教育熟議において、武蔵大学の武田信子さんが紹介した「教員志望者のパターンと課題」を
作り替えてみました。それぞれをどのように◯△×と「確認」できるのかは別の課題ですが。
こういうマトリクスを作ると
◯志望か学力か
◯養成かOJTか
◯実習が先か、採用が先か
というような二択の問いを思い浮かべてしまいます。問題は、そのような問いの建て方では、あるべき教育養成や研修のあり方やビジョンは共有できないという点です。
鈴木文科相副大臣は、10月採用試験結果が出るというのでは、いまの就職活動体制の中では遅すぎる、
いい人材を確保できないと指摘していました。大臣も出席した年末のNHK「就職難を乗り切れ!」では、以下のような論点が紹介されていました。
◯いまは決して就職難ではない。採用枠はあるのだが、若者の大企業志向が強くなっており、そのため企業と学生のマッチングのズレがあるのだ。
◯一括採用という方法が、「就職活動」の時期の一括化につながって、3年生ぐらいからの就職活動に拍車をかけている。
しかし、と、わたしは「??????」を感じました。
三年生から就職活動に力を入れている。そのために大学で勉強できない。
→でも、ではなぜ単位が取れる?そもそも大学は使命を果たしているのか?
→大学ですることが「就職活動」だけという人がいてもいいのではないか? どうせ、それだけでは人生決まらない、はず。
→大学で「就職活動」だけをしてきたような人材を企業がとるとすれば、それはその企業の求めるものがそういうものだということ。
一括採用は、社員研修を楽にする。
→それこそが、大量採用の大企業の論理だ。
→「同期」の結束とかは、雇用や職業観に付随するものであって、必須ではない。
もっと議論すべきは「高等教育が有償であっていいのか」という問題なのではないかと思いました。
正義論とも関わってきますが、「誰が専門教育を受けるべきなのか」という問いです。
「よい笛は、誰が得るべきか」 「よい笛の吹き手である。」
高等教育は「よい笛」でなければならないし、よい吹き手を探す努力をしなければならない。
ある論文によると
大卒者の生涯所得2億5734万円・高卒者の生涯所得2億93万円
大卒者社会全体 23—60歳(20年度—57年度)の間に29兆1937億円
政府に帰属する所得税の増額分は2兆7253億円
http://www.shidaikyo.or.jp/riihe/research/arcadia/0364.html
高等教育の経済効果をどのように測ればよいか、難しいところであるが、おもしろい試算である。