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<運ぶヒト>の人類学   ホモ・ポルターンス

<運ぶヒト>の人類学
川田順造、岩波新書、2014
2345冊目

人は他の類人猿に比べて、圧倒的にたくさんのものを運べるようになった。そのことが人類の特色を決定しているのではないか。
アフリカから世界に広がったとされるヒトは、荷物を持って、移動したのだ。

運ぶヒト、ホモ・ポルターンス

まず
直立歩行できるようになったこと。
二重分節語、声帯が下がり、口腔の構音器官が多様化して、分節された発声が可能になった。
そして、この著書が提起している「直立した歩行」と「自由になった前肢」とによってものを長距離運べるようになった。19

まったく別のことだが、三線が日本に取り入れられてから棹の上方に日本独特の、一種の雑音発生装置「サワリ」溝がつけられた。という。27
能管という横笛について、安田登さんが『日本人のからだ』という本で、「のど」という音をコントロールすることを難しくするくびりが、掘り込まれていることを紹介していた。おもしろいねえ。

文化の三点測量として著者は、西アフリカの社会、日本、そしてフランスを比較しながら考察をすすめる。

労働をねぎらい、励ます言葉が豊かなモシ族社会。32

難解そうにもなった王制社会が形成され、・・・王/臣下、首長/家来、長上/従属者関係の、網の目から成り立っている。
日常の挨拶一つでも、たいそう込み入っているのはそのためだ。

旧もし王国の社会では、二人の人間が出会ったとき、別れるとき、当事者二人それぞれの、身分、地位、年齢の上下、そのときの状況などによって、言うべき挨拶の言葉が同じではない。33

トゥムトゥムデ! 御精がでますね。など実によく使われる。35

単系血縁集団のモシ族では、既婚女性も「ヨメ」になどならない。婚家で認められる既婚女性のための畑、ベオルガ、がある。婚家全員のための畑での共同作業以外の時間に、この畑でつくってとれたものは、女性のもの。37

また地縁組織も弱い。焼き畑農業の移動性の高さのためか。40

道具と人の関係について、著者は三つのパターンをフランス、日本、モシで比較する。
A=道具の脱人間化
B=道具の人間化
C=人間の道具化

モデルAとは、第一に人間の巧みさに依存せず、誰がやっても同じようによい結果が得られるように道具を工夫するという指向性と、第二に人力を省き、畜力、水力、風力などを利用して、より大きな結果を得ようとする。
エネルギーの伝達装置の発達へ。103

モデルBは、人間の巧みさによって単純で機能未分化な道具を多機能に使いこなす。よい結果を得られるために人力を惜しみなく投入する。
第一については船の櫓、第二については水田。

モデルCでは、圧倒的な自然の猛威のなかで、身体の道具化。長い前腕を短い鋤の柄の延長のように用いる。105
土器の成形は轆轤を開店させるのではなく、人間が立って深く前屈したまま、土器のまわりを回るやり方などにも、深前屈が可能な人体の道具化の例

Aにおいて道具は使うものであり、Bでは「道」を学ぶための手だてとして、道具を尊ぶ。目的志向に対して過程尊重。106

問題意識がなければ、目は節穴。145

エスニックにたいしてグローバル
ローカルに対してグローバル
ユニバーサルに対してパティキュラー

ローカルに対してグローバルは、力関係に基づく。グローバルな力で世界に広がっているものを、だからといって普遍的な価値があるとはいえないからだ。150

普遍志向の強い啓蒙思想

しかし、同様に普遍志向がつよかった古代ギリシャが生んだ哲人プロタゴラスは、「人間は万物の尺度である」という、ローカルな特殊志向こそが普遍的だという、見事な逆説的命題を吐いている。151
1875年の国際メートル条約。
慣習的単位の共通性と普遍志向の両方が存在する。

グローバル化のはじまり

アフリカを旅立った先祖は、地球上の多様な地域へ移動・拡散するにしたがって、移住先の生態系との相互交渉のなかで、徐徐に多様な言語と文化を発達させた。多様性の第一段階152

地球規模でのある文化の拡張は、15世紀に始まる「カトリック=地中海ヨーロッパ」の海洋による世界への進出。南蛮時代。日本には鉄砲から如雨露まで。

二回目は、「プロテスタント=大西洋ヨーロッパ」。大西洋三角貿易。153

三回目は、19世紀行半の非西洋世界の植民地化。西洋世界の産業のための第一次産品を供給させ、製品の市場とする。日本は、西洋の側に立って、朝鮮や中国を侵略の対象にした。154

アメリカ主導の第四次グローバリゼーション。
ソ連圏の崩壊以降現在までつづく第五のグローバル化。三つの特徴。154

技術の進歩と経済的豊かさへの漠然とした夢が、地球規模でも資源の枯渇や環境破壊への危機感によって消えた。
新自由主義経済の弱肉強食。
上方が肥大し、金融経済だけでなく、人類の精神生活にとっても大きな意味をもつようになった。155

現在世界に求められているのは、根本的なパラダイム、考え方の枠組みの変換だ。155

人間の技術と、ヒト=自然関係のあり方についての、パラダイムの根源的再検討。

人間中心の開発から、種間倫理の探究が差し迫った課題であり、 ヒト同志の宣戦布告なき激しい頃試合。156

霊長類には、自制が働いている。自制のなさは、「知恵ある人」の本能なのか。それともヒトが直立二足歩行後に獲得した「文化」なのか。

私たちが抱きうるせめてもの希望は、ヒトを絶望に向かって追い立ててきたグローバルな流れの底で、あちこちにささやかな逆流をおこしてきた、それ自体決して固定されたものではない、「エスニック」なものの芽を、「グローバル」との関係で育てていく努力ではないだろうか。157

日本人が「グローバル」のトップクラスにたつようになった。相撲の横綱のように「エスニック」が「グローバル化」した。

「知恵のあるヒト」がその何値するよう、他の生き物たちと一緒にさぐってゆくべき長い道のりが、私たちの前には、のびている。170
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by eric-blog | 2014-10-31 10:18 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

日本人はなぜ謝り続けるのか 日英<戦後和解>の失敗に学ぶ

日本人はなぜ謝り続けるのか 日英<戦後和解>の失敗に学ぶ
中尾知代、NHK出版生活人新書、2008
2344冊目

オーストラリアのPOW、戦時捕虜の人達の日本に対する悪感情と和解の努力については知っていた。しかし、イギリスのPOWの日本に対する悪感情と和解の努力が失敗しつづけてきていることは、知らなかった。

同様に、オランダとのこともあるのだろうなあ。

イギリスに滞在していた時に、「戦勝祝賀日」にあたって、それはすべて「日本軍を打ち破った日」であったために、なんだか、町にでにくい思いがした。
ガダルカナル島に8月に居た時も、「戦勝50周年」かなんかで、大きな横断幕が掲げられていたなあ。うん、海外に出ると、そんな光景には出くわすね。

もう、引用しておきたいところ満載のすごい本なのですが、まずは、通読して感じたことをピックアップしておきます。

取材の苦労は相当なものだったのでしょうが、やっとインタビューに応えてくれた元戦時捕虜だった人が言うのが、「なぜ日本人はあんなに残虐なのだ?」ということ。それは捕虜の扱いだけでなく、自国の兵士に対しても、そしてアジアの人々に対してもそうなのだと。それをずっと知りたいと思ってきたと。

日本側の和解の努力、謝罪は、さまざまな時になされているのだけれど、どちらかというと、「真実解明」の努力の上に謝罪しているのではなく、「あの戦争でわたしたちは多くの国の人々に堪え難い痛みを与えました」というような感覚的な謝罪と、「まあまあ、文化交流して水に流しましょうよ」というような接待との最悪の組み合わせでアプローチしている。

日本政府がこれまで失敗してきているのは、「和解」を民間主導に任せて、そこに金をつけているだけ。本来であれば、民間などでは決してできない「真実の解明」のためのプロジェクトを立ち上げることなのに、それはしない。

これから、国立大学から人文社会学系はなくなっていくそうだから、研究者もいなくなるね。

なんてアホな国だろうか。それがわたしが感じたいちばんの問題。

で、間違ったアプローチをしながら、「欧米の帝国主義にいためつけられていたからやったんだ」、「彼らの方がひどいことをしたんだ」と反発だけはする。

この国は、大国になれんなあ。キャンキャン、キャンキャンうるさい小型犬。

そして、納得が得られていないままに、英国政府は「日本は、よきぱーとなーだ。いままでも、そしてこれからも。イラクで、そして、これからの戦争で」と、和解はなったという立場で、日英軍事協力をすすめている。

これまでの「和解」の努力すら、戦争遂行のためのお膳立てに使われてしまっていっている。そんなことのために努力してたん?

著者が取材した多くは「戦争だけはしないでほしい」と願っているのに。232

とはいえ、著者が集めた証言、史料は膨大だ。ぜひ、しっかりとした調査研究プロジェクトをしてほしい。この本からすでに6年。生存者の証言はますます得にくくなっていく。

著者は、日本側の謝罪があいまいになってしまう背景を四つあげている。197

BC級戦犯の問題
日本側の強制労働の問題
日本側の降伏兵士の抑留とシベリア抑留
列強の帝国主義、植民地支配とアジアの分割の責任を問う意識

そこへ持って来て、英国は自らの植民地支配に対する「誇り」を持っている。201

そのずれ。もちろん、いまとなっては、植民地支配の500年の歴史をふりかえる反省もあるわけだが。


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この本を読んで感じたことは、「真実解明」の努力をしないままに、「文化交流」で和解の努力をあいまいにし、なしくずしに関係を結んでいく日本社会の姿だ。「なぜ日本軍はあんなにも残虐だったのか?」多くの戦時捕虜が抱いている疑問に応えようとすることも、彼らの個別体験をうらづけるような実態調査もないままに、謝罪だけを繰り返す。
そして、謝罪が受入れられないとなると「すねる」「なんで理解してくれないのかとぐちる」「きれる」。あーあ、日本男児そのものではないか。
この際、生き方の原理原則が確立していない、この世に「真実」があるとは思っていない、日和見主義的な価値観で生きていることを、はっきり宣言したらどうなのか。
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by eric-blog | 2014-10-30 15:18 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

アメリカの”新たな戦争”? 無人機攻撃の実態

■News Weeks 対テロ戦争
ドローン操縦士を襲うPTSD
Ex-Military Members Ask Drone Operators to Disobey Orders
精神を病む操縦士が続出して出撃回数を減らさざるを得ない事態に

http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2015/06/post-3710_1.php

アメリカの”新たな戦争”? 無人機攻撃の実態
Drones, Obama’s Dirty War

DRONE 無人攻撃機

ブッシュ大統領時代に49回だったドローンによる攻撃が、オバマ大統領時代には395回に。操縦士たちも675名訓練され、通常戦闘機の操縦士と同じくらいの人数になった。
グアンタナモ刑務所での拷問などが問題視されたブッシュ大統領時代のテロリストとの戦い。
それを変えたいと取り組んで来たのが「無人戦闘機」による攻撃だ。

2012年、オバマ大統領は、これらの攻撃が「正確にテロリストを捕捉している」と演説。

イエメンの現地で確認する。タクシーに乗り合わせていた民間人、タクシーの運転手も巻き込まれていた。

パキスタンでは、3000人もの民間人が殺されていた。9割がテロリストとは無関係だった。

2009年、オバマ大統領は、「わたしたちは戦いにおいて行動規範を守らなければならない。それがわたしたちをわたしたちが戦っている相手と違うと言える点なのだ。」

その4年後、2013年5月23日、オバマ大統領、民間人が巻き込まれたことを認めた。「どんな戦争にもリスクはつきものだ」「しかし、亡くなった犠牲を正当化する言葉はどこにもない。彼らの影は、わたしとわたしの意思決定につらなる人々にとって、死ぬまでつきまとうだろう。」

プロデューサー: リュック・エルマン
ディレクター: ブノア・ブランジェ、ジャン・バティスト・ルノー

制作: Premieres Lignes (フランス、2013年)

まだ、NHKのBSには情報がでていませんが、以下を参照することができます。

http://rt.com/shows/documentary/drones-obama-dirty-war-837/

According to the US government unmanned drones are the perfect weapon in the continuing War on Terrorism, allowing for surgical precision and preventing risk to American life. During the Obama administration the use of drone strikes has exploded, faced with a backlash about Guantanamo Bay’s interminable detention of suspects they preferred this tactical program claiming that it also spared civilian life. But is that really the case?
This investigation goes to Yemen and Pakistan to find people claiming that the civilian casualty toll is much higher than Washington admits. In Yemen witnesses claim that 2 of the people killed in a strike which was reported in the Western media as being of 6 Al Qaeda militants, were in fact a student taxi driver and a teacher. We have also obtained harrowing exclusive footage from Pakistan; images of civilians, including children injured and killed in drone strikes. Since 2004 at least 350 drone strikes have been carried out in Pakistan and some journalists have evidence that up to half of the 3000 casualties were civilians.
Lastly we look at the even more worrying system of ’signature strikes’ in which no solid evidence is gathered on the suspects, not even their names, but their actions (as seen from the drones cameras) suggest that they may have terror links. Certain human rights organisations are starting to make a lot of noise about war crimes and international laws being broken. Is it time to listen to them?
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by eric-blog | 2014-10-29 08:05 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

社会的弱者の生き延びる戦略

社会的弱者の生き延びる戦略  (第三世界の農村開発、ロバート・チェンバースより)
・あきらめる
・馴化する
・異議申し立てする
・逃亡する
彼女たちは、第三世界の貧困者が金持ちの「自警団」に雇われて生き延びるように、「馴化する」ことで生き延びて来たのでしょう。
生き延びる戦略から解放の戦略へと言ったのは朴和美さん。
http://ericweblog.exblog.jp/8713988/
わたしはさらに「自己実現の道」を加えたいのだが。

ロバート・チェンバースは、物理的な貧困が、身体的ぜいじゃくさ、政治力のなさなどにつながるという悪循環が、「貧困のわな」なのだと指摘。

・物質的貧困
・身体的弱さ
・孤立化
・不測の事態に対する脆弱さ
・政治力や交渉力の欠如

そして、「貧しい人々」がとりうる戦略とは脱出、意思表明、忠誠しかなく、また、意思表明はしたとしても、政治力の欠如のために、必ずしもいい結果にならないことも指摘しています。
そのために、その土地にとどまり続けようとするなら、ことさらに体制に従順に「忠誠」を誓わざるをえないのだと。

271


『第三世界の農村開発』明石書店、1995
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by eric-blog | 2014-10-28 14:07 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

犯罪弱者・暴力弱者社会をひらく

◆参加のお申し込みおよびお問い合わせはこちらから

http://kokucheese.com/event/index/233154/?fb_action_ids=850457861652005&fb_action_types=og.comments

◆犯罪弱者・暴力弱者社会をひらく

 「犯罪の凶悪化がすすんでいる」「刑務所はいっぱいらしい」「再犯率が高いらしい」。そんなイメージを、わたしたちはいまの犯罪について持っているのではないだろうか。わたし自身、そうだった。
 しかし、実際に刑法犯罪のデータを見ると、殺人、強姦、傷害強盗、放火などの暴力犯罪は、刑法犯罪が10万人中1580件であるのに対して、10万人中30件程度。1580対30である。刑法犯の上位3種は、窃盗、詐欺、横領、50%が窃盗である。犯罪の背景に、貧困の影が見えないだろうか。彼らは刑務所を出ても、支援なしでは社会生活を送ることが難しく、結果再犯に追いつめられていくのが実態なのだ。
 生きるための課題解決の非暴力的な方法を知らないこと、そのために「暴力」的な現れしか選ぶことができないこと、そのような状況は暴力である。犯罪に追い込まれる人は、「犯罪弱者」であるのだ。社会的弱者支援の対策の充実が必要なのだ。さらに言えば、非暴力的な解決についての知識・情報、スキル、支援してくれるつながりなどについての教育的な支援がその基本となる。
 40人学級に戻すとか、教員の数の削減が語られている。すでに、いまの教育環境においてすら、「弱者化」している人々が、犯罪に追い込まれている。考えてみてほしい。義務教育段階で一人あたりにかけているコストは100万円程度。「犯罪弱者」に追いつめられ、刑務所に入れられた人一人当たりには200万円から500万円をかけて、しかも失敗していることを。よりよい質の教育をすべての人に。それが社会の未来をひらいていく。

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by eric-blog | 2014-10-28 11:00 | △研修その他案内 | Comments(0)

本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド

◆2014/11/02 国際社会の「敵国」であることを自ら望む日本の病~岩上安身による『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』著者・矢部宏治氏インタビュー第2弾

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/201949

◆2014/10/13 「戦後再発見双書」プロデューサーが語る、日米関係に隠された「闇の奥」~岩上安身による『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』著者・矢部宏治氏インタビュー

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/181723


■本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド
須田慎太郎、矢部宏治、前泊博盛監修、書籍情報社、2011
2343冊目

日本にある米軍基地の8割がある小さな島嶼群。それが沖縄だ。平らな島だと言ってしまえば、そうだが、それでも平野部は少ない。その平野部の一等地に広がる米軍基地の周りは必然的に住宅地となる。
第二次世界大戦における唯一の陸上戦を戦った沖縄。収容所に入れられて、帰って来てみると、土地は米軍に収容された後だったことも、基地の周りに住宅が建てられていく背景にはある。

いまだに返されることのない土地。

1956年の日米安保条約が、1974年の復帰後の沖縄の形を作って来た。

毎日、基地を見ながら暮らしている沖縄の人にとって「戦後は終わっていない」「占領は終わっていない」という認識は当たり前のことだろう。

本土から取材に訪れた著者およびカメラマンを、土地の人は、基地が見えるベストスポットへと、案内してくれる。彼らが日常的に、それとなく、目配りしていることの証しでもあるのだが。

撮影は違法性を問われないように、慎重に行われた。そのびくびく感は、沖縄の人が常に感じていることだ。いつなんどき、何が「軍機密」に触れるとされるかわからないのだから。

いま、本土にも国家安全保障のための「秘密保護法」が施行される。

わたしたちは、あらためて、「戦後はまだ終わっていない」こと、そして「占領はまだ終わっていない」ことを、これから胸に刻むことになるのだ。

何が国土防衛であるのかを、民主的に決めることのできない国で。

何度も沖縄には行っているが、これほどのプレゼンスのある存在が、巧妙に、「きれいな緑の広がる場所」的に見せられていたことに気づく。

ぜひ、パーラーでぜんざいをいただきながら、沖縄の人と同じ視線を、基地に向けてみよう。Let’s go Okinawa!
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by eric-blog | 2014-10-28 09:50 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

犯罪弱者、暴力弱者という発見

犯罪弱者・暴力弱者社会をひらく

 「犯罪の凶悪化がすすんでいる」「刑務所はいっぱいらしい」「再犯率が高いらしい」。そんなイメージを、わたしたちはいまの犯罪について持っているのではないだろうか。わたし自身、そうだった。
 しかし、実際に刑法犯罪のデータを見ると、殺人、強姦、傷害強盗、放火などの暴力犯罪は、刑法犯罪が10万人中1580件であるのに対して、10万人中30件程度。1580対30である。刑法犯の上位3種は、窃盗、詐欺、横領、50%が窃盗である。犯罪の背景に、貧困の影が見えないだろうか。彼らは刑務所を出ても、支援なしでは社会生活を送ることが難しく、結果再犯に追いつめられていくのが実態なのだ。
 生きるための課題解決の非暴力的な方法を知らないこと、そのために「暴力」的な現れしか選ぶことができないこと、そのような状況は暴力である。犯罪に追い込まれる人は、「犯罪弱者」であるのだ。社会的弱者支援の対策の充実が必要なのだ。さらに言えば、非暴力的な解決についての知識・情報、スキル、支援してくれるつながりなどについての教育的な支援がその基本となる。
 40人学級に戻すとか、教員の数の削減が語られている。すでに、いまの教育環境においてすら、「弱者化」している人々が、犯罪に追い込まれている。考えてみてほしい。義務教育段階で一人あたりにかけているコストは100万円程度。「犯罪弱者」に追いつめられ、刑務所に入れられた人一人当たりには200万円から500万円をかけて、しかも失敗していることを。よりよい質の教育をすべての人に。それが社会の未来をひらいていく。

==================連続講座のご案内==========




犯罪弱者、暴力弱者という発見

課題解決の非暴力的な方法を知らないこと、そのために「暴力」的な現れしか選ぶことができないこと、その人のこと。犯罪の加害者・被害者、暴力の加害者・被害者の両方が含まれる。

刑法犯の上位3種は、窃盗、詐欺、横領であり、基本的に経済犯ということができる。刑法犯の50%が窃盗であるということは、経済的な困難を犯罪以外の方法で解決するための資源がないということの現れである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の犯罪と治安#.E5.88.91.E6.B3.95.E7.8A.AF.E7.BD.AA.E3.81.AE.E8.AA.8D.E7.9F.A5.E4.BB.B6.E6.95.B0.E3.83.BB.E6.A4.9C.E6.8C.99.E4.BB.B6.E6.95.B0.E3.83.BB.E6.A4.9C.E6.8C.99.E4.BA.BA.E6.95.B0.E3.83.BB.E7.99.BA.E7.94.9F.E7.8E.87.E3.83.BB.E6.A4.9C.E6.8C.99.E7.8E.87

刑法犯の種類: 殺人、強盗、強姦、暴行、傷害、詐欺、窃盗、放火
暴力犯罪の種類: 殺人略取 誘拐強姦強制 わいせつ傷害強盗放火逮捕 監禁
これらの暴力犯罪は、刑法犯罪が10万人中1580件であるのに対して合計しても10万人中30件程度。つまり、圧倒的に刑法犯罪は非暴力犯罪なのである。犯罪は「凶悪化している」のではなく、常に「経済」「貧困」の課題から発生しているのだ。

にもかかわらず、わたしたちは「刑務所がいっぱいだ」「再犯率が高い」という課題だけを聞いている。頭の中では、「凶悪犯でいっぱいの刑務所から、出てくるんだけれど、すぐ再犯する。だったら重罪化するしかない」というロジックが生まれている。

現実はさきほど言った通りだ。1500人中30人が暴力犯。つまり、「窃盗・詐欺・横領」に人が走らないでいいようにするにはどうすればいいかを考えた方が、「再犯率」がどうのこうの、更正がどうのこうのと考えるより、よっぽど現実的であるということだ。

しかも、「オレオレ詐欺」のケースに見るように、盗まれる側、だまされる側も社会的弱者であるのだ。

犯罪までいかないものでも、暴力も同じだ。関係性を、暴力という形でしか構築できなかったとすれば、それは問題解決のためのスキルや資源が欠けていたためなのではないか。

加害者が悪い、被害者がかわいそうという二分論的なアプローチではなく、「暴力」というのは関係性であり、関係性における衝突、「対立」を扱う方法を知らないことが、危険なのだという認識を持つ必要がある。

なぜ、暴力的な現れしかできないのか。どうすれば、別の関係性のつくり方がありえるだろうかという発想が必要なのだ。

今回の「対立から学ぼう」の研修で、この学びが持つ広がりが改めて、共有できた。

犯罪弱者、暴力弱者は、実は教育弱者でもあるのだ。
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by eric-blog | 2014-10-27 16:56 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

道徳の教科化をESD推進の契機に

 道徳の教科化が「価値観の押しつけ」になるのではないかという報道があった。しかし、10月22日の記事で紹介された大学教授が言うように、「教科書を教える」のではなく「教科書で教える」のは、道徳に限らず、どの教科指導でも共通して求められ指導力である。求められるのはよりよい質の教育である。
 一方で今年は「ESD持続可能な開発のための教育」国連10年の最終年である。東京、岡山、名古屋で「多様な主体」がかかわるESDの報告が共有されるイベントが企画されている。2002年のヨハネスブルグ・サミットで日本政府が提案したことから始まったESD推進の10年であるので、日本政府も力を入れて取り組んでいる。これからの継続的な取組にも期待が寄せられている。
 持続可能な開発のために大切なことは「価値観の教育」であると、ESD推進計画はうたっている。わたしたちの価値観の有り様を変えなければ行動変容はなく、行動が変わらなければ、いまの開発のあり方は変わらないからだ。一人ひとりが「公正さ」や「多様性」、「未来の世代の尊重」などの価値観に従った行動ができるようになること、それがわたしたちの社会の持続可能性の鍵なのである。そのような地球市民としての責任感は、道徳を通じてこそ涵養されるのではないか。
 新しい取組をしっかり根付かせたいのなら、総合学習導入時の愚を繰り返すことなく、教員の多忙化対策、研究・研修時間の確保、学級人数の適正化など、よりよい質の教育のための対策を求めるべきである。

2014年10月22日 東京新聞
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by eric-blog | 2014-10-27 16:54 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

政治のなかの保育 スウェーデンの保育制度はこうしてつくられた

政治のなかの保育 スウェーデンの保育制度はこうしてつくられた
バルバーラ・マルティン=コルピ、かもがわ出版、2010
2342冊目

教育は、経済成長の鍵となる労働力の質の向上、および平等を志向する自律的市民の育成の両面で、重要な鍵をにぎっている。14

スウェーデン保育政策の基本理念の一つは、労働生活と家庭生活の両立を可能にすること。20


保育所は、人々が職をえるために農村から都市へと流出したことにより、子どもを育てるためのさまざまな社会制度が必要になったのだ。23

貧困層の子どもを対象とした「子どもクラブ」がつくられた。・・・貧困の化レッテルが1950年代まで続く。

フレーベルの教育思想にもとづく幼児教育が「子ども園」としてドイツから伝来。

保育所と幼稚園の二つのルーツが生まれた。

1968年の「保育施設調査委員会」が「近代的子ども観」を確立し、先進的な教育法を取り入れることがめざされた。37
・インテグレーションとノーマライゼーション
・対話的教育法
・テーマ学習を行う
・遊びの重要性
・空間構成
・教材
・両親との協働体制

答申で「職員がチームで保育を行う」「子どもの自発的テーマ学習」「異年齢集団をクラス編成の基本とする」「競争によってできなく、共同作業を通じて学ぶ」

民主主義、ジェンダー平等、連帯

1974年に「家族支援調査委員会」
・幼児は母親以外にも複数の他者と深い関係を構築することができる。
・親との根源的なつながりは失われない。
・父親の存在が重要
・子どもは他の子どもと一緒にすごすことで多くのものを得る

育児休業中の所得補償として母親手当。それが父親も利用できる「両親保険」へ。1975年44

70年代に保育拡大計画。

まずは、コミューンが推進。

80年代に「よりよい質」

1985年から91年は「プレスクール全入構想」が。
就学年齢が引き下げられる。

しかし、1990年代の経済危機により、質が低下。

現在、質的向上がめざされている。「ジェンダー平等」と「多文化の尊重」106

保育モデルは速い時代から確立した。そしてそれを何年も維持してきた。そのことがすごいことだと。

解説に、奥野隆一さんは指摘する。「1980年代が分岐点であった」と。
・民営化についての議論
・幼保一元化

いま、日本でも幼保一元化の議論はされているが、「学びの共同体」的な方向性は、政府での議論には見当たらないなあ。
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by eric-blog | 2014-10-27 14:10 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

ERIC News 409号 より 「ESDについて考える」

ERIC News409 ESDツリーニュース(環境教育ニュース)第92号 2014年10月27日
  担当 梅村 松秀

1.日本学術会議提言「持続可能な未来のための教育と人材育成の推進に向けて」を
 読む(2) 
 前91号で、学術会議による「持続可能な未来のための教育と人材育成の推進に向け
て」提言(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-t199-1.pdf)。
生涯学習部分に関する記述に注目しての紹介を記しました。今回、初等・中等教育
部分についての紹介とコメントをしてみます。

 「作成の背景」に示される本題への認識を確認しておきます。
「成長の限界」提起から40年、地球環境研究が本格化して30年、地球環境問題は更
なる深刻化にある。こうしたなかICSU 、ISSCなどが主導するフューチャー・アース
構想において、多様なステークホルダーとの超学際的な協働を通しての取り組み、
そのための持続可能な未来の実現に向けた教育と人材育成の改善・強化が示されて
いる。「それは地球環境と世界の理解に直接関わる分野の教育(=地球環境教育)
はもとより、より広い自然科学・人文社会科学教育の再構築を目指すものである」
こと、そのために「持続可能な未来のための教育と人材育成は、環境教育の改善と
普及なくしてはなしえないであろう」と、具体的に環境教育と人材育成の改善に
焦点があることが示唆されます。
 
初等・中等教育の現状と問題点
 最初に、日本の教育の理念が示されるものとしての学習指導要領における「生きる
力」、2013年「第2期教育基本計画」に示される「多様で変化の激しい社会」の中で
の「社会を生き抜く力」という方向性に沿っての「新たな持続可能な未来のための
カリキュラム開発」が求められているという基本的認識が示されます。
 この基本的認識のもと、1.持続可能な未来を考えるための知識や技能の習得と問題
解決能力 2.ユネスコスクールと大学 3.優れた才能や個性を有する生徒、3つの側
面についての分析が示されますが、ここでは1.の「持続可能な未来を考えるための
知識や技能の習得と問題解決能力の育成」に焦点を当てます。

 具体的には、本提言全体のトーンをなす地球環境問題、そして「多様で変化の激し
い社会」という認識を背景としながら、まず「多様で変化の激しい社会」を生きる力
に求められるのは「現在の状況をしっかり把握し、それらのデータや根拠に基づいて
未来を考える力」であるとし、教科学習、総合的な学習の時間、そしてカリキュラム
全体を通しての課題が次のように示されます。

 教科学習は、「現在ならびに過去の知識が主な学習内容となるが、その習得に
とどまらず、未来対応型の能力を育成することを重視」しての指導改善が求められる
こと。「総合的な学習の時間」は、「本来優れて未来対応を志向した学習」である
はずが、「その趣旨や理念は…達成されて」いないとして、「子ども一人ひとりの
未来対応型の能力を育成する時間として明確に位置付け」られるべきにも関わらず、
現実はそうなっていないという認識が示されます。
 それでは、どうあるべきかとして例示されるのが、東日本大震災に示される日本
の自然・環境の特徴、それにもとづいての歴史的に構築されてきた自然観・環境観
がカリキュラムに反映されることであると言います。

初等・中等教育の再構築に向けての提言
 まず「持続可能な未来のための教育と人材育成」を推進するにあたっての全体
提言として示されることに注目しておきます。。
 すなわち持続可能性の概念そのものが多様な側面、多様なステークホルダー、世
代間の問題など、複雑性の中で物事を考える能力を養うこと、さらに地域社会との
協働、環境のみならず、社会・経済的側面を含む学びが必要である、との基本的認
識のもと、どのような側面と課題を扱うか、対象者の発達段階によって異なるとし
て、初等・中等段階においては「抽象度が高い内容は必ずしも適切ではなく、身近
な地域の問題から持続可能性を考える方法が有効で、その中で他者との関わりを学
ぶことが重要である」として、初等・中等教育段階では、身近な地域の持続性に焦
点化することを提起します。
 
 学習内容と方法についてみましょう。
 教科学習としては、現状と問題点に示されたこと、すなわち、変化の激しい社会と
環境の下で、それらを理解するための知識や技能の習得をとおして問題解決に取り
組み、行動するための基礎力の育成を図ること、かつ学習プロセスの明確化を図る
ことが持続的な未来を考えるための基礎となる科学的な見方や考え方をもった市民の
育成につながるものとの認識が示されます。そして、社会科地理と理科学習における
学習プロセスの明確化をねらいとした実践事例を評価しています。

 環境教育の改善と普及という課題については、学術会議提言「高等教育における
環境教育の充実に向けて」(2011年)に示された環境教育への提言、「日本独自の
自然観を踏まえた『生活知』とグローバルな学術的取組成果からの『科学知』との
統合を図りながら展開すべきである」が、東日本大震災を経た今、新たな学びの形を
示唆することになったといいます。すなわち「環境との相互交渉を通して学ぶ」と
いう視点が、環境に働きかける体験、環境を感受する体験を通して教育の本質的価値
である人間形成を行うことができるという気づきをもたらし、まさに教育基本法に
示される「人格の完成」につながるものと評価されます。そのことは「日本の伝統的
自然観・環境観と科学的英知を基盤とした人間と環境の共生を目指し、環境に働き
かける体験や環境を感受する体験を通した人間形成のカリキュラム開発」の重要性
をも示すことであるといいます。

 「総合的な学習の時間」については、教科学習と密接に関係づけ、持続可能な未来
を考えるための探求的・応用的な能力の育成を図るとともに、知識・技能の習得、
能力形成において、積極的なICTの活用を提言します。

若干のコメント
 以上、初等・中等段階における「持続的な未来のための教育」に対する現状と展望
に関する記述からの読み取りにもとづいて、若干のコメントを記します。

 私にとって「持続可能な未来のための教育」を考える際の基本的文献の一つは、
教員研修用マルチメディアプログラムとしてユネスコによりまとめられた『持続可能
な未来のための学習』(2002)です。今回の学術会議提言をユネスコのテキストに
対応してみると、第4章「持続可能な未来のための教育の際方向付け」に相当する
テーマのようにも思われ、それがゆえに「持続的な未来」とか、「持続的な未来の
ための教育」の概念を、あらためて問うことなく、ESDの10年をふりかえっての現実、
それを踏まえての展望を示すことに焦点化していることに本提言の特徴があるように
思いました。

 ESDの10年を踏まえて、次への展望に結び付けようとするとき、教科学習と持続的な
未来との関わりが、依然として過去と現在の事実認識にとどまっていること。総合的
な学習の時間のテーマと環境との関わり、そして環境教育の改善と普及への取り組み
の不十分さなどへの認識が示されました。それをもとに初等・中等教育段階において
は、基礎的な知識や技能の学び、そして学びのプロセスを明確化すること、総合的な
学習の時間の位置づけについての再認識、歴史的に構築された日本の自然観・環境観
への注目の重要性など、本提言の範囲とする限られたテーマへの取り組みとして納得
できるものでしょう。また、東日本大震災を契機としての、日本の地質的特徴を踏ま
えての知の集積にたいする再認識の重要性も示唆に富むものです。また、初等・中等
教育段階において、変化の激しい社会と環境のもとでの知識、技能の習得にあたって、
学習プロセスの明確化を提起したことも共感できることでした。蛇足ながら、社会科
地理学習における学習プロセス論として、提示された文献作成者は、かつて国際理解
教育センターの勉強会で議論し合った仲間であり共感するところ多々でした。

 疑問点をいくつか記します。
 ユネスコのテキストにおいて、持続的な未来のための環境は、自然的、経済的、社会
的、政治的のたがいに切っても切れない関係にある四つの側面が互いに絡み合うよう
につながったダイアグラム(開発コンパス)として提示されます。そのことは環境
問題を自然的な側面だけでなく、社会的、経済的、政治的な観点を合わせ見ることを
示唆します。かつ四つの側面は、それぞれ保全、適正な開発、平和、公正と人権、民主
主義というテーマとしてとらえられることをも示します。さらに付け加えれば、環境
を複合的な側面としてとらえることは、システム的な考え方をすることであることも
記されます。今回の学術会議提言は、全く異なる次元での問題の立て方をしています。

 ESDについて私が関わってきた社会科地理教育という限られた範囲での見聞において、
日本のESDへの取り組み事例に、開発コンパスの視点に基づいての研究報告はきわめて
限られたものにとどまっていました。事例報告の多くは問題解決型のテーマとその展開
に関わるものでした。今回の学術会議提言においても、持続的未来ということへの視野
は、地球規模では温暖化に象徴される地球環境問題への取り組みであり、日本という
ローカルな範囲では、日本の地質的特徴と歴史的に形成された環境観との調和を図る
ことという、限られたテーマと、その問題解決への取り組みに焦点化されていること
に、ユネスコ提言との違いを再認識売るとともに、その違いに対する論議がされない
ことが不思議でなりません。今回、読み取りの対象には入れませんでしたが、国内の
ユネスコ提携スクールなどでは、論議されているかもしれませんが、残念ながら情報
を得ることができないままきてます。
 
 初等・中等段階での学習内容と高等教育段階でのそれとの区分けを提示することに
ついても疑問が残ります。学習方法を表すキーワードとしての「参加型学習」を最初
に紹介したのは、おそらくERIC国際理解教育センターが刊行した『ワールド・スタ
ディーズ~学び方・教え方ハンドブック』(1991)でした。その最初の章は、「世界
は相互に依存する」という見出しで、子どもたちの毎日が世界とのつながりで始まる
ことに注目すべきことを提起してました。初等・中等教育段階での持続的な未来への
取り組みについて提言は、身近な地域に焦点化することとしました。しかしながら、
私自身、地元の河川敷保全活動に関わる中で、外来種の問題など世界とのつながりを
抜きにして環境学習は成り立ちません。世界的なテーマは発達段階をふまえて高等
教育段階に位置づけるという提言に、違和感を感ずるのは私だけでしょうか。

 もうひとつ、システム・アプローチに関する問題があります。ご承知のように
PLTプログラムは、構成する5つの概念のひとつにシステムを位置づけています。
今回、別項で紹介するアクティビティも、システムの概念を展開するアクティビティ
として位置付けられています。システム的な考え方の習得について、アメリカの場合、
中等教育段階を終えるまで習得すべき内容を記した「すべてのアメリカ人のための
科学」(1989)にシステムの概念が明記されています。また世界の地理教育関係者
によって作成された地理教育国際憲章(1992)においてもシステム的アプローチの
位置づけが明記されます。ドイツの中等地理教育段階においては、システム・アプ
ローチを取り入れた学習内容に変わりつつあることを聞いています。
 提言は、「作成の背景」において「より広い自然科学・社会科学教育の再構築を
目指すもの」と記します。であるなら、初等・中等教育の再構築にあたり、包括的
な探求の重要性を認識するものとしてのシステム・アプローチに言及しないことも
疑問が残るところです。
 さらに大きな問題として初等・中等教育段階に関わる「人材育成」の課題があり
ますが、あらためて考えたいと思います。
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by eric-blog | 2014-10-27 12:09 | ERICニュース | Comments(0)