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[4351]地球市民宣言 ビジネスで世界を変える

地球市民宣言 ビジネスで世界を変える

更家悠介、日経BP、2022

4351冊目


サラヤ株式会社の社長による自社の環境問題への取り組みの紹介。大阪大学工学部出身。1951年生まれだから、4年先輩だ。


創業から「社会問題をビジネスで解決する」ことを目指している。

1970年代、石油原料の合成洗剤が主流のなか、環境負荷の少ないヤシ油を原料とした洗剤を1971年に発売。82


パーム油だ。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/saraya-sdgs_jp_5d5f8514e4b0dfcbd48b3ea6



需要の拡大に伴うプランテーションが原因で、生態系が単純化したり、洪水被害が起こったり。2004年からその問題に取り組み出した。

8月1日にテレビ朝日系列で『素敵な宇宙船地球号:子ぞうの涙~地球にやさしいの落とし穴』が放映された。

その問題は知らなかったと率直なコメントを返し、それが番組の中で報道されたことから、会社には非難が殺到。

会社は、2005年からRSPO「持続可能なパーム油のための円卓会議」に参加、2つの活動方針を打ち出した。93

・生息地を守る

・アブラヤシ農園の拡大の改善


商業主義の怖いところは拡大するときは一気に拡大するところだ。そして修正が難しい。なぜなんだろう?


サラヤが実践している活動の一つに手洗い普及活動がある。

アフリカの三つの国を選んで、手洗い啓発活動に取り組んでいる。


感染症、医療現場の感染予防などの本業がらみ以外に、甘味料の開発、マイクロプラスチックの問題にも取り組むなど、268ページものしっかりとした本だ。SDGsをビシネスチャンスに会社を伸ばす。面白そうな会社だなあ。


ヤシノミ洗剤って界面活性剤としてはどうなんだろう? 石油化学製品よりは良いのかなあ。



# by eric-blog | 2022-06-24 11:22 | □週5プロジェクト22

[4350]テレビはなぜおかしくなったのか <原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題>報道をめぐって

テレビはなぜおかしくなったのか <原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題>報道をめぐって

金平茂紀、永田浩三、水島宏明、五十嵐仁、高文研、2013

4350冊目


一週間も経つと、「宿題」なんて忘れてしまう問題よね。何か継続した刺激がないと。

https://ericweblog.exblog.jp/241480474/


同じことが大衆には起こっている。

1979年スリーマイル島原発事故、1986年チェルノブイリ原発事故、それぞれの事故のあと、日本でも市民運動は活発に展開した。しかし、バブル経済の中でそれらの熱気は忘れられていった。

いや、消されていった、のだ。と金平さんは指摘する。


1988年から89年に青森放送制作「核まいね」シリーズ7本は、六ヶ所村の再処理施設反対運動を追ったドキュメンタリーだが、放送後に、番組を制作した舞曲そのものが解体・再編されてしまった。20

1992年から93年にかけて放送された広島てれびの「プルトニウム元年」三部作は、「地方の時代」映像歳で大賞を受賞。放映から一年後、制作に当たった岡原武ディレクター、曲調、プロデューサーなど4名が揃って営業局に配点された。電力会社の労組が露骨に抗議してきたと言う。20

『映像に見る地方の時代』村木良彦さんの本によれば、

・新潟放送「原発に移る民主主義」正続、1995年1997年

「原発の街に消えた住民投票、1999

「原発の村・刈羽の反乱―ラビカ事件とプルサーマル住民投票」、2001

・北陸朝日放送「漂流する原発計画―奥能登過疎の町の蹉跌」、2002

少なくとも福島の事故の10年前までは存在していたのである。しかし、21世紀に入ってから・・・姿を消した。21

その代わりに、電力会社がスポンサーになっている「原発広報番組」が放送されるようになった。


2009年、政権交代で民主党が政権をとってから、・・・2010年3月、鳩山首相は「原発推進」を明記するように指示した。22


2012年になって、鳩山氏は官邸前の脱原発行動に姿を現した。22

政界引退後のインタビューで、鳩山氏は原発の安全性に対する当場の認識に致命的な誤りがあったことを素直に認めていた。


「素人の乱」2011年4月10日、15000人が集まった。その市民の不安と怒りが爆発したデモをマスコミは取材していない。25


金平さんは言う。今の日本のテレビ報道のデスク、キャップ、編集長クラスに、「失われた10年」のなかで刷り込まれてしまった大衆運動軽視の感覚に影響された世代が多い、と。25


異議申し立てに対するアレルゴー、嫌悪感、当事者性の欠如。

「官尊民卑」が染み込んだ人々。


『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』マーティン・ファクラー  21


権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚を持っている。

似たような価値観を共有している」


権力をチェックする機能も姿勢もないのだ。


権力は「オフィシャル・ストーリー」を押し付けてくる。大文字の歴史という表現でもいい。市民の生きる道は、小さな声をあげ、報告し、記録し、記憶することだ。Report, record, remember.に加えて、Raise your voice. とでもしようか。


NHKを覆う「権威」依存体質の呪縛  永田浩三 

原発事故についてもそうだ。情報源は政府、東電。ならば「大本営発表」と同じではないか。

ETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」(この番組は良かったなあ)

七澤潔ディレクターらによる『ホットスポット』講談社に詳細な報告がなされている。

が、関係者は処分。


原発を支える政官財に加えてメディアと司法のペンタゴンだ。55

彼らの世間は狭い。


慰安婦問題をめぐってもメディアは腰が引けている。


永田さんは2つの事件を挙げる。

・安世鴻(アン・セホン)さん、ニコンサロン

https://ericweblog.exblog.jp/237960900/

2017年の重重展

https://ericweblog.exblog.jp/237834280/

重重 消すことの出来ない痕跡

https://ericweblog.exblog.jp/19153200/


結局、展示は行われたが、右翼の襲撃を警戒し、物々しい警護に。


この顛末をNHKは報道しなかったというのだ。


それに先立つ「ETV2001」番組改編事件。61

永田さん自身の本に詳しい。

https://ericweblog.exblog.jp/11117866/


右翼の脅し、政治家の圧力。


「生活保護バッシング報道」が露呈させたてれびの未熟 水島宏明

・不正受給より漏給の問題が大きい日本。2割いかしか受給できていない。

・生活保護受給者の自殺率は平均の2倍

・扶養義務の強化は前時代的

・一時の不正確な過熱した報道によって制度や運用が変更になる。無責任。メディアはしっかりとした議論のための情報提供をしていない。151



「領土紛争」を引き起こし石原慎太郎の責任 五十嵐仁


# by eric-blog | 2022-06-24 09:47 | □週5プロジェクト22

[4349]食べる私

食べる私

平松洋子、文藝春秋、2016

4349冊目


エッセイスト。料理家かと思った。昨日の『スープとイデオロギー』の監督トークで、平松洋子さんがパンフレットに一文を寄せてくれていると言っていた時に、料理の監修に関わったように言っていたと思ったから。


映画の中でオモニが作るスープ。老鳥の腹の中に30-40粒のニンニクと高麗人参を詰める。5時間ほど煮る。骨付きのまま、かぶりつく。スープは別途麺類なども加えて整える。ヤン・ヨンヒ監督は煮込んだデーツが好きなのだと言う。


この本は食べ物との関係に濃厚な気配が感じられる人に話を聞くこと。29名。


秀逸である。人選が。一人ひとりの語りが。確かに、あとがきに言うように、食を通して人が見える。


そして、ヤン・ヨンヒ監督。

「Dear Pyongyang 」「愛しきソナ」の二作のドキュメンタリーに続いて、劇映画「かぞくのくに」、それそれにまつわる食のシーンが語られる。食と、その食に向き合う人の姿は、どんなに報道規制を敷いていようが、画面に現れる。その切り取りがすごい。


1971年、1972年と、1959年から始まった帰国事業を朝鮮総連幹部として推進役をしていた父親は、三人の息子を送り出す。

すでに、新潟の赤十字センターで出された食事が喉を通らないと言う三男。そして、しばらくして北朝鮮から送られてきた痩せ細った二人の写真。オモニは敢然と食糧や日用品を送り始める。


1995年から北朝鮮でクラス兄たちの家族にカメラを向けた。「愛しきソナ」は2009年発表だ。そのせいで、今、監督は北朝鮮に入国できない。


そして経済制裁のために、オモニの荷物も送ることができなくなった。


このインタビューが2013年。

その後、父と長兄は2009年に亡くなっている。オモニも、「スープとイデオロギー」の完成を見ることなく、2022年1月に亡くなった。

しかし、オモニは父が亡くなった後、突然、4.3のことを語り出した。ポツポツと。

ディア・ピョンヤンでは封印された4.3は、実は父母たちが日本で暮らすきっかけになった大事件だったのだ。

『スープとイデオロギー』では、その済州島での4.3事件の弾圧がアニメーションで描かれる。

米国とソ連の間で引かれた38度線。2つの祖国に分断されることを確定させる総選挙の韓国における実施に反対する民衆がソルラ山に立てこもって抵抗する。

取締りに来るのは警察だ。山部隊と呼ばれる抵抗軍に関係すると見られた人々や村は、破壊された。今も、破壊された家屋跡の石垣が済州島には残されていると言う。

大阪生まれのオモニが、15歳で故郷に帰り、18歳の時に遭遇したのが、この弾圧だった。

「韓国は怖い、韓国政府は怖い」となぜオモニが執拗に言い続けていたのか。なぜ北朝鮮だったのか。その秘められた思いの重さが描かれる。


アボジが好きだったと言うイワシのスープ。飲んでみたいなあ。


もちろん、他の人のインタビューも秀逸です。はい。全部を紹介なんてしないけど。

みんながみんな、美食家というわけではないのが、すごい。すごい嗅覚だなあ。



# by eric-blog | 2022-06-23 17:16 | □週5プロジェクト22

[4348]ふたつの文化のはざまから 大正デモクラシーを生きた女

[4348]ふたつの文化のはざまから 大正デモクラシーを生きた女

加藤シヅエ、船橋邦子訳、1985

Facing Two Ways The sTory of My Life, 1935

4348冊目


1887年明治30年生まれ。


戦後も衆議院議員として1946年の衆議院選挙で当選、活動した。1974年引退。2001年没。なんと114歳である。ほんとか?

https://ericweblog.exblog.jp/21143582/


きっと東京で女性運動や人権運動をしている同世代は、もっとくっきりと彼女の像が結ばれてているに違いない。ま、訳者の船橋邦子さんは、わたしよりひとまわり上の世代ではあるが。


この1985年iに出版された本の前書きに言う。「人生80年生きることは、なんとすばらしいことでしょうか。それは功成り、名遂げることに意義があるのではなく、全力を挙げて最高の価値に肉薄していく意志の強さ、心情の純粋さを追い求めて今日の日を埋めてゆく そこに喜びかあると私は思っています。」その時、彼女はすでに97歳。なんと言う明晰さだろうか。


戦前から米国公演などもこなし、産児調節のサンガー夫人の運動と出会い、50年前に出版された英語で書かれた自叙伝の翻訳なのだと言う。


「封建的遺風の中から出て来て近代的飛雄馬にずむやソ連から流れてくる新規なイデオロギーの潮流にもまれ、そこに自分自身の心情と生活を見出そうとするプロセス」として意義ある出版だと、米国の知人に勧められての出版だったと言う。1935年。日米戦争が始まり、終わる10年も前の出版だ。



物語は、加藤シヅエの父母の代から始まる。福山藩の大名、阿部伯爵の先祖、の家臣である士族階級。東京帝国大学で工学を学んだ父は仕事で成功を収めた。らりにラッキーな士族のひとりかも。


母自身は東洋英和女学院、カナダ系ミッションスクールに学んだにもかかわらず、その影響は受けることなく、封建的道徳規範にしたがって動いていた。


祖父もまた、「女大学」を彼女に遺品として残したような人だった。


5歳で学習院の幼稚園に通い始める。野口幽香園長。100人近い子供たちが3組に分けられていた。

7歳で初等部。1クラス35人で、その半数とは幼稚園の時代から女学校まで11年を一緒に過ごした。

4人の皇女、三人の侯爵の娘、伯爵出身4名、子爵10名、男爵4名に他高級官吏、実業家など。

<<宮様ごっこ>>をするときなどは、大変だった。公家たちは皇室を取り巻く人々の中で最も洗練された集団を形成していると信じ込んでいた。20


明治憲法によって、すべての日本人は平等、一夫一婦制度が確立された。制度は新しいが、日常生活は封建的。21


12歳で中等科へ。

少年たちは立身出世、少女たちは家族制度の妻、母、担い手。23

修身科は一番人気がなかった。為政者に対する忠誠と孝行をとく孔子の教え。自立した思考などない。


明治維新で統合された精神は感動的でさえある。26

16歳、明治天皇崩御。学習院の校長でもあった乃木希典と夫人は殉死した。

17さい、学習院卒業。皇后様御臨席、とあるが、誰だ? 大正天皇の皇后?

少女たちは校門を出ることは女性の霊獣への一歩であることを知っていた。31

自己の欲求がなんであるか自覚することは不幸の始まり。


そして、石本男爵との結婚話。新渡戸稲造の門弟でクリスチャン。

花嫁道具は目録とともに、婚家に送られた。8ページに及ぶ長さだ。


1914年12月13日、結婚。

1915年1月には石本の赴任先である三池炭鉱へ。みすぼらしい家とネズミに雨漏り。

炭鉱労働者の生活は、彼女に女性の労働者の実態に触れさせる機会であった。


1917年、ロシア革命成立。

1919年、石本は米国へ留学。その後を追って、彼女もね二人の子どもを祖父の鎌倉の家に預けて、米国へ。しかし、石本はヨーロツパへ。

1920年、1月17日、サンガー氏の出会い。

その後、彼女自身も実務コースを卒業しヨーロッパへ。


アルザスロレーヌ地方は、フランスとドイツの間で揺れていた。125


そして、帰国。石本は退社して、社会活動へ。彼女も秘書業によって収入をえ始めた。

ミネルヴァやーんの販売の仲介も。編み物教室も始めた。避妊教育のための資金集めのためでもあった。


しかし、戦前の日本ではサンガリズムは弾圧された。151


産児調節と女性の経済的自立の運動の始まり。しかし、突然大きな事件に見舞われる。


1923年、有島武郎と波多野秋子の心中事件。162


遺書の中に、加藤シヅエに当てたものもあった。


波多野秋子への批判は、全体的な女性への中傷や彼女の仲間に対する攻撃にまで拡大。

この国では封建的な家族制度、そして女性を軽んじる儒教と仏教の影響下で、批判の矢面に立たされた女性は自ら防御の手段を持たない。


帰国後の加藤シヅエの自由な振る舞いは同じ階級の女性の嫉妬心を刺激していた。167


そこへ起きた関東大震災。そこに生まれたものを所有しない共通の前提を共有する同志愛。178


女性自身による再生への道。女性による自助グループがたくさん始まった。


1924年に再び、米国へ。そしてヨーロッパの視察。


帰国して公娼制度の廃止に取り組む。華やかに装いながら、酷く搾取されている労働者。・・・嘆き悲しむべきはそのような職業の存在を支える社会である。218


一方で家庭的には、石本自身の保守化、転向。


1925年、婦人問題研究を市川房枝らと設立。男女同権運動でもなく、プロレタリア運動でもない第三の道として。263


石本は満州に入り浸り、過程は困窮。1932年、彼女は米国からオファーを受けた公演旅行に出る。

帰国後、産児調節のクリニックを東京に開設。


訳者によるその後の人生の紹介によると1937年、第一次人民戦線事件で投獄。

1944年に加藤勘十と再婚。


市川房枝が戦争協力に向かい、敗戦とともに占領軍により追放処分。加藤シヅエは、夫人制作の非公式顧問に。


ヒューマニズムに根差したデモクラシー。


訳者は、その感性は、三池炭鉱時代にみた炭鉱労働者の女たちのあり方に触れた経験にあるのではないかと言う。









# by eric-blog | 2022-06-23 13:16 | □週5プロジェクト22

[4347]広島発「技能実習生事件簿」  『スクラムユニオン・ひろしま』の闘い

広島発「技能実習生事件簿」  『スクラムユニオン・ひろしま』の闘い

岩下康子、文芸社、2021

4347冊目


スクラムユニオン・ひろしまの執行委員でもある著者。


牡蠣養殖業

建設業・食品加工業

日立製作所


実習生の受け入れ先だ。


国内の就労斡旋であれば、働きたい人がいて、雇いたい人がいて、その間を仲介する「Duda」とか公的な職業安定所などのシステムがある。とまあ、こんな三角関係があって、労働者が困ったら労働組合、会社に対する指導は労働監督局、会社が困ったら中小企業局などが相談窓口になるくらいの構造だろう。


技能実習生受け入れ制度というのは、労働者を出したい国と受け入れたい日本との間で人が動くための制度だ。そもそ、日本が外国人労働者については専門的な人材にのみ門戸を開き、単純労働については受け入れてきていなかったことから、始まった制度である。

[4347]広島発「技能実習生事件簿」  『スクラムユニオン・ひろしま』の闘い_a0036168_14350494.png

門戸を開いていれば、個人的な努力ででも日本にやってきて、求人広告などを見て応募し、働き始めればいい。国内のシステムには変更はない。しかし、それはいろいろ問題があるから、とこの論文は言っている。

https://www.mhlw.go.jp/topics/2002/07/dl/tp0711-1n2.pdf

言葉がわからない、文化が違う、そんな国にやってきても、彼らも困るでしょう、と何やら優しげだ。「管理」されていない外国籍の個人が嫌なのだ。せめて、日本人並みに管理を行き届かせたい。というので、様々な団体にタグづけるわけだ。


本当は単純労働の人材が欲しいのに、「技能実習」などと、あたかも何らかの技術が身につく制度であるかのように「偽装」した「オフィシャル・ストーリー」に基づいて制度設計された。


必要な制度は、送り出し国側の「募集」「教育」、受け入れ国側における受け入れ企業の「募集」「監督」、そして実際の人の移動の支援。


とまあ、複雑になる。


どういうわけか、技能実習生らは本国に借金ができるようだ。渡航費用、斡旋料などの名目ででもあろうか。70万円。日本と10回往復してもお釣りが来るんじゃない?

https://ericweblog.exblog.jp/23319148/

https://ericweblog.exblog.jp/22688451/


と、(2007年、2009年)の時にもすでに指摘されていたが、「告発されればされるほど、ビジネス化し、巧妙になる。


実際、この本では、残業をしているのは「別会社」という仕組みになっていて、残業代は支払われない、というようなケースも。


実習生たちは思ったように技術が身につかない単純労働、長時間労働に疲弊していく。

しかし、送り出し団体に対する借金、国内の就労先が自分では見つけられないというように縛りの中で、会社を訴えることすら臆するのだ。


受け入れ側の企業を募集している監理団体もまた、スキャンダルを恐れる。もみ消しにかかる。


裁判を起こしても、その裁判を戦う間の生活費の保証もない。結論が出ないまま、帰国してしまう。

訴えるような行動で、祖国に帰っても「ブラックリスト」に乗ると脅される。84


そんな問題が山積みの中、ユニオンは支援を続けている。


かきうち業者のほとんどは零細だ。中には温かい事業所もある。

どうすれば、優良事業所を増やせるのか?


問題が起こると、解決のための屋上屋が重ねられる。

新たな在留資格「特定技能」だ。160


なんだか、政治家要らない、って感じになるなあ。とはいえ、解決できるのも政治的な力だしなあ。


ユニオンが近くにある場合はいいが、多くは相談先が、「システム」の側なのだ。怖いよねぇ。

それは、セクハラ・パワハラを訴えたい日本人労働者にも当てはまる。「システム」の側しか相談先がないなんて。


つながる人の力が解決につながる。恐れず、支援を求めることだなあ。



# by eric-blog | 2022-06-23 10:11 | □週5プロジェクト22