384-2(1628) 森林と人間 ある都市近郊林の物語
石城謙吉、岩波新書、2008
山仕事に通い始めて三年になるか。育てるという点で、教育にも通じるところがあり、もちろん違っていて当たり前でもあるのだが、感ずるところは多い。
この本では特に類似点について考えさせられた。
まず、著者が脱人工林を大学演習林で始めたのが1973年。
教育に対する位置づけや国際社会の環境に対する意識が転換していった時代だ。
苫小牧市郊外の2700ヘクタールを、生産林ではなく、都市型共生林として整備することを目指した。「林種転換事業」として、地域の林種を顧みず、造林してきた戦後の林業のあり方を見直したのだ。
施業の方法は択伐とし、基本的には「研究林」へと姿を変える。
大径木は残す。
林業的価値で決定しない。
一万年続いた森林文化である縄文時代。2400年ほど前に伝わった稲作文化は、それと融合する形で定着した。里山が稲作のための肥料を提供する役割も担ったのだ。
地域と場所の特性に合わせた集約的土地利用。それが日本の森林文化の基盤として続いて来たのだと。
北海道には市町村有の森林がたくさんあるという。それらは林種転換で人工林化したまま、ほとんどが放置されている。それを、苫小牧研究林のような市民との協働による共生の林にしていくことができたら、著者の夢は広がる。
大量生産大量消費
効率優先
生産価値の追求
以上のような高度成長時代の価値観から
多種多様な生物的多様性の尊重
手間ひまかける共生
集約的多様な利用価値
放っておいても、木は育つ。
介入するのはなぜか?
放っておいても、子どもは育つ。
介入するのはなぜか?
育てることは、木に聞くこと。
育つ木があって、育てる道がある。
森も人も同じなのだ。