カニは横に歩く
角岡伸彦、講談社、2010
2005年に30周年(ではなく33年、1972年設立)を迎えた全国青い芝の、兵庫青い芝との27年間の著者自身の付き合いが、ほとんどの登場人物が「本名」で書かれている記録である。
大学生として介護に入ったときから、取材という姿勢を経つつ、著者が見つめたもの。
それは、1970年代に始まった障害者の自立運動が、「スマート」なCenter for Independent Living CIL運動へと変化していく時代の流れの記述でもあるが、同時に、青い芝の運動の原動力である障害者一人ひとりを描いたものでもある。
運動こそが人生だ
彼らが運動を通じて獲得したものは、自立生活だけではなく、彼らの社会的存在感である。
障害者センターを占拠しても、県庁を占拠しても逮捕されない。確かに、留置所に入れるのは二の足を踏むよね。対応できない。というとても現実な理由で、彼らは「不可視化」、排除されてしまう。さまざまな公共空間から。
最初は、在宅訪問によって障害者を掘り起こすことから始まった。その中で、父親にとじ込められたまま、31歳で死んでしまった女性の例が紹介されている。103
親も、差別者なのである。
健全者は信用できない。と。だから障害者運動を障害者が担うことを原則に。
健全者が手足に、障害者が頭に。
しかし、持っている力の違いから、組織に対する考え方も、すすめ方も違ってくる。支援者の組織の解体。など。
「生きていても国の世話になるだけ」と発言する議員にも交渉した。236
障害者を支援する人々は、他の社会運動をしている人々とも重なる。三里塚に行く換わりに、介護に入る? その選択肢が、いまとなってはわからないだろうなあ、と思いながら、読む。252
わたしは大学生の時から玄米派、アンチ洗剤派なので、やっぱり、介護に入った時は、台所洗剤などについて、自分のポリシーを持ち込みたくなったもんなあ。あんたら、環境問題考えへんのかと。共通の問題を考えへんのやったら、誰が障害者の問題考えるねん? と。
その中で、阪神淡路大震災が起こる。自立生活のためにネットワークを築いていたために、彼らの元に支援物資、ボランティアが集まった。避難所を支援する活動も引き受けるようになる。
そんな嵐のような時代も経て、「闘争(ふれあい)」から「交渉(システムづくり)」へと時代は変化した。介護は有償か無償か。の議論は続く。
しかし、キティ哲学が言うように、「みんなだれかおかあさんの子ども。ケアを受けてこの世に生まれた。」ケアのコストを社会的に担うのは、当然なのだ。
ちょこっとだけ、男性の特権的な表現が気になった箇所を。
「一人っ子の三矢は「子供には自分の籍を継いでほしい」と言ったという。婚姻や戸籍制度には反対しつつも、籍にはこだわっていたわけである。256」
と書いてしまう姿勢が嫌いだ。
水彩画を描く長谷川良夫さんのことば。「ありがとう、といいながら、ホントはあほかといいたい」には、だろうなあ、とうなづいてしまう。見ている景色が違うのだもの。
http://barairo.net/event/hasegawa/index.html
『困っている人』(まだ本は読んでいなくて、ブログのみ)を読むと、「安全で楽な入院生活」は「自分らしく生きる」ことを奪っていることが、実感できる。
誰だって、自分らしく生きたい。そのエネルギーの違いと実現できる力の違いなんだね。そして、そのエネルギーと力の違いは障害者の間にも、健全者の間にも存在するね。
ちなみに「カニは横に歩く」というのは障害者の記録映画のタイトル。それぞれじゃないか?という。