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電波男

電波男
本田透、講談社文庫、2008(単行本2005)

新幹線で隣り合わせた@seakiさん。8月12日から始まる三日間のイベント、コミケに行くという。自由席で、壁向きで、広いテーブルに二つのコンセントを独占的に使っていたわたしの隣におすわりになり、4口コンセントを鞄から取り出し、きちんと、ご自分のパソコンその他諸々のニーズを満たしつつ、こちらの領分にはなんの問題ももたらさない。なんていい人なの!

話していることばの半分もわからないけれど、おもしろい。コミケ市場には三日間で10万人、30億円市場にはなるし、ネットユーザーも多いので、特別に移動式基地局が増設もされるらしい。世の中は、かくも「World Apart」であるのだなと、感じました。

ボーナスすべてをつぎ込んで、交通費を出し、コミケで買いあさるのだと、おっしゃっていました。

で、二冊の本を紹介されたので、素直に読んでみます。まずは、簡単そうな方から。そして、それを図書館で予約できたことを告げると、コミケ青年は、ネットを検索し、「本を買わずに図書館で借りること」についてのスレッドを示して、コミケの力は「購入力」にありと、のたもうた。

もちろん、わたしは「公共図書館増設派」であるので、
1.買うことに依存していると、自分の趣味以外の分野への読書はおざなりになる。
2.図書館が購入することを前提にできれば、より高価なものも出版できる。
などなどの持論を展開。これに対するスレッドは提示されなかったので、今後のサーチ対象として、コミケ青年の「検索メモ」に残ったのではないかと期待する。

ものすごく記号解読能力が高い人々なのだなあと、話を半分聞いていて、これで会話が成立し、あまつさえ、発見があり、さらには、次なる展開がある関係性がそこにあるだろうことに驚いた。

このようなコミケ現象を『電波男』の著者は、「オタクの経済構造「ほんだシステム」」と名付けて、「萌え心による自家発電」永久不滅の参加型、「同人誌市場では資本家と労働者・・・という搾取の構造はなく、ほぼすべての参加者が自らの稼いだ金をまた別のオタクグッズを購入する資金として消費する・・「ほぼ搾取なき、平等に近い永久循環経済」が成立する。150

としている。現在市場規模290億円。海外進出も、展開中。
しかも、本田様の文章からしてからが「本歌取り」。元歌についての幅広い知識と自分なりの脚色なしではありえない博識さ。そして、コミケにおける消費構造も、まさしくそのような互いからの刺激を吸収し、それを再加工して発信し、そして、また、突然変異や発展系を楽しむ文化。わかる人にはわかる、わからない人にはわからない文化なのだ。(ろうと思う。この本ではとてもていねいな注がつけられているが故に、多少は楽しむこともできるように配慮されている。すばらしい。)

本田さまは、脳内恋愛能力の高さを「人間らしさ」ゆえの特性であると、萌えを評価しており、それはまったく賛成、同意。そして、なぜそこに多くの男性が追いやられたのかの原因を「恋愛資本主義」社会に求める。

恋愛至上主義社会においては、恋愛対象外の男性は、金をみつぐことで女を得、そして、女は、「ヨン様」などと熱狂して、リアルあるいはバーチャルなイケメンに金を貢ぐという構造になっている。

そこから対象外として排除され、かつ「ロマンチスト」として恋愛を求める男たちが作り出したのが「脳内恋愛=萌え」なのだ。

うーーん、説得されるーーー。

そこで、本田様からのアドバイスである。もしも、三次元女と関わりを持つことになっても、
1.オタクは捨てない
2.オタクグッズは始末しない
3.財布は渡さない。

あれっ? これって、すでに古書萌え男の物語で読んだぞ。確か、女をとてつもなく不幸にしていた男だったなあ。

「萌え」男は、いつの時代にも存在する。「マルクス萌え」とか、「権力萌えとかもありそうだ。これだけ生産能力、再生産期限にゆとりのある時代と人生になってくると、「萌え」は男の独占物ではなくなる。「男もすなる”萌え”というものを、女もすなりとして、”萌えり”」。だが、経済力ではまだまだ格差のある性差。女の女に依る、女の「オタク」市場が290億円になることなど、あるのだろうか。

上野千鶴子さんは、「女は子どもや高齢者を抱えるとき、弱者になる。」と言った。しかし、社会はすでに、「弱者」になることを前提に、構造化されているのだ。オタクは、自らを「恋愛弱者」と位置づけつつ、弱者を抱え込むことはしない。三次元に存在する弱者は、30代フリーター男ではなさそうだ。

お隣に座り合わせた電波男さんとは、会話が成り立った。(と、一方的に思っているだけか)
インターネットという共通の情報源を介しつつ、論理的に会話するのは、悪くない。いい感じだよ。双方に多少の緊張感はあってもね。

公共的な課題について、語り合う必然というのは、どう了解すればいいのかなあ。それとも、公共的な課題だと思っていることも、『日本の農業の復活』のように、市場の手にゆだねれば、いいのかなあ。

えっと、公共的課題ってなんだっけ?

あ、そのことを確かめに、今日はいまから、嵐山の女性教育会館に行くのだったなあ。こんな書評を書いている間に、遅刻しちゃったよ。
by eric-blog | 2011-08-14 13:42 | ■週5プロジェクト11
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