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原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて

原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて
宮台真司、飯田哲也、講談社現代新書、2011

「悪い共同体」の「悪い心の習慣」が存在する。それは盲目的依存に集約される。「<システム>への盲目的依存」。もはや機能不全が明らかな制度やしみ苦や政策が、思考停止状態で推進され続ける。4(宮台さん前書き)

以下、対談部分

日本の戦後は、農村の過剰な人口を産業化の尖兵として動員することで復興と高度成長を遂げた。31
自民党的な農村政党は、むしろ農業を衰退させた。人口を農村から都市に移転させて、産業化したあがりで道路をつくったり箱ものをつくったりして国からの再配分を当たり前にし、農村を中核とする自立的経済圏を破壊した。31

今回の事故の直後は、原発事故のことについてネガティブな発言をすると「デマを流すな」などの反発などがあった。
原子力資料情報室のデータを引用したら、「あそこは反原発だから」とのレッテルはりでしかない反論がくる。この愚昧さはなになのか。49

宮台さんは95年に『終わりなき日常を生きろ』で冷戦体制が終わる時代が、科学が輝く時代の終焉と重なると。78
科学技術に対する信頼が消えたと同時に、日本の「悪い共同体」に幻滅する。
日本「悪い共同体」においては、議論のための二項対立ではなく、所属や陣営を問う。いまでも、原発の現実を巡って、一方に「安全厨」があり、他方に「不安厨」がある。・・・議論の合理性などはどうでもよく、勢いがありさえすればいい。80

もともと根拠を突き詰める文化ではない。94
一人ひとりの個人が「活きた責任をもっていない」。
「空気に抗えない」という「ムラ的共同体原理」である。「悪い心の習慣」

2000年に電力自由化論争があった。
原子力とは巨大な設備投資をして長期的にコストを回収するうえ、しかも安定的に電気を消費してもらわなければならない。自由化のような市場をつくると困る。しかも核のゴミを処分していかなければならない。だから独占市場がないと、育てられない。これが独占と原子力を結びつけた。114

原子力政策によって、独占政策を正当化することが重要だったようだ。115

2004年の暗闇  六ヶ所再処理工場をめぐる血みどろの戦い
その時東電社長だった勝俣氏。「産道に入った胎児は、戻せない」と。

それを原子力ムラが制してからは、中身がうつろで対話もない。117

対原子力ムラは三つのセクターにわかれていた。東電企画部、経産省キャリア、河野太郎。それが最大の敗因。

二年に一回異動する官僚たちが、適当な評価で補助金を配り、受ける地方自治体側もやはり二年で異動する「素人」の担当者が、適当な提案書を作る。そこへ受注して報告書やモノを納めてしまえば、「あとは野となれ」というメーカーやコンサルが食い逃げする。176

地方自治体を元気にする方法。省益をなくし、自治を取り戻す。そのうえで環境などのイシューに。

電力自由化ロードマップ。  180
まずは東電の不始末の処理は、東電自体や株主、銀行に行く前に、独占状態にある電気料金で、というナンセンスな話に対する正しい怒りがわけばいい。そうすれば、おのずから送配電分離につながる。181

「維新の会」の元気な官僚たちは、政権交代の前から民主党にアドバイスしていた。・・・あんな大臣任命だったので、既存の官僚組織がそのまま残ってしまい、彼らは居られなくなって、やめてしまいました。188
霞ヶ関を一番良く知っているのは霞ヶ関官僚なのですから、彼らを補佐官に任命して腕を振るわせたら、いろいろなことができたはず。

あとがきに飯田さんは言う。
メディアはいまの状況をネタとして「消費」しているだけではないか。
聴衆は、自分たち自身が社会を構成する当事者としての意識を持ち、発言し、行動するのだろうか。
この国の「旧いシステム」は変わるどころか、既得権益を露骨に温存する動きが見られる。
そして目の前で繰り広げられる「知の焼け跡」。
この無惨な日本の実像に立ちすくみながらも、現実を1ミリメートルでも、望ましい方向へ動かしていくことが、「明日」への道を拓く。201

感謝。である。

わたしは宮台真司さんの本はきらいだった。才気煥発、能力の高い人が、あざとくもサブカルチャーかと。しかし、本文中に、そこにいたる、彼の出した博士論文をめぐる学界の、知的好奇心を刺激されない受け止め方に、多いに絶望して、方向転換をしたことが書かれている。同情申し上げる。しかし、やはり、「敗戦により去勢された日本」のような違和感のある表現をする人だなというのは、あるのだな。国家はオトコかっちゅうんだよ。まあ、かもしれないけれど。だから、根本的に間違っているのかもしれないが。

講談社から3.11以降に本を出してくれないか言われ、飯田さんを指名したという。同世代ではあるが、3.11がなければ、生まれなかったかもしれないコラボレーションだ。

3.11が揺り動かしたエネルギーによって、いま、少しだけ、越境するフローが知の世界に起こっているようだ。市民も成熟してきた。いまが、政策の変え時だろう。霞ヶ関にとって不運であったのは、それが2000年、2004年、そして、民主党への政権交代劇以降になってしまっていることだ。官僚に人材は残っているのか? 省益を越えた「義」の人、「天」を知る人は、いるのか。

なんてね、いま墨子を読んでいるので、気取って言ってみました。
今日はFoR企画のためのインタビュー。藤垣裕子氏。まとめは一週間後くらいに公開できると思います。
by eric-blog | 2011-07-22 17:09 | ■週5プロジェクト11
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