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マイケル・K

361-7(1559)マイケル・K
J.M.クッツェー、筑摩書房、1989

Life & Times of Michael K マイケル・Kの生きた時代
とでも訳すのがいいだろうか。南アフリカの、検閲が厳しい時代に、南アの政治的状況についての言及も、関連する用語も、人物たちの人種や肌色についての言及もない小説として書かれているのだと、訳者あとがきは言う。

他に、『恥辱』『敵あるいはフォー』も読んだ。世の中に合わせて生きることに不器用な主人公や、生きづらさを抱えている人を取り巻く人びと。

中でも、このマイケル・Kは、生きたかっただけなのだ。自分で。仕事をなくし、収容キャンプに入れられ、病院に入れられ、また放り出される。

マイケルは、キャンプから逃げ出して、放置された農場に逃げ込み、ひっそりとカボチャやメロンを育てて、虫や鳥をとって食べて、生きる。ふたたび収容されるまでの時間を。

第二部は、そんな彼が収容された病院で働く人の視点から、描かれる。食べ物も栄養も拒否する姿に、どうしようもなく関わろうとするうろたえが描かれる。

第三部は、マイケルの主観が吐露される。
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ばかは他の誰よりも先に、真っ先に閉じ込められる。子どものためのキャンプがあり、・・・生活費を稼げない人のキャンプがあり、土地から追放された人のキャンプがあり、・・・書類を家に置き忘れた人のためのキャンプがあり、・・・

と10ほどもキャンプが並ぶ。規格外の人びとには、強制収容所しかない。
・ ・・身を低くしていれば、たぶん事前もかわすことができるだろう。

戦争の混乱の中で生きることを描いたのは
62-3(280) 肝っ玉おっ母とその子どもたち
ブレヒト、岩波文庫、2004年
だった。

戦争に無関係に生きたいだけなのだ。
戦争の中でも、人間的な心を失わずに、生きたいだけなのだ。
戦争に日常をかき乱されたくないのだ。

どっちが勝っても、どうという違いにはならないのだから。

暴力的な時代に生きる苦しさと恥ずかしさが、伝わってくる。

昨日、北山修の最後の授業を見た。NHK 7月26日放送のものだ。(『最後の授業』みすず書房、2010)

「心の意味を言葉にすることで」得られるものとは
・ 名前をつけること。
・ 情緒のはけ口、カタルシス
・ 意識化、操作の対象にする
・ 筋を通すこと、秩序のもとにおくこと  言葉にすることは、心の一部しか表現できない。言葉は心の内容を変質させる。

・ 物語にすること

臨床心理学は人の人生を取り扱うので、言葉なしでは成り立たない。
日本人には、言ってはいけないこと、見せてはならないことが多い。
そのために、心にたまりやすい。

安心できる相手だとわかれば、語りはじめる。心の裏側を想像する力。

マスメディアの横行は「表に出せるもの」だけの世界を強化する。公共の場面。テレビによって、想像力が奪われていくのではないかと。
お笑いは、裏を見せてしまうかもしれないスリル。
個人なのに、切り取られる。

意識化する。
言語化する。
立ち止まる。
見つめる。
考える。
話す。
聞く。
書く。
読む。

最近、また、ぐつぐつ、うつうつしているんだよね。
テキストを書いて、すっきりしたい! のかな。整理すると、確かに、カタルシスが得られるからねぇ。

もやもやが募る本でした。でも、読んでしまった。この著者のポートレートが表紙裏に載っているのだが、すきとおるような人だ。目の表情の哀しみの深さに、サイードを連想した。
by eric-blog | 2010-09-04 09:43 | ■週5 プロジェクト10
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