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人権教育指導者養成講座 2.5時間 「いじめ・体罰・ハラスメント」

人権教育指導者養成講座
2013年2月1日 午前9時30分から午前12時まで (2時間30分)

ねらい: 人権意識を磨く、参加型学習の方法を知る

「いじめ・体罰・ハラスメントは、権力関係の上下がある場で起こる力の濫用=暴力」である。
「関係性」があるということは、それはコミュニティの課題である。
「権力は、力を付与する人がいるから、行使することができる」
「無関心・無自覚・無視は、権力のある側に対して力を付与することになる。」

以上のことが明確に共有できて、良かったです。毎年人権研修に行っている自治体なのですが、なんと7割の職員が女性だというのです。今日の参加者も25名中14名が女性でした。採用試験の成績で決めたら、結果こうなってきたと。行政は「社会的有利性の再配分機能」であり、正義の味方。人権感覚を磨いて、よい町にしてください。

以下、大きく変えたのは、最初のミニレクチャーでノートテイキングと傾聴をいれたこと。「自分を見つめる4つの窓」の項目を小振りのものに変えたこと。「正確に聞く傾聴」へステップアップしたこと。
後半のプログラムの点検の視点に「コミュニティの課題」を追加したこと。

タイムリーな話題だったので、盛りあがりました。


記録

セッション1 共通基盤づくり 人権教育で伸ばしたい力
9.30-10.35
1.ミニレクチャー「参加型学習を支える参加の三つのスキル」「アドラーの所属・信頼・貢献」
2.ノートテイキング
3.傾聴[ペア作業1’×2]
4.自分を見つめる4つの窓
(ア)わたしのいいところ、10個
(イ)人のことをほめたこと・認めたこと
(ウ)人から褒められたこと・認められたこと
(エ)わたしを育てたもの
5.正確に聞く傾聴[ペア作業(1’30+1’)×2]
6.「人権の学びあいのための」話し合いのルールづくり[ペア作業→全体共有]
7.「積極的参加のバリアは何か?」[ペア作業] 追加のルール=発言は持ち出さない。誹謗中傷陰口につなげない。
8.ふりかえりのノートテイキング

セッション2 いじめ・体罰・ハラスメント
10.45-12.00
1.後だし負けじゃんけん「頭で分かっていることが、からだでできるようになるまで、やるのが人権尊重文化づくり」
2.スポーツと教育 [ベン図で整理する、4人一組のグループ作業、模造紙]
3.気づいたこと・感じたこと・学んだこと
4.セクハラの訴えを聞くロールプレイ [相談者・相談を受ける人・オブザーバーの三人一組で、三回行う。いじめ・体罰・ハラスメント+親からの暴力(4人一組のところがあったので)] ふりかえり
5.「訴えを聞く姿勢」5か条づくり[4人一組に戻って]
6.人権ガイドラインで「点検する」
7.「コミュニティの課題」という視点。コミュニティの体質改善。
8.ノートテイキング
9.グループで共有「良かった点・アイデア・残された疑問」

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プログラムの流れ
セッション1 共通基盤づくり
9.30-10.30
1.自分を見つめる4つの窓
(ア)わたしのいいところ、10個
(イ)10人の親しい人々
(ウ)去年はできなかった、でも今年はできる
(エ)わたしを育てたもの
2.傾聴
3.話し合いのルールづくり
4.ふりかえりのノートテイキング

セッション2 いじめ・体罰・ハラスメント
10.40-12.00
1.スポーツと教育 [ベン図で整理する、グループ作業、模造紙]
2.セクハラの訴えを聞くロールプレイ [三人一組で、三回行う。いじめ・体罰・ハラスメント]
3.「訴えを聞く姿勢」5か条づくり
4.人権ガイドラインで「点検する」

1.のオルタナティブ
暴力って何? [連想図、グループ作業、模造紙に書く]
(ア)暴力とは、力の濫用であり、力のある側から力のない側に対して、行使される。
(イ)物理的な暴力だけでなく、経済的・精神的・社会的なものがある。

■ 「学校教育法」第11条
○ 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

■体罰防止のためのガイドライン

群馬県教育委員会
http://www.pref.gunma.jp/05/x1810180.html

神奈川県大磯町
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/kyoiku/bodyhitbousi.pdf

文部省初等中等教育局教務関係研究会 『教務関係執務ハンドブック』

「以上、要するに体罰とは、物理的行為によって身体に侵害を加える場合および生徒にとって社会通念上許されない程度の肉体的苦痛を生じさせるものである。ただし、身体に侵害を加える行為がすべて体罰として禁止されるわけではない。傷害を与えない程度に軽く叩くような行為は、父兄が子供に対して懲戒として通常用いる方法であり、校長および教員が単なる怒りに任せたものではない教育的配慮にもとづくものである限り、軽く叩くなどの軽微な身体に対する侵害を加えることも事実上の懲戒として許される。つまり時には、叩くことが最も効果的な教育方法である場合もあり、いわゆる「愛の鞭」として許される程度の軽微な身体への行為ならば行っても差し支えない。しかし、同時に心身の未発達な生徒の人権の保護についてはあくまで慎重を期さねばならない。
たとえ教育者としての愛情から出た行為であっても傷害を与えるようなものではなくても、なるべく身体の侵害と受け取られるような行為は避けるように努力することが望ましいといえよう。」

■スポーツと体罰 なぜ、スポーツ指導における体罰が容認され続けてきたか?
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by eric-blog | 2013-01-31 12:38 | □研修プログラム | Comments(0)

接客サービスの労働過程論

接客サービスの労働過程論
Interactive Service Work and Labor Process Theory
鈴木和雄、お茶の水書房、2012
1914冊目

生産労働研究からサービス労働研究へという動きは、経営学に比べると立ち後れていたと、著者は、序章で指摘する。

サービス労働の管理のアプローチとして「生産ライン・アプローチ」というのは、「管理者が設計し、従業員がそれを実行する」というヒエラルキー的な統制志向アプローチ。

それに対し、エンパワーメント・アプローチは、労働者の参加と自己管理、参加志向アプローチ。従業員の「エンパワーされた精神状態」と「選抜と投資によって、権限と責任を付与」し、主体的に顧客に対するアプローチ。

そもそもサービス労働の特徴は何か。M.コルジンスキの議論が紹介されている。

1.無形性 intangibility
2.消滅性 perishability
3.可変性 variability
4.生産と消費の同時性 simultaneous production and consumption
5.不可分離性 inseparability

サービス生産への「顧客・消費者の直接参加」。

『マクドナルド化する世界』の著者、リッツアは、これからの労働移転の変化を見通すために、次のような枠組みを提示している。329

対人志向サービスa vsシステム志向的サービスb
非社会的サービスA vs社会的サービス B

aA=職人的サービス
bA=システム化されたサービス
aB=隣人的サービス
bB=マクドナルド化されたサービス

この社会的と非社会的という分類がわかりにくいが、二次元軸による分析は、おもしろい。

接客労働の三極関係、感情労働、労働移転。

三極関係とは、管理者、労働者、顧客。

いま、「営業」と言われる人びとも、サービス労働だなあと、事務所に来る営業さんたちを見ていて思うなあ。

教育の問題は、ここでも語られない。

ジェンダーと権威の問題については、ホックシールドの論文が引用されている。
管理される心 感情が商品になるとき
http://ericweblog.exblog.jp/3355925/
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by eric-blog | 2013-01-31 08:52 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

第五回 憲法学習会

第五回 憲法学習会
2013年1月29日 火曜日 at平和委員会

22条から27条。

自民党改憲案はこちらから。
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

「公共の福祉」という表現は、人権を制約できるものとして、以下の4つの条文に見られる。
第12条・第13条・第22条・第29条
自由、尊重、居住・移転・職業選択、財産

福祉とは、豊かさやしあわせを表すことば、Welfareである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%A5%89
「不幸にならないように措置するもの」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1245167137

社会保障と公衆衛生という施策によって、公共の福祉を守ろうと、社会は措置する。

「公共の福祉を人権相互の矛盾を調整するために認められる実質的公平の原理」
個人を尊重する現行憲法のもとでは、「公共の福祉」を理由に、人権を制約することが、無制限にできるとは考えることができない。

自民党案では、第22条からは、この表現は消えている。
そして、第12条第13条、第29条では、「公益および公の秩序」に自民党案では変えられている。

より外在的、より拡大解釈が可能な表現になっているということだ。

「自由と民主主義は商品である」チョムスキー

学問の自由の条項には「何人も」とされていないために、誰に対しても、国が保障するというものではなさそうだ。「学問の自由は、保障する」。しかし、自由が商品であるとするならば、その商品を買える力を、国は保障すべきであるなあ。

昨晩は、初めて、その後の飲み会に行かなかった! 

おお、こんな情報も、別のところから寄せられた。

『サルでもわかる脱原発を急ぐワケ』(http://project99.jp/?page_id=73)の作者、安部芳裕さんに聞く。
http://twitcasting.tv/kochi53/movie/8860603

次回は、一週休んで、2月12日。一ヶ月に3-4回がいいなあ。毎週はきついね。

平和委員会の二橋さんへのインタビューをまとめました。「アクティブな教育を実現する」ブログの方にアップしています。

http://ead2011.exblog.jp/17724532/
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by eric-blog | 2013-01-30 13:05 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

白村江 古代日本の敗戦と薬師寺の謎

白村江 古代日本の敗戦と薬師寺の謎
鈴木治、学生社、1995、オリジナル1972
1913冊目

いま、仏像文化は、政治から切り離されて鑑賞される芸術だけになってしまった。和辻哲郎氏の『古寺巡礼』が果たした役割を認めつつ、果たして仏像や寺がそれだけのものであったかというと、違う、というのが、この本である。

薬師寺は、唐との太いパイプ。仏像の様式は、そのつながりを示している。

天地天武持統の時代に、白村江の戦いで勝利した唐が、どのように影響力を行使したかを読み解く。

それは、豪族の間の覇権争いともつらなっていく。


岩上安身さんが「虜になるような文体に出会う」本として紹介されていたので、読んでみた。残念ながら、歴史背景についての知識が少なすぎて、理解できなーーい。しかし、確かに、わくわくと、躍動的な物語りとして、当時の政権争いと、海外からの影響力、介入が描かれている。平城京、難波京、藤原京、長岡京、平安京の遷都につぐ遷都。そして、寺も移築ではなく、新築。それは、日本に国力を費やさせたいとたくらんだ唐からの介入の結果だったのだと。

薬師寺本堂の三尊と講堂の三尊を比較してみて見るのも、おもしろいだろうかなあ。
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by eric-blog | 2013-01-30 10:56 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

第四回 WILD&WET+PLT全国大会

ふりかえりテーターとして、二つのセッションで、「ガイドライン」を共有できました。満足。

みんな、なんていい笑顔なんだ!

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by eric-blog | 2013-01-28 17:02 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

ASEAN人権宣言

http://www.hurights.or.jp/archives/newsinbrief-ja/section3/2012/11/post-81.html

アムネスティの批判

http://www.amnesty.or.jp/news/2012/1113_3619.html

ASEAN政府間人権委員会が起草
http://aichr.org/

ドキュメントはこちらから

http://aichr.org/documents/

問題になっている「一般条項第6条、第7条、第8条。

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アムネスティは次のように指摘している。

「とくに懸念されているのは、同宣言の一般原則だ。現草稿の一般原則第6,7および8条によると、人権は「義務の履行に見合って」、また「国家および地域の状況」や「異なる文化・地域・歴史的な背景」に応じて与えられるとされている。」

自民党改憲案の第12条とも通じるところがあるね。

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。 」
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by eric-blog | 2013-01-28 16:18 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

いじめ・体罰による自殺がひきおこす波紋とメディアの報道のあり方について

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ぜひ、WHOの視点によって、いまの報道を点検してみませんか? What do you think?

*****************
WHO世界保険機構による「自殺予防--メディアのためのリソース」

Preventing Suicide

A Resource for Media Professionals

http://whqlibdoc.who.int/publications/2008/9789241597074_eng.pdf

p.7 「メディアのための簡単ガイド」 より

Quick reference for media professionals

• Take the opportunity to educate the public about suicide
 自殺について公衆を教育する機会を活かす。

• Avoid language which sensationalizes or normalizes suicide, or presents it as a solution to problems
 自殺をセンセーショナルに取り上げたり、当たり前のことだというような表現、あるいは自殺が問題解決の方法だというように見せるような表現を避ける。

• Avoid prominent placement and undue repetition of stories about suicide
自殺について、美化したり、何度もくりかえしストーリーを出したりしない。

• Avoid explicit description of the method used in a completed or attempted suicide
自殺あるいは自殺未遂で使われた方法をこと細かに描写することを避ける。

• Avoid providing detailed information about the site of a completed or attempted suicide
 自殺あるいは自殺未遂が行なわれた場所についての詳細な情報を提供しない。

• Word headlines carefully
 見出しの付け方は慎重に。

• Exercise caution in using photographs or video footage
 写真やビデオの仕様は気をつけて行なうこと。

• Take particular care in reporting celebrity suicides
 有名人の自殺について特に報道の仕方に気をつける。

• Show due consideration for people bereaved by suicide
 自殺によって残された人々に対して、必要な配慮をはらう。

• Provide information about where to seek help
 助けをどこに求めたらよいかの情報を提供する。

• Recognize that media professionals themselves may be affected by stories about suicide
 メディアに従事している人々自身が、自殺にまつわるストーリーから影響を受けているかもしれないことを認識する。

その他のWHO文書

p.8参照
http://whqlibdoc.who.int/hq/2000/WHO_MNH_MBD_00.2.pdf

自殺について
http://www.who.int/topics/suicide/en/
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by eric-blog | 2013-01-28 14:27 | ○子ども支援・教育の課題 | Comments(0)

わたしたちは、殴られなければ、わからないのか?

福島のビデオレターが、Facebookでシェアされてきた。
あまりにも、被害に焦点を当てた内容なので、シェアはしないことにした。

こんな風に情報提供されなければ、行動変容しない、自分の行動を決められないとすれば、
それはすでに、教育の敗北だと、思うからです。

教育は、人をなぐって、行うものではありません。
一方的な情報提供は、情報による投打です。

グリーンピースは「Mind Bomb」、人の心に爆弾をしかけるということを1980年代は言っていました。
公害反対運動、食品安全運動などの時代には、有効な運動論だったと思います。

しかし、爆弾は、より強い刺激でなければ反応しなくなるということも、人をより強い刺激に慣れされる、向かわせるということも、見てきました。

シェアしてくれた方に、以下のようなメッセージを届けました。
愉しい環境教育を届けてくれている人に、感謝です。

「深み」も獲得していくのは、教育者の責任です。

***************

放射能の影響を気にしないことはできません。

わたしたちの時代は、核分裂・原子力という、いまだ人類が制御することのできないパンドラの箱を開けてしまった時代です。その責任から逃れることはできません。わたしたちも、その意思決定に、関わっていたし、関わっているからです。

放射能そのものは、自然界に存在します。わたしたちが手にすることができるものは、自然界とわたしたちが呼んでいるもの以外のものはないのですから。

石油や石炭という化石燃料を使うことを知ったのも、わたしたちの時代の特長です。もしも、二酸化炭素の過剰排出による地球温暖化が確かなことで、それは避けるべきことなのだとすれば、わたしたちは化石燃料の利用も見直さなければなりません。

同様に、核分裂エネルギーも、その影響が、環境を破壊するのであれば、わたしたちは、その利用を見直す必要が、当然あるでしょう。

スウェーデンの「ナチュラル・ステップ」という団体は、地球に、わたしたちが生きていくためには、守るべき原則があると、提案しています。
http://ericweblog.exblog.jp/12465679/
1)自然の中で地殻から堀り出した物質の濃度が増え続けない。
2) 自然の中で人間社会の作り出した物質の濃度が増え続けない。
3) 自然が物理的な方法で劣化しない。
4)人々が自からの基本的ニーズを満たそうとする行動を妨げる状況を作り出してはならない

グリーンピースという団体を立ち上げた人が提唱し他「生態系の三原則」は・多様性・相互依存・循環でした。

地球がこれまで持続してきた、そして、これほど豊かな生き物環境へと進化してきた、その原理原則を知り、そのあり方に学ぶこと。それが環境教育の一つの役割だと思います。地球のルールと共生できる文化や文明へと、わたしたちのあり方を変えなければならない。

しかし、石油・石炭・化石燃料文明の恩恵はとても大きいものです。ゆっくりと、体質改善する必要があると思います。

核分裂エネルギーはどうでしょうか? 課題は、副産物と廃棄物の環境への影響です。それが放射能です。

太平洋という地球最大の水資源を、日本の原子力発電所の事故が、汚染し続けています。これは、とても大きな責任です。これからも汚し続けることでしょう。日本学術会議の専門家は、シルト(海底土)に粘着して、再び対流してくることはないと、結論づけていましたが、あまりにも希望的な研究でしかありません。彼らは、しっかりと、国際社会に対しても説明責任を果たそうとしているのでしょうか? 日本の諸学会は、国際社会に対して、大きな説明責任を、自然科学、社会科学、人文科学の別を問わず、負うたのだと思っています。

それが、これから求められる国際貢献の大きな柱となるでしょう。こんな時に、軍事的貢献がどうのこうのと、国費を費やすことなど、とんでもないことです。

わたしたちは、まだまだ知らないのです。わたしたちの責任は、まずは「知る」ことです。その上で、自分ができると考えること、職業人としてだけでなく、地球市民として、そして家族の一員として、地域社会の構成員として、できる行動を、持続可能性の方向に向けて、修整しつつ、生きることです。

長い、長い、モニタリングの、責任を、日本という国は、核分裂について、国際社会の他のどの国にも増して、刻印されてきたのです。ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、第五福竜丸の被ばくによる水爆実験、そして、フクシマです。

もちろん、米国の責任も大きいものがあります。原水爆の開発・実験・使用、アトミック・ソルジャーのその後、スリーマイル島原子力発電所の事故など、もっと主体的な刻印が、あるのです。

しかし、人口比にして、日本の約2倍の研究者を有する国です。核分裂・原子力についても相応の研究・モニタリング体制をとっていることでしょう。

「たしかなのはただ、この
先も変化は続くということのみである。変化の原因として人間が関与することはまち
がいない。,,,人間には、影響を予測することができるということだ。」

http://ericweblog.exblog.jp/803974/

わたしたちの社会は、もっと賢くならなければいけないのではないでしょうか?
そのためには、少なくとも、学齢期にある子どもたちの「学習からの逃避」に公教育が加担してはならないはずです。それは、未来に対する罪だと、わたしは思います。

学校教育は、よりよい質の教育、学習する意義のある学習、学習者の主体を育てる教育を提供する責任があります。

社会教育、企業教育も含めて、その他の人材育成に関わる人びとにも、同様の責任があります。

持続可能性のための教育は、すべての教育的指導者育成の根底に、共有されていかなければならないものなのです。

環境教育にたずさわる人間として、しっかりと知ること、自分にできることを行うこと、よりよい質の教育を提供できるように、学び続けること。

1人ひとりが選択する、意思決定する、考える、主体を育てること。それがわたしたちができる最大の貢献だと、思います。
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by eric-blog | 2013-01-28 09:13 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

かくれんぼう で遊ぼう!

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by eric-blog | 2013-01-27 19:58 | ☆アクティビティ・アイデア

鎮守の森

鎮守の森
宮脇昭、新潮社、2000
1912冊目

そうだよねぇ。安定した、地域の生物的多様性の宝庫であり、聖域は、「鎮守の森」だよねぇ。

この本の最後で、著者が、曹洞宗総持寺の貫主さんと対談している。曹洞宗の寺だけでも、全国に13000あるのだそうだ。

しかし、著者は、「寺は無住になると荒れるが、神社は、30社を1人がみているような場合でも荒れない」という。それが村の鎮守さまの強さなのだと。


そして、その地域の気候風土にあった「潜在自然植生」を主木とその他の多様な総体として、実現しているのが、「鎮守の森」なのだという。

阪神大震災の後も、屋敷林のように木が植えられていたところは、ぺしゃんこにはならなかった。人工の建物は、それこそ、「フラット」に壊れてしまったのに。

鎮守の森が、地域の生態系的多様性の、サンプルであり、宝庫であり、保護区であり、バンクである。

そうかあ、そだよねぇ。

巨木なども、残されている場所は、聖域であることが多い。

武闘的ナショナリズム、国家神道は大嫌いだけれど、そして、なぜ、地域の神社が易々と、国家的全体主義に取り込まれていったのか、まだなぞだし、知りたいことなのではあるが、地域生態系、そして、風土の保全に、神社が果たした役割の大きさは、知るべしだね。
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by eric-blog | 2013-01-27 19:27 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)