遊びと人間

72-2(327) 遊びと人間
ロジェ・カイヨワ、講談社学術文庫、1990
Roger Caillois, Les Jeux et les Hommes, 1967
翻訳は1970年、多田道太郎さんと塚崎幹夫さんによるもの。
同年に清水幾太郎らによる訳で岩波書店からも出版されているようだ。いったい、翻訳権交渉はどうなっているのかと思うが、70年代なんてそんなものだったかもね。

ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(こちらも中公文庫から出版されている。古典になっているということだね。原著は1938年)を受け継ぐものとして書いたと、本人が言うが、わたしはこちらの方が好き。新たに読んだ本ではないが、昨日の打ち合わせで「継続の仕組み」のためのツールを分析していて、なあーーーんだ、カイヨワじゃん、と思った。PETAのワークショップもそうだけれど、包括的アプローチというのは、人間を夢中にさせ、すべての身体機能、精神機能などを集中・統合、活用するもののことで、それはわたしに言わせれば、「遊び」なのだ。だから、継続の仕組みをこれまで「制度」「人材」などと要素的に考えていたけれど、「遊び」を加えることで、より包括的な推進の枠組みになるのではないかということ。しかし、それは「柱」にしてしまうと、今朝のニュースのように「子どもたちのコミュニケーション能力を高めるために『会話』の授業を年間35時間行う」とか、子育て支援の講座で「脳の働きを高めるじゃれつき遊び」みたいな話になってしまう。
医療現場では医療の器官部位割アプローチがようやく批判されてきているが、教育はもっと遅いのだろうなー。いまだに6年間の専門教育ですら、教育者たち自身が求めないのだから。学ぶのが嫌いな人たちが指導するのって、変じゃないですか。

いま、教育が変。それでもって、ERICの研修は難しいとかわかりにくいとか言われたくないわい。

さて、遊びである。カイヨワも言っている。偶然そうなる、というのも、遊びにとっては大切なことなのだ。想起的であり、偶発的であり、そして相互的であり、自然発生的であり、集中できる。ワークショップは「遊び」だ! と言いたいが、「遊びは自由で自発的な活動、喜びと楽しみの源泉...参加の強要は...たちまち遊びでなくなる。」34

とまあ、遊びの定義やそもそも論はさておき、カイヨワのこの本の優れているところは分類である。
・アゴン競争
・アレア運
・ミミクリ模擬
・イリンクス眩暈
これらの分類についてより遊戯的パイディアなものからより競技的ルドゥスなものまでをチャートにしたのが81ページの表1である。

わたしとしては他に「一人」なのか「集合的」なのか、音楽や芸術というものはどうなるのか、などを考えたいが、カイヨワは「遊び」をとても限定しているので、あくまでもヒントにするのがいいように思う。ようやくミミクリに演劇・映画が入れられている。106またこの表2は「堕落」の形を示したものでもある。

脱ルール⇔ルール/意志⇔脱意志の二次元軸、混沌(脱自我)⇔計算(脱所属)/意志⇔脱意志の二次元軸もおもしろい。359
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by eric-blog | 2005-01-16 11:20 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)
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