376-1(1607) イェルサレムのアイヒマン悪の陳腐さについての報告
ハンナ・アーレント、みすず書房、1969
原著1963、1965
1962年のアイヒマン裁判を「ザ・ニューヨーカー」誌のために取材し、書いた報告書。
イスラエル建国から15年。裁判に通ったのは戦争を知らない世代でもあったと、アーレントは傍聴席を観察する。
本人は1906年生まれ、ナツィ政権となった1933年亡命。23歳で博士論文をものし、哲学の道と未来を嘱望された秀才。大学でもなく、著述家でもなく、シオニスト協会に属し運動を選んだという。
1945年の解放まで12年、そしてその後の15、6年を経て56歳の彼女が発表したこの報告書は、「思考の独立性」を示すものだと評価されつつ、当時のユダヤ人社会からは反発を受けた。
悪の代名詞、悪魔の手先でなければ、悪魔そのものとして断罪されなければならないアイヒマンその人を、普通の、有能で、出世競争に汲々とする官吏として描き出したことで。
「悪の凡庸さ」についてのアーレントの功績についてはそれぐらいにして。
2010年のいま、それを読んで思うことは、ある場所に生きている人々が、「剥奪」されることが引き起こす事どもの顛末である。
結果としてのゲットー、終着駅としてのアウシュビッツに至るまでのことが事細かに描かれた一級の資料なのだ。
追放から始まり、強制収容、殺戮へと1939年から転がるように変化していくユダヤ人追放。
対応しているのは常にシオニスト協会であり、アイヒマンはシオニスト研究にも邁進した人物なのだ。
その頃はすでに海外にあってシオニスト協会で活動していたアーレントが、見たものはなんだったのか?
歴史に翻弄された自分たちの姿をも見据えつつ、アーレントは「悪の凡庸さ」を描き出したのだ。
読まなければわからない世界だし、読んでもさらに、描かれていない側のことがわからなくなる。
ドイツを離れて移住しても、定住することができないまま、再びドイツに戻ってきた人々も。アウシュビッツにつながる絶望と従順は、ナツィ・ドイツの力の結果だけではないのではないか?
それがアーレントの描いた悪の姿だ。
寂しさ、を感じるのはナイーブなことなのか。
ericかくた なおこ沅