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安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

367-1(1577)安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方
山岸俊男、中公新書、1999

「人は、信頼できる」
から「人は信頼できない」までの5段階評価で、信頼できると答えた人を「高信頼型」人間とする。

そのような人は単なるお人好しなのか?

いや違う。実は、高信頼型の方が、学歴も高く、人間観察力もある。

そう、高信頼の人たちは「人間性」感度が高いのだ。

ひるがえって「低信頼」の人たちは「関係性」感度が高い。関係性とは、その人のことを知った上で、どのような関係が自分との間に築かれているかを認知しているということである。

前者が、一般的な人間そのものに対する観察力と信頼、つまり「信頼」そして後者が、知っている関係における観察力と信頼、つまり「安心」と著者は名付ける。

地縁血縁の社会は、後者の「安心社会」なのだ。その基盤が崩れつつあるいま、わたしたちはいかに「信頼」の社会を築けるかが、鍵なのだという。

その後に出版されている『心でっかちな日本人 集団主義文化という幻想』(日本経済新聞社、2002)の後書きで、著者は、「やっと、戦後進歩的知識人が指摘した「個の確立した人間形成を」という主張が、意義を持つ時代に至ったのだ」と「進歩的文化人たちの逆襲」を言う。丸山真男、川島武宜、都留重人、清水幾多郎、日高六郎、南博などの主張のことだ。

まあ、まさしく、そのような物言いに影響されて、人間形成にいそしんできたんだけどね,わたしは。

その1960年代の後、「日本文化や伝統が日本の高度経済成長を支えた」という評価の時代が来た!

しかし、そのような「日本人の心性」に原因を求めること、そのものが「心でっかち」であり、現実を直視、観察、分析する力をなくしているのだ、というのが、『心でっかちな日本人 集団主義文化という幻想』が主張するところである。

日本人は、アメリカ人ほど、協力しあわない。知らないもの同士の間では。

ただ、頻度依存行動をとっているだけなのだ。つまり、「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」のままに。

さあ、これからの社会はどうする?どうなる?  いやいや、問われるべきは「どうしたい?」でしょう!?

頻度依存行動主義には「どうしたい」が生まれない。ビジョンはないのだ。

■『信頼の構造』東京大学出版会、1998
一般的信頼を身につけると、その結果として社会的知能が高くなる?
社会的知能の高い人間は一般的信頼を身につけるようになる?
178
「他者の信頼性を見分ける社会的知能をもつことが自己利益につながるのは、一般的信頼をもつことが自己利益につながるのと同じ環境、すなわち、社会的不確実性と機会コストがともに大きな環境においてである」

『ちえの実を食べよう 学問は驚きだ』
202
社会的な共感性の低い人の方が、人間関係に敏感。「社会的ビクビク人間」
二種類の社会的知性; 「開かれた社会での適応に役に立つタイプ=機会追求型知性」「閉ざされた社会環境での適応に役に立つ社会的知性=地図作成型知性」
220
日本的な集団主義的な社会の作り方は、放っておいても出てくる集団のあり方・・・大勢が集まってその中でうまくやっていこうとするのならば、外部の人間を寄せ付けないようにしたり、差別することによって集団を強めたり・・・これは猿も行います。  むしろ非常に不思議なのは、「どうして西洋的な普遍主義が出てくるのか?」ということのほうなんですね。集団の境界を重視しないやり方が、どうして出て来得たか。




by eric-blog | 2010-10-12 08:11 | ■週5 プロジェクト10
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