生さんの『ローマ人の物語XIII』が昨年末に出された。いよいよ、ローマ帝国の終焉が描かれていくのだが、パーリンの描く森林資源との係わりの視点がどのように生かされてくるか、楽しみだ。

以下、ほとんど備忘録です。-----------------------

物語は4700年前のメソポタミアの都市国家ウルクから始まる。王ギルガメッシュは、レバノンスギの森を切り開き、森の神フンババを殺してしまう。「文明とはその欲求において歯止めを知らないものである。こうした文明の初期の体現者であるギルガメッシュは、...森の征服を思いとどまろうとはしない」「フンババを退治できれば森は文明世界のものとなる」30
シュメールの主神エンリルは、文明化した人間から神の領分である森を守り、大地の豊饒性を維持しなければならない責務があったのだが、ギルガメッシュの行為に呪詛する。「火に飲まれよ」と。ギルガメッシュの物語には文明の勝利と衰退がすでに描かれていたと。32
そして、「レバノンスギの哀しみの歌声ははるか遠くでも聞くことができた」と表現されたフレーズは、森の衰退とともに衰退したシュメール文明の次に現れたギリシア文明においても『イーリアス』にも「葉の生い茂ったカシの大木が轟音をたてて崩れ落ちる」と書かれたように、その始まりにおいて繰り返される。

銅の塊ひとつに6トンの木炭。120本の松。1.6ヘクタールの森林。
紀元前14-13世紀にかけての地中海における銅の交易を支えていたのは船による輸送と広大な森林破壊。68
薪、陶器、石灰などの産業の基盤が森林。
森林がなくなった後にオリーブの木を植えた。土砂の堆積で港が遠くなる。銅の精錬技術の革新などがあったにもかかわらずキプロス島の銅産業は紀元前1050年に最後の窯を閉鎖。時代は鉄の時代に。銅の鉱石に含まれていた鉄をたたいて取り出す。73

アテネに勝利したマケドニアには、森林があった。ローマは紀元前167年にマケドニアを征服したとき、木の伐採を禁じた。110

アテネが木材を求めた先がローマであった。ローマは「シルヴィア」「森の民」と呼ばれていたほど、森しかないところだった。114
そんなローマが近郊といまとなっては呼ぶしかない「キミニアの森」の探検を敢行し、切り倒し、エトルリア・トスカーナに侵攻し、ポー川流域を虎視眈々と属州にしていく。117-119
ローマでは森林の後にはブドウを植えた。
どんどんと、周りの森林資源をむさぼって、「人間は質素であるか、ローマ人のように生きるか」の選択だ、というような豪奢な生活が実現する。124
こう読んで来ると塩野さんの言うところの「ローマ帝国のインフラ整備」がいかにローマが数百年にわたってその場所を移動せずに存在し続けられたかの理由がわかる。インフラは物流なのだよね。
1トンの石灰に直径45センチ長さ9メートル60センチのカシ・ナラ一本、あるいはモミなら2本。一日の作業で7.2トン。
鉄にも薪。
オリーブ油の生産にも薪。
30立方メートルのレンガを焼くのに1コード以上の薪。1コードとは3.625立方メートル。131
ガラスも、ローマ時代の建築に欠かせない。
イベリア(スペイン)の銀山。ブリタニアの鉄鉱山。キプロスの銅山。北アフリカの松サンダラック。
9万トンの鉄の生産のために300-800平方キロメートルの森林破壊。142
ローマの衰退は銀の生産が燃料不足で継続できなくなったため。粗悪な銀貨が経済の混乱に。145
その後のイスラム世界の台頭。そこからヴェネツィアの木材貿易による興隆へ。167
木材力が海軍力。トルコのヴェネツィアに対する勝利1470年。174
ローマ人の鉄の精錬で壊滅的打撃を受けたイギリス南部の森は数世紀後に回復。ヘンリー8世の頃には木材の輸出側になっていた。188
大陸からの輸入に製品の多くを頼っていたイギリスに、武器の禁輸あるいは攻撃かといううわさが危機感に。ヘンリー8世は武器だけでも国産にと鉄鋼業を支援。196
サセックスの変貌。1トンの棒鉄に48コードの薪。1540年代後半には11万7000コードの薪を毎年消費。197
軍船ひとつに樹齢100年の巨木のナラ2000本、20ヘクタール。207
木の節約と石炭への移行。石炭の煤煙に苦しめられながらの生活が。221
鉄鋼業のための木炭はせいぜい8キロメートル輸送されるだけ。16-32キロメートルというのは論外。288
石炭をコークにして、鉄鋼業に使うようになった。1720年のこと。ダービー。1750年にはほとんどのミッドランド地方の鉄鉱業者が石炭に。297

そして、話は新大陸に。砂糖を求めて、奴隷貿易と森林資源が進められる。305
マデイラ島の砂糖生産に1494年に使われた木材は6000トン。
新大陸では300ポンドの木材をヨーロッパにもっていけば1600ポンド。336
木材の豊かさに、鉄の生産も始める。390
そして1776年、アメリカの独立。
鉄道網が交易と進出を容易に。
1830年から1890年にアメリカで生産された鉄は1900万トン。1690-1750年の60年間でイギリスが生産した鉄は100万トン程度。430

464ページの本なので、詳細はぜひ読んでください。
by eric-blog | 2005-01-21 11:21 | ■週5プロジェクト04
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