<   2013年 11月 ( 56 )   > この月の画像一覧

江戸の非人頭 車善七 100万人大都市を「裏」で支えた男

江戸の非人頭 車善七 100万人大都市を「裏」で支えた男
塩見鮮一郎、三一書房、1997
2099冊目

史資料が、残されにくい非人。それは非人が一世かぎりの身分だからだ。江戸時代、身分、職業、居住地を固定した封建時代。非人とは、その固定を逃れた人のこと。地方から流れ込んできた貧民は野非人と呼ばれ、彼らを排除することを「野非人制道」と呼んだ。78

江戸には地方から人が流れ込み続けた。江戸幕府は、非人に非人狩りをさせたのだ。人口増大を政治的に統御するための装置を、非人自身が引き受けさせられたのだ。

その非人頭の車善七の居宅は、吉原遊郭に近接して定められた。それを著者は、遊郭で遊ぶ人に対する「見せしめ」だったのではないかと、推測している。おまえの場所に居続けろよ、さもなければ、非人になるのだよ、と。

そして、刑罰の執行を行っていたのも、非人であった。

公儀のお役目以外に、非人が従事することができたのが「乞食」と「紙くず拾い」であった。浅草弾左衛門との間に、管轄する職種をめぐっての裁判沙汰が記録されている。

ここで、先日の全国人権・同和教育研究大会で紹介された人形浄瑠璃の話になる。

人形舞は浅草弾左衛門の職業リストのいちばん下「28番目の下」とされた。その背景には、「勝扇子事件」という人形からくりの興行にまつわる裁判があった。(『弾左衛門の謎』参照)

この裁判は、それぞれが自分の勝ちだと、理解したものだったのだが、弾左衛門は、人形舞を「28番の下」とすることで溜飲を下げていたのだろう。

何百年もたって、山谷堀がふたたびホームレスの「溜」になっていることはなぜだろうかと、著者は言う。

地方における「川向こう」感覚も同じことだ。空間の記憶、場の記憶は、根強い。だからこそ、場を否定するのではなく、その場で営まれた生活に自負心を持つことが、大切なのだ。一方で、そのことは、その場を離れたり、別の選択をする自由を阻むものではない。一人ひとりの選択として、差別をどう生きるかの多様性のある時代なのだ。

朴和美さんが「オモニ世代の「生き延びる戦略」から、わたしたちの世代の「解放の戦略」へ」と語った時、その次に来るのが「自己実現の道」だろうと予感した。阿波のでこまわしは、まさしく、「木偶廻し」という自己実現の道と出会うことによって、相互尊重を獲得したと言えるのではないか。

出雲のおくにや、人形からくりを、「28番の下」とする封建制度はもうここにはないのだから。芸能に対する根強い差別感覚と比して、今の時代は、芸能万能時代でもある。その中で、「消費される」だけの芸能に終わらないものをもっていることの強みが、歴史によって与えられたとも見えるのだ。
[PR]
by eric-blog | 2013-11-27 08:53 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

魚沢東君へ ウリは同色面的人

魚沢東君へ ウリは同色面的人
若林和、近代文芸社、1993
2098冊目

1927年生まれの著者の自伝的回顧録。

ぎょたくとうくんへ うりはトンスーミエンダレン

本のタイトルも読めなくて、覚えられなくて困った。

竹林として出てくるご本人が、その思い出を誰に語ろうか、日本が支配する朝鮮の師範学校の同級生であった「魚」クンを選ぶ。

終戦前年、師範学校を卒業した竹林は、そのころは朝鮮でも国民学校になっていた小学校に赴任する。

そして、終戦。母の機転で引き揚げ船にようやく潜り込み、沈没船で使えない下関港をさけて仙崎港へ。母の髪は一夜にして白くなっていたと。496

日本語を話さなければならないことに加えて、創氏改名の無念さ。わからなかったのだと、いまになって思い出しながら、著者は書く。

ある日を境に来なくなってしまう級友らの影に、特高や憲兵による弾圧の影がしのびよっている。独立運動は、王制からの脱却と近代化の両方をいっぺんに行う必要があった。一握りの権力者が自己保身のために外国、日本とかわした密約の上に、国の姿が決まっていく。

日本では、主権は神様に奪われた。165

天皇に対する万歳三唱は、明治22年2月11日東京帝国大学に明治天皇が臨幸した時、帝大教職員が行ったのがそもそもの初めという。

なぜか、いま、読まなければならない本のような気がしている。

あとがきに、記す。

宮城県栗原郡築館町、千葉十七氏は、旅順監獄で安重根を見送った看守。仏壇に安順根の写真を飾り、朝夕の礼拝を欠かさなかった。
著者自身も、この世の「正大の気」を教えてくれた他の故人とともに、安重根を祀る。59才になってからのことだという。

中野泰雄さんの安重根も読まなければね。

70才を目前にして、若かった頃のあれやこれやが読みほどけて行く。そのことを誰かに語らずにはいられない。特に、朝鮮の知人の誰かに向けて、贖罪の気持ちを込めて。

それがこの本です。
[PR]
by eric-blog | 2013-11-26 08:35 | ■週5プロジェクト13 | Comments(2)

おいべっさん

おいべっさん
竹内紘子、解放出版社、2012
2097冊目

児童文学といっていいのだろうか。徳島の山の中で暮らすおばあちゃんと、孫の女の子の交流と、そこにやってくるでこまわしの夫婦との出会い。

でこまわしの夫婦の女性は、妊娠している。施設で育ったという彼女。親になる自信がないと、こわがる。

出産はこの地域では30年ぶりのこと。

でこ回しの神様たちが、彼女の出産を見守り、力を与えてくれるのを、孫娘は実感する。

山の中にある力に対する畏怖心と、それでも、いやそれだからこそ一人ひとりが自立して生きて行ける空間。とはいえ、互いの助け合いや寄り合いがいとおしい、そんな風景が描き出されます。

山に住むおばあさんの願いは『山の家』の家族をつくること。
[PR]
by eric-blog | 2013-11-25 14:05 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

阿波のでこまわし

阿波のでこまわし
辻本一英、解放出版社、2008
2096冊目

人権・同和教育全国大会の二日目。特別分科会の最終講および前日、一日目の全体会、そして交流会会場と三回、辻本絵蘭さん、一英さん、そして中内正子さんらの講演・公演を楽しみました!

人形浄瑠璃と言えば、三人使い。頭と右手、左手、そして足の三人。
だが、この「箱廻し」のでこは、独り使いの上に、本人が唄いも台詞回しもやるというのだから、高度である。肉声で語られる「傾城阿波鳴門」は、絶品である。中内さんは、天才というか、天賦の才が、出会うべきものと出会ったとしか思えない。

人形浄瑠璃を保存しようとしている地域の活動はたくさんあると思うが、この阿波のでこまわしは、二つの意味で屹立しているのではないだろうか。
1.唄いと人形の両方がリアルな実物、肉声であること
2.差別ゆえの失われかけた歴史を克服して、継承されていること。

今回、何度も見せていただいた中内正子さんらが、「師匠」について回って掘り起こしを始めたのは、なんと1999年、2000年のことなのであるから。そして、その掘り起こしが、地域の人が自分たちの地域の伝統に誇りを持てるきっかけとなり、そして、それが世界にも認められる2007年のユネスコのACCU賞の受賞にもつながっているのだ。

何よりすごいのは、彼らの実践が「保存会」とかのレベルで行われているのではなく、有料講演が成り立つほどの芸術になっていることだ。

精巧なカシラもさることながら、衣装もすごい。いまも生きている芸術なのである。

ちょっと、講演で明かされた金額を公開しよう。

既存のカシラを買うのに30万円。髪のリフォームに40万円、塗り20万円。目玉を動かす、眉毛を上げる、口を動かすなど、動くパーツについて、一カ所ごとに20万円。手も20万円、足はその半額。衣装は200万円。一体いくらするの?

こんなにきれいな衣装の人形浄瑠璃は見たことがない! のである。

自称、徳島の杉良太郎さんは、しっかりと稼ぐ人なのである。そして、稼ぐために一生懸命磨いた芸が、被差別部落の人たちに活計を開いてきた、そのことを忠実に、やっていこうと、彼らはしているのである。すごいことだ。被差別ゆえに、彼らは、芸を磨き、それは、大阪にまで出張って行った「賃餅つき」にまで活かされることになる。

辻本さんは言う。被差別部落や障害をもっている人が、活計のために一生懸命磨いた芸を、差別の故に途絶えさせてよいのかと。差別は、地域の伝承文化、周辺の農村に文化と芸術の楽しみを与えてきた伝統を、踏みつぶしてしまうのだと。

東京オリンピックと高度経済成長が地域の伝統文化を打ち砕いて行ったとも、辻本さんは指摘する。わたしたちは、どんな文化を築いて行きたいと思うのか、考えさせられる問題提起であった。

木偶(でこ)箱廻し。彼らは木偶(でく)をでこと呼ぶ。

天秤棒の前後に吊るした二つの木箱に、木偶を入れて角付けして回る芸能のこと。正月などに、言祝ぎ、寿ぎを述べて回るのだ。中内さんたちは、いま、正月の一ヶ月をかけて1000軒ほどを回るのだそうだ。

お遍路さん以外の角付けを初めて見たのは多賀大社の門前町でのこと。正月の言祝ぎ、寿ぎを言いながらも、その装束がぼろぼろであったことにショックを受けた。ハレとケガレの関係を見たような気がした。

写真で見る昔の木偶回しは、いまの辻本さんらの取り組みのような洗練された風はなく、どちらかというと、うら寂しい。わたしの多賀大社での体験に近いようにも思う。寿ぎであり、ハレであるのに、どこか異境を感じさせ、怖いのだ。

寿ぎの芸能として、いまのような姿にしたのは、もっぱら辻本さんらの努力なのだと感じた。

辻本さんは徳島県同和対策推進会の啓発部長をしていた時に、「えらい先生呼んできて啓発してもあかん」と、大阪の大川恵美子さんを招いたり、地域の話の掘り起こしをしたり、教員の取り組みを推進したりしてきています。講演会での軽いしゃべりと異なり、この本には、自身の経験と、聞き取りを通じて知ったたくさんの取り組みとその背景となる思いが紹介されています。修行日記の部分、「私」は中内さんだと思うのですが。

・「飯食うたんけ、われ」という言葉にこめられた思い。それを乱暴な言葉遣いは被差別につながるからと、「おはようさん」に変えるだけでいいのか。
・弟をおぶって小学校へ行ったら、先生に「帰りなさい」と言われていけなくなった。
・「ここまで遊びにきたら危ないから、二度と来るなよ」と友人をたずねていった先のばあやんに言われた。
・教室の前でとおせんぼされて、学校にいけなくなった。
・ブラクのやつらは怠学なのだ。と、はなからなんにもする気のない教員たち

大川恵美子さんの話は、「飯食うたんけ」という声かけの温かさを言うのだ。

北代色さんは「夕焼けがうつくしい」という作文で有名になった方。わたしが中学生の頃、大阪で配られていた『にんげん』という副読本にも紹介されていたが、「文字の読み書きが奪われ、人間らしい感性まで奪われた」という差別的な解釈を教えていたのは、まさしく、当時の教員だった。それ以上の読みへの追求はなかった。

しかし、ここで、北代さんはその言葉の背景にあった背景をこう語っているのです。

代筆を頼んで文通していた相手が、その代筆をしてくれていた女性といい仲になってしまっていた。読み書きができないことが、こんなことにつながってしまったと悔しい思いが。「夕焼けがうつくしい」と表現したのは、夕飯を食べて、識字学級に出て、窓から夕焼けをゆったりと見られる幸せを歌っているのだと。64

そりゃそうだ。人間的な生活は、文字なしでもある。無文字の文化の豊かさが、実は、ここに紹介されている「木偶廻し」の芸にも現れているのは明らかだ。あのリズム、あの言葉遊びは、本の中で読んでも、何もおもしろくもない。ホンマ。あんたら、わからんやろ、こんなん読んだかて。

香具師の「がまの油売り」のおもしろさや、平家物語のおもしろさと同じだし、声の文化の語りの個性的であることは、アフリカの「声」の文化を紹介している川田順造さんの観察でもある。

しかし、そのことが非識字であることによって受けた不利さがないということではないことは、『識字の暴力』にも述べられている。その事例としてこの本で紹介されているのは「奈良のソメさん」だ。

恩ある人から頼まれて、読めない証文に判をおして身ぐるみはがれた体験から、ガンとして識字学級に参加しなかったソメさん。「文字は敵。難しい書類が出てきたら、いのちも財産も奪って行く」と。

そんなソメさんが一つの講演会を通して中学生と出会い、手紙のやりとりを通して文字を獲得していく。「生きててよかった」と。そのソメさんは、「部落死ね」などの落書きをさして、なぜ、文字と出会ったことに、それを書いた若い人たちが喜びを感じていないのか。どこでそんなことばを彼らは学んだのか。彼らがかわいそうだと、言うのだ。人間を教えることができていないのではないか。と。67

部落がかわいそうなのではなく、差別が憐憫を生むのだ。憐憫からは慈善的な対応しか生まれない。そして、差別とは収奪を生むのだ。非識字に付け入り、学ばれた「遠慮」につけこみ、主張できない立場や自己主張の棚上げを都合良く利用するのだ。

善人とは、自らの偽善に気づかない人のことだと、親鸞は言う。とは、ついさっき、FB友人がつぶやいていたことだ。

構造的暴力とは、人の潜在的可能性の発揮を妨げる暴力のこと。(ガルトゥング)

差別というのは、社会的で文化的なものであるが故に、構造的に組み込まれている暴力のこと。

学校に来るなと、子守りをしなければならない事情の背景を知りも、知ろうともしないで言った教員。
「あんたは入るな」と教室の入り口で通せんぼした子ども。
「えべっさんの家の子、ものもらいの子」とはやし立てたこどもたち。

彼らは差別の現れではあるが、差別の原因ではない。

江戸幕府という軍事政権の元で、武具馬具に連なる仕事についている人たちを土着させないように通婚をはばんだ武将たち。政権を武力で維持している支配階級であった武士たちが、「支配」を誇示するための裁定の結果としての刑罰のケガレ仕事を押し付けられた「長吏」や非人。

身分と職業を固定化した封建時代。

確かに、障害者や被差別部落が磨き上げた伝統芸能ではあるが、それが身分と職業が固定された封建時代の産物であることを、見過ごしてよいものだろうか。疑問が残る。

はっきりしていることは、被差別の状況でも、生きている人の人間性は豊かだし、尊厳は貴いということだ。それは在日一世の「オモニ」たちの生き延びる戦略や、「ある奴隷少女」の生き延びる戦略が、背筋を伸ばし、頭を高くかかげて、生き延びるためにとった行動を恥じることなく、生きた姿のことでもある。

それを「思いやり」という態度で、哀れんではならない。憐れみから来る差別の解消などないのだ。なぜなら、憐れみとは力の格差を温存した上での、感情であるからだ。それが、特別分科会の第一講で寺澤亮一さんが指摘したことだ。

憐れみ、憐憫、慈善をまとうことのない「思いやり」はあるのか?
生き延びる力は、わたしたちの誰しもに備わっているが、「力の格差」が決して暴力につながらないことなど、ありえるのか。
「力」の側による力の濫用=暴力をなくすために、「力」の側に対してどのような教育がなされなければならないのか。
「力」の側も、被差別の側も、強い人ばかりでもない、ということも、配慮に入れなければならないのではないか。
「弱さ」を力にすることができるには、仲間や共感、共生感の支えが不可欠だ。

わたし自身が常に抱えている課題に対する答えは見えなかったけれど、少なくとも同じ課題を抱えているということは、確認できたように思う。

木偶廻しは木偶の坊などではない。でことでく。

でこ廻し、えべっさん、ばあやん、飯食うたけぇ。文字にしたら失われてしまう肉声が、徳島の大会のおかげで、ずいぶんと呼び覚まされた。これがcompassionなのだと、思う。人の世の熱を共有すること。共熱とでも訳そうか。共生感。いかが?

阿波の木偶(でこ)作成者の中でも、優れているのが天狗久(てんぐきゅう)、人形忠などだという。そして、それらは全国に、阿波の木偶廻しが出かけて行った先で請われて売られ、広がり、定着していったのだという。いま、全国の木偶の出自来歴の確認をしているところなのだそうだ。

アサーティブに、周りの環境を改変していき続ける木偶の旅は続く。

アサーティブの根源は、誰にとっても、「おのれ自身を知る」ことだね。
人はそれぞれ生きているのだから。いまこの時間に、自分のからだと場所で。
[PR]
by eric-blog | 2013-11-24 22:05 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

ERIC NEWS 362号 ともによりよい質の教育をめざして  2013年11月24日

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ERIC NEWS 362号 ともによりよい質の教育をめざして  2013年11月24日
市民性教育 第8回 最終回「ケアする心を育てる」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(文責: かくた なおこ 角田尚子
http://ericweblog.exblog.jp/
twitter : kakuta09  FBも)

日本では放送されていないのでしょうか。米国ではトイザラスが「今日は、野外学習!」と学校バスに乗り込む児童に伝えると、子どもたちは「えっーーーー」と不満そう。バスに乗り込んで、「いやあ、実は今日はトイザラスに行くんだよ」と告げると大喜びする。

そんな野外学習を愚弄したようなコマーシャルが出たのだそうです。早速反応した環境学習指導グループがいた!

サンタフェ流域協会。

ぜひ、ご覧ください。こんなユーモアのある返し方、いいですねぇ。

Santa Fe Watershed Association’s response to the recent Toys R Us ad mocking outdoor education. Please view the Toys R Us video first!


Toys R Us video:
http://www.youtube.com/watch?v=q5SXybm6bss

http://www.youtube.com/watch?v=XbpQJXvMB8s



Outdoor education improves critical thinking.
Outdoor education reduces childhood obesity.
Outdoor education improves student test scores.
Outdoor education encourages creativity.
Outdoor education leads to less classroom discipline.
Outdoor education is inquiry-based.
Outdoor education is interdisciplinary.
Outdoor education is FUN!

野外教育はクリティカルな思考を育てます。
野外教育は子どもの肥満を軽減します。
野外教育は生徒のテストの点数をあげます。
野外教育は創造性を奨励します。
野外教育は学級の規律のためにかける力を軽減します。
野外教育は探究中心です。
野外教育は学際的です。
野外教育は楽しい!

「楽しい」、そして子どもの目がきらきらする実践を広げましょう!

■『平和教育: 平和の文化への道』翻訳プロジェクトのその後
“Peace Education: a Pathway for the Culture of Peace”
英文のダウンロードはこちらから。
http://www.peace-ed-campaign.org/resources/cpe-book-14oct2010-FINAL2.pdf
翻訳プロジェクトのブログはこちらから
http://pepathway.exblog.jp/
日本語訳のダウンロードは、三部に分かれています。
http://eric-net.org/news/pePartI.pdf
http://eric-net.org/news/pePartII.pdf
http://eric-net.org/news/pePartIII.pdf

翻訳しながら、「かなわないなあ、キリスト教の背景は」と感じていたために、今回、PGL Peace As Global Language という英語講師を中心とした平和教育者たちの年次大会に参加して、ワークショップをさせてもらいました。
以下が、ワークショップのプログラムです。
http://www.eric-net.org/news/PGL2013program.pdf
http://www.eric-net.org/news/PGL2013presentation.pdf
http://www.eric-net.org/news/PGL2013.pptx
やってみて、ほっとしたのは、そして、次に紹介するジョン・フィエン氏の論文にも言われているような仏教の「慈悲」という概念など、普遍的な概念というのは、どこの社会でも、一人ひとりが獲得しなければならない課題なのだということでした。

■□■市民性教育第8回■□■

さて、今回が最終回の「市民性教育」。ESD持続可能な開発のための教育との関係を今回は、まとめて、終わりにしたいと思います。

1気づきから行動へ-市民性教育とワールとスタディーズの本質 130217
2価値観とビジョン-わたしたちはどこへ行くのか?         130324
3市民としての行動力を育てる-政治的リテラシー、アドボカシーへ 130428   
44つの教育は一つ-共通する課題   130602
5社会科教育は、市民性教育か?130811
6倫理、道徳は、市民性教育か? 130915
7市民性教育と消費者教育や反貧困教育、労働者としての権利の教育-セーフティネットとしての教育  131023
8市民性教育とESD-未来のための教育へ


最終回の今回は、オーストラリアのジョン・フィエン氏の論文『ケアすることを学ぶ:教育と共生感』という論文の紹介を中心に、市民性教育とESDの関係を考えたいと思います。

ジョン・フィエン氏は、ERICの人権教育テキスト『いっしょに考えて! 人権』(p.46)にも紹介している「4つの教育は一つ」という洞察を共有してくれたオーストラリア、グリフィス大学環境教育センターの所長です。環境教育、人権教育、開発教育、平和教育の4つの教育は、それぞれ「環境について教える」「人権について教える」というコンテンツ・教育内容については独自の分野を持っているけれど、「環境のために教える」とか「平和のために教える」という視点からは、同じように社会改革のための「市民性教育」という共通のスキル目標を持っているのだというのが、フィエン氏の指摘したことです。

その後、ESDの取り組みが始まると、ESDによって環境教育がどのような質的転換を遂げなければならないかを論考していました。ESDは4つの教育の集合体であるだけではだめなのではないかと。

今回紹介する2003年の論文では、環境問題の解決のために構造的社会的問題に取り組むだけではなく、「ケアする心」や「compassion」を育てることが大切なのだと論じています。フィエン氏は、社会派環境教育者と分類できると思いますが、社会改革につながる行動だけが大切なのではなく、「自分自身」や「他者」を大切にケアする心が、大切なのだ、そのバランスをどう取ればいいのか、そして、果たして、フィエン氏らの実践がバランスのとれたものであったのかどうか、再点検をしておられます。

その事は、すでにERICが「社会的な関心や気づき」だけではなく「無力感」から有力感へという個人の指標を大切にしてきたことと軌を一にしています。

社会的な共通の課題についての「気づき」からERICのテキストも開発されてきたのですが、一人ひとりが「わたし一人が何かしたって」という無力感を学習しているのであれば、まずは、「有力感」の基盤を育てる必要がある、そのために人権教育で言われている「自尊感情:セルフエスティーム」や「相互尊重的自己主張:アサーション」などの人権を通して人権尊重社会を実現するためのスキルを身につける必要があると、言ってきました。

それがERICの「学び」とテキスト開発の三期であるのです。(『環境教育指導者育成マニュアル』ERIC,1999年、資料編p.70参照)

(1)気づきから行動へのアクティビティを中心としたテキスト開発
(2)セルフエスティームやコミュニケーション能力などの演習テキスト開発
(3)社会的合意形成のための方法論、フューチャーサーチ会議やワークショップの方法論

市民性教育と言うと、ERICの学びの第三期にあるような社会的合意形成の方法やスキルのことだと思われがちですが、教育である以上、ホリスティックであること、学習者を全的な存在、生活者であり、市民であり、唯一無二のいのちであり、生徒であり、子どもであり、それらのすべてが、一人の中にあるというようにアプローチすることは、当然の要請です。

市民性教育というのは、地球や他者に対する「ケアする心」を育てること。育てるというのは「広く」「深く」していくこと。他者に対してケアするためには、自分自身をケアできていること。

今回、翻訳していてもっとも難しかったのは「compassion」でした。最初、共感と訳していたのですが、sympathyやempathyとどう違うのか。同義語辞典を引けば、sympathy=compassionとトップに出てきているのですが、フィエン氏が「異なる」意味を付与しているものは何かを考えた時、共感を一歩すすめた言葉が必要だと感じました。

共感というのは、同情でも、同感でもなく、他者が感じた感情になるべく近い感情を自分自身も感じること。

それが、わたしたちが「共感的傾聴」のトレーニングを行っている時に、説明していることです。同情というのは、状況への理解であり、同感という状況に対する同じ判断ということですが、共感というのは、状況が理解できなくても、同じ判断が持てなくても、他者が感じた感情を感じることができること、です。

Empathyの場合は、感情移入と訳されたりするので、よりわかりやすいですね。

Compassion の語源の成り立ちはシンプルです。Conが共に、passionが熱意。特に、キリスト教的背景ではキリストの受難という意味もあるようです。

共感が感情のレベルであるならば、compassionは、フィエン氏が言わんとしているように「行動につながる熱意」のレベルまでを含む言葉として訳す必要があるということです。

感情は、価値観の現れであり、感情は行動の基盤です。強い熱意が行動につながります。

そういう意味では、共感と訳して十分であるはずなのですが、「感情」だけいう印象は否めません。

Compassion 共感だけではなく、その思いの共有から行動力へと、行動の源泉につながるものというジョン・フィエン氏の定義を尊重するならば、それは「共生感」とでも訳すべきものだと言えるのではないか思い至りました。

自分自身を、他者を、そして地球を「ケア」=大切な存在として扱うこと。

わたしたちが身につけるべきスキルであり、モラルであり、価値観ですよね。共に生きるために。

ケアするという具体的な行動につながる心、共感=共生感を育てるための教育が、いま、すべての教育の基盤として求められている。それが地球市民としての「市民性」の背景にある考え方であり、持続可能な開発のための教育がめざす人材育成だと思います。

ぜひ、フィエン氏の論文をお読みください。

わたしたちが共に生きるために共有すべき価値観を、示しつつ、そこからどのような行動や態度をとるかの選択と決定は、一人ひとりに任されている。それが「教化」ではなく、「教育」のなすべき役割なのだと。

Learning to Care: Education and Compassion
John Fien
Australian School of Environmental Studies
Director, Griffith University EcoCentre
Professorial Lecture
15 May 2003

http://www.griffith.edu.au/__data/assets/pdf_file/0018/314613/fien03.pdf

日本語訳
http://ericweblog.exblog.jp/18988618/
http://ericweblog.exblog.jp/18988625/
http://ericweblog.exblog.jp/18988628/

■□■ご案内 世界森林センター2014年セミナー■□■
オレゴン州ポートランドにある世界森林センターが毎年開催している「国際教育者学舎」の日程が決まりました。2014年7月13-19日です。

25名の募集で、3月1日締め切り。選考結果は3月15日までに、わかります。
参加費は$1800で、6泊の宿泊とすべての食事(ベジダリアン対応可能)、
見学会などの交通費を含みます。

We are pleased to announce registration is now open for the World Forestry Center International Educators Institute July 13-19, 2014.
http://wfi.worldforestry.org/index/international-fellowship/international-educators-institute.html
ぜひ、内容をチェックしてみてください!

■□■ERIC主催・ESDファシリテーター養成講座■□■
今年も6本の主催研修を行います。要項はERICホームページから。
http://www.eric-net.org/
前期の三本は、テーマから迫ります。そして、後期はスキル育てです。
3. テーマ「人権」 平成25年2013年9月28日29日終了しました。
http://ericweblog.exblog.jp/18703175
4. スキル「対立」 平成25年2013年10月26日27日終了しました。
http://ericweblog.exblog.jp/18871676
5. スキル「市民性」 平成26年2014年2月22日23日
6. スキル「教育力向上講座」平成26年3月末予定

■□■ERIC25周年に向けたご寄付のお願い ■□■
 1989年誕生の参加型学習老舗のERIC国際理解教育センター。
 これまで続けて来られたのも、企画委員、運営委員、理事、テキスト購入者、ファシリテーター育成事業参加者など、みなさまのおかげです。感謝です。
これからもよりよい「指導者育成のための実践」推進のための情報提供、研修プログラムの提供などに努力していきたいと思います。

 日常活動に加えて、25周年に向けて、事務所のリニューアル、フューチャーサーチ走向未来ワークショップの開催など、企画しています。
 特別活動支援のために、テキスト活用、研修参加などのご支援に加えて、ぜひ、ご寄付をお寄せください。よろしくお願いいたします。
ご寄付先 金融機関
ゆうちょ銀行口座: 
10020-3288381 名義:トクヒ国際理解教育センター(ゆうちょ銀行同士)
◯◯八(ゼロゼロハチ)店008-0328838 名義:トクヒ国際理解教育センター(他の金融機関から)

*********************************************************
  (特定非営利活動法人)国際理解教育センター
ERIC:International Education Resource & Innovation Center

〒 114-0023 東京都北区滝野川1-93-5 コスモ西巣鴨105
  tel: 03-5907-6054(研修系) 03-5907-6064(PLT・テキスト系)
  fax: 03-5907-6095
  ホームページ http://www.eric-net.org/
  Eメール   eric@eric-net.org
  blog 「 ESD ファシリテーター学び舎ニュース http://ericweblog.exblog.jp/
  blog  「PLT 幼児期からの環境体験」
http://pltec.exblog.jp/
  blog 「リスク・コミュニケーションを対話と共考の場づくりに活かす」
http://focusrisk.exblog.jp/
  blog アクティブな教育を実現する対話と共考-ESD的教育力向上を目指して
http://ead2011.exblog.jp/
  blog 平和の文化への道を拓く平和教育 翻訳プロジェクト
http://pepathway.exblog.jp/
[PR]
by eric-blog | 2013-11-24 07:56 | ERICニュース | Comments(0)

第65回 全国人権・同和教育研究大会

a0036168_1452246.jpg

a0036168_1452258.jpg

a0036168_1452335.jpg

a0036168_1452474.jpg

[PR]
by eric-blog | 2013-11-23 14:50 | Comments(0)

わたしたちの地域の未来を考える ―フューチャーサーチを人権の視点から

栗本敦子さんの実践です。

2013年11月13日
部落解放・人権政策第18回びわこ南部地域研究集会
「住民・団体・啓発」部会
わたしたちの地域の未来を考える ―人権の視点から

○はじめに
フューチャーサーチ会議とは
様々なステークホルダー(利害関係者)が一堂に会し、対立や利害関係を超えて、新たな未来へのアクションを探求し、合意形成を行うためのワークショップ型会議の手法。1980年代から、おもに英国等でローカル・アジェンダ(地域計画)の作成プロセスに使われているほか、紛争解決、組織開発、地域開発、学校教育などの分野で世界中で活用されている。共通の課題について利害を有する8つのセクターからそれぞれ8人ずつ合計64人(半数でも可)の参加を募り、通常3日間で開催する。
[会議の構造]
1.過去の共有:個人・世界・テーマに関する国内外の出来事を関連づけながら分析
2.現状分析の共有:テーマを巡る因果関係の共有
3.未来のシナリオ:実現のために努力したい未来像に焦点を当てる
4.共通基盤の確認:未来のシナリオの最低限合意できるところに焦点を当てる
5.行動計画づくり:合意を実行に移すための行動計画

○過去の共有[10:30-12:00]
個人的な出来事・世界的な出来事・おもな出来事(地域と人権に関して)
*共通のテーマと、特徴的なパターンを整理する
*3つの年表を見て、個人的、地域的および世界的な歴史を通して浮かんでくる関連性は何ですか?

○現状分析の共有[13:00-14:00]
現在、「びわこ南部地域」の人権をめぐる動きに影響を及ぼしていること

人権尊重の地域づくりにむけて 問題整理の対比表
「誇りに思っていること」「好ましくないと思っていること(現在負っている責務)」

○理想的な未来のシナリオ - 共通基盤の確認[14:00-15:30]
2040年のあなた自身・地域はどうなっている?
地域のようす、日常生活での価値観、行政/企業/住民の取り組み、etc…
(コストや実現可能性にとらわれず、努力する価値のあるような夢や想像はすべて!)

ロールプレイで発表

○行動計画づくり[15:30-16:00]
共通の未来のためにとりくみたいこと・努力したいことは?
短期的(1年先)/中期的(7年先)、個人として/グループとして
[PR]
by eric-blog | 2013-11-22 15:42 | □研修プログラム | Comments(0)

福島第一収束作業日記 3.11からの700日間

福島第一収束作業日記 3.11からの700日間  余計な不安と嘘めいた安心にさようなら

ハッピー@Happy11311、河出書房新社、2013
2095冊目

エピローグ「希望 オイラの願い」だけでも読んでほしい。

収束作業は、東電とわけるべきこと。

地震だか、津波だか、爆発だか、なにがなんだか因果関係がはっきりしないままに、いまだに現場検証がされていないこと。これからクリーニングが始まる前に、検証することが大切なこと。

作業員の確保が課題であること。そのためにも身分保障をしっかりすること。

原発稼働のソフト面の課題を解決すること。

利権のがんじがらめに戻さない事。

日本の国家の面子にかけて取り組むベキ作業だ! と。

そして、ぜひ、こちらのニュースクリップも見てほしい。

「チェルノブイリから福島へ~未来への答案」(日本テレビNNNドキュメント 2013年10月27日放送 46分)
いまだに1700人が事故処理にかかわるチェルノブイリ原発。作業員は国家資格で働き、多国籍。福島への教訓多し。
http://www.at-douga.com/?p=9826

本の半分の高さもある帯に書かれた津田大介さんの言葉もすごい。

「ハッピーさんがいてくれてよかった」

いとうせいこうさんもするどい。

「余計な不安と嘘めいた安心をどれだけぬぐいさってくれることか」

写真は東電提供。

密度の濃さは、3.11とあの爆発事故を経験し、この本を読む誰しもが共感することだ。

一日2-3mSvも被ばくする現場もある中で、どこまで現場のがんばりが続けられることか。

それにしても、あまりのお粗末さに、吹き出すこと必死。折々、ひまひまを見て、「こぼれ話」を拾ってみたくもあり。
[PR]
by eric-blog | 2013-11-20 14:29 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

ある奴隷少女に起こった出来事

ある奴隷少女に起こった出来事
ハリエット・アン・ジェイコブズ、大和書房、2013
2094冊目

大橋稔氏(城西大学)「アメリカ黒人女性にとっての歴史 ─ 被害者の自信回復のための課題」以来、トニ・モリソンやゾラ・ニール・ハーストンなどを読み返している。
http://ericweblog.exblog.jp/18871808/

これまでにブログで紹介してきた奴隷制度時代の本も、ざっと検索しただけで、以下のような感じだ。

私が売られた日 DAY OF TEARS
http://ericweblog.exblog.jp/7839227/
心は泣いたり笑ったり マリーズ・コンデの少女時代
http://ericweblog.exblog.jp/11737813/
農園主と奴隷のアメリカ
http://ericweblog.exblog.jp/7884027/ 『ある奴隷少女に起こった人生の出来事』1861年一部所収

大統領の秘密の娘
http://ericweblog.exblog.jp/3660615/
セイディとベッシー アメリカ200年を生きた私たち
http://ericweblog.exblog.jp/5453272/
あなたがもし奴隷だったら
http://ericweblog.exblog.jp/5232033/
生命の樹 あるカリブの家系の物語
http://ericweblog.exblog.jp/2105006/

1861年に出版された本書は、1987年に再発見されるまで、埋もれていた。それが、2011年、新幹線に飛び乗って仕事先に向かう一人のワーキング・ウーマンによって「発見」され、すでに『ハリエット・ジェイコブズ自伝』(明石書店、2001)として翻訳されているにもかかわらず、再翻訳された。10年で再出版されるという珍しいケースである。

訳者は、翻訳者でも、文学者でも、研究者でもない、普通の勤め人。新幹線の中の3時間、はまってしまった。車窓の外に、なんのくったくもなくさざめいている女子高生たちを見ながら。

つまり、リンダの「殴る力もないのに、怒りでぶるぶる震える」ことは、いまの現実なのだと、共感するがゆえに、訳しているわけだ。

奴隷という状況にもかかわらず、自らの尊厳を守る気概に満ちたリンダ。苦難に耐えた強さ。それが、いまを生きるわたしたちの胸をうつのだと。

解説とも呼べない解説を、佐藤優さんが書いているのも、「囚われの身である事」からの連想か。

ジェイン・エア、若草物語、小公女などが、同時代の、女性作家による女性主人公の物語だという。

赤毛のアンでも1908年だものなあ。子ども時代の愛読書だったのだけれど。これからはこの本が少女たちの愛読書になるのだろうか。少なくとも、『テス』『女の一生』なんかを読む高校生ぐらいにはね。

「奴隷」というレッテルで、「これはわたしの物語だ」と読むのか、それとも「これはわたしの物語ではない」と読むのかも、読み方が「焼夷弾」と「ナパーム弾」ほどにも違ってくることだろう。

「囲われものの少女の人生」

とでも訳せば、これは、わたし自身のことだとわかるかもしれない。

自由とは、人を自由にすること  トニ・モリソン
なのであれば、

誰も自由になってはならない。

この囲われものの人生がある限りは。

追記 2013年11月26日

アリス・ウォーカーは『母の庭を探して』で、黒人女性の描かれ方を「女同士でいがみあうのはもうおしまい」という論考で考察している。

トレリー・ジェファーズ「真っ黒い肌の黒人女性と黒人中産階級」より
アフリカン・アメリカンはみんな、真っ黒い肌の黒人女性の子孫であることは疑いのない事実である。自分の祖先の黒人女性は、白人の奴隷所有者に傷つけられ侮られたというのに、その白人奴隷所有者の血をありがたくおしいただく人々の運命は、どんなものになるのだろう。

そして、アリスは、小説のなかで描かれる美について、白人と肉体的に見分けのつかないこととして賞賛されていることを指摘する。

アフリカン・アメリカンであったウィリアム・ウェルズ・ブラウン『クロテル、黒人の女主人公』1867
は、「黒人女性の大半は、白人の愛人になり、きれいな洋服をまといたいという望みを強く持っていた」と描き、
さらにアリスは言う。「かれらは奴隷で無力だった。それなのに「官能的」とか「情熱的」とか形容して中傷している。」「不道徳行為の責任を、もっとも罪のない者に押し付けている」と。120

文学が真実をねじ曲げ、想像力を誤らせてきた。
「文学や人生における私たちのお手本は、たいていの場合ひどいものだった」
「抑圧社会における抑圧者の勝手な幻想は、抑圧されているものにとってはすべて破壊的である。」137
[PR]
by eric-blog | 2013-11-20 14:03 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

ウォーター・ウォーズ 水の私有化、汚染、そして利益をめぐって

ウォーター・ウォーズ 水の私有化、汚染、そして利益をめぐって
ヴァンダナ・シヴァ、緑風出版、2003
原著2002
2093冊目

明治時代に、日本が近代化をすすめた時、個人の財産権を基盤にした民法制度を導入した。その時に、共同体が守った「共有権」が三つある。入会権、漁業権、そして水利権である。

と解説できるのは、熊本一規氏の講演ならびに著作によるのだが、なんと、ブログに紹介していないことが判明。『海はだれのものか:埋立・ダム・原発と漁業権』ぐらいは紹介しておく必要があるよねぇ。

さらに言えば、これらの共同体の権利に加えて「入浜権」を主張し、宣言が出されたのが1975年。公害問題、高度経済成長など、企業活動によって海浜が脅かされていた時のことだ。作家の松下竜一氏の活動によって、有名になったが、いまも続いている。

本土では、工業地帯以外ではあまり見かけないが、沖縄に行くといわゆる「プライベート・ビーチ」が巨大ホテルによって囲い込まれている。しかし、そんな風景は、海外に行けば、金網で仕切られた浜辺に警備員がわんさかいたりする。日本の海辺の風景の方が、珍しいくらいだ。それは、日本の海浜が、川辺と同じく、基本的には国交省の管轄であるからだ。

漁業権が生業保護という経済がらみであったものが、入浜権はいずれかという景観を争ったためか、確立されることはなく、いまに至っている。ということは、明治時代に上記の三つの権利をねじ込んだということは、すごいことだったと言えるのか。

民主主義とは共同体に根付くべきものなのだ。共同体が地球規模に広がったからと言って、それをあきらめる理由はどこにもない。

この本を翻訳したのは神尾さんという記録映画作家の方。初翻訳だという。Privatizationを「私有化」と訳しておられるこだわりも、よい。昨日紹介した「ペテン学」を思い出して欲しい。通常、Privatizationは民営化と訳される。が、「民営化」とは「私有化」のことなのだ。民営化というと、民主的で、民間主体で、いいんじゃない?と思わせるトリックがここにもあるね。「民営化」とは、企業による私有化、囲い込みのことなのだ! 水を私企業に売っぱらうな!

原子核物理研究をしていたシヴァ氏が、チプコ運動にであった環境運動に転換したことはよく知られていると思うが、この本が衝撃的なのは、彼女の実体験の中に、水の豊かな国が水不足に陥っていく変貌が、あったということだ。

集水地帯で鉱山採掘したことによって川が干上がった。
ユーカリの単一植林が、デカン高原の貯水池や川を干上がらせた。
緑の革命のテクノロジーが水をがぶ飲みし、水飢饉が起こった。
産業廃水によって水源が汚染されたことで、水不足が起こった。

「どの場合を見ても、水不足の物語は、欲望とずさんなテクノロジーと、自然が補充し浄化できる以上のものを手に入れようとする人たちが登場する物語なのであった。」23

ヴァンダナ・シヴァという人を生み出したのは、いまの時代の矛盾がもっとも顕著に現れた現場なのだ。いま、彼女は有機農業の農場を運営しているという。

水は、気候と、地理(地形)と、植生と、地質(地層)によって決まる。

現代人は大地を酷使しているのだ。

1985年、インドの最高裁は、ドゥーン警告の石灰石採掘鉱山の53カ所に閉鎖の命令を出した。しかし、1980年代のこのような民主的環境的勝利は、グローバリゼーションによって覆されてしまったと、著者は言う。31

石灰岩の採掘が、別の地域からすすめられたのだ。

もう一つ、水資源を脅かすのが、自噴井戸ではなく、くみ上げ井戸である。Tube well管井と、訳されている。

「どこの家にも食べ物があり、どこに行っても水がある。マルワの土の豊かさよ」と言われたインド中央部のマルワ大地も枯渇した。37

グジャラト州では、1930年代、井戸が灌漑用水の78%を満たしていた。政府と世界銀行とが地下水の吸い上げ管井が増設され、地表水層の水位が下がり溜め池が枯渇した。40

強力な吸水技術は水の枯渇につながっただけだった。42

テクノロジーによるエコロジーの問題解決は成功していない。

乾燥地帯は牧畜文化を支えてきたし、半乾燥地帯では保護感慨を伴う乾地農業が営まれてきた。

水を市場化することで、稀少な資源が高価格になれば、水の保守につながると、自由経済主義者は言う。43

水が高ければ、他の商品に解決が求められていくだろうという、彼らの考え方に、誰が同意できるだろうか。水に代わるものはないのだ。

水の危機は商業主義によって引き起こされた生態系の危機であるが、市場では解決できない。44

水の危機を終わらせるために環境の民主主義が求められている。

水は誰のものか?

水利権   自然権であり、使用権であり所有権ではない。
川岸所有権 使用権、共有財産、理性的使用の概念

カウボーイ経済学が、アメリカ西部の鉱山から始まった。早い者勝ち主義だ。53

もう一つの問題が「ダム」の課題だ。ナルマダダムの事例は、日本の環境運動の中でも知られた事例のひとつだろう。「ダムはムダ」などの国内の運動にも影響を与えている。著者は、インドにおける大型ダム建設の環境アセスの多くに関わり、「どのケースにおいても社会的コストが利潤をはるかに上回っている」ことを報告している。121

これらの大規模開発に投資しているのが世界銀行だ。彼らは投資に対する利益見込みを誇張している。

住民の生活を転覆してしまう。

農業、灌漑、植林、ダムだけではない。飲料水や水道事業も「私有化」が始まっている。

1999年、ボリビアで水道事業の民営化が決定された。水道料金は賃金の20%以上にもなり、反対運動が起こった。2000年、市民連合による抗議行動が民営化法を撤回させる。175

2003年2月、日本政府は「水道事業の民営化」の方針を発表した。もとい、「私有化」であるが。
[PR]
by eric-blog | 2013-11-20 09:45 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)