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中島デコさん料理教室

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小国町TAO塾が主催した料理教室。熊本市内の平山林業のホールを借りて開催された。

マクロビ、一物全体食、穀物と野菜、豆を中心としたお料理を教えてもらいつつ、お昼に試食会。
カボチャまんじゅうは、まんじゅうというにはふくらみがなく、お焼きとでも呼びたい感じだが、あらめのフィリングはショウガ味がきいて、不思議なおいしさ。

日本発の食の形が、海外を経て、逆輸入、再評価。
地域興しのレストランには、地元のものを活かすマクロビは「◯」だね。

やっぱり玄米を炊くのはピースの圧力鍋だなあ。

TAO塾のブログでも紹介されています!

10月31日 http://plaza.rakuten.co.jp/taopot/diary/200910310000/
11月1日http://plaza.rakuten.co.jp/taopot/diary/200911010000/

ericかくた なおこ沅
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by eric-blog | 2009-10-31 12:27 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(0)

大分人権研修5時間

3回連続の1回目

参加者45名

セッション1 共通基盤づくり
1 名前だけの自己紹介
2 ふりかえりと共有「経験学習の四段階」
3 人生の河
4 傾聴
5 「わたし・あなた・みんなのスキル」
6 参加者アンケート
・なぜ人権研修を参加型で?
・参加型学習のバリアと課題
・参加型学習をやって良かったこと
・ファシリテーターとしてのスキルアップ

セッション2 気づきから行動へ 流れのあるプログラム
1 IALAC まりの物語
2 4つのIALACで自己紹介
3 IALACを育てるもの阻むもの
4 IALACが伸びる人権尊重社会の指標づくり

セッション3 参加型学習の特徴とファシリテーターの課題
1 ノートテイキング
2 ふりかえりのeQi
3 さまざまな感情
4 感情の背景の価値観を探る
5 正確に聞く傾聴
6 マッサージはメッセージ


ericかくた なおこ沅
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by eric-blog | 2009-10-31 08:31 | □研修プログラム | Comments(0)

21世紀の歴史

322-4(1394)21世紀の歴史
ジャック・アタリ、作品社、2008

日本が現在まで「中心都市」になることができなかった理由とは、これまで日本は、筆者が本書で述べる21世紀の歴史の法則を、きちんと守ってこなかったからである。2

既存の官僚周辺の利得構造の改革、アジアにおける友好的で平和的、信頼にあふれた関係の構築、クリエーター階級の創造などに失敗してきたからだ。

日本が抱えている課題は以下のようなものだ。
◯高齢化対策
◯アジア諸国からの敵意への対応
◯収益性の高い産業の再興
◯金融システムの合理化

日本の課題はアジア、アメリカ、オセアニアの三つの円の接点として三つの円を組織すること。3

1.東アジア地域に、調和を重視した環境を作り出す。
2.日本国内に共同体意識を呼び起こす。
3.自由な独創性を育成する。
4.巨大な港湾や金融市場を整備する。
5.日本企業の収益性を大幅に改善する。
6.労働市場の柔軟性をうながす。
7.人口の高齢化を補うために移民を受け入れる。
8.市民に対して新しい知識を公平に授けること。
9.未来のテクノロジーをさらに習得していく。
10.地政学的思考を念入りに構築し、必要となる同盟関係を構築すること。


アジアでは、自らの欲望から自由になることを臨む一方で、西洋では、欲望を実現するための自由を手に入れること望んだのだ。49

日本の首都、東京は、1980年代にも失敗したが、2030年においても普遍的な価値を創造する能力に欠如しているだろう。例えば、個人の自由は東京の哲学的理想ではなく、東京は外国から才能豊かな人びとを十分に集めることができない。190

超国家、超紛争、超民主主義の三つの潮流。
それらをどのように生き延びるのか。

フランス人であるアタリは、フランスの凋落も見通す。
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by eric-blog | 2009-10-29 08:41 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワーク

322-3(1393)「水俣」を子どもたちに伝えるネットワーク

『いま、「水俣」を伝える意味』2004
『私たちにとっての「水俣」』2005
『市民がひらく「水俣」出前授業』2006
『伝えることから明日の子どもたちへ』2008

2000年に設立された<「水俣」を子どもたちに伝えるネットワーク>。設立の会は文京区で行われ、「大きなかぶ」の内海愛さんが仕出しをしたのだとか。
2003年に行われた原田正純さんの講演会の記録から、四冊の冊子(いずれも800円、http://www.tsutaeru.jp/)

相模原市の環境情報センターでふと手に取ったのが「田尻宗昭さんの講演会記録」。あれ、もう亡くなっているのに、と、不思議に、そして「大きなかぶ」を通じた出会いを懐かしく思いだし、入手しようと・・・電話・・・電話・・・。

それ以外にも四冊出しておられるとのこと。早速送ってもらった。

年間20-十数回の出前授業で、水俣を伝える努力をする中で、さまざまな資料やデータ、体験談、講演会記録などをまとめ直されてきたのだなあ。

相模原、愛知、静岡とネットワークは広い。

伝えるにはエネルギーがいる。
伝えるには熱意がいる。
伝えるには聞き手に届く必要がある。

「水俣」に突き動かされ続ける人々がいる。
波紋は消えない。

これからも活動が広がりますように。
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by eric-blog | 2009-10-28 19:07 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

人権研修1.5時間 コミュニケーションのスキルを磨く

プログラムの流れ
1.コミュニケーションの力を磨くというが、どの? BICsとCALP
2.国際理解教育が目指すコミュニケーションの力 多文化・多様性・共生のための参加の文化
3.IALAC まりの物語
4.4つのIALAC、ひとつは大言壮語
5.傾聴
6.話し合いのルールづくり「◯◯なクラスのための心がけ」
7.四コマ漫画でグループ分け
8.「絵の伝言ゲーム」
9.良かった点・課題の共有
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by eric-blog | 2009-10-28 17:48 | □研修プログラム | Comments(0)

ベーシック・インカム 基本所得のある社会へ

322-2(1392)ベーシック・インカム 基本所得のある社会へ
ゲッツ・W・ヴェルナー、現代書館、2007

もし、わたしたちが「自然資源」を基盤に生きている状況にあるとすれば、その自然環境から得られる豊かさの配分は、すべての人のものだろう。自然環境からの生産を労働によって得る以外に、山菜、柴刈り、川魚、さまざまな豊かさの配分とそれを得る知恵が、あったはずだ。

いまや、わたしたちは物質的な欠乏からは解放された社会に生きている。労働の比重は「文化的な労働」に移りつつあるという。75

ベーシック・インカムは、生活保護、失業保険、年金制度、児童手当など、バラバラと行なわれている施策を合理化する。107

この本を読んで、わたしが感じたことは、貨幣経済社会に生まれたことの恩恵としてのベーシック・インカム、市民所得があることは、生まれた故郷の山野、海、に対するのと同じ気持ちを生むだろうなあということだ。

ベーシック・インカムの考えは、人権概念とも合致する。すべての人に基本的生存権を確保すること。

ベーシック・インカムは、トフラーの未来学の考え方にも合致する。これからの社会は「物理的力」「経済的力」ではなく、愛と統合の力によって築かれると。

「無条件のベーシック・インカムには決定的な前提条件がある。すなわち、私たちは、市民全員が共通の福利を追求する点で結ばれていることを信頼しなければならない。私たちは、個人が各自の貢献をする準備ができていることを信頼しなければならない。これはすでに今日私たちの秩序の基盤になっているものであるがゆえに、ベーシック・インカムは、私たちが現にすでに持っているものの当然の発展的な帰結であり、同時に未来への一歩、もう一つの自由への一歩なのである。」178

ベーシック・インカムのある社会における教育への要請は、ESDの要請と一致する。
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by eric-blog | 2009-10-27 08:56 | ■週5プロジェクト09 | Comments(1)

三つの省察 名古屋TEST08の感想

教育的実践家のための三つの省察。
学校教員対象の研修でも、どんどん使っていきたい、磨いていきたい力です。

名古屋のNIEDのIさんから、こんな感想が、ありました。「技術的省察」「実践的省察」「見通し的省察」
の共有。現場で大切なことですね。


********************
昨年度のTESTin名古屋with ERIC & NIEDでは「省察」がテーマ

でした。

その時のことを思い出し、みなさんが送って下さったたくさんの「問い」

と重ね、ふりかえり、改めて省察の意味と意義を確認いたしました。





名古屋TESTにおいて、わたしが省察を通して学んだことは、



立ち止まり、多様な視点からふりかえるということは、

・今一度自らのビジョンを確認し意識化する機会となる

・その未来に向かうためのプロセスを再度確認する、又は

よりよく描き直す機会となる

・わたしとあなたとみんなの「テーマ」に対する共通基盤を持つ

機会となる

・共にふりかえることを通し、自分と仲間への信頼を高める機会となる

・ここからの選択肢を増やす機会となる





ということでした。
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by eric-blog | 2009-10-26 11:59 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

アップルパイ神話の時代 アメリカモダンな主婦の誕生

322-1(1391)アップルパイ神話の時代 アメリカモダンな主婦の誕生
原克、岩波書店、2009

昨日、一つ違いの川越出身の人と子ども時代の話をしていてのけぞった。市街地ではない、当時の市町村合併で川越市とかろうじてなった周辺町村は、農村地帯。彼女の住む集落の少し先はランプ生活。彼女の家に電話が引かれたのは高校生の時だというのだ。うーーん、おそるべし高度経済成長による全国標準化スピード。

この本の著者はポピュラーサイエンスの著書を多く出しているドイツ文学者。『暮らしのテクノロジー』を追求する中で、メイド、家政婦のいない「なんでもやる家政婦妻」の誕生を発見。1910年代初頭からの、いわば家庭画報のような、「主婦向け」雑誌と「ポピュラーサイエンス」系の雑誌双方からの表紙や記事、広告などに着目して論じている。

科学が「家政婦型妻」の出現を可能にしたのだ。メイドや召使いは不要になった。もちろん、その背景に人種差別撤廃運動などによる変化もあったのかもしれない。専業主婦であれ、職業婦人であれ、家事は一人でこなす時代が到来した。

サイエンスの側からは省力化のアイデアと電化製品が開発、提供され、そして、家政学として「母性」子育て神話による「家事は妻」のイメージの創出。そして「幸せな手作りアップルパイのある家庭」という、女も男も取り込んでいくメディア戦略。

日本社会という言説空間においては、戦後のサラリーマン世帯、核家族化、専業主婦の誕生と、「三種の神器」などの家電化時代が1950年代から怒濤のように押し寄せた時代が、「アップルパイ神話」の時代にあたるだろう。

わたしが感受する葛藤の重層性に拍車をかけるのが、洋食化傾向だろう。あがめるべき「アップルパイ」はないままに、省力化電化は進み、食卓の基準を作り上げたのは、わたしの母親の世代だ。NHKの「きょうの料理」とともに。言説なしで、わたしたちの食卓はありえなかった。

1950年代、アメリカ型20世紀型主婦の第三世代に至って、モダンな主婦像は完成し、アメリカンパイ神話圏も確立する。254

1969年、カウンターカルチャーの夢は、ウッドストックの頂点を極めたとともに、「解放の幻想」が消えた年。「さよなら、ミス・アメリカンパイ」という歌詞に象徴されつつ。256

「できる女」と「かわいい女」の二重生活は、本当に女が求めた幸せの形なのか? 家事省力化広告と肌荒れ防止クリームの広告、できるイメージと女性らしさを若さを失う不安の鼓舞、の矛盾を指摘しつつ、32
神話は完成されたと同時に自己崩壊を内包していたと。259

Reflexitiveな、再帰的な近代は、矛盾をはらみつつ、進む。
そして、「問題発見・問題解決型」「快適・便利で楽しい暮らし」を追求するサイエンスに対し、谷崎潤一郎氏の『陰翳礼讃』に示される東洋的美意識。33

それもまた、もう一つの葛藤だ。

新たな強力なストーリーを欠いたまま、食卓は多様化、グローバル化、無国籍化、伝統志向、健康志向のはざまをさまよう。

ペットボトルのお茶を飲むので、急須がないケースも、あるのだそうだ。その光景の中に、ティーポット、コーヒードリップはあるのだろうか?
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by eric-blog | 2009-10-26 11:49 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

国語教科書の中の「日本」

321-5(1390)国語教科書の中の「日本」
石原千秋、ちくま新書、2009

『国語教科書の思想』の著者による、さらに対象となる教科書会社、教科書を増やして検討したもの。評論的な書き物で、「バカ」という言葉が使われることに驚いた。文脈は、こんなことが理解できないオレがバカなのか、というような反語的使われ方だ。

国語教科書は、「おむすび」が好き、少年の思い出の中の「母」が好き。
基本的に「いいこと」しか取り上げないので、記憶は「古き良き」ものを書いたものになる。

国語教科書が映し出す「古き良き日本」と家族像、母親像、美しい日本。

日本語と言わず国語と言いつづけること。そのことがすでに外国籍の子どもたちにとっては恐怖であるかもしれない。日本語なら学びたいが、「国語」となると、その学びは何?

ということで「国語教科書」に掲載される文章は、決して日本語を教えるためのものになっていかない。教科名を「日本語」にするだけで、ずいぶん教科書は言語指導的にはよいものになるだろうなあ。

「国語」を教える論理としては「古き良き日本」を伝える、になっちゃうよなあ。共同幻想。共同体幻想。単一民族幻想。

「清潔な正しい日本人という日本標準が形成される一方で、階層差別や民族差別の構造ができあがってしまう。」038
「「一つの言語、一つの民族、一つの国家」という建前は、平等という思想を生み出す。平等は近代を特徴づける精神だった。平等という思想は均質化と標準化という暴力的な力を持ってもいた。近代になって形成された国民国家とは、そのような錯綜した力の産物なのである。」039

「国語」と、いつまで言いつづけるのか。

いま、ジャック・アタリの『21世紀の歴史』も読んでいるのだが、20世紀、日本は中心都市になりそこねた、と指摘されている。

国語を教えているかぎり、学習者が国際性、ユニバーサリティに開かれて行くためのハードルは高くなるばかりだろう。

国語教科書の見直しは「PISAの惨敗」から来ている。

論理的思考力の育成が求められるというのだが。日本語は論理的になりえても、国語は論理的にはなれないかもね。
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by eric-blog | 2009-10-24 09:12 | ■週5プロジェクト09 | Comments(1)

国境なき医師が行く

321-4(1389)国境なき医師が行く
久留宮隆、岩波ジュニア新書、2009

45歳にして外科医長の立場を捨てて、国境なき医師団の活動に参加した医師の体験記。

リベリア。アメリカ合衆国からの解放奴隷が自由の地として移住して作ったという国。国名は「自由」から来ているという。

多国籍のスタッフからなる医療チームが、母国の医療環境とは異なる環境で働く。さまざまな衝突が起こるのは当たり前。

しかし、医療という共通の目標に向って、心の国境を取り払って一緒に活動すること。それが国境なき医師団が達成していることではないかと。

「脚や手をなくしたというような人たちも自分の人生を恨んだり失望したりすることなく、社会の中で助け合いながら生きていく」そのことに、日本の医療現場との違いを感じたという。

境遇を恨まない。

医療チームは、医師だけでは成り立たない。ロジステイシャンやアドミニストレーターなど。しかし、日本では一般企業に務めながら国境なき医師団に参加している人はいないそうだ。
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by eric-blog | 2009-10-23 10:21 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)