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琉球王国

350-2(1520)琉球王国
高良倉吉、岩波新書、1993

「琉球の時代」「琉球王国の誕生」などの本を出し、浦添市立図書館長として、首里城の再建にも中心的人物として関わった。

歴史は線形にすすんできた訳でも、合理的なわけでもまったくない。しかし、「すすむ」ことがなかったわけでもない。琉球が王国というアイデンティティを獲得していったのが、12世紀ごろから。在地首長である按司たちが台頭し、抗争した時代から、沖縄本島に三つの勢力圏が出現する。三山時代である。

同時に、中国では元が滅びて、明が入貢外交を展開するようになり、琉球にも勧誘の使者がくる。1372年のことである。

三山の統合を果たしたのが第一尚氏王朝であり、1429年である。
クーデターによって第二尚氏王朝が1471年に成立。

12世紀から続くこの時代が「古琉球」と名付けられている。1609年の島津侵入事件による近世琉球の始まりまでのことである。

王国の体制は、尚真による按司たちの首里への招集と彼らが都市化したエリート集団、王族と貴族のような関係を築いたことから、始まっていく。按司たちにかわって地方をおさめた人びとには「辞令書」がだされる。

著者はこの残された辞令書から、王国の実態にせまろうとする。

地域に残る辞令書には三つのタイプがあるという。
◯全体に平仮名で書かれ、「しよりよりまかとうが方へまいる」という指示文句をもつもの。   「古琉球辞令書」
◯指示文句が欠落するもの  (1609年島津事件以降) 「過渡期辞令書」
◯全文が漢文で書かれたもの (1667年以降)  「近世琉球辞令書」
それらは時代によってくっきりと分かれているという。それが「」で示された命名だ。1667年は尚象賢(羽地朝秀)による行政改革のためだ。

そして、明治になり、廃藩置県で沖縄は日本国になる。

著者は、「おもろそうし」や辞令書などがかたかなによって書かれているところから、沖縄文化原日本説をとっている。辞令書の暦が中国暦をとっていることから、中国との関係がそこに見られるのだと。

同時に池上英一の『テンペスト』を読んだのも、イメージのふくらみを助けてくれる。

ある集団のアイデンティティの発展について、時代の影響はまぬかれない。
◯地域文化、風土
◯経済文化
◯国民国家
人間の発達が、真っ白な紙の状態から始まるとまではいわないまでも、人類の発達史をたどるような発達の道をたどる必要があることを考えると、国民国家の枠組みは一つのアイデンティティではある。
地球市民というアイデンティティの形成とは、どのようなものなのか。
それが単なる「課題の共有」集団としての地球でしかないとすれば、それは、問題解決にほどとおいと、言わざるを得ない。
by eric-blog | 2010-06-05 22:45 | ■週5 プロジェクト10
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