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スポーツ障害から生き方を学ぶ ケガをめぐる競技者たちの語り

365-2(1572)スポーツ障害から生き方を学ぶ ケガをめぐる競技者たちの語り
杉野昭博、生活書院、2010

たぶん、同じ頃、大学院にいたはず?
文化人類学専攻と、履歴にはある。

2007年に出した『障害学』という大学院レベルのテキストを学部レベルのものに、当事者の体験や語りを取り入れて書いたもの。

最近、北原恵さんの名前もジェンダー系で見るし、同世代、同エリアで接点があったかもしれない人びとが活躍していて、心強い。

「当事者研究」ということで、浦河べてるの家との出逢いがあるのもおもしろい。ケガをだましだまし、競技に向うスポーツ選手が、試合当日体調に裏切られてしまう、それが統合失調症の人が社会復帰しようとする時に起こることと似ているのだ、とも。

ケガさえなければ、あの時、ああしなければ。ケガをした自分を攻め続けるかぎりは、そこは無間地獄なのだ。いまの自分を受け入れること。

著者は、障害という範疇が広がってきている。その結果、ほとんどの人が障害者だと言えるほどであり、障害者支援はユニバーサルな支援を考える方向になりつつあるという。

「障害者」としてより強い支援を受けていた人にとっては、それは「既得権」を脅かされるような議論かもしれないし、「健常者」というレッテルに安住していた人にとっては、境界線のあいまいさは、自身の、改めて問うたこともないアイデンティティの脅かしとも映るかもしれない。

著者は、共生の社会とは「がまん比べ」なのだと表現している。うーーーん、よくわからないニュアンスなのだが。「既得権の我の張り合い」、がんばることと、やせがまんとの綱引きのようなものか。

体育と言えば、徒競走。そして徒競走と言えばベッタ、でしかなかったわたしには、何やら遠い世界なのではありますが。

当事者の語りを「紙芝居」にしているのが、教材的には、とてもすごいアイデアだと思った。やはり、スポーツによる障害は、どこか明るい。その感覚はどうこから?
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by eric-blog | 2010-09-30 08:30 | ■週5 プロジェクト10 | Comments(0)

殺したらいかん 益永スミコの86年

365-1(1571)殺したらいかん 益永スミコの86年
益永スミコ、影書房、2010

ドキュメンタリー映画『死んどるヒマはない』

大分の寒村で生まれたときのことから話が始まる。1923年関東大震災、大杉栄事件が起きた年の11月のことである。その後、益永さんが三菱重工爆破事件の片岡利明さんと養子縁組をし、その裁判闘争に関わる中で大杉栄さんと伊藤野枝さんの娘、伊藤ルイさんに出会う。それはもっとずっと後のことなのだけれどと。

病院で産婆として働いているとき、「手抜き看護」を改善するために労働組合を結成。信頼関係でつながることが、組合運動では大事だと、一人ひとりを説得する、しっかりと手をつなぐ。

1974年、ちょうど仕事をやめて、大阪に住んでいたとき、三菱重工爆破事件が起こる。

「わたしは、若者たちにすまないと思った。若者たちに事件を起こさせたのは、わたしら大人の責任だと思った。・・・自分たちのやった侵略戦争や植民地支配を本当に反省して、社会が変わっとれば、あんなことにはならんかったやろう」64

無知、無関係、無言が、罪だったのだと、益永さんは、自分のおいたちや人生の中で、ひっかかったことでも、押さえ込んできたことが、だめなのだと、できることから、行動するようになった。

憲法9条を守れ
裁判員制度反対

「国は憲法を守らないで、人が生活できないようにして、人をいじめて、追いつめて、それでもやむなく犯罪をする人に、厳罰を与えるなんておかしいんよ。」72

ストレートでいいなあ。
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by eric-blog | 2010-09-29 15:14 | ■週5 プロジェクト10 | Comments(0)

コルトハーヘン氏「省察モデル」ワークショップ

コルトハーヘン氏「省察モデル」ワークショップ

オランダ、ユトレヒト大学の教師教育学者、フレット・コルトハーヘン氏によるワークショップの概要。

2010年9月24日 17時-20時 教職教育期間にある学生対象、約20名
2010年9月25日 10時-13時 東京都教育委員会、指導主事、その他約20名

省察については、これまでもこのブログでも、ERICの研修でも取り上げてきている。行動の氷山モデルも、対立の解決などのスキル・トレーニングの中で紹介してきた。そういう意味では、新しい学びは、その構成と、教師教育に対するメッセージだろう。
ぜひ、このモデルが多くの大学における教師教育の現場で広がってほしいと願う。

気づかされたことは、ワークシッョプの組み立てである。
26日の講演会に出ていないのでわからないのだが、コルトハーヘン氏の持ち札はこれだけではない。しかるに、「省察」に焦点を当てた3時間として、非常にうまく構成されている。その筋立てを紹介しよう。この組み立てそのものを伝導師として実践できるファシリテーターを何人か育ててはどうだろうか?

1.「学習」についての考え方の変化 「専門家から学ぶ」から「自らが学ぶ」へ  時代の要請の大きな変化 問い: この変化はなぜ?
2.「変化」の背景: 時代の変化の加速化=学んだことの陳腐化・時代遅れ化、成長し続ける力、自信、構成主義的学習者理解、新しい学習観への対応
3.そのために「省察」を、教員養成における学びに取り入れる
4.「省察モデル」: ①教えている状況 ②状況をふりかえる ③本質への気づき ④行動の代替案を作りだす ⑤試行してみる
5.「行動の氷山モデル」: 目に見える「行動」の海面下には、「考えていること」「感じていること」「欲していること」が隠されている。
6.「省察モデル」で本質にせまるための問いの構造:  「行動」「考えていること」「感じていること」「欲していること」についての4つの問いを、教える側だけではなく、学ぶ側についても、推察してみる。
7.省察モデルの実践ワーク: ペアで、ある状況について協力して省察する。
8.省察の演習:「実践ワークをふりかえる」 何を省察したか。成功例か失敗例か。
9.成功例をふりかえる
10.学校現場に当てはめる: 子どもにとって、大切なことは?
11.ワークショップそのものをふりかえる。「何が重要だったか」「それをどう活用するか」

それぞれのふりかえりから共有された「事例」を元に省察を深めていく方法が省察のリアルが見れてよかった。あれは、なかなか、誰にでもできることではないね。


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□印象的なコメント
・省察モデルの「第二局面」から「第四局面」に飛び込む人が多い。「どうしたらいいのか、答えがほしい」。第三局面の「もっとも大事な、本質的なことは何か」を抜かしてしまうと、枝葉末節な行動主義的改善だけに終わってしまう。
・「あなたにとって重要なこと」しか、育てられない。
・「Reflection in action」行動の中で省察する。
・Teacher as researcher. 調査研究者としての教員。
・子どもをよく観察する。強みを見いだし「名付ける」言語化する。Name it.


□ワークをサポートする「調査」研究の引用
・ミハイ・チクセントミハイ「フロー理論」
目の輝きによって、意欲や集中を「見る」ことができる。また、そのような時の学習は「速い」Learning go very fast.
・Martin Seligman 「ポジティブ心理学」
自分自身の強みを発見し、その強みを一日三回「強化」する機会を持ち、一週間実践し続ける。すると人は「幸福度」が増す。半年後でも、対照群とは有意に幸福度が違っていた。

□用語について
mentorメンター
『教師教育学』翻訳チームはmentor teacherのことを「指導教諭」と訳している。現場の学校における担当教員にあたる。米国、英国の事例で、大学の指導者がmentorする例があることは知っているが、日本ではどうなのだろうか? 教育実習の指導実態を知らないので、mentor teacherを、現場の学校限定的な役職名で訳していいのかどうか、ためらう。
strength力、強み
「力」と訳すと、内在的、内発的、自律的。「強み」と訳すと、相対的、比較の尺度のように、思えてしまい、とまどった。他と比較した「強み」を見いだすのか、その人に内在する「力」を見いだすのか。わたしとまったく逆のニュアンスを感じる人もいるんだろうなあ。
Growth competency 成長しつづける能力
これは、コルトハーヘン氏がミニレクチャーの中の重要なキーワードとして位置づけていると指摘した単語。「し続ける」と訳している翻訳者の感覚に、賛成である。が、訳しにくい言葉だよね。Competencyには「ある専門職にとって求められる標準として設定される力」遂行能力というニュアンスがあるから、もう少し「必須」という意味を強めたいところだ。
Counter-culture, comfort zone
文化的な快適感覚帯を脅かす、広げることを「counter-culture」文化対抗的な、と表現したのだろうが、「カウンターカルチャー」とか「サブカルチャー」とかって、特有のニュアンスがあるので、とまどうね。
Behave, act, action
Behaveは「振る舞い」や「態度」と訳される方に近い行動。Actはラテン語からで、その時の動き的なもの。
こだわり
参加者の発言で使われた「important重要だと思うこと」についての表現。Concernとか、particular, peculiarは心配とか偏りを感じさせるけど、「あなたにとって」と問われれば、出てくる言葉だよね。ぴったり訳せないけど。
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by eric-blog | 2010-09-27 19:08 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

わきまえの語用論

364-4(1570)わきまえの語用論
井出祥子、大修館書店、2006

第22期国語審議会が「敬意表現」を「これからの敬語」問題について答申したことを知ったことは、わたしにとっては大きな驚きだった。

139-1(669) ジェンダー学を学ぶ人のために

などに、その未来型提案の現実的な効果を書いた。

この本の著者である井出祥子さんがその第一委員会の主査を務めたという。

日本語はコンテクスト・場の要素なしでは話せない言葉である。238
その場の要素を認識していることを「わきまえ」と言う。この言葉は、すでに欧米の言語学界においてはwakimaeとして通用しているという。

自己を同定し、自己と他者の関係を同定し、その関係のおかれた文脈を同定し、語用を選択し、決定する。同じことを言うにも40通りもの選択肢があると、欧米の学者が指摘し、それはどのようにして可能なのかと、日本人学者である著者に目が集まったとき、彼女が説明したのが、わきまえであり、ほとんど自動的に決まるということであった。

日米の話者を比較し、「対誰」に対して、どのような表現を使うかという調査をした。すると日本語話者は、大きな偏りが出る。対して米英語話者は、全体にぼやけたひろがりになる。つまり、日本語話者は、ほとんど迷いなく、「対誰」によって敬語を使い分けている。米英語話者も使い分けているのだが,本人の判断が入り、選択肢として話者本人が決定しなければならない余地が大きい。102-103

井出主査の前の主査であった徳川宗賢主査の言。「僕は、敬語についてはだれにも負けず絶対間違えずに使う自信はある。だけど、そんなものは何にもならない。正しく使ったからといって、気持ちが伝わるものではない。」141

人に応じて、判断を加えている米英語話者の方が、「考えている」し、「自分を出している」とも言える。ポジティブ・ポライトネスの世界。

敬語をうまく使えない人が不利に扱われることがあってはならない。
日本社会をもっと風通しのよい社会に。
外国人にとってもわかりやすく。

その努力の先に、あなたたちはどんな社会をめざしているのか?

そのビジョンが示されることはない。
どこを読んでも「民主主義」「人権」などの言葉は出てこないのだ。

おもしろいねぇ。「天下」の国語審議会でねぇ。ビジョンを表現する一つの概念はないのだ。中島みゆきのCDや内館さんのコメントで、敬意表現の具体例は「これで、すべて出揃った」と思えるところまで、出したのに。142

その判断の根拠となる点検の視点は、一言で言えば、何か。

それは言わないんだよねぇ。

日本社会は分散型ネットワークシステム、欧米は集中型ヒエラルキー・システム。187(吉田和男)

濱口さんの「間人主義」の考え方も引用されている。

わたしたちの社会はどこへ行くのか。

Language uses us, as much as we use language.

心は新しきを求め、言葉は旧きを慕う。

「わきまえ」を発見し、それを欧米学者らに説明すればするほど、言葉が井出さんを使って生延びていく。そんな思いがまざまざとした本であった。

そのひきづられ感がおばけ屋敷のように鳥肌がたつほど、怖くて、嫌いですが、第4章、第5章はとてもよくまとまっているので、紹介します。

Taro is sick.  日本語では?

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by eric-blog | 2010-09-24 09:21 | ■週5 プロジェクト10 | Comments(0)

スウェーデンはなぜ強いのか

364-3(1569)  スウェーデンはなぜ強いのか

北岡孝義、PHP新書、2010

スウェーデンも伝統的性別役割家族観に基盤を置いた社会であった。1930年代、既婚女性の就業率は8%でしかなかった。戦後、社会民主党政権は経済成長のために女性を労働力として就業促進に取り組んだ。
伝統的な家族は崩壊し、離婚や自殺が増えた。
そこまでは日本に似ている。日本と来たら、女性の安い労働力に依拠しながら、都合の悪いことは「女性の社会進出に伴う家族の崩壊」のせいにして、政策をとっちらかったものにしただけだ。いまだに、そのシーソーごっこをやっているだけだ。

スウェーデンの社会民主党政権は社会参加における男女平等の理念は下ろすことなく、伝統的家族の衰退に伴って生じる社会保障、子育て、介護などを、国が肩代わりする「国民の家」構想を立てる。
特に教育と医療は、民営化によるサービスの低下が認められる部門であるので、民営化をしない。が、市場に任せる部門がないわけではない。国内総支出に占める政府支出が50%を越えている。さらにその45%は地方政府によるものだ。
著者は枝葉末節のスウェーデンの表層に目を奪われているだけでは何も学べないと警告する。
そして日本人が学ぶべきなのは「制度や政治に対する信頼という無形の社会資本だ」と。

国家理念の共有
政治の透明性を進める改革
政治への国民意識の向上

その基本は教育だろう?とわたしは思うのだが。

わたしがスウェーデンを見ていて感じることは、いい意味で実験的実証的だなということ。一人ひとりが考えて、より良くする余地を感じていると思った。それって参加していてうれしいよね?

それが信頼の元になっている。

改善は一つのビジョンに向けて、評価、点検、改善行動が繰り返されること、PDCAサイクルと言えるのだ。

日本のように、二枚看板の付け替えごっこは消耗するだけだ。
右派左派の政治的対立がありつつも、改革は合理的。

それは持続力のある官僚?優秀な地方公務員?議論できるコミュニケーション?600万人という人口?

少なくとも、パートタイムの一院制国会議員が答えではなさそうだ。

静岡大学が支援して進めている「YECユース・エンパワメント・コミュニティ」が若者の意識調査を日本とスウェーデンの比較で実施。ネットで結果がゲットできます。

特に自由記述の部分について、彼我の差を感じました。

(2つにファイルがわかれていますので、両方をご確認下さい。)
http://ow.ly/d/6FW
http://ow.ly/d/6FU


ericかくた なおこ
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by eric-blog | 2010-09-23 17:04 | ■週5 プロジェクト10 | Comments(0)

よい教師をすべての教室へ 専門職としての教師に必須の知識とその習得

364-2(1568) よい教師をすべての教室へ 専門職としての教師に必須の知識とその習得
L.ダーリング-ハモンド、J.バラッツ-スノーデン、新曜社、2009

A Good Teacher in Every Classroom: Preparing the Highly Qualified Teachers Our Children Deserve, 2005

全米教育アカデミー National Academy of Educationが後援した教師教育改革のための報告書。

同著者が関連した出版物としては以下のものが紹介されている。
Preparing Teachers for a Changing World: What teachers should learn and be able to do, 2005

The Right to Learn: A blueprint for creating schools that work, 1997

Powerful Teacher Education: Lessons from exemplary programs, 2006
Powerful Learning: What we know about teaching for understanding, 2008
Preparing Principles for a Changing World: Lessons from effective school leadership programs, 2009
Developing Learning-Centered Schools for Students and Teachers, 2010

本書の原題の訳し方からして、日本社会が完全に「子ども」の側を向いている訳ではないことを示していると、勘ぐってしまう。なぜ『すべての教室に、よい先生を 子どもに価値ある専門職を』と訳さないのか。

提言では第一章「教師は何を知らねばならないか」で三つの項目を上げている。
◯学習者と学習者の発達についての知識
◯教科とカリキュラムの目標についての知識
◯教えることについての知識

わたしは「人間と人間社会について理解すること」が教師に必須のことだと思っているが、それはたぶん「学習者」の項目と「教科」の項目にまたがるものだと感じた。教科というものは、人間社会が築き上げてきた科学がその背景にあるからだ。

第二章では教師がこれらの知識をどのようにして学べるのか。
第三章では教員養成への示唆
第四章が政策への提言
となっている。報告と提言の書であるので、比較的小振りであり、100ページ程度。

教員養成については、従来の教員養成が「理論偏重」「バラバラで有機的でない」「共有された理念が不在」など、日本の大学における教員養成にも当てはまる批判が述べられている。
「よい教育とはどういう教育か」という首尾一貫したヴィジョンの元に、より統合されたプログラムのデザインは1980年代後半から試みられてきているという。55
それらのプログラムに共通の特徴は
・ 発達、学習、教科教育,評価についての知識に基礎をおいた共通の核となるカリキュラムが、実践的文脈で教えられる。
・ 適切に定義された実践基準と遂行基準に沿って、コースと実習がデザインされ、評価されている。
・ 長期の実習経験(少なくとも3週間)がコースに組み込まれ,綿密に指導される。
・ 大学と学校に強い結びつきがあり、両者はよい教育とは何かの基準を共有しており、それがコースと実習を通じて一貫している。
・ 事例研究の手法や、教師研究、パフォーマンス評価、ポートフォリオ診断などを用いて、教師の学びを教室実践と結びつけている。
56-57

ヴィジョン、知識、姿勢、実践、ツールの「学びの共同体(コミュニティ)」
このコミュニティという概念がリアルな学校共同体のように聞こえるが必ずしもそうではなく、これらの有機的なつながりの中で「教えることを学ぶ」ための枠組みなのだと説明されている。58

ツールには「教室で用いる」概念的ツールと実践的ツールがあるとする。
概念的ツールというのは「発達の最近接領域」「文化に適合した教育」などの学習理論や教育についての概念が含まれ、それらの概念は実践を助けるのだという。実践的なツールとは教科書や評価の手段など。

ベティ・リアドンの言う「理念を教育的ツールに」ということが、教師教育にも活用できるということだ。

おもしろい。

さらに、実りある教育方法として以下のものが上げられている。
・ 教育実習とインターンシップ
・ ティーチングポートフォリオとパフォーマンス課題
・ 教えることと学ぶことの分析
・ 事例研究
・ 探究とアクションリサーチ


いずれにせよ、大切なことは、これらの既知の知識をどのように実践の中で有機的にいかせるようになっていくか、そしてそれを評価点検しつつ改善工夫していけるか、である。

重層的な教育文化が積もっている日本の学校現場、大学教育において、どこまで「よい教育とは何か」についてのヴィジョンが共有されうるか。共通のヴィジョンなしで、改革は可能か。

ここまで明確な提言を突きつけられると、日本社会における改革の道遠さに、くらくらする。
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by eric-blog | 2010-09-23 08:07 | ■週5 プロジェクト10 | Comments(0)

ライフログのすすめ 人生の「すべて」をデジタルに記録する!

364-1(1567)ライフログのすすめ 人生の「すべて」をデジタルに記録する!
ゴードン・ベル、ハヤカワ書房、2010

自分の人生をデジタルデータとしてまるごと記録できるようになる。

著者は1934年生まれ。コンピューター業界の重鎮である。序文はビル・ゲイツ。

人と会う時に、式の挨拶を頼まれた時に、自分とその人の関係を思い出す。
最初に会ったのはいつだったか、どんなエピソードがあった人なのか。ライフログから確認して、言葉を練ることができる。

医者にいく時も、最新の生体情報、体温・血圧・体重の変化、を提出して受診することができる。

そんな未来を、著者は描き出す。

先週末は父の通夜・告別式、葬式だった。父がまとめていた写真集。若い頃のものが一冊。母の若い頃のものが一冊。その他は、子どもや孫とともに過ごした毎年、毎年の写真がファイルにまとめられていた。

これらの写真以外に、三人の子ども、つまりわたしもその一人なのだが、結婚や子どもの出産などのきっかけで、それぞれに写真集を譲ってもらっているのだ。わたしは、三冊、もらっている。これも共有できたらよかったなあ。

通夜・葬式ともに式場で行なった。その大量な写真集を段ボール箱に入れて、持ち込んだ。最近では「モニター」サービスもあるようなのだが、そんな量で対応できるものではない。家族喪に集まったみんなで、アルバムを覗き込んだ。

唯一残された父の兄弟姉妹である叔母の若い頃、父が新築したわが家から、最初に嫁入り道具をトラックで荷だしした風景。

ずいぶんお世話になった我が娘の写真はどういうわけか、家族旅行で初めてとことこ歩いた時の写真まで、アルバムに貼られ,整理されていた。どのように入手したのやら。子どものことがうれしかった若い夫婦の親ばかか。そこからずっと、二十歳の成人式の写真まで。

姉の子どもたちの写真もどっさり。

そして、航空隊の帽子をかぶった同士での旅行や宴会の写真。

47回、20数カ国出かけたという海外旅行の写真。

父が元気だった頃の記憶が詰まった写真集である。

カメラに向かって、笑顔を向けている、しあわせの記憶。

家族に、友人に、教え子たちに、囲まれて、つながれて。

つないだ糸が減っていって、彼は、淋しくなっていた。

父が、このような通夜の席を予想していたかどうかはわからない。
しかし、いい通夜だった。彼はしあわせだったのだと心から思えた。

その思いで、父を送り出せたことは、わたしにとっても幸せなことだった。
涙は出るが、悔いはない。喪失感はあるが、悲しくはない。

これからも、想い出の数だけ、涙が出ると思う。
それは悲しみの涙なのではなく、想い出に対する慈しみ感を味わう時間のためなのだ。時間という測りがたいものを、涙という生体感覚が測ってくれる。
父への思いとして、追悼するのに、どれほどの時間がかかるのか、からだが示してくれているのだ。素直に泣こうと思う。

父が危ないと電話を受けた16時13分。事務所から帰宅し、とりあえず、今回でなくても実家においておこうと喪服を黒い鞄に詰め込んで、17時01分の山手線から17時30分の新幹線に乗った。気も急いだが、からだも急いだ。

走ることも、急ぐことも、誰かとともに語ることも、できない。飛んで行くこともかなわない。なすことのない2時間半。わたしは、どうすればいいのだろうかと、考えていた。

悲しむべきなのか、取り乱すべきなのか、泣くべきか泣かざるべきか。
わからなかった。

だから、からだに任せることにした。頭では判断できないのだから。何をどう考えても、考えた上での行動は、ウソになるから。父を送るのに、ウソは許せない。

ライフログの時代、わたしたちはますます「意味」を自らが見いだし、重みづけすることが、「わたし」の証明となるだろう。情報ではない生の感覚。

父の写真集がかき立ててくれる記憶は、そのまま、わたしの生の証明でもあるのだ。父の葬式で、わたしはわたしのからだ感覚を力づけてもらうことができた。
写真でしかない。しかし、その写真がかきたてるものは、わたしだけのものなのだ。生命の流れを滔々と流れ、織りなす、赤い血の流れるいのち。

そして、そこに写る一人ひとりに、しあわせの時間の感覚を取り戻させてくれたはずだ。

ありがとう。お父ちゃん。しあわせにね。

こんなライフログも、ありだよね。
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by eric-blog | 2010-09-22 09:47 | ■週5 プロジェクト10 | Comments(0)

100人の村と考える種

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363-5(1566)100人の村と考える種

中野裕弓、ビジネス社、2010

2001年、突然大ブームになった『もしも地球が100人の村ならば』の翻訳をした著者が、新たな装いと自らのメッセージを込めて書いたもの。わたしはこの絵が好きだ!

共に生きるために大切なことは3つあると。

acceptance
understanding
education
受容・理解・共に生きるための教育

元のメッセージはドネラ・メドウズ博士、『成長の限界』プロジェクトをまとめ一人だ。

FOOD FOR THOUGHT


考える種

と訳されているのが秀逸だ。

ericかくた なおこ沅
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by eric-blog | 2010-09-16 13:09 | ■週5 プロジェクト10 | Comments(0)

地球の食卓 写真で学ぼう! 学習プラン10

地球の食卓 写真で学ぼう! 学習プラン10
開発教育協会、2010

フォトランゲージ
国あてクイズ
国の中の多様性
おやつで元気
おいしい食べ方
いただきます
多様なイスラム教徒の生活
難民の生活を知ろう
食卓から出るごみ
未来の食卓

以上の10の学習プランと、それぞれのプランの小中高の社会科における学習指導要領対応表つき。
『地球の食卓』ToTo出版のメインの写真が平焼きでセットになっている。
しかし、これは不要だなあ。ToTo出版のものを購入して、かつ、学習プランを購入できるようにすれば、この冊子76ページのうち23ページ分は不要である。
メインの写真は『地球家族』と違い、見開きではないので、コピーしやすいし。

とはいえ、これだけあれば、すぐ学習に活かせるセットになっている点は買い、である。2800円 プラス送料。

写真のコピーライトは『地球家族』の時と同じく、ピーター・メンツェル、ユニフォトプレス。
版権が高いので、ERICの『地球家族』フォトランゲージの増刷は手が出ていないのだが。
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by eric-blog | 2010-09-16 10:50 | ☆アクティビティ・アイデア | Comments(0)

学校で愛するということ

363-4(1565) 学校で愛するということ

中森明夫、角川書店、2009

ある高校では、色々なことが起こっている。いまも、そしていままでも。

学校で起こる出来事オンパレードで、話しは一人称的にも三人称的にも語られていく。屋上で喫煙、サボリ、いやいやながらの生徒会、先生好き!、ガールズラブ・・・・
そして、突然、二人称で、語りかけられるのだ。語っているのは誰だと思うかと。

語り口はさらに優しさを増し、視線は遠く広くなる。

戦時中へ、学校の創立へと物語はさかのぼる。

最後に現れるモノリスに書かれていたのは・・・。

学校という場を愛そうよ、そこで生きている人を愛そうよ、
高校というときをそこで生きている時を抱きしめようと、
作者は誰に語りたかったのだろう?

誰がそのメッセージを受け止めただろう?

学校で愛するということ。
学校を愛するということ。

ericかくた なおこ尚/
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by eric-blog | 2010-09-15 13:20 | ■週5 プロジェクト10 | Comments(0)