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カッパドキア単身短信

カッパドキア単身短信

2014/08/23
あっという間に毎日がすぎて、、、、、と何回書いているのやら。ちょうど半分が過ぎました!

これまでのアクティビティ一覧表を作ってみました!

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毎日、何かしら印象的な出来事がありますね。

さて、トイトレは、わたしが孫のタイミングがわかってきたので、トイレに連れて行き、うまく排尿できるというのが何回か続いています。でも、伝えるのはまだできない。しかも、ウンチはしてから、「これ見て」。触るな! 笑うわ。
しかも、夜とお昼ねの時に排尿するので、寝かせる時にはおむつははずせない。起こして連れて行くには、あまりにも娘が疲労困憊しているし、わたしは夜中は絶対起きない人なので。

ま、なるようになる。しかないですね。一生、おむつのままでもないだろうし。じゃあ、おまえ、何しにきたんだ!?というのはおいといて。

カイセリの動物園は、広さは上野動物園とあまり変わらないか、少し小さいと思いますが、何と言っても一つずつのケージが広い。それぞれが上野のパンダかそれ以上の広さを与えられているのですから、うらやましい。

子ども動物園というのもあって、タッチしたり、ニンジンをあげたりできるのです。でも、ホテルという仕事柄、あまりゆっくりはできず、ぐるっと一周しただけで、帰りも買い物道中におつきあい。

赤ずきんちゃんの衣装をつくってやろうと、古着を持ってきているのですが、一人っ子の5歳児が、何から何までまず取り上げる。取り上げたことをうまく言いくるめる。わたしがアイチャの側で「いじわる」「とりあげないでよ」「わたしも貸して」などと日本語で言うものだから、おばあちゃんはずし作戦に出ています。おもしろい! 「この人達、うそっこのことば話している」とも言っていたそうですよ。こんな体験ができるのだったら、トルコ語もっと真剣に勉強しておけば良かった!  いやいや、でもわからないからこそ、おもしろい部分も多々あるから、どっちとも言えないなあ。

トルコ語が話せる人との関わり方を見ていると嫉妬心も湧きますが。楽しいだろうなあ。


2014/08/19
あっというまに毎日が過ぎて、もう滞在の半分になってしまいました。
2才10ヶ月の子どもは本当に言葉の発達が凄くて、祖母としての楽しみは「幼児語」にあると思うのですが、それがほとんど楽しめないのが残念。
娘は日本語でマゴに話すのですが、マゴはトルコ語で返します。しかし、娘はトルコ語ができるので、マゴが言っていることをわかりつつ、また日本語で返すということをしています。
一方でわたしはマゴの言っていることがわからないので、「会話」のキャッチボールがなりたたない。マゴはフラストレーションが溜まるわけです。トイトレ係として一日中マゴにつきっきりのわたしの日本語は、叱責、賞賛、命令のカテゴリーしかないので、それもマゴには大きなストレスになっていると思います。言語を獲得していこうとしている時に、ある言語での会話は「叱責・賞賛・命令」だけで行われるとすれば、その言語を嫌いになるのではないでしょうか?

一昨日は、文化公園に家族でピクニックに出かけました。娘家族と義理の妹とその娘5才、そして、義理の母とわたし。6名です。

行きの車の中で、マゴがわたしに対して「いやだ」を連発したので、「じゃあいいよ、これからわたしは英語でおかあさんと話すから」と英語で話し始めました。英語はできないので、ちょっと困った感じ。「人はいろいろな言葉を話すのだから、この言葉がいや、この言葉がだめというのはおかしいよ」と。

それで一応「嫌だ」攻撃はなくなったのですが、本当に態度が変わったのは、5才の子がマゴにいじわるをした時に、わたしがマゴの気持ちを「やめて、いじわるしないで」と日本語で代弁した時でした。「叱責、賞賛、命令」以外の日本語の使い方に、ちょっと驚いたようで、「ま、当たり前か」という軽さではありましたが、明らかに態度が変わりました。

娘とわたしが交わしている会話は「叱責、賞賛、命令」などではないのですが、その内容はわからない。自分がかかわる場面で、その状況の中で使われる言葉の多様性がひろがったのが良かったのだと思います。

娘を育てていた時も、彼女の体験によりそい、その気持ちを言語化したり、状況を説明したりする言葉をたくさんかけていたことを思い出しました。

思い出せる限りですが、マゴとの共通言語のリストです。
○あつい、さむい、すずしい、つめたい(これは少し不確か)
○できた
○ちょっと待ってね
○かわいい
○ホントに?
○行こう、行かないよ
○あそぶよ
○トイレ、ちっち
○こっち来て、来ないで
○おばあちゃん
○ちっちしたよ(過去形で言ってほしくないのですが、過去形を適切に使えます。)
○いやだ
○着替えるよ
○これなに?
○これ見る

昨日は、三角椅子を組み立てて、座ったり、上にたったりしていたのですが、バランスをくずしてこけたために、心配性の父親に撤収されてしまいました。どこに行ったんだろう? もう少し低い方がいいなとは思っていたのですが。ものさしなるものも見つからないので、高さが確認できない。

その時に、「椅子のあし」というのを教えた時がおもしろかったでした。マゴのあしと、同じ言葉なのがおもしろかっんでしょうねぇ。

「これ」が「こえ」になっているのは、日本人の子どもでもありがちなことなので、ご愛嬌。

わたしが驚いたのは、近所に住んでいる1才の赤ちゃんの名前を教えてもらったのですが、ふーーん、という感じ。ところが、マゴが「ベイチャム」とその子を呼んだら、名前が頭に入ったのです。この現象は何? 不思議発見です。

悔しさと楽しさ、発見満載の日々です。

2014/08/16
ミッションのひとつは解決しました! 荷物が届いたので思いっきりシャワー洗髪! 日本食を作るための備蓄がほとんどで、着替えなどもたいして入っているわけではありませんが、着いて良かったです。どうやって届けるのかしらと思っていたのですが、ホテルや地域の空港シャトルバスが配達を請け負ので、あれほどたくさんの人の荷物が到着しなくても、なんの問題もないと。観光客の行くところ、シャトルバスあり、なのです。
さて、もう一つのトイトレ・ミッション。小の方は、だんだんできるような気がしています。大の方は、まったく道筋が見えません。トイトレ関連のページを見ても、大の方が遅い子も多いとありました。昼寝の最中にするようなので、起こしてまでやらせるのには抵抗があるのです。
でも、水遊びをしていて、ズボンがびしょびしょにすでになっているのに、おしっこは我慢してトイレに行けたのには笑ってしまいました。そこまで濡れてたら同じやろ? と、その違いがわかっていることが一歩前進です。
午前中は学校に近接している遊具場でYaasilと遊びました。どろんこ遊びの第一歩です。ところが砂の中に松葉が混じっていて、うむむむむ。
学校の扉が空いているのを見たのは初めてでした。これまで訪ねた時も毎回夏休み中なので、中は観たことがありませんでした。
こじんまりとしたかわいい学校で、卓球台や人体図その他の掲示物もきちんとしていました。教室は全部で4つほど。トイレを使わせてもらったのですが、トルコ式。日本と同じ問題がこれから起こるのでしょうかね。個人的には「大」のトイトレのためには和式・トルコ式がよいように感じているのですが。洋式化の流れはトルコでも同じです。カイセリ空港でトイレに入ったら、トルコ式と洋式の両方があって、わたしはためらわずにトルコ式を使ったのですが、次に並んでいた人が、トルコ式だと知ると顔をしかめて洋式の方へ行きました。おもしろいねぇ。

午後はマゴは友人宅へ遊びに行きました。リラックス。一昨日はハマム体験もしたのだったね。義父の連れあいがマゴを見ていてくれたので、娘といっしょに行けたのがよかったなあ。

昨夕はローズ渓谷からの日没を見に行きました。Sunsetという言葉を訳そうとして、ぴったりのものがないことに気づきます。日の入りでは科学的だし、入り日だと御終い感覚が薄れる。夕日から入り日、日没、その間の夕焼けの美しさの総体を表す言葉はないのでしょうかね。

カラカラの気候に適応した植物の数々がおもしろかったです。ホントにからからなので。

カッパドキアの好きなところは、自然の造形とそれを活かした人間の営みの妙にいつも驚かされるからです。昨日はどこから畑にやる水を得るのかに驚かされました。岩の中のくぼみに湧き出るのだそうです。町の水はアバノス河からの引き水ですが、この河の水量にも驚かされます。アナトリア高原の広大な面積や渓谷の岩山から集まってくるのでしょうが、年間降水量300mm程度で、この水量は驚きです。人口密度が低いのもうなづけます。


2014/08/15

相変わらず、荷物は届かないままですが。もう一つのミッション。孫と遊ぶ。面倒を見る。トイレットトレーニングをする。

トルコの人は子ども好き。孫を連れて、道を歩いていても、どんどん近づいてきて、ほっぺをつねったりする。キスしてくる人すらいる!
子どももいて、楽しそうに遊んでいる。トルコ語がわからないから、何言っているのかわからないけれど。
預けようと思えば、預かってくれる人もいる。たぶん。
そして、2才10ヶ月にして紙おむつのまま、過ごすことになる。別にいいじゃん、一生そのままでもあるまいに。
これまで何回かやってきて、失敗しているとか。でも、お母さんがホテル・マネージャーしながらじゃあ、タイミングをはずしてしまうからなんだけれど。わたしがホテルのマネージャーして、娘がトイトレやった方がいいんじゃない?
ま、何かの助けにはなればいいなあ。

課題は満載。
○トイレの場所が遠い。 ホテル内に居室があるので、「いつもの場所」を決めても、過ごしている場所から遠い。
○腰掛け式の子どもトイレがあるけれど、息みにくい感じなの。洋式トイレって、嫌い。トルコ式のしゃがむトイレにしてーーー。
○いつも人がいる環境。孫は相手によって対応や言葉が違うので、たぶん、かなり神経フル活動。
○急いで走る、移動するのが苦手そう。よく転ぶ。大人に手を引かれて歩く時、膝から転んでいる。

ということで、三重苦四重苦の中でのトイトレですが、以下を心がけて、がんばることにします。

○自分のからだのコントロールのことなのだということ。ご本人の成長中心で。
○では、なぜコントロールする必要があるのか? 社会生活のため。
○自分のからだからの要求がある時に、社会生活の中でどう対応すればいいかを学ぶ。

えーーー? って目標を立てたら、無理じゃん? トルコ語できないのに?となるよね。思ったよりはわたしが話す日本語がわかるのはお母さんが日本語で話しかけているからだけれど、基本、会話と頭の中は、トルコ語です。独り言はトルコ語で言っているもんね。日本語はおばあちゃん語だよ。究極のクレオール。

トイトレ環境だけ日本語コミュニケーションってどうよ? まわりの大人に日本語でトイレの要求があることをどう教えればいいのかも、教えてあげないといけなくない?

と、考えるべき要素満載のトイトレinトルコ。トトトがトホホホホになりそうな。後はコドモの伸びる力を信じて。


2014/08/14
手みやげのいっぱい詰まった荷物を回収するミッション・インポシブルは続く。昨日、ネットで出したクレームに対する返信が来て、新しいコンタクト電話番号があったので、電話してもらう。やっと、担当者と「話す」ことができた! 一週間はかかるだろうとのこと。なんじゃそりゃ?!

もう一つの今回のミッションは、孫娘と遊ぶこと。なんてゴージャスな! 孫娘、2才と10ヶ月。賢いのである。って、三才の子どもはみんな天才だが。一方、わたしも遊びの天才である。がきっぽく遊ぶ力にかけては、人後に落ちない。来年ぐらいになれば、ピアグループ、同年齢集団での関わりが、ぐっと大事さを増してくることだろうから、正しく、ベストタイミング。遊びまくっています!

○ミネラルウォーターのペットボトル
○缶コーヒーのボトルタイプ空き缶
○ビニール袋
○パラシュート用のひも
○たらい
○小さいハンカチ、綿の薄いやつ
○カップ
○ストロー
○シャボン玉キット

以上。ハンカチを洗っているのかと思ったら、ドンドルマというトルコの伸びるアイスを作っていたのには驚いた。たたいて伸ばした後、くるりと巻いてストロー二本をさして、はいどうぞ。ありがとう。いくらですか。おつりです。

さらに昨日は、翼果を見付けて、風と戯れました。6才の男の子もいっしょにいたのだけれど、かなり受けた。翼果は乾燥している方がよく飛ぶので、かなり探したのだけれど、木になっているほどには見つからず、乾燥するとあっというまに、翼が粉砕してしまうようだった。そして、わたし、「乾燥」という言葉を覚えました。

kurutmak  くるっと巻く もちろん、わたし一人で大受けしていました。

○ビニール袋の凧揚げ
○水たまりの周りにはだしの足跡つけ、顔面跡つけ
○シャボン玉未満の泡ぶくぶく

いくらでも遊び続けることができるんですねぇ。
さあ、今日は何して遊ぼ?


2014/08/13
ミッション・インポシブル!10日真夜中にカイセリ空港に到着。トランジットで直行で預けた荷物が届かない! って半端な人数じゃなく、届いていない。たぶん到着客の半分以上。少なくとも20人以上が居残っていた。とりあえず、手慣れた感じで確認書を作成している係の人のところに並んで、荷札番号と荷物の特徴を申告。
到着が10時45分で、迎えのシャトルでホテルに着いたのが2時。カイセリ空港からカッパドキア、ギョレメまでは1時間。荷物をトルコ航空がデリバーしてくれるというのだが、そんなこと可能なのだろうか? 13日現在、続報を待て! です。

さて、火山岩が浸食されてできた稀景によって世界遺産に登録されているカッパドキア。浸食谷あり、奇岩あり、まるで丸い尖塔のような自然の岩が、何世紀もの間、人手によって内部を削られ、住居として、また、教会や敵を逃れる地下都市などとして、使われてきています。単なる自然遺産ではなく、自然と人間が織りなす歴史遺産でもあるのです。ヨーロッパとアジア、イスラムとキリスト教、この稀景に引きつけられた人々の日常と非日常が交錯してきた歴史こそが面白い場所なのです。
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そして、規制こそあるものの、その掘削は現在も続いていて、多くの宿泊施設は岩窟(cave)に作り込まれた部屋がウリです。しかし、ここEmre Stone Houseは町のど真ん中。二階建ての屋上からの眺めは270度、ローズ・バレーから尖塔奇岩群、カッパドキアの最高地点ウチサルの城砦山までが見渡せる絶景ポイント。もうどこにも出かけずに、このテラスで一日過ごしてもいいくらい。
ウチサルの城砦山には大きな教会堂(cathedral)と呼ばれる多くの人が集まることのできる岩窟が掘られており、トルコ演舞の劇場に使われています。幅10メートル、高さ5メートルほどの半円形の間口で奥行20メートルほどに掘り込まれた洞窟が、真ん中のドームを中心に十字形に伸びています。そこにしつらえられた客席から、ドームの中央で繰り広げられる演舞を鑑賞するという趣向。客席も一部は洞窟の壁を掘り込んだものなのですが、クッションなどであまりはっきりわからないのが、残念だとわたしは思うのですが。入り口からはスロープで下がって行く洞窟です。洞窟の堀方のタイプもいろいろなのがおもしろいのですが。

いまは朝5時。ローズ・バレーの方角から気球に熱風を吹き込むバーナーの音が聞こえ始めました。多い時は100を越す気球が空を飛ぶカッパドキア。16人から24人乗りの大型気球です。今回の訪問が三回目になるのですが、初回に来たときに、わたしも飛びました! 深い谷を、夜明けの上昇気流に乗って巡航する1時間は、稀景につぐ稀景。見応え十分でした。
バーナーの音が途絶え、気球がゆっくりと浮上してきました。今日は、短信を書いたり、本を読んだり、このテラスで朝を迎えることにします。いろいろな偶然と出会いに感謝。すばらしい夜明けです。
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by eric-blog | 2014-08-24 13:24 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(0)

すべての子どもによりよい質の教育を!

「教育」と聞くとそれだけで反発したり、「教え込むのか」という思い込みに出会ったりします。
『未来のための教育』『学習: 一人ひとりの中の宝もの』『学習の本質』などの実践研究が示すように、質の高い教育は、学習と相補的なものであって、学習者の現状と呼応しつつ、より深く、より広い学びを引き出すものです。学ぶ力はつねに学習者自身にあるのです。子どもたちは育ちたがっている。

さて、トルコに孫娘が暮らしている。親はホテル経営者で忙しい。学校や幼稚園は夏休み。
子ども好きのトルコの大人たちは、やたらケーキやクッキーやら、自分たちがお茶するついでにあげて、かわいがる。キスする、キスしてキスしてと子どもにキスをねだる。スキンシップは満載。でも、どこか違う。

わたしは孫娘に教育者として何をしてあげたいのだろうか?

3歳児を前にして考えてみた。

○トルコの豊かで、親密な人間関係を背景に、暖かい関係を築ける人へ
○トルコでもこれからリサイクルやフェアトレードなどの取り組みが増えるだろうから、国際的な視野で行動できるといいなあ。
○何よりも、中東には火種が多い。紛争解決を武力によらないこと。それが最高の安全保障。昨年は、シリア内戦の影響でカッパドキアだけでなく、トルコ全体で観光客が減っていたという。
○ここで暮らして行くとして、観光業そのものも、グリーンツーリズムやエコツーリズムなどの可能性がある。
○考える・行動する・からだで体験する。

うん、人間関係だけに終止するのではない体験をもっと広げてほしいのだ。どうすればいい?

そうだ、サマーキャンプ!

どこかで小学校3年生までだけの、行列のできる遊び塾のようなものを聞いたような気もするし。

でも、すぐには実現できなくても、
■『10歳から身につく、問い、考え、表現する力 ぼくがイェール大で学び、教えたいこと』(NHK出版新書)
J PREP 斉藤塾代表、斉藤淳
http://synodos.jp/newbook/10239

■レッツ・コミュニケート!
http://ericweblog.exblog.jp/20106945/

があるさ。

娘を育てていたとき、
■障害者のためのスキー旅行に毎年ボランティアとして連れて行った
■海遊び、山遊び、里遊びなど、経験の幅をできる限りどんどん広げた。
■感情や主張は言語化するように支援した。
■日常生活の中でも、自分でやれることはやることを奨励した。

そして小学校に入る頃には、親としてやれることはやったという実感をもっていた。人とのつながりや貰い物等もとてもよく覚えている子だった。小学校に入り、「覚えることが一杯で、覚えていない」と言ったことがあり、へぇーーーと思った。小学校後と小学校前の記憶の流れがつながっていないことを発見した。どこかの地層のように、幼児時代はなって行った。
わたしは日本の小学校はそんなにひどくないと思っているので、次にしてあげられることとして『レッツ・コミュニケート』をまとめた。娘の中等教育時代には間に合わなかったけれど。

きっと、ERICのテキストの中に、答えがあるはず。幼児からの環境体験の質を考え直すよい機会になっている。
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by eric-blog | 2014-08-20 12:50 | Comments(0)

『レッツコミュニケート』のアクティビティ体験with 中学生

■感想2

娘さんは中学校2年生。中高一貫の私立です。

***


●13頁 アクティビティ1 10人の親しい人々

質問の順に、回答内容とコメントつけます。

1.10人をニックネームで記入

2.10人中、5人が友達、3人が部活の友だち、2人が部活の先輩
  今はクラスが違うのでいつも一緒にいるわけではない友だちも
  入っているらしい。(ときどきメールするとのこと)。ほとんどが
  中学の友人、小学校の友人1人と、小学校、中学が同じ友人が1人。

3.性別は全員が女子、年齢は同年代。
  「あなたと「同じ」である人が多いとしたら、そのことはあなたに
  どんな影響を与えているのだろうか」については、質問の意味が
  よくわからなかった様子。

4.については、「こちらの言うことに反応してくれる人」とのこと。
  「そういう人だからつきあっている」そうです。実際にこちらが何かを
  話して答えてくれるということではなく、もっとベーシックなところでの
  信用があるので、話しかけている、というような説明でした。

5.「友だちが多いね」と言うと、「家族はこういうところに書くのとは
  違うと思った」とのこと。

親の感想:子どもなりに、信頼できるできないを判断しているところが
面白いと思った。普段よく名前をきく友だちが入っているとも限らない
ようだ。3.の質問もそうだが、メタ的というか、自分を自分から距離を
於いて捉えるような視点はまだとりにくい様子。段階的にやっていく
ことが大切なのかもしれない。


●19頁 アクティビティ2 あなたの感情と向き合う

1.20問中、記入があったのは、7問。後半の7問は回答なし。
  以下、内容
   ・わたしが悲しいと感じる…     さみしいとき
   ・私がくやしいと感じる…       人が自分にできないことをしているとき
   ・わたしが恥ずかしいと感じる…  服
   ・わたしがいやだと感じる…     自分が気が短い
   ・私が腹立たしく感じる…       自分が嫌なとき
   ・私が自分に自信がないと感じる… 人より劣っていると思ったとき
   ・わたしがしあわせだなと感じる…  布団

 本人に感想をきいたところ、「自分は結構プライドが高いのだなと思った」
 とのこと。

 親の感想:
・「気が短い」という印象はまったくないので、そのように伝えたところ、
 「友人にもそう言われる」とのこと。ただ、分からないかもしれないが
 やることがぞんざいになったり、人にあたるようなことはあるとのこと。
・恥ずかしいのが「服」というのも意外だが、私立で制服があり、それもかなり
 選択の幅のある制服のシステムなので、休みのときの私服のことかな
 と思った。「このシーズンは、限られたお金で何を買う」とかメモをして計画
 していたり、街中でも自分の好みの服装に目がいったり、服に関心がある様子。
 先日、六本木の美術館に行くとき、チュールのスカートに夏でもショート
 ブーツを合わせて、「どこに行くにも自分がこれがいいと思う格好で、自信
 を持って歩けばいいんだ」的な話をしていた。そういうところにも自意識が
 育っているのかなと思った。
・幸せなのが「布団」というのは、柔らかい布団にくるまっているときは、
 本当に嬉しそうなので、よくわかる。

・しっかりしている面もあるが、地域や小学校の友人から離れた学校で
 勉強しているので、やはりいろいろ緊張もあるのかと思った。
・見えないところでも、いろいろ思春期特有のトライアルをしている
 様子もうかがわれた。感想をきくと思っていることはあるらしいのだが、
 うまく言葉にならないような感じも見られる。やはり段階を追って、
 ゆっくりと内容を深めていけるような運用ができるといいのではないか
 と思った。
・こうした作業は、自分や自分の対人関係、社会に向き合える耐性を
 つけていく上で大切だと思った。さらに日本の中学生の状態を加味した
 プログラムができるとよいと思いました。



■感想1

『レッツコミュニケート』のアクティビティについて、週末の間、中2の娘相手にいくつかアクティビティを試してみての感想です:

「10人の親しい人々」
10人に絞って考えたことがなかったそうで、最初難しいと言っておりました。一応、私達(父・母)を入れてくれたので安堵(笑)

10人の人々とのつながり、コミュニケーションの方法についての質問とふりかえりを行ったところ、1)今の自分の持ってる世界の狭さを感じた、2)距離的に近い人ばかりになってしまった、3)学校の存在の大きさを感じた、4)SNSの便利さを感じた、5)遠方にいる友達に会いたくなった・・・等の感想を得ました。

「三段論法の落とし穴」
【日本人は○○である】でやってみたところ、以下のような文が出てきました:
①日本人は安定志向である。②日本人は残業が好きである。③日本人はクレーム好き(特にオバサン)である。④日本人はセレモニーが好きである。(特に娘の学校)⑤日本人は時間に正確である。⑥日本人は群れる。⑦日本人は他人に合わせようとする。⑧日本人は人種差別しがちである。⑨日本人は細かい。⑩日本人は約束を守る。

それで「私は・・・」の文章に置き換えてみたら、ほとんど自分には当てはまらないそうです。ステレオタイプという言葉は知らなかったようですが、偏見とか人種差別については、すごく敏感で、人間は自己中で、その人の本質を見抜けず、誤解して、自分が優越感を持ちたいから偏見や人種差別があるんだとか言ってました。

娘は帰国生なので、他の中学生とはちょっと違う経験をしてしまったというのもありますが、人間関係に悩み、自分に自信が持てない思春期の子ども達にとってレッツコミュニケートは結構はまるんじゃないかと思います。親としては、道徳の授業で使ってもらいたいものです。

最初は、アクティビティに付き合ってくれないんじゃないかと心配でしたが、意外とそうでもなかったですね。アクティビティによって、普段聞けない話も聞けるように思いました。

*****

しつこく補足ですが、これぐらいの年齢層の子ども達は(他のお母さん達も皆さんおっしゃってますが)、中学に入学した途端、まるで性格が変わったかのように態度が変わり、家庭ではすごく無愛想でしゃべらなくなってしまいます。子どもが言うには、学校での人間関係に気疲れし、SNS等のバーチャルな世界の中の人間関係の方が楽なんだそうです。これを聞いた時はとてもショックを受けました。その後、人間関係が落ち着いたのか自然と言わなくなりましたが。

で、レッツコミュニケートは家庭や学級でのコミュニケーションを活性化するのではないでしょうか。
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by eric-blog | 2014-08-19 09:07 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

明治政治思想史

明治政治思想史
石田雄、未来社、1954
2285冊目

3週間の滞在のために、これたった一冊しかもってきていない稀少本。わたしの手元にあるのは1968年7刷目のもの。

封建国家であった日本を、「日本」という国家としての統一感のある近代国家へと変貌させるには、何が必要だっただろうか。

明治憲法と教育勅語

近代国家の形をとるための憲法と、「家族主義国家」を説いた教育勅語。

上、統治者の集中と下への克己心の拡散。

封建時代はそれぞれの藩主に対する忠誠心が、日本という国家を上回っていたことは想像に難くない。君臣の関係というは徳川に対する藩、藩主に対する臣下という階層を為していた。(これは「会社」にとって変わられているかも)

一方で近代国家の形成には人材育成が不可欠であった。軍人もそうであるが、洋学中心の科学技術社会の勃興は、識字だけではなく、幅広い技術者の養成も求められる。そのために一人ひとりの克己心、学習意欲を喚起するものが、封建時代の世襲制に甘んじたような教育ではないものが、求められた。(これはいまも変わらない)

上の集中と下の克己心。その両方を満たしたのが天皇を家長とする「家族主義国家」なのだと、著者は指摘する。

家族という権力構造のヒエラルキーの精神が、社会のヒエラルキーの諒解へと、導かれたのだという。

まだ第一章第一節までの段階だか、とても、とても、興味深い。

イエとムラ
役社会

幕府

ムラ(名主などが統治する地域)
イエ(家長制)

とすると、ムラがどのように、国家に統治されていったのかという疑問が残る。
そこらあたりは応えられていない気がしてきているが。

【引用】

石井省一郎「新民法では妻が夫を訴えることができるということであるので、私ども(地方官会議に出ていた県令たち)は驚いて司法大臣山田顯義(あきよし)にこれを質すと、顯義もこれはどうもやむをえまい、欧米風の民法でないと治外法権の撤廃を各国が承知しないからです・・・この上は教育の方面で善く始末をつけねばならぬというので、私共同志は躍起の運動を開始した、それが丁度21年からのことである。」37


井上哲次郎「統合家族制度と個別家族制度」「個々の家族が集まってさうして日本全国を統一として見ると一つの大なる家族制度ができている」108
(中国には統合家族の観念がない)

横井時敬「頼むところは独り農民にあるのみである。都会は常に革命の製造所であるのに反して、田舎は常に革命の反対者で、社会秩序の保護者である。」とくに、その中の地主に期待するのである。110

農本主義がこのように、とくに農村における地主の尊重を特色とした結果、日本資本主義に内在する矛盾が都市の繁栄と地方農村の衰微との対比においてのみ把握され、したがって単に両者の不均衡として理解されるにとどまり、農村内部の関係は所与の前提として肯定され、そこに胚胎する矛盾は全く見失われていた。110

わが国官僚制におけるセクショナリズムは、・・・各分野がそれぞれ縦に究極的権威へ直結しようとする意識を中核とする。・・・こうした官僚意識が支配する場合には、下に位するものは、上位者が究極的権威にむかって上昇するためのメリットの手段。118

[有機体論と家族主義は、個人主義のみならず社会主義に対する攻撃という点においても協同し]
家族主義は個人主義の矛盾を克服すべき歴史的進歩の線にそったものとして位置づけられる。・・・井上はいう「家族制度と社会主義というものは性格は非常に違う。社会主義は平等の観念をもって起こっています。家族制度は不平等の観念をもっておこっている。」125

「八紘一宇となす我が国の精神こそ、世界の新秩序建設の基本理念」である。・・・権力が強化されるほど、それが権力としてでなく、かえって倫理として意識されるに至るというわが国の政治思想史上の特質をその萌芽的な形において示している146
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by eric-blog | 2014-08-14 14:21 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

ERIC NEWS 398号 民主主義の学校 8  民主主義の教育

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ERIC NEWS 398号 ともによりよい質の教育をめざして  2014年8月10日

 民主主義の学校 8  民主主義の教育
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(文責: かくた なおこ 角田尚子
http://ericweblog.exblog.jp/
twitter : kakuta09  FBもやってます。)

昨日は、長崎原爆記念日。わたしの誕生日でもあります。毎年のことですが、祈りと誕生日の記憶を切り離すことはできません。祈りを行動の力に。そんな日曜日。

民主主義の学校の連載も8回目になりました。これまで次のようなトピックについて考えてきました。

■民主主義の学校、第一行「法律の制定と民主主義」
http://ericweblog.exblog.jp/19244804

■民主主義の学校 第二行 パブコメを書こう
http://ericweblog.exblog.jp/19249118

■ 民主主義の学校 第三行 政治運動をしよう
http://ericweblog.exblog.jp/19331921/
■民主主義の学校 第四行 一次資料を読む
http://ericweblog.exblog.jp/19548564
■民主主義の学校 第五行 司法への参加
http://ericweblog.exblog.jp/19711126
■民主主義の学校 第六行 改めて人権第一を再確認する
http://ericweblog.exblog.jp/19858947
■民主主義の学校 第七行 アクション・リサーチに取り組もう!
http://ericweblog.exblog.jp/19974206

いま、これから、何を書いていくかを考えるために、「民主主義の学校」で取り上げるべきテーマのリストを作っているのですが、いくらでも出てきます。

なるほど、民主主義というのは、社会のすみずみにまで行き届いて初めて民主主義と言えるのだなと、政治経済社会文化労働生産消費廃棄など、社会のさまざまな側面について考えたり、行動したりすることになることを、改めて発見しています。「国際理解教育とは何か」を考えた時に、「すべての教育が国際理解教育だ」と思い至ったことを思い出しました。

毎回、一つずつ、絞り込みながら、アクティビティの紹介を交えることができるものを優先的に、取り上げて行きたいですね。

今回のニュースのトップバッターは「アクティビティの種」です。ブログにたくさん、ワークシートのアイデアなどを紹介しているので、書きたかったテーマなのです。

◆◇◆1. ブログ「週5プロジェクト」からアクティビティ◇◆
週5プロジェクト、一週間に5冊の本を紹介するブログとして始まった「ESDファシリテーターズ学び舎 for BQOE」。本はアクティビティの泉でもあります。知りたいテーマについてどんどん本を読む。知りたいテーマということは「ともに考えたい・話し合いたい」テーマでもありますから、ともに考えるためのアクティビティが生まれる、あるいは作り出す努力をするのは当然です。

今回は、本を紹介するブログとアクティビティ開発の関係をちょっとご紹介したいと思います。

最初に思いつくのは「カウラの大脱走」というアクティビティです。

戦後60年、わたしたちの人権感覚は育ったのだろうか。そんな問題意識が書かれていますから、2005年頃に開発したものでしょうか。

大分のファシリテーター仲間に最初に試行したのが最初で、その後人権研修で何度か使っています。(プログラムなどはブログをカウラの大脱走で「検索」してみてください。)

やってみての結論。変わっていない、ということです。ということは、いまのわたしたちの民主主義的行動は、まわりのみんなもそうしているから、そうあれているだけで、状況が変われば、どのようにでも変化するということ。人権や正義などの原理原則で行動することは、相変わらず、ほとんどのわたしたちにとって、難しいということです。

ただ、民主的行動を支えてくれるのは、感性と知識です。「そんなのいやだ」という感覚、「いのちが大事」という思い。でも、それだけでは同調圧力に跳ね返されてしまいます。そんな時、多少なりとも発言のよすがとなるが知識です。

「ジュネーブ条約では、捕虜に対する非人道的な扱いは禁止されていますよ」とか、「戦争捕虜に対しては、軍事行動にかかわる作業に従事させてはいけないことになっていますよ」ということを知っていて、言うことができれば、流されずにすみます。そして、そういう発言をする人が複数存在すれば、話の流れは変わるのです。

さて、開発方法です。

関連書籍を紹介しているブログは一本だけですが、その他にも何冊か、読んでいます。(LBには紹介してあります。ぜひ、LBも購入してください。)
99-7(461) カウラ日本兵捕虜収容所
永瀬隆・吉田晶、青木書店、1990年
http://ericweblog.exblog.jp/2225163/

なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史、岩波ブックレット NO. 659、2005年
「戦場にかける橋」のウソと真実、永瀬隆、岩波ブックレット69、1986
連合軍捕虜虐待と戦後責任、油井大三郎、小菅信子、岩波ブックレット321、1993
生きて虜囚の辱めを受けず-カウラ第12戦争捕虜収容所からの脱走、ハリー・ゴードン、清流出版、1995
消えた遺骨 フェザーストン捕虜収容所暴動事件の真実、エイミー・ツジモト、芙蓉書房出版、2004

捕虜収容所における「雰囲気」を再現したかったので、「言葉」をこれらの本から取り出しました。「20の扉」と名付けた20ほどの抽出したフレーズを、一枚一枚カードに書いたものがアクティビティのツールです。一つひとつの発言の出典はレッスンバンクでは銘記してあります。

カードを一枚一枚めくって行きながら、その言葉に自分が同調するか、それとも反論できるかを、めくった人が発言していきます。4人一組みで行います。もっと大人数でやると、きっと違う感覚を体験することができることでしょう。

知識があると楽です。でも、それが説得力を持つわけではありません。発言が楽だというだけで、同調圧力に変化を及ぼすものにするには、それだけでは足りません。

発言を補強する思いや体験やねがいが、必要です。それを自分の中に育てて行くことが、「人権感覚」を身につけるということなのだと思っています。

まだ、この映画は見ていませんが、人権感覚Check!してね。
http://www.asahi.com/articles/ASG817S08G81PLZU00C.html

おっと、一つのアクティビティの紹介だけでも長くなったので、これもシリーズ化ですかね。

最近の「ワークシート」入りブログもぜひ見て下さい。もし、ワークシートを使われたりしたら、ご感想をお寄せください。

人権について、わたしたちは考えないより、考えた方がいい。考えたなら、話し合わないより話し合った方がいい。話し合ったら、行動しないより、できることをやれれば、最高! ですよね。

「ユース・バルジ」 『自爆する若者たち 人口学が警告する驚愕の未来』
http://ericweblog.exblog.jp/20075416/
「絶対貧困vs相対貧困」 『世界「比較貧困学」入門 日本はほんとうに恵まれているのか』
http://ericweblog.exblog.jp/20074909/

◆◇◆2. 民主主義の学校 第8行 4A’s 気づきから行動へ、経験学習的アプローチ、いろいろ ◇◆
「地球規模で考え、地域で行動する」、「気づきから行動へ」、国際理解教育や環境教育、人権教育、開発教育、平和教育など、さまざまな「課題型」教育の議論を彩ってきたフレーズの一つは、行動化につながるキーワードではなかったでしょうか。

4A’s というのは
Awareness
Attitude
Action
Advocacy
の頭文字をまとめたものです。「気づきから行動へ」という目標を、教育的に「Attitude態度変容」を行動の前においたものですが、さらにそこに「Advocacy社会的提言」を、行動の中でも社会に対する働きかけを加えた教育目標のことです。

国連経済社会委員会のNPOリエゾン事務所は、NPOが国際社会に対して果たしている役割を4つあげています。
1. 問題発見・問題提起
2. 意思決定への参加
3. 実践活動
4. モニターと評価

PDSやPDCAのサイクルそのもののような流れですが、一つのNPOがこれらすべてを行うわけではありません。象牙取引の現状を告発するレポートを発表して問題提起し、警告するTRAFFICは、現場で密猟者の取締活動支援をしたりしません。現場で保護活動をしている団体すべてが、国際会議のような意思決定の場に参加するとは限りません。
また、国際会議で約束されたことや採択された条約や議定書に従って、各国が行動しているかどうかをモニターする活動を行っているのは、問題提起をしている団体である場合がほとんどです。

PDS, PDCAのサイクルと比較してみると、「問題提起」の部分がPDSのサイクルに欠如していることがわかります。企業内NPOというか、組織内NPOの役割は、「問題発見・問題提起」にあるのだと思います。PDSのサイクルには「問題」Problem課題の発見が抜けている。計画・実践・評価。

ASK, awareness, skills and knowledge 気づき、スキル、知識
というまとめもありますね。

PLTでは、AKCA (Awareness, Knowledge, Challenge, Actionアカア)気づき、知識、挑戦、行動という目標設定をしています。

ワールドスタディーズでも、知識・技能・態度・行動という教育目標の立て方をしています。さらには、最近の研究成果である「コンピテンシー」というのは資質・能力と訳されていますが、知識と態度と行動の総体として、生きて働く力としてコンピテンシーを育てることが重視されるようになっています。

http://ericweblog.exblog.jp/17830509/

知識・理解・気づき・態度・スキル・行動と、目標の軽重、重みづけをつけることはできても、それらが総合して「力」エンパワメントにつながることがもっとも重要なのだと言えるでしょう。

ERICという略称も考えてみました。結構いけるじゃん、これ?!
Experience  体験する
Reflect    ふりかえる
Interpret  解釈する・一般化する
Challenge and change 行動変容につなげる

ということで、これから経験学習の四段階はERICと紹介することにしよう!

民主主義の学校では「気づきから行動へ」を導くための教育目標の設定および教育内容、そして目標と内容に沿った教育方法の三位一体が、効果のある「よりよい室の教育」として求められるということです。

教えていることと、学校が実際に発しているメッセージが一致していること。何より重要ですね。


◆◇◆3. at ERIC主催研修ESDファシリテーターズ・カレッジ2014年度の日程が決まりました。◇◆
■2014年(平成26年)6月28日29日 国際理解(終了しました。)http://ericweblog.exblog.jp/19968319
■2014年(平成26年)7月26日27日 PLT木と学ぼう・環境(終了しました。)
http://ericweblog.exblog.jp/20045012
■2014年(平成26年)9月27日28日人権
■2014年(平成26年)10月25日26日スキル対立から学ぼう
■2015年(平成27年)2月22日23日スキル未来を学ぼう
■2015年3月(平成27年)予定TEST教育力向上講座


◆◇◆4. ご寄付のお願い ◇◆
 1989年誕生の参加型学習老舗のERIC国際理解教育センター。
 これまで続けて来られたのも、企画委員、運営委員、理事、テキスト購入者、ファシリテーター育成事業参加者など、みなさまのおかげです。感謝です。
これからもよりよい「指導者育成のための実践」推進のための情報提供、研修プログラムの提供などに努力していきたいと思います。
どこにもない価値を創造し、提供していくNPOとしての活動をぜひ支えて下さい。

ご寄付先 金融機関
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  blog 平和の文化への道を拓く平和教育 翻訳プロジェクト
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by eric-blog | 2014-08-12 10:11 | ERICニュース | Comments(0)

医学的根拠とは何か

医学的根拠とは何か
津田敏秀、岩波新書、2013
2284冊目

医学を論ずる人を著者は「直感派」「メカニズム派」「数量化派」に分類し、日本の医学界には、世界の医学研究では主流であるところの数量化派(疫学調査派)が少ないのだという。

そのために、閾値がないと国際的に認められている放射線被爆についても「100mSv以下は医学的に有意差が認められない」と言って、あたかも「影響がない」かのごとく言い切ってしまう。

まだ読んでいないが『医学者は公害問題についてなにをしたか』において医学者がおかした罪をあばいているそうだが、この本を読んでいるとあまりにも教育学研究と類似していので、身につまされる。

Evidence Based 根拠にもとづく

というのは教育研究でも言われていることだ。「根拠のある効果が認められる教授法」とは何か。そのことについての研究が「直感派」であったり「メカニズム派」であったりするのだ。

そして、国際的な研究の潮流に乗り遅れている理由もまた、類似している。大学の講座制の構造にあるのだ。

・IXRPCは1949年に放射線被爆によるがんの発生に閾値はないことを結論づけ、現在も変えられていない。3
・1849年、ジョン・スノーはコレラの疫学調査を飲料水と病気の発生の関係から行い、具体的な対策を講じた。60
・ダヴィンチが描いた人体図を考えてみる。たくさんの解剖の結果として緻密なモデルが描かれているが、その緻密な絵はたった一人を描くことで生えられない。
・1978年、統計的な有意差がなかったがゆえに「影響なし」賭された臨床試験の結果をチェックし、実は影響があったことを示す特別論文が医学雑誌に掲載され、この二つの混同について警告がだされている。98
・統計的有意差と影響の有無の混同を放置している文部科学省や山下俊一氏らは、もはや確信犯なのか無知なのか。103
・アメリカの疾病予防管理センターCDCのデザインによる1993年のO157についての疫学調査方法がビデオにまとめられ、公開されている。1996年、大阪府堺市で発生したO157についてCDCを厚生省は招いたが、省内の別部局の反対によって実際の調査には携われないまま、帰国した。103
・公衆衛生の考え方が日本に根付いていない。162

やれやれ、医学と教育。この国では「にんげん」についての研究が立ち後れているのだ。つまりは民主主義が根付くはずもないということ。観念的に操作してしまえるのだからね。
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by eric-blog | 2014-08-10 01:47 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

自爆する若者たち 人口学が警告する驚愕の未来

自爆する若者たち 人口学が警告する驚愕の未来
グナル・ハインゾーン、新潮社、2008
2283冊目

1954年生まれの訳者の母親は7人の子どもを生んだそうである。当時の日本でもかなり珍しい。 

イスラエルに包囲されているガザ地区で、1950年から2008年までで人口は24万人から150万人に増えたという。

バルジというのは人口ピラミッドの中で突出した層を表す言葉だ。そしてユース・バルジというのは15才から24才の間の層が突出していることを示す。

日本語版の前書きで著者はとてもわかりやすく説明してくれている。

「父親一人につき3人ないし4人の息子ともなれば、・・・事は深刻だ。あぶれた者に残された道は次の6つしかない。
第一に、国外への移住。無血の植民の途。第二に犯罪に走る。第三にクーデターを起こす。第四に内戦または革命を起こす。第五に集団殺害や追放を加え、少数派のポストを奪おうとする。第6に越境戦争にまで及んで、流血の植民を経てポストを手にする。

ヨーロッパの若者たちはこの6つの途すべて、450年にわたちり同時並行ですすんだ。1450年、ヨーロッパの人口はほぼ5000万人。魔女狩りを加速させた「堕胎」に対する死罪によってヨーロッパ出生爆発が起こる。

1500年当時、戦闘能力を有する男の比率を世界規模でみた時、1000人のうち100人がヨーロッパ人。11

著者はいう。「札幌や大阪から遠く離れて活動する一人息子が、その地の三番目、四晩目の弟達20人が人殺しを止め、その姉妹が葬送のベールをかぶらなくてもいいようにするために、果たしてどれだけの危険を冒せるだろうか。」と。18

南米は1960年代にユース・バルジを越えた。

イスラム圏も2050年頃には越えるだろう。

そしてアフリカ。

自爆テロの背景に、「ユース・バルジ」がある。

それが表題の意味するところだ。

いや、しかし、ガザ地区の人口爆発には驚いた。
以前、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争の問題でも、一方の民族の出生率の高さが脅威であったということを聞いたことがある。

持続可能な開発のポイントは、人口の安定と女子の教育だよね、ほんと。

これもワークシートできるよね。

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by eric-blog | 2014-08-08 14:04 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

パパの電話を待ちながら

パパの電話を待ちながら
ジャンニ・ロダーリ、講談社文庫、2014
単行本2009年
2282冊目

イタリアの宮沢賢治!
国際的に見れば、宮沢賢治を「日本のロダーリ」と紹介するほうが、まとを得ているのだろうが。

『ファンタジーの書き方』も読んだが、圧倒的に短編が面白い。星新一?

セールスで長期間出張するパパが、毎晩お話を聞かないと眠れない娘に、かけた電話で話した物語集。14編ほどを割愛して編集と。原題は「電話でのお話」

鐘をとかして作った大砲を撃つと鐘の音が轟いて、兵士たちが「平和だ・平和だ」と喜ぶ姿を描いた「鐘の戦争」

「クリスタルのジャコモ」は、なんでもかんでも透明にしてしまう透明な男の子の話。真実は昼の光より強い。

なんて、哲学的なお話は、たまにあるだけ。荒唐無稽なものがおもしろい。

引き算と割り算に出会って自分をなくしてしまった「10」が、自分を取り戻すまでのおはなしとか。
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by eric-blog | 2014-08-08 11:45 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

性犯罪被害者の頭の中

性犯罪被害者の頭の中
鈴木伸元、幻冬舎新書、2014
2281冊目

読んでいて、今朝の新聞で特集している「ニセ電話詐欺事件」の犯人や、スリの人の心理にも似たところがあるような気がした。本の中にも対人関係スキルが詐欺のための電話かけにかかわることでうまくなると紹介されている。

状況を判断して、手だてを準備し、実行してうまくいったらすごく達成感がある。

他にもそんな「めまい」と「賭け」という遊びの要素が含まれている勝負事や遊びはたくさんあるだろう。

性犯罪の場合は次の二点が違っているように思う。
1. 達成される快感が「性的」なものである。「支配」という要素もかかわってくる。
2. 抑圧が強い分自省も働くが、生活の行き詰まりや不安など、自省が外れる要素が働いた場合、止められない。

性犯罪を犯した人の再犯率は高い。そして、誰よりも、本人が、「またやってしまうのではないか」と怯えながら、暮らしているということだ。

特効薬は、ない。

2014年8月8日 東京新聞
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小林節さんは、憲法で愛国心について言及することの愚について、こう言っている。「愛を強制することはできない。よい政治を行えば、国民は国を愛するようになる」と。

ニセ電話詐欺事件を起こす人々が「保障はあるが希望のない生活」を送るための労働を行うか、「刑務所で人間らしく暮らすか」の二者択一を迫られている人々でないことを願う。
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by eric-blog | 2014-08-08 11:09 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)

世界「比較貧困学」入門 日本はほんとうに恵まれているのか

世界「比較貧困学」入門 日本はほんとうに恵まれているのか
石井光太、PHP新書、2014
2280冊目

『絶対貧困』によって世界の最貧民の人々を描いてきた著者が、ふりかえって、では日本はどうなのかと、比較貧困学を試みたもの。

世界の貧困を「絶対」、そして日本の貧困は、日本という社会の中での比較的な規準での貧困ということで「相対」ととらえて描き出している。

テーマは以下の八つ。それぞれに短いまとめがついており、それがよく物語っている。
住居コミュニティ化するスラム、孤立化する生活保護世帯
路上生活家族と暮らす路上生活者、切り離されるホームレス
教育話し合う術をもたない社会、貧しさを自覚させられる社会
労働危険だが希望のある生活、保障はあるが希望のない生活
結婚子どもによって救われるか、破滅するか
犯罪生きるための必要悪か、刑務所で人間らしく暮らすか
食事階層化された食物、アルコールへの依存
病と死コミュニティによる弔い、行政による埋葬

これだけで十分アクティビティができそうだ。それだけ、うまくこの短い文章にまとめられているのだ。自分が聞きかじって、あるいは報道などで見知っている細切れな知識でも、うんうんとうなづくことがあるのではないだろうか。

子どもの貧困の本の紹介のところで指摘したが、子どもの貧困は教育の貧困につながり、そして、それは教育という社会的再配分機能への公的資金の投入の低さにあるのだ。地域の、富めるものも貧しきものもが通う公教育で、「貧しさを自覚させられる」だけの機能しか果たしていないとすれば、その社会の課題はなんなのだろうか。

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by eric-blog | 2014-08-08 10:40 | ■週5プロジェクト14 | Comments(0)