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戦前の少年犯罪 

戦前の少年犯罪 
菅賀江留郎、築地書館、2007
2181冊目

戦前の少年犯罪は、殺人事件だけでも年間100件以上発生していた。

「いまの少年犯罪は・・・」などと語る人は、しっかりと事実を見なさいよ、という本。

著者はウェブサイト「少年犯罪データベース」を主宰している。http://kangaeru.s59.xrea.com/

○若い人のあいだで、心中が最高にロマンティックなイベントとして大ブーム(昭和10年)、三原山
○2.26はニート犯罪だった。
○戦前は主殺し、親殺し、老人殺し
○いじめ、教師をなぐる
○桃色交遊、幼女レイプ、
○旧制高校生は史上最低の若者たち

刺激的なタイトルが並ぶ。

伝統や歴史の「つまみ食い」が好きな人に「騙られない」ようにしようね。

もちろん、統計データもたっぷり紹介されていますよ。

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by eric-blog | 2014-03-31 11:54 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

日本における外国人・民族的マイノリティ人権白書2014年

日本における外国人・民族的マイノリティ人権白書2014年
外国人人権法連絡会編集発行、2014
2180冊目

すばらしい報告書である。ぜひ、入手してください。でも、ここだけは、寺中さんの労作ですが、紹介しておきます。

入手方法はこちらから。2014年度と書き換えて、お申し込みください。

http://korea-ngo.org/library/library_pdf/jinkenhakusho2013order.pdf

人権勧告リスト

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【辛淑玉さんインタビュー】

http://iwj.co.jp/wj/member/archives/19289


【感想です。】
まさしく、いま、人権関係の市民運動をしているのは弁護士だけ、という状況を如実に示す学習会だった。当事者と当事者をサポートする弁護士。教育者はと言えば、大学教員、つまりは、その道の専門家である。

このような状況で「広く一般市民の意識啓発を」と言っても、実行力のないことはなはだしいわけで。戦術の一つは、「いかにメディアにとりあげさせるか」であるのだ。

聴衆は20人ほど。法科大学院あるいは若手弁護士と言ったところか。

ま、そんなことを批判しても始まらないけれど。基本的な教育がかわらない限り、排他的な「Japanese Only」の何がいけないか、何が変らなければならないか、は浸透しない。

赤福の社長がいちばんわかりやすい例なのではないか。「日本の伝統と文化を象徴する伊勢神宮に参拝できるのは、正統的には日本人だけなのである。」だから、お伊勢さんには外国人は来てほしくないのだと彼は言った。客商売の会社の社長が、である。

浦和レッズのサポーターも同じである。「日本のクラブチームである浦和レッズを、正統的に一体感をもって応援することができるのは、日本人だけである」という明確な意図で、彼らは、チームの日本人選手だけが出場するあの日、「Japanese Only」を掲げた。チームが日本人だけなのだから、応援も日本人だけでやるのだと。「我らのこの一体感を見よ」と、彼らは高揚したのだ。

文化とは排他的なものである。他と隔絶、屹立して違いがあるのでなければ、取り立てて「文化」と言う必要もない。物理的に特定の誰かを排除するという意味ではなく、内実において排他的でなければ、文化ではない。

日本文化に根強く生き延びている家父長制は、男性中心の社会システムと男性優位文化の組み合わせである。プレイヤーとしての女性の存在が不可欠ではあるが、その役割は、あくまでも従である。

人権は文明である。文明は均質化の圧力である。

文化と文明のせめぎ合いが、いまの人権状況なのだ。文明の同化圧力に対して、文化が抵抗を示している。文明は均質化を求める。だからこそ、よりいっそう、特定の文化はかたくなに、保守的になる。

いまの物質文明、経済体制の均質化圧力は高い。産業技術社会は、文化的生活における物質的様相を画一化し、ローカルな色彩を残す消費も、「ローカリティ」として商品化されている。経済取引も金融もグローバル化している。

文化が文明に対抗する力を持つためには、結束力が頼りだ。日本文化のなんたるか、伝統のなんたるかが、何であるのか、そんなことの共通理解や定義など必要ない。語れば、いいのである。語れば騙れるのが文化だ。なぜならば、「ローカリティ」は消費されるものでしかなくなっているのが現実だからだ。

誰が語れるのか。日本文化については男性の語る力が圧倒的に強い。

地域で、家柄がよく、地域活動に熱心で、何代も続く篤志家の家系で、長男である。そんな人が、語る力の復権をめざしている。これまで「男女共同参画社会」の旗ふり役が台頭する中で語ることができなかった肩身の狭さを跳ね返したいのだ。

それは、帝国軍人も同じだ。日本の国のためにと戦ったのに、戦後のあまりにも長きにわたって、人非人扱いされてきた。日本鬼子とののしられてきた。特に、士官級の人々の葛藤は強いのではないか。

徴兵されてきた「どん百姓」のせがれらが、どんなに教育しても、あの戦争の大意もわからず、野戦にだせば恐怖心から無駄な殺戮にまで走り、おさえるためには慰安所すら設置しなければならなかった。こんなはずではなかったのに・・・と。

公職追放解除後、軍人恩給再開後は、経済的にはよくなった。しかし、名誉は回復されていない。その鬱屈した思い。

力を付与することはたやすい。文化的なゲームなのだ、人間関係は。日本の階級遵守語がプレイヤーとしての役割演技をやりやすくしてくれる。「うちの主人が」なんてことばを、なんの痛痒も感じることなく、意味を忖度する必要もなく使うことで、力を付与していることにも気づかず、あまつさえ、そういうことで「主人」をコントロールさえしているのだというような思いさえ、どこかで抱きながら、言うのである。

学校は、文明を教える場所である。しかし、文化的に色付けられた言語の存在なしで、文明に至ることは、普通の人間にはできない。文明は、文化のことばを通して、翻訳されて入ってくるのだ。

日本の、あるいは漢字圏に共通することとして言えば、もう一つの文明語である「漢字」による変換を経て、文明は日本にもたらされる。カタカナで、表記したとしても、なんらかの「日本文化色」およびダブル文明による像のぶれは免れない。

学校は、そのような「日本文化中国文明色」で翻訳された文明を教えようとする。

教えている人間の「日本文化色」「中国文明度」「文明開化度」によって、学校教育の内実は左右される。左右されてしまうのだ。人間のやることなのだから。

教えている人間の「日本文化色」を均質化するのが「愛国心」である。文明に取り込まれないように、団結力を高めるためである。文明に何が取り込まれ、何が取り込まれていないのかすら、自覚のない人々が、無自覚に「伝統」や「日本」を振りかざしている。

結果、「文明」を教えるべき学校教育は引き裂かれる。「ヒドン・カリキュラム」とイリイチが看破した、ダブル・スタンダード、ダブル・バインド状況が出現する。

文明を語る言語は「CALP」である。Cognitive Academic Language Proficiency認知的学問的言語流暢性と訳しておく。カナダの多文化教育研究者、カミンズが概念化したものだ。それに対するに学校で教えられるのではなく、人間が集団の中に生まれでることで身につけていることばがBICs Basic Interpersonal Communicative skills基本的人間関係コミュニケーションスキルである。BICsをベースに、CALPが育つ、学校が育てるのはCALPであるというのが、カミンズの論である。

多文化継承語の問題について、カミンズは、母語の確立および母語によるCALPまでの育ちがCALPの能力を左右すると考えた。母語の思考レベルが高くなければ、他言語で教えられる、例えば英語で学科を学ぶという力をつけることが難しいというのだ。

数学や理科、社会科学の概念や議論は、ユニバーサルであり、普遍的であり、翻訳可能な言語で語られている。大学、Universityを卒業するということは、そのような普遍的言語で、翻訳可能な議論を、国際的に交わすことができるということに他ならない。

教科の体系化というのはCALP言語に基づいて行われている。

和魂洋才。いまだに、そういうことが可能なのだと、いまの教育行政にたずさわる官僚、関係者は考えているのかもしれない。しかし、現在のOECDを中心とする、つまりは先進諸国を中心とする教育改革は、「よりよい質の教育」を求めて「エビデンス・ベースト」科学的証拠に基づいて行われようとしている。

教育改革を語る言語が、すでにCALPなのである。

いま、教育改革で語られていることは何か。教育目標としては、知識中心主義から脱却し、生きて働くことのできる知識であり、その知識を活用する力でなければならない、つまり、今風の言語で言うと「competency」コンピテンシーである。Competentというのは、「~~することができる」という能力であり、スキルであるが、「しようとする」という意欲までを含めて、本当に「生きて働く力」としてとらえられているということである。

教育改革を「コンピテンシーの育成」を目標として、「エビデンスに基づいた検証のプロセス」によってすすめて行こうというのが、いま、なのである。

ところが、日本社会には、BICsとCALPの間に、日本文化語とでも言うべきコミュニケーションおよび人間関係のレベルが存在する。それが話されているのはほとんどすべての日本の組織においてである。大学や学界すら、その例外ではない。

そこにおいて純粋にCALPで話そうとする人は、煙たがられ、パージされることだろう。

・官公庁における「入省年度」による上下関係および同期が政務次官になった場合、他の同期生は「天下り」するという慣行
・会議において、「年長者から発言する」という暗黙の了解。
・組織において、上位者が残業している時に、部下が先に帰ることがためらわれるという感覚。
・女性社員が軽く扱われる実態

などなど、日本文化語が暗黙に語り合われている場面は無数にある。

学校にも学校文化語があると、「小一プロブラム」の背景を説明したのは岡本夏木である。BICsから、学校が教えるべきCALPの間に、学校という文化特殊の言語があり、言語が基盤をおいている行動規範、人間関係、規範がある。

その背景にあるのが、明治維新である。近代学校教育制度は、「国民国家」を創造し、「国民」を生み出した。「国民」が語る「標準語」を教え、国民皆兵につながる教育勅語や戦陣訓をたたきこんだ。女性に学問は不要なだけでなく、女性には標準語すら不要であった。

第二次世界大戦後も、学校の建物も、言葉も解体されることはなかった。「前へ並へ」「右向け右」。わたしは、どこの国でもこのような集団行動を効率化するためのトレーニングというのは学校教育に取り入れられているものだとばかり思っていた。米国に留学するまでは。

学校教育を成立させるのに、この訓練は不要である。

しかし、日本では、軍事教練として導入されたこれらの訓練が、終戦後も、何の疑問ももたれずに、つまり「集団行動の効率的指導」という歪んだ理解のもとに継続されたのである。

集団行動の効率的指導には、他の方法もある。型から入るのではなく、なぜから入ること。練習によってそろえる必要はないこと、合理的な集団行動が実現すれば、それでよいのだということ。そのような問い直しが無かったのが、戦後の日本の学校教育なのである。

何が問題なのか。

集団行動を教えるのに、「型を練習する」のが日本文化である。
集団行動を教えるのに、「なぜ」を考え、工夫するのが、もう一つのやり方である。

ポイントは、「ヒドン・メッセージ」の違いである。

「型から入る」場合、「みんなが揃うまでやる」「時間の効率は問わない」という隠された学習がある。一人ひとりが過ごす時間の質は問わない。

「なぜ」を考える場合は、時間の効率も工夫の一つになるのではないだろうか。「考える」ことで、一人ひとりの時間の質的な向上、コンピテンシーの向上につながる。

もともと好戦的な出自をもった学校文化語が、無批判に、さらに「日本文化語」に絡めとられようとしているのが、いま、なのである。

コンピテンシーという知識・技能・意欲の三位一体としての力を伸ばす教育のためには、教育活動の場全体、教育内容や方法の全体が、首尾一貫したメッセージを伝えていることが、教育効果をあげる。ダブル・バインド、タブル・スタンダードは教育の効果を妨げるだけでなく、質をも下げることはあきらかだろう。

「人権」という文明を教えたいのであれば、文明を教えるにふさわしい言語活動を導入することが肝要である。

あまりにも、無批判に、「日本文化語」を通じて人権を語ってきたことが、教育現場の葛藤と混乱を増している。

BICs一次ことば、学校文化語・日本文化語=二次言葉、CALP三次言語、それぞれをしっかりと自覚することが必要なのだ。

その分析なしで、「Japanese Only」を語ることはできない。

その分析なしで、人権教育を考えることはできない。
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by eric-blog | 2014-03-31 10:49 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

福島の子 どもたちの甲状腺がんは「自然発生型」でなく「チェルノブイリ型あるいは放射線被 ばく型」である

最近、甲状腺がんの男女比(性比)を分析した結果、現在までに発見された福島の子
どもたちの甲状腺がんは「自然発生型」でなく「チェルノブイリ型あるいは放射線被
ばく型」であるとの結論を得ました。もちろんいろいろ留保はありますが、残念無念
の思いを強くしています。

ファイルは下記からDL出来ます。拡散オーケーです。ご参考まで。
http://yahoo.jp/box/8tV1B3

*************************************************
松崎道幸
深川市立病院内科
〒074-0006北海道深川市6条6番1号
℡ 0164-22-1101
Fax 0164-22-5929
matsuzak@maple.ocn.ne.jp
************************************************
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by eric-blog | 2014-03-29 08:53 | ●3.11地震・津波・原発 | Comments(0)

自衛隊という密室 いじめと暴力、腐敗の現場から

自衛隊という密室 いじめと暴力、腐敗の現場から
三宅勝久、高文研、2009
2179冊目

田母神さんは幕僚長だった頃、出張はすべて自衛隊のヘリで行っていたらしい。たぶん、いま、安倍晋三さんがやりたいことも、それなのだと思う。権力志向の人々の夢。「閣下」と呼ばれること、庶民に一切見られることも見ることもなく、移動できること。愛想をふりまかなくてもいいこと。

同じ著者による自衛隊関連本は多い。それでもよく取材できているなあと思ったら、やっぱり、「都合の悪いことを書く人には協力できません」と。49

わかりやすすぎーーー!都合の悪いこと! オンパレードがこの本だ。

・自衛隊には自殺が多い
・自衛隊内での事故は隠蔽される
・自衛隊絡みの収賄、天下りが多い
・公務員であるのに、参議院選挙などの時に、立候補者の講演会を開き、幹部が寄付し、選挙運動を支援している。

自分の感覚が麻痺していくのが怖いが、もしもわたしが幕僚長ならば、「わたしは、○○君の選挙に協力しているよ」ということを圧力を自覚しつつも言うだろうなあ。

力の濫用というのは、力の自覚なしにはありえないからだ。そして、もちろん、力の濫用、使ってよい力以外の部分に力を使うことは、暴力である。

自衛隊が暴力的な組織になるのは、上下関係の「力の格差の感覚が大」である組織や社会にはつきまとう「力の濫用」と下位のものによる「力の付与」が存在するからである。一人ひとりの「人権」、普遍的な価値としての個の尊重、自由や選択、自己決定や自尊、などの価値よりも、「関係性」の価値に重きをおいているからだ。

個人主義、自由主義の社会であれば、「暴力がない」かと言えば、そんなことはない、と即座に言い切れる。米孤軍基地の周辺に暴力沙汰が多いこと(沖縄などの例)、そして米軍の中にも暴力が多いこと、グアンタナモのように、収容者に対して非人道的な扱いをしていることなどの例をあげるまでもない。「自由」が正義になった時、人は「正義」の名の下に暴力を振るう。

価値観と価値観の間の葛藤の問題を、わたしたちはしっかり議論しなければ、「正義」をふりかざした道徳教育に取り込まれてしまう。

そして、この本は、そのような機能不全に陥っている組織で起こりうる出来事のカタログである。同様のことが、もし、あなたの組織で起こっているとすれば、それは同じ病がはびこっている証拠だ。

幹部は守られ、兵隊は使い捨てられる格差社会、階級社会の見本市を見て、他人事だ、自衛隊は別なのだと言える人はいないのではないか。

最近の事例では、イラク派遣された自衛官の事故の問題がある。

■2014/03/13 【大阪】米軍車両にはねられ、今も障害が残る ─イラク派遣の元自衛官・池田頼将さん
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/129232

■2014/03/20 米軍と自衛隊が意図的に隠蔽? クウェートで米軍車両にはねられた元自衛官・池田頼将氏が語る
http://iwj.co.jp/wj/member/archives/18817
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/130188

生き残るために、幹部になるにはどうすればいいのだろうか? 

「ずる賢く」立ち回るか、あるいは「まじめ一本やり」(神聖喜劇の東堂のように、自衛隊も法治主義なので)、その二種類しか、自衛隊で長く生き残ることはできないと、分析する自衛官もいる。

「日本社会の○△□」をこれまでわたしは「バリア」の分析としてのみ考えてきたが、生き残りの「戦略」を考える上でも有効であることがわかる。

○均質さを好む  仲間を作る
△力の格差の感覚が大 派閥に入る、力を付与する、力を濫用する
□リスクをとらない 前例主義に徹する、違うことはしない、改善を提案しない

うむむむ、書きながら、わけながら、説得力があることに驚く。日本社会における保身術。

・南京大虐殺はなかった。という幕僚長がいた。
・自衛隊には「帝国海軍」以来の伝統があると、訓示される。
・広島県江田島の海上自衛隊は旧海軍兵学校の跡地にあり、「教育参考館」には東郷元帥の「御遺髪室」があり、帝国海軍の歴代対象や軍神を紹介、賛美している展示がある。20

自衛隊という組織は、決して、戦後、新たに生まれた組織ではないことが、容易に諒解される。太平洋戦争を戦った軍人たちの名誉を回復したいと願っていると、これらの展示を見て、人は思わないのだろうか。
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by eric-blog | 2014-03-28 08:33 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

TEST in 大阪 2014 「未来のために」  教育力向上講座

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□■□■□■□■□■  TEST in 大阪 2014 ■□■□■□■□■□
     いま、あらためて未来への意志を確認するために     
     (TEST = Trainers Effective Skills Training)   
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     ☆2014年4月26日(土)・27日(日)開催☆     
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ERIC国際理解教育センターで、年度末に開催される「TEST教育力向上
講座」に、「行きたい! でも東京は遠い! なら講師を大阪に呼ぼ
う!」ということで始まったTEST in 大阪。
先週、開催されたERICのTESTのポイントは以下の3つ。
---
○参加型のよりよい質とは何か?
 「参加型」の実践そのものは、学校教育で広がりつつある。が、現状
 をみると、戦後すぐの「這い回る経験主義」以下、経験主義的アプロ
 ーチにすらなっていないグループ作業、集団主義的アプローチになる
 だけではないのか?、という問題意識が背景にあります。
○プログラム改善に取り組む
 ワークショップの実践の積み重ねをふまえるなら、アクティビティや
 プログラムづくりは、ゼロからの開発ではなく、「改善」になってい
 るはず。であるなら、「改善」を明らかにすることで、「点検・評価
 の視点」を明確に意識化することができるのではないか。
○改善のための点検・評価の視点を内在化する
 「点検・評価」の視点が、どれだけ「内在化」され、常日頃の実践に
 活かされ、取り入れられているか。それは、他人の実践についての視
 点でもあり、自分自身に向けられる視線でもあります。
---
記録のブログ記事はこちら↓
http://ericweblog.exblog.jp/19595143/
ワードの文書をダウンロードすることも可能です↓
http://www.eric-net.org/news/TEST14kiroku.docx

ERICでの開催をふまえ、カラフルなふりかえりとまとめや、“省察曼荼羅”
を大阪でのTESTでも取り入れたい、とのこと。
年度はじめのあわただしい時期ですが、だからこそ、ぜひ、よりよい実践
にむけてともに学びましょう。

〈ファシリテーター・角田尚子さんからのメッセージ〉
12回目となったTEST教育力向上講座in大阪。今回は、12時間の指導
者育成講座の担い手を育成することを目標にしたいと思います。参加
型の方法論が、学校現場でも取り入れられるようになった現在、改め
てERICの参加型の特徴を確認し、よりよい質の教育への目を養いま
しょう。

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日 時 4月26日(土)~27日(日)
    9/14は9:30受付開始、9/15は17:00終了の予定。
場 所 未定(大阪市内で調整中)
講 師 角田尚子さん(ERIC国際理解教育センター)
定 員 20名程度
参加費 2万円以内(予定)
※会計・設営・記録など、全員で分担して運営します。
 参加費は経費を参加者数で割って算出します。
※1日目(4/26)夜には、懇親会を予定しています。

★申し込み連絡先 栗本敦子(test.in.osaka@gmail.com)★

↓↓↓ 参加申込はココから下をコピー・記入して送信 ↓↓↓

TEST in 大阪 2014 参加申し込み
なまえ:
連絡先メールアドレス:
所属・ふだんしていること:
当日の役割分担立候補:(会計、記録、お茶、懇親会、etc…)

参加にあたって期待することなどあれば…:


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by eric-blog | 2014-03-27 10:10 | △研修その他案内 | Comments(0)

2013年度 TEST14 教育力向上講座 記録

2013年度で、14回目となるTEST Teachers' Effective Skills Education and Training 教育力向上講座。
2014年3月21日22日 (金土) で行いました。

記録は、以下からダウンロードもできます。
http://www.eric-net.org/news/TEST14kiroku.docx

今年のポイントは以下の三点だったかと思います。

○参加型のよりよい質とは何か?
○プログラム改善に取り組む
○改善のための点検・評価の視点を内在化する

「参加型」の実践そのものは、学校教育で広がりつつあると、学校の現場でCAPを実践しているえんぱわめんと堺の北野さんは言います。しかし、どこか違和感があるのだと。「ノリ」がいいのだけれど、やりっ放しになっている、参加型、協同学習でやりさえすればいいのだという感覚が見え隠れするのだと懸念しているのだ。

このままでは戦後すぐの「這い回る経験主義」以下、経験主義的アプローチにすらなっていないグループ作業、集団主義的アプローチになるだけではないのか? 

これが、一番目のポイントの背景です。

二つ目のポイントは、すでに、ERICのファシリテーター育成を何度も経験してきている段階で、「アクティビティ開発」「プログラム立案」は、初発の開発ではなく、「改善」になっているはずである。そのために、「改善」を明らかにすることで、「点検・評価の視点」を明確に意識化することができるのではないかということ。プログラムの流れづくりのための立案表にも、改善を加えました。

三番目として、そのような「点検・評価」の視点が、どれだけ「内在化」され、常日頃の実践に活かされ、取り入れられているかを明らかにしたいと思いました。それは、他人の実践についての視点でもあり、自分自身に向けられる視線でもあります。

さて、プログラムの流れです。


第一日
セッション1 共通基盤づくり
11:00-13:00
■TESTで扱いたい課題
■課題の分類とセッションの流れの確認
1. 教育再考
2. いまの課題
3. プログラムの改善
4. 評価点検の視点

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セッション2 プログラム実践 「現状分析」
13:15-16:15
1. 発問から入る(佐藤宏幸)
2. 50年をさかのぼる(角田尚子)
3. 文明病としての教育(角田尚子)
4. ふりかえり(福田紀子)


さかのぼり教育史をそれぞれがまとめたものを「四人の省察曼荼羅」にしました。

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セッション3 バリアの分析
16:25-18:00
1. 気づいたこと・感じたこと・学んだことについての個人的まとめ
2. バリアの分析 4つ
  1) 「なぜ」を問われて「ウザイ」という顔をする若手教員
  2) H文化のヒドン・カリキュラム
  3) H文化の中で自殺に追い込まれる子どもたち
  4) 似非P文化

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1)は簡単である。構成主義的学習者観は、経験主義的アプローチで「ふりかえる」ことで学びを紡ぎだすものである。それを指導する指導者自身が経験学習的な学び方の実践者、省察的実践家、reflective practitionerであることが、学習者のモデルともなるし、指導力にもつながる。このケースはその実践ができていないということではないだろうか? 省察的実践力を高めるための方法を研修することが必要だということだ。

2) H文化というのは「兵隊」文化のことである。「ピシッと」した、規律正しい行動と、統制のとれた集団行動が、学校文化としては尊ばれやすい。職員室に入る時に礼をする、授業が始まる時に起立礼をする。その時に、礼の角度であるとか、長さであるとか、視線であるとかをどの程度均質化しているかで、「規律」が行き届いているかいないかを、わたしたちは判断するのではないだろうか。

そして、兵隊文化というは、それらの行動がこと細かく規定され、文書によって確認されていた文化である。従って、ここでは、そのような「規律」が明示され、守られている学校文化を「H文化」と呼び、その「隠されたメッセージ」を分析することとした。

また、同様に3)H文化の中で自殺する子どもについても考えてみたかったが、2)の分析で集約したように思います。

参考としては、大西巨人の『神聖喜劇』が、兵隊文化について、特に文書によるさまざまな規定について、詳細に書かれているので、読んでみるとよい。わたし自身はコミック版で読んだ、読んでいるのであるが、公平さと規律を重んじれば、ここまでくるかという感じである。ぜひ、読んでみて下さい。


第二日
セッション4 プログラムの改善
9:00-12:00
ポイントのところで述べたように、指導者育成にかかわるわたしたちが「プログラムを考える」という時、そこにはすでに下敷きとなるプログラムや人材育成研修の方法論が存在する。存在する上で、「改善」の必要性を感じているということに他ならない。
まずは、一人ひとりが課題としたいプログラムを考え、二人でブラッシュアップという方法ですすめた。
1) 「いじめの構造図」プログラム改善
2) アサーション・トレーニング
3) 研修を改善したい人のための9時間プログラム
4) 参加型実践者の質的向上

1)と2)は2013年度のERIC派遣ファシリテーターによる校内研修で行ったプログラムの改善です。
3)4)は指導者育成の課題そのもの。
以下のような改善のための立案表を使って、考えました。
「アクティビティ・プログラム改善立案表」ほぼ、このフォーマットに従って、改善の意図を明らかにして行くと、手立てが見えてきます。

参加型学習を実践している指導者に、さらなる質的向上を求めるために必要なことは、以下の四点にまとめられます。
1) 自分の持っている思い込みに気づく
2) 脱学習する、生活習慣病を変えるために必要なことを自覚する
3) 点検・改善の視点が内在化されているかを再点検する
4) 参加型学習の特徴を再確認し、推進の課題を再整理する
指導者育成プログラムはこれらの四点を取り入れることで作り出すことができると思います。

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セッション5 点検・評価の視点の内在化の課題
13:00-15:10
今回の研修で「点検の視点ボード」として活用された白板には、点検改善のための視点となる素材が張り出されています。
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大きく分類すると以下の三つになります。
1) 学びの本質による「よりよい学びのための7つ」
2) 人類社会のビジョンとしての理念や概念
3) ビジョンを実現するための「気づきから行動へ」の行動力につながるコンピテンシーやスキル、技能などの目標

課題は、指導者自身に、これらのポイントがどれだけ「内在化」されているか、そしてそれらが常に「点検・改善」の視点として「引用・参照」されているか、さらには、それでもなお、これらの視点が「絶対化」「絶対視」されることなく、相対化され、指導者自らによって主体的に選択されているかということです。

DeSeCoのキーコンピテンシーの三つを並べるだけで、たいていの学校教育関係者は愕然とするのではないだろうか?

○異質な集団で交流する
○自律的に活動する
○相互作用的に道具を用いる

そして、その確信が「思慮深さ」であるというのだ。「思慮深さ」とはReflectivenessの翻訳です。「省察力」とわたしたちが呼んでいるものです。

「思慮深さ」という翻訳が不十分であるのは、そのコンピテンシーの構造化がしにくい言葉だということです。

「省察力」については、「三つの省察」というヒントを出してくれる人がおり、また「行動-感情-価値観」の氷山モデルという『対立から学ぼう』の概念があります。「省察」をさらに行動化することができるのです。

しかし、「思慮深さ」とは、どのような行動化の支援が可能なのでしょうか?

あなたが「思慮深さ」を身につけようとするときに、それが経験学習的アプローチとしてのふりかえり、反省、省察の力に由来する言葉であることが諒解されるでしょうか?

Reflectiveness 省察力こそが、コンピテンシーの鍵だと、DeSeCoは言っているのです。

すなわち、これらの点検の視点ボードに張り出された「ガイディング・スター」は、省察・点検・改善のサイクルで活用されることで始めて生きた力となるのです。

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セッション6 まとめと個人的行動計画
15:20-16:00
今回も、あっという間の二日間でした。学んだことを、行動計画に。今回は横長の紙が大活躍。卓上カレンダーの裏紙だったのですが、残念なことに、同じ会社からいただいたカレンダー、裏表印刷のものになっていました。たった一度の出会いだった「形」が、わたしたち一人ひとりのふりかえりの形に、大きな枠をくれました。

12ヶ月、12枚を、4人で、3回の「ふりかえりとまとめ」の時間に使いました。これは、なんだか、すごいですねぇ。

マンダラのように並べてみました。一人の問題意識が、次の人の問題意識につながり、そして、さらに、次の人の問題へとつらなり、そして、全体像が立ち上る。おもしろい四人でのワークでした。言語化しておくと、この「ふりかえりとまとめ」のワークは、「四人の省察曼荼羅」と呼べるでしょう。

画像はすべてブログにアップしてありますので、お楽しみください。
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by eric-blog | 2014-03-24 09:03 | □研修プログラム | Comments(0)

多文化トレイン「幸区の名物づくり」

多文化トレイン「幸区の名物づくり」

2時間、参加者20名、グループ4つ。

記録

1.名札づくり
(ア)呼ばれたい名前
(イ)好きなおやつ
(ウ)お国自慢
(エ)幸区自慢
2.カクテルパーティ
3.妄想「世界のおやつ」 グループワーク
(ア)中国・点心 狗不理
(イ)フランス ラ・ギャレット・ド・ロワ 王様のパイ
(ウ)ボリビア 足のゼラチン
(エ)韓国 ポンティギ
休憩
4.「名物の条件5つ」[グループ作業3’→全体共有]
(ア)地名を入れる
(イ)安い・お手頃
(ウ)見てすぐわかる形、デザイン、パッケージ
(エ)食べてみたい、
(オ)お土産に喜ばれる、日持ちする
(カ)オリジナリティがあり、他には無い
(キ)太らない、健康的
(ク)素材の味が生きている
(ケ)
5.幸区の名物ミニレクチャー
6.幸区の名物づくり[グループ作業15”]
7.全体共有
(ア)五福梅
(イ)ウメェクリームエクレア
(ウ)ハッピーセット
(エ)みゆきロール
8.ネクストステップのアイデア

爆発するような想像力、発想力。何かが、ここから実現するといいなあ。
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by eric-blog | 2014-03-23 17:41 | □研修プログラム | Comments(0)

ERIC NEWS 379号 ともによりよい質の教育をめざして  2014年3月23日

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ERIC NEWS 379号 ともによりよい質の教育をめざして  2014年3月23日

   at ERIC/ from ERIC ファシリテーター派遣・主催研修
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(文責: かくた なおこ 角田尚子
http://ericweblog.exblog.jp/
twitter : kakuta09  FBもやってます。)

やっと暖かくなってきましたねぇ。

この21-22日に、主催研修の最後の回、TEST教育力向上講座も修了しました。って、原稿を書いているのは、実施前からですが。

今年度も、6回の主催研修すべてを開催することができました。みなさまのご参加によって、よりよい質の教育を推進していくことができること、大変ありがたく、感謝です。実践者が増え、そして現場での実践力がついて行くことを目指して、これからもERICのファシリテーター派遣、主催研修ともに、継続的に取り組んで行きたいと思います。


■■□■1.  国際教育はコンピテンシー教育の先駆者である! ■□■

377号で「グローバル時代の国際教育」というJICAと国立教育政策研究所の
共同研究で、コンピテンシーという近年の教育研究、OECDのDeSeCoが示す方向性について、国際教育は先駆的であったのだと、明らかにされたことを紹介しました。
http://www.eric-net.org/news/GlobalInternational20140308tanaka.pdf

オーストラリアの環境教育学者であるジョン・フィエン氏がすでに1990年代に指摘したように、環境教育、開発教育、人権教育、平和教育の四つの教育がめざすスキル・能力・意欲などは共通であるということを考えると、これらの教育はすべて先駆的であったのだということができるでしょう。

持続可能な開発のための教育(ESD)もまた「持続可能な開発のための」教育であり、そのために、知識理解だけではなく、「○○する力」と意欲というコンピテンシーを育成することは共通していると言えるのです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/016/siryo/06092005/002/001.htm

■DeSeCoとPISAがもたらした変化—日本の教育において

リテラシー、コンピテンシーという考え方が、いかに日本の学習指導要領の中も変えてきたかについては松下論文で、簡単にまとめられています。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2011/09/pdf/039-049.pdf
まとめると、以下の二点です。
1. グローバルな目標-評価システムの浸透
2. エビデンスに基づく検証評価サイクルの構築

PISAとDeSeCoでは、DeSeCoの方がより包括的な教育目標を定めており、PISA調査が方法論的にペーパーテストに依拠しているために、その包括性に疑問が寄せられることはあるのですが、両者がまったく別のものであるということはありません。

DeSeCoの方針が日本社会にもたらした論争も、今回の共同研究で一応決着がついたように思えますが、安倍政権下の教育政策で顕著な以下のような問題が、DeSeCoの推進とどんな軋轢を教育現場で生み出すかは、まだ未知数であるように思えます。

○愛国心教育と道徳教育の教科化
○教科書の広域採択および「政府見解」の検定教科書への反映
○教育委員会の知事部局化

さすがに、愛国心の教育が、戦前の「教育勅語丸暗記」的な教育方法によることは、あってはならないと思います。また、一方で言われている道徳の教科化とは、すなわち専門職の不在と、専門的教授法などについての研究・研修の未熟さをいまだ伴っていることは忘れてはならないでしょう。かけ声だけで教育改革はなせるものではありません。

総合学習の時間が導入された時、専門職の不在と現職教育の欠如および実施のためのリソースの不十分さが憂慮されたのと同じことが、道徳教育においても起きかねないように思います。お手軽に副読本あるいは教科書だけを作成して、「はい、実施」となることをもっとも危惧します。

少なくとも、「教育勅語丸暗記型」教授法は、DeSeCoの教育方針が明確に示している「人間としての在り方を問われる反省性は、枠組みの中心的役割を成す。省みて考えた行動は、慣習的な行為を規定通りに正す能力だけでなく、変化に応じて経験から学習し、批判的なスタンスで考え抜く能力のことである。」(WikiのDeSeCoより)とはまったく相容れないものであることは明らかです。

DeSeCo/PISAがもたらした日本の教育における「グローバルな教育目標・評価」のシステムと、「エビデンスに基づいた検証姿勢」を覆すものとならないことを願います。

■共同研究が見落としているもの=ESDは価値観の教育である。

しかし、ここで、もう一つ、国際理解教育およびESDの特徴であって、JICA/NIREの共同研究が言及していない点、そしてDeSeCoやPISAの教育方針が包含しているにもかかわらず、明示されていないものがあります。

それはESDが価値観の教育であるということです。DeSeCoの議論は、狭義にはOECD経済開発機構の掲げる経済開発の目標に合致したものだと説明されています。
http://www.oecd.org/fr/edu/apprendre-au-dela-de-l-ecole/definitionandselectionofcompetenciesdeseco.htm

• boosting productivity and market competitiveness;  生産性をあげ、市場競争力を高める
• minimizing unemployment through developing an adaptive and qualified labor force; 適応力のある質の高い労働力を開発することで失業を低減する
• creating an environment for innovation in a world dominated by global competition.グローバルな競争に支配されている世界での革新をすすめる環境創造
しかし、OECDですら、これらの知識・スキル・コンピテンシーについての議論は、より広い社会にとっての意味という点からも重要であることを認めています。
• increasing individual participation in democratic institutions; 民主的な機関への個人の参加を増進する
• social cohesion and justice; and 社会的一体性と正義
• strengthening human rights and autonomy as counterweights to increasing global inequality of opportunities and increasing individual marginalization. 
増大するグローバルな機会の不平等と個人の周辺化がすすむのに対抗して、人権と自律を強化する

すなわち、これらのコンピテンシー議論の背景には、民主主義、正義、人権という理念があるということです。

■Howどのように行動するかの背景にはWhyなぜがある。

コンピテンシーの背景には「なぜ」があり、逆に「なぜ」を押さえずにコンピテンシーを育てることはできない。なぜならば、「評価・点検」のシステムにおいては、「点検」の視点としての、これらのコンピテンシーやスキルの背景にある理念や概念が存在することが必須なのです。「なぜ、そのコンピテンシーを教えるのか」ということの教育的な目標の理解と共有があって初めて、カリキュラムの効果があがるのです。

日本の教育界には、明治維新によって西洋化の道を選んで以来、「和魂洋才」という技術だけをとってつけたような姿勢がありました。スキルの背景には、「なぜ」があるのです。ESDに連なるコンピテンシーを、単なる技術論として位置づけて指導しようとすることは、ESDの実践とは言えません。

技術の背景の「なぜ」をこそ、教育的実践者は理解する必要があるのです。

ESDの価値観は、人類共通の、普遍的な価値観です。

•・現在および将来の世代を含む他者の尊重
•・相違と多様性の尊重
•・環境の尊重
•・我々が住む惑星の資源の尊重

そして、あらゆる機会に、あらゆる人に対して行われるべきESDとは、常に、このような価値観を育てることに貢献しているかどうかを点検の視点として持つことによって、「評価・点検・改善」のサイクルによって推進していくことができるのです。

■□■2. ファシリテーター派遣研修■□■
今年度も人権研修が中心でした。もっとESDや国際理解教育、環境教育などのテーマ、「参加型学習の方法論」そのもののトレーニング、フューチャーサーチ会議や地域づくりワークショップなどにも、ファシリテーターを派遣する機会が増えるといいですね。
ブログで紹介したプログラムをピックアップ。

■高校生のためのグローバル・セミナー
http://ericweblog.exblog.jp/18885651
■地域の未来を考えるフューチャーサーチ
http://ericweblog.exblog.jp/19030126
■Gapジェンダー・アウェアネス・プログラムで考える「期待と抑圧」
http://ericweblog.exblog.jp/19469354
■幼児期からの環境体験&前向きな子育てプログラム記録
http://ericweblog.exblog.jp/18825802

人権研修も、2時間から2日間まで、多様です。テーマも「いじめ」「高齢者の人権」、人権尊重につながるスキル・トレーニングとして「アサーション」など。
人権研修 2.5時間 記録「やってみよう! あなたもできる参加型」
http://ericweblog.exblog.jp/17824645
人権研修 アダプト・アクティビティ編
http://ericweblog.exblog.jp/17904344
人権研修 2日間 アクティビティ実践力向上
http://ericweblog.exblog.jp/17931820

人権研修 校内 2時間 「いじめ」と「アサーション・トレーニング」
http://ericweblog.exblog.jp/18240627

高齢者のためのアサーションを考える
http://ericweblog.exblog.jp/18710334


大学でのプログラムです。
コミュニケーション実践講座  大学生プログラム
http://ericweblog.exblog.jp/17853188

ドイツの時間・日本の時間 わたしたちは変われるか?
http://ericweblog.exblog.jp/18128281
問題解決力をつけよう!
http://ericweblog.exblog.jp/17942616


■□■3. ERIC主催・ESDファシリテーター養成講座■□■
3月21-22日に、TEST14教育力向上講座が終了しました。記録はこちらから。
http://ericweblog.exblog.jp/19595143/

以下、これまでの五本の研修についてのまとめです。
□市民性教育「未来を学ぼう」 atERIC2013VV記録
http://ericweblog.exblog.jp/19547733/
□対立から学ぼう  atERIC2013CR記録 
http://ericweblog.exblog.jp/18871676
□ERIC主催研修 ESD fc テーマ「人権」
http://ericweblog.exblog.jp/18703175
□at ERIC ファシリテーターズ・カレッジ 環境教育/PLT
http://ericweblog.exblog.jp/18203248
□ESDファシリテーターズ・カレッジ テーマ「国際理解」
http://ericweblog.exblog.jp/18028886
□2日間12時間6セッションの主催研修は構造化されている。
http://ericweblog.exblog.jp/19534934

各回の要項はERICホームページから。
http://www.eric-net.org/

■□■4. ERIC主催研修2014年度の日程が決まりました。■□■
■2014年(平成26年)6月28日29日国際理解
■2014年(平成26年)7月26日27日PLT木と学ぼう・環境
■2014年(平成26年)9月27日28日人権
■2014年(平成26年)10月25日26日スキル対立から学ぼう
■2015年(平成27年)2月22日23日スキル未来を学ぼう
■2015年3月(平成27年)予定TEST教育力向上講座

■□■5. ERIC25周年に向けたご寄付のお願い ■□■
 1989年誕生の参加型学習老舗のERIC国際理解教育センター。
 これまで続けて来られたのも、企画委員、運営委員、理事、テキスト購入者、ファシリテーター育成事業参加者など、みなさまのおかげです。感謝です。
これからもよりよい「指導者育成のための実践」推進のための情報提供、研修プログラムの提供などに努力していきたいと思います。

 日常活動に加えて、25周年に向けて、事務所のリニューアル、フューチャーサーチ走向未来ワークショップの開催など、企画しています。
 特別活動支援のために、テキスト活用、研修参加などのご支援に加えて、ぜひ、ご寄付をお寄せください。よろしくお願いいたします。
ご寄付先 金融機関
ゆうちょ銀行口座: 
10020-3288381 名義:トクヒ国際理解教育センター(ゆうちょ銀行同士)
◯◯八(ゼロゼロハチ)店008-0328838 名義:トクヒ国際理解教育センター(他の金融機関から)

*********************************************************
  (特定非営利活動法人)国際理解教育センター
ERIC:International Education Resource & Innovation Center

〒 114-0023 東京都北区滝野川1-93-5 コスモ西巣鴨105
  tel: 03-5907-6054(研修系) 03-5907-6064(PLT・テキスト系)
  fax: 03-5907-6095
  ホームページ http://www.eric-net.org/
  Eメール   eric@eric-net.org
  blog 「 ESD ファシリテーター学び舎ニュース http://ericweblog.exblog.jp/
  blog  「PLT 幼児期からの環境体験」
http://pltec.exblog.jp/
  blog 「リスク・コミュニケーションを対話と共考の場づくりに活かす」
http://focusrisk.exblog.jp/
  blog アクティブな教育を実現する対話と共考-ESD的教育力向上を目指して
http://ead2011.exblog.jp/
  blog 平和の文化への道を拓く平和教育 翻訳プロジェクト
http://pepathway.exblog.jp/
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by eric-blog | 2014-03-23 09:20 | ERICニュース | Comments(0)

5.11 おんなたちの行進に寄せて 導火線をひく

3.11以降、東日本の復興、福島原発事故収束、原発難民の人々への支援、おんなの問題が関わらない問題はひとつもないのに、社会は家族や社会の「絆」や男女の伝統的役割に問題解決を回帰させ、おんなの賃金は低いまま、また仕事の選択肢も男性中心の支援策が先行したままで、男女の経済格差は広がるばかりです。

家族の絆が強調される中で、「主人が」「家内が」という表現の暴力にも感覚を鈍麻させられ、まだ、わたしには、こんな時に語る言葉が、心を表す言葉が、身に付いていないことを思い知らされます。

そんな天邪鬼ゆえ、共感はするけれど、感情の大波には乗れない、乗らないまま、3年が立ちました。

その間、時代がどこまで逆流するのかと思うようなことばかりが、起こりました。

第二次世界大戦直後の選挙から、保守系の得票は25%とまったく変化していません。しかし、選挙制度のからくりで、16%の得票で、大勝利を収めた自民党政権。次の衆議院選挙までの間、どこまで、何を実現していくのやら。

○歴史認識の転倒
○国旗国歌の強制
○教科書の採択制度への政治的介入
○教育委員会の知事部局への編入
○武道の必修化と「文武両道」のような標語の採択
○自衛隊の海外派兵の恒常化
○集団的自衛権の行使
○対中韓の領土問題の緊張を強化するような政策や発言
○特定秘密保護法や国家安全法などによる「近代国民国家」制度の強化

1970年代、環境問題、日本においてはなかんずく水俣病などによる人権問題との関連で、環境問題は人権の問題であり、かつ普遍的な人類共通の課題であると国際社会は認めました。

以来、宇宙船地球号をどう舵取りするか、広大な宇宙に浮かぶ閉鎖系環境の限られた資源をどう分かち合うのか、ビジョンと正義の問題に、わたしたちは真摯に向き合ってきました。解決しなければならなかった問題は、同時代における地域間格差の問題、未来の世代との間における負担の正義の問題でした。

どうすれば、未来の世代に対する負担を増やすことなく、また、自分たちの豊かな生活のつけを、他の地域の人々に押し付けることなく、この地球で持続可能に生き続けることのできるライフスタイルを確立することができるのか。

『死に向かう開発』Developed to Death, 開発して死に至るという著書の中で、テッド・トレイナーは言います。

「いま、大切なことは、このままでは続かないという意識を広汎に共有していくことなのだ」と。

1992年の地球サミットで、官産民の代表は、1970年代からの問題提起に一応の合意を見ることに成功しました。国際条約は、それまでの「国際社会の最低限の行動規範についての合意」という色合いを脱し、ビジョンに向かって努力する、問題解決型の約束へと成長したのです。

もちろん、人権の分野においては、世界人権宣言に始まり、市民的権利や経済的権利などの人権諸条約は、常に高いビジョンの合意の現れでした。しかし、環境の分野において、これほどはっきりとビジョンが合意されたのは初めてだったのです。

いま、国際社会は、国際連合の下、大きく以下の三つのビジョンに合意し、その実現のための努力をすることを約束しているのです。
○ 武力による紛争解決は認めない=平和主義
○ 基本的人権の尊重とよりよい質の生きるということの実現=恐怖と欠乏からの自由を含む人間の安全保障
○ 持続可能な開発による環境保全

大量生産大量消費のライフスタイルが持続可能性を脅かしていること、技術解には限界があること、そして、解決のためには、「すべてのステイクホルダーの参加による合意形成と行動」が不可欠であることなどが、この間の議論で確認されてきていることなのです。

わたしたちの社会は未熟であり、まだまだこれらの約束は実現していません。しかし、「高い目標ほど、人を前へと前進させる」と言います。夢の実現をあきらめるには、まだ経験が浅すぎると思います。

それに対して、二つの抵抗があります。
「大丈夫だよ、なんとかなるよ、いまの豊かさをあきらめる必要はないよ。あなたのライフスタイルを見直す必要なんかどこにもないよ」という悪魔のささやきが、原子力発電です。

未来の世代にどれほどの負担をかけようとも、今現在も垂れ流されている放射能汚染水の海洋および環境への影響にも、そしてすでに被ばくした人々への影響にも目をつぶれば、何も気にすることはないというささやきです。「あなたの生活」だけを見ていればいいのだよと。

もう一つは、このような問題解決型の行動規範、ビジョンに向かう生き方そのものを、「西洋進歩型」歴史観と批判する哲学です。輪廻転生的な、と書くほどの知識がわたしには宗教について皆無なのですが、どこか刹那的な諦念のような、批判とも言えない、現実的対峙です。

このような時代にあって、「おんなたちの行進」はどこへ行くのか。一人ひとりの意思と選択が問われているのだと思います。

未来はどこへ向かうのか、わくわくするような時代にともにあることを喜びつつ、一人ひとりの歩みを、すべて認める多様性と受容、つながりと尊重のある一日となりますように、メッセージを寄せたいと思います。
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by eric-blog | 2014-03-22 09:02 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(0)

茨木のり子詩集 鎮魂歌

茨木のり子詩集 鎮魂歌
童話屋、2001
2178冊目

1965年に刊行されたものの再版。歌われているのは1950年代半ばから60年代にかけての情景だ。

武藤類子さん (福島原発告訴団・団長)
http://blogs.yahoo.co.jp/mknony0623/18289522.html

がスピーチの中で引用していた「怒りの火薬を湿らせてはならない」を探して、「鎮魂歌」に出会った。

なぜ、火薬は湿ったのだろうか? そんなことを「最上川岸」を読んで思った。

********
子孫のために美田を買わず

こんないい一行を持っていながら
男たちは美田を買うことに夢中だ
血統書つきの息子に
そっくり残してやるために
・・・・
(けとばせ、なげろ、叩き売れ)
・・・・・
人間の仕事は一代かぎりのもの
伝統を受けつぎ 拡げる者は
   その息子とは限らない
   その娘とは限らない

世襲を怒れ
あまたの村々
世襲を断ち切れ
あらたに発って行く者たち
無数の村々の頂点には
一人の象徴の男さえ立っている

*********

わたしが育ったのは、まさしくこのような空気を吸ってのことだった。
それがいまや「和風総本家」「秘密の県民ショー」「お宝鑑定団」などの伝統回帰、クールジャパンのかけ声の中で、有象無象も無批判に、墓場からよみがえっているにもかかわらず、怒りの声はないのではないか。

火薬は湿りやすいものなんだね。だからこそ、彼女は「湿らせてはならない」と警告したんだね。

火薬を持って戦うよりも、生き延びることを選んだ99%の末裔が、99%なのではなかろうか。

一人ひとりに与えられた「生涯火薬量」は等価である。さあ、この火薬、どう使おうか。

同じ詩集に所収されているのが「りゅうりぇんれんの物語」であり、1945年から1958年まで、北海道の山中に隠れ住んでいた中国から拉致され強制労働に奴隷状態でつかされていた男の物語である。

確かに、わたしたちの社会は、忘れやすいものだね。

「時代の空気とともに生きていたい」と言って、社会派映画監督を止めて、コメンテーターとして活躍した大島渚も、死んでしまったし。

『絶望の隣は希望です!』やなせたかしさん、晩年まで大活躍であったよね。


「火薬を湿らせてはならない」は以下の詩集に所収。
『茨木のり子詩集 対話』
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by eric-blog | 2014-03-19 14:59 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)