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明かりを灯す人

渋谷、イメージフォーラム

混乱した視聴後感が続く映画である。そして、その混乱は、はっきり言って、原題の邦訳にある。

未来への希望だかなんだか知らないが、やたら「この谷を風車の電気で明るくする」というメッセージを前面に押し出しているタイトルだ。そのメッセージに釣られてしまうと、見たあと、一緒に見た人と話しにならない。邦訳した人の罪である。

この映画は原題が示しているように「明かり盗人」の物語なのだ。

盗むという行為は社会的制裁を伴う価値観の問題だ。しかし、この村の電気屋は、住民のために盗電を助けてやる。

捕まえられた時、電気屋は「払えない人だけだ」と説明するが、後からの話では明らかに「払えない人」というのは村長と政治家、その経営するスナックぐらいのものなのだろうと知れる。

近代になって、価値観が変容した村落社会を点描しているのがこの映画なのだ。「明かりを灯す人」というような明確なストーリーがあるわけではないのだ。点描であることを了解すれば、この映画はキラキラと輝いてくる!

思い出す限り「点描」してみる。
○捕まえられ、釈放されて帰ってきた電気屋さんの女房は、「あなたが捕まったらわたしたちの生活はどうなる?」と心配しつつ、二人は合体。(釣りバカ日誌、ありがとう!)
○土地を売れと迫られた村長が「満足して暮らして年老いていった人々が、いまはどうだ?」と愚痴る。「何もない土地ではない」と。
○政治家に招かれて、テーブルの上の食べ物に手を伸ばす時、「娘たちのために、ね」と
○電気泥棒の話が出たら、ポケットに入れたお菓子をまた元に戻す
○息子がいないと嘆いて飲んだくれる
○息子も嫁も都会に出てしまい、孫娘に養ってもらっている老婆。そんな負担がなければ、大学進学の費用に出来るのに、と。
○村から出た後に、再婚のために離婚届を送ってくれ、と手紙を寄越す妻に怒る男。
○中国からの投資家に対する接待に激高する電気屋さん
○木から降りられなくなった子どもを助けに向かう電気屋さん。仕事は掘り出して、ね( ̄∀ ̄)
○子どもが聞いている風の音に、耳を澄ます電気屋さん。

そして、制裁。

何が制裁され何が制裁されないのか。

全編、価値観を端的に示すエピソードが散りばめられている。それがどのような価値観を現そうとしているかに気づかないということは、その価値観に気づいたいないこと。

この映画、DVDが出れば、買うだろうなあ( ̄∀ ̄)。そして、日常の行動のすべてが価値観の表明であること、時代の価値観に同調することが「収入」につながる度合いが高くなる現代を考えるか!?
混乱した視聴後感というのは、混乱した価値観の現れなのだ。そして、その混乱に輪を掛けたのが、この邦題というわけさ。

もう一度見る?

ericかくた なおこF6D4.gif
by eric-blog | 2011-10-13 10:45 | ◇ブログ&プロフィール
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