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狙われた「集団自決」 大江・岩波裁判と住民の証言

318-3(1374)狙われた「集団自決」 大江・岩波裁判と住民の証言
栗原佳子、社会評論社、2009

第二次世界大戦争中に、渡嘉敷島の戦隊長だった人が、大江健三郎さんの『沖縄ノート』『太平洋戦争』の記述とその出版社である岩波書店を相手取って、名誉毀損の訴えを起こした。

この本は大江・岩波裁判を支援する会の人が書いたもの。

裁判そのものを書いたというよりは、1963年生まれの内地人が、沖縄の真実にせまろうと取材した内容が中心。まさか、教科書検定問題に発展するとは思っても見なかったと、後書きに言う。

沖縄戦の真実そのものが梅澤さんら原告の訴えによって、「狙われた」。「沖縄プロジェクト」。

2005年8月5日 提訴。

2006年3月 山川出版「日本史B」高校歴史教科書から「日本軍の島民に対する残虐行為・集団自決の強要などが生じた」記述削除
2007年3月30日 高校歴史教科書検定によって、「集団自決」削除・書き直しを求められた教科書確定。
2007年12月訂正申請で「軍の関与」復活。

2008年3月28日 大阪地方裁判所、原告の請求棄却
2008年10月31日 大阪高等裁判所は控訴棄却

2008年11月20日 「検定意見の撤回と訂正意見勧告を求める要請書」
2009年1月29日 2009年度教科書において「日本軍の強制という記述復活断念の記者会見。実教出版、東京書籍。
2009年2月26日 教科用図書検定調査審議会検定手続きに「申請図書や訂正申請などの情報が流出した場合、審議を一時停止する」ことを盛り込む。

なんという倒錯した年表であることか。なんという倒錯した検定手続きであることか。

戦争で起こったことについての批判や反省や、そこから学ぼうとする姿勢を「自虐」だという国に、世界との共生の未来はあるのか?

皇軍の将校であった人が、一敗地にまみれる。そのことを引き受けずに一軍の長であった人とは何なのか。理解に苦しむ。戦いとは勝つこともあるし負けることもある。という言い方は比喩的だが、負け方の問題でもあるよね。

ま、「南の島に・・・」なども読んでいると、長の立場の人が職業軍人であったわけでもないことはわかるけど。

いま報道される戦争の姿が多様化していて、軍人、民間人の区別がなくなっている。第一次世界大戦などを経て、合意されてきた戦時国際法も、役に立たなくなってきている感がある。

が、しかし、わたしたちは「ジュネーブ条約第四条」に謳われた精神に基づいて、見つめる、見つめなおす、再び同じことを繰り返さないことを確認できる、確信できるように育って行く、子どもたちを育てて行く義務がある。国際社会に生きる者として。

「文民は戦闘対象から除外され、保護される権利を持っています。いかなる時も基本的人権を保障され、人間として尊重されます。特に児童とその母親(妊婦及び 7歳未満の幼児の母)、及び女性は特別尊重の対象とされ、あらゆる暴行、暴力から保護されなければなりません。もちろん男性といえども、あらゆる略奪、虐 待、及び科学的実験の対象になる事などから保護されます。」http://www4.ocn.ne.jp/~tishiki/junebujouyaku.html

「生きて虜囚の辱めを受けず」とは戦陣訓であり、民間人に及ぶものであってはならない。まして、戦陣訓そのものが「ジュネーブ条約」の精神を伝えていないものであったということも、十分に、しっかりと指摘され、共有される必要がある。

(ホント、「カウラの大脱走 20の扉 あなたは生き延びれるか」のアクティビティを年配の方とやっていると、骨身に染みているのだな、この人たちは、と思います。このフレーズを言われる時、「いや、わたしは捕虜として生き延びる権利がある」ということばを発し得ないのですよ。アイゴー!)

人権思想が、皇軍にあったのか?

もし、なかったのであれば、わたしたちは、学びなおす必要があるのであり、美化することが自虐から逃れる道ではないのです。

島民の1/4、十万人の犠牲の上にまだ戦時に置ける人権を学ぶことのできない人びとがいる。いまだにこの国は「戦後」を生きているだけだ。

さて、民主党政権は教科書検定制度にどのような態度で臨むのだろうか。
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by eric-blog | 2009-09-30 11:26 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

子どもはなぜ嘘をつくのか

318-2(1373)子どもはなぜ嘘をつくのか
ポール・エクマン、河出書房新社、2009

嘘をつくのは子どもに限らないが、大人の嘘はしばしば「不正行為」と呼ばれて犯罪になるので、ここでは犯罪未満の嘘ということになる。子どもの嘘の何が問題なのかをしっかりと見極めて対処することが大切だと、著者は言う。

まず、嘘をつく動機である。
・ 懲罰をさける
・ 恥をかくことを避ける
・ 告げ口
・ 仲間を守るため
・ 黙秘権の行使という嘘
・ 自分の地位を高めるための嘘 自慢、自賛
・ プライバシーを守るための嘘
・ 力を見せつけるための嘘
・ 場がしらけるのを避けるため

知ったかぶりなんていうのは、わたしなどしょっちゅうやっていますが、自分で知っていると思っていて、実は間違って覚えていたなんてことも、よくある。特に、ストーリー性の高い物語記憶は、嘘をつきやすい。

なぜ、子どもは嘘をつくのか。
なぜ、子どもが、子どもらしい嘘をつくのか。

実は、それに対する答えはこの本にはない。ただ、高校生ぐらいまでに、子どもらしい嘘は影をひそめていくということ。

著者は、子どもにTruthfullnessを教えたければ、どのような嘘にどう対処するかについて語っている。また、「どんな子ども」が「どんな時」に嘘をつくかも、過去の調査事例を分析して教えてくれる。
・ 知能・性格・不適応度・親の育て方・友人・状況などの変数と嘘の関係だ。113

子どもの道徳性の発達についてのコールバーグ理論についても詳細に紹介されている。

子どもに対する大人の態度としては
・ 怒りを持って接しない。
・ なぜ嘘をついたか、動機を理解する
・ 叱るにも思いやりを持って

と最後にまとめられている。

自分の言うことが信じてもらえなかったことについて、鮮明に覚えていることは多いだろう。しかし、自分が嘘をついたのかどうかは、そして、どうして嘘をついたのかは、論理的に言語化できるようなものとして思い出せないものなのではないだろうか?それほど、嘘というのは葛藤する心とからだと結びついている。

からだの反応や表れについても、嘘発見器などがあるのであれば、言及してほしかった。
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by eric-blog | 2009-09-29 10:05 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

女たちの21世紀 No.59

318-1(1372)女たちの21世紀 No.59
特集 エイジングなんてこわくない? 「老い」とフェミニズム

女は年金世代になって、長年の低賃金を思い知る。17

船橋邦子さんが「老いてひとりになっても安心して暮らせる地域政策とは」という項目で鳥取県の地域婦人会の「みんなで創るわたしたちの地域」というワークシッョプからの提言を紹介している。「地域」という言葉が実態を持たない都市においてはどうなのだろうか。わたしの両親は「子どもの面倒にはならない」とさっさと介護付き老人ホームの下見を済ませてしまっているから、問題はわたし自身ということになるが。

どんなに働いてきても、年金額が「男並み」になることはない。

「家族単位」「世帯単位」の社会保障・福祉制度を変えていかない限り、女の老後が安泰になることはない。

リブの世代が60代になっていく中、これからの発信力と運動に期待しようか?

アンチ・エイジングの木の実バターの産地ネパールでは女性の平均寿命は59.5歳、ガーナでは57歳だという。

辰巳芳子さんのスープの本、『あなたのために』、地球交響曲の佐藤初女さんの『おむすびの祈り』など、80代の彼女らはどう生きているのかしら?

国民年金では暮らせない。国民年金基金を積み立てても暮らせない。

85歳以上では7割以上が女性。65歳以上の女性単身世帯の3割以上が年収100万円以下。都会化と住居の賃貸化傾向が今後増えるであろうと考えれば、高齢者女性の貧困が、これからのホームレスの問題となる時も近いのではないか。

60歳になった中山千夏さんの「自分のカタは自分でつける」革命家としての老後も、なるほどね、ではあるけれど。

『からだノート』
『この国は恐ろしい国』
『リブ私史ノート』
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by eric-blog | 2009-09-28 16:34 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

南の島に雪が降る

317-5(1371)南の島に雪が降る
加東大介、ちくま文庫、1995

単行本は1983年。

いやあ、笑った、泣いた、のけぞった。

昭和18年10月に招集され、ニューギニアへ。兵站にも見放され、アメリカ軍の上陸作戦の相手にもされず、存在し続けた軍隊。こんなのありか? 負け戦を味わった、決して内地に帰されることなく、消耗するのを待つだけの部隊も含め、終戦のあてもなく、戦闘も訓練もなく、生き延びるだけの陸軍40部隊、約7000人。

300席ほどのマノクワリ歌舞伎座を現地で二年半にわたり、運営し続けた、実践記。

7000人の観客たちと共に作り上げた芝居の感動の物語。

自給自足のとぼしいイモを、観劇のためにさしだすほどの観客たちだ。

舞台に雪をふらせた時、東北出身者らの部隊は、泣いたという。

これも、戦争がもたらした物語の一つなのだなあ。

物資だけは潤沢にあるちくはぐさ。
死と隣り合わせた夢の世界。

映画化もされたのだそうだ。
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by eric-blog | 2009-09-26 15:57 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

僕は字が読めない 読字障害と戦い続けた南雲明彦の24年

317-4(1370)僕は字が読めない 読字障害と戦い続けた南雲明彦の24年
小菅宏、集英社、2009

ものすごく文字を認識するのに時間がかかる学生がいる。中学校、高校段階でも見えていたはずだ。本人にたずねてみても、特に読字困難などについての支援は受けていないという。学習困難を抱えている児童生徒に対する手だてがないことを痛感する。頭が悪いのではない。何かの能力に他の人とは違う困難があるだけなのだ。
「選抜」に明け暮れている学校に、さまざまな学習困難に対する個別の手だてなど、思いつくはずもない。いやいや、選抜的体質のまま個別への手だてを強めることは「線引き」行為を助長することにつながるのではないか。

そんなことを思いながら、NHK出版の『病の起源』とこの本を読んだ。

南雲さんという読字困難症であることをカミングアウトして活動している人に対して著者がインタビューを行なってまとめたのがこの本だ。

黒板に先生が書くスピードが速すぎて、書き取れない。
ノートの罫線や枠に文字がおさまらない。
文字を読むのに人の5倍の時間がかかる。
音を拾いすぎてしまい、人の話だけを聞き取ることができない。

などなど。何につまづいているのかが、わかるようになって、書き出してみて見れば、一つひとつ、工夫することのできることなのだ。そして、南雲さんも小学校5年生ぐらいまでは、人一倍の努力と工夫、ごまかしで過ぎていた。自分が人と違うのかどうか、子どもである彼にはわからない。わたしたちだって、自分の見え方が人と違っているなんて、考えたこともないだろう。

しかし、中高と、学業に遅れが出るばかりになり、「人が簡単にできること」ができないことが積み重なって行く。アルバイトを通して社会体験をしてみても、「メモをとる」「文字を読む」ことはついて回る。「できない」というレッテルだけが、症状の把握や手だての前に積もって行く。人からの評価だけではない。自分自身の評価も、「できない」ことへの劣等感ばかりになる。
明るい子どもだった南雲さん、友達が大好きで学校が大好きだった南雲さんが、対人恐怖、うつ、自傷行為へと追いつめられて行く。

精神科の戸をたたいても、何がきっかけで、これらの症状が現れているのか、対症療法的な薬の投与に終始する。

南雲さんが自分の症状に「名前」があることを知ったのは21歳の時。ボランティアを志願してたずねたNPO法人、EDGEでであった。

ディスレクシア dys 困難、できない lexia 読む

同じ名前で分類されているとしても、一人ひとりの持つ症状はかなり違うらしい。

人間の脳の複雑さと社会の発達がもたらしたさまざまな症状。
近代は標準化や効率を求めてきたが、近代の人間化が課題であるいま、人間のあり方の多様性を慈しみつつ生きる、そんな社会のための諸活動によって「内需が拡大」するといいなと思う。

教育、医療、保育や介護、人間に対するサービスの質を高めるための投資。それがこれからの社会の豊かさなのではないか。

それにつけても、日本型コミュニケーションや間人主義的考え方は、サービス産業の質を劣化させるだろうなあ。
・ 精神科医とカウンセラーの間の階級性
・ 自然科学と社会科学の階級性
・ 教授などの権威の階級性
・ 学会、学界の階級性
・ 男女の階級性

階級性言語がはびこるところ、コミュニケーションはパワーゲームになってしまう。これ、いまのわたしの仮説。システム思考なんて入り込む余地もないだろうしね。

階級遵守語から礼儀語へ
「良好な人間関係はいかに多くのソトの人を持つかにかかっている。221
気心のしれた友人が少数しかいないのは当り前であって、乱暴なののしりは「ウチ」
でしか許されない。「ウチの関係」の拡大では良好な人間関係にはつながらない。
・まず自分の不安を克服すること
・まわりを味方で固めなくても大丈夫なだけの確固たる自我を確立すること
そうすれば、少数のウチ以外の人は大切なソトの人間として丁重に扱わなければなら
ないという気持ちになるだろう。221」26-2(106) 敬語で解く日本の平等・不平等

学校での敬語の考え方と指導そのものが変わらなければ、サービス化社会の未来は暗い。昨日の太田大臣の議論で「厳しい大人」期待論をぶち上げていた人がいた。過去の栄光(って、いつのことだ?あったのか?)をふりかざし、「共時的多様性を歴史的な乱れに変換してしまう」論理だね。後ろしか見ていない議論だ。その先に未来はあるのかと聞きたい。

ともあれ、より世代的に、文化的感覚的に共感できる政治家たちの姿をテレビで見るようになってきたことは素直に喜ばしい。ヒューマン・サービスの質を高めるための投資と、ヒューマンを大切にする価値観の教育と。ぜひ、そこにリソースをつぎ込んでください。
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by eric-blog | 2009-09-26 15:30 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

誰にも言えなかった 子ども時代に性暴力を受けた女性たちの体験記

317-3(1369) 誰にも言えなかった 子ども時代に性暴力を受けた女性たちの体験記
エレス・バス+ルイーズ・ソーントン、築地書館、1991

マヤ・アンジェロウの詩は、PLTのアクティビティ・ガイドにも紹介されているし、『未来を学ぼう』にも引用されている。しかし、「歌え、飛べない鳥たちよ」の詩の原典にあたることが、いまだに出来ていない。

この本には『どうして籠の中の鳥が歌うのかあたしは知っている』の中から一部が引用・紹介されている。

18人の手記、自伝が4部構成でまとめられている。

訳者である森田ゆりさんが、abus4というのは「本来「力の誤用、権力の濫用」という意味」であり、大人が子どもに対しておしつける性行為は暴力なのだと、child sexual abuseの本質を言います。「性暴力に関する既存の概念を被害者の視点から定義しなおす作業」。

前書きにフローレンス・ラッシュは言う。
「彼らが口を開こうとしないのは、徹底的な屈辱と恥辱を受けた人びと、自己の尊厳を置かされ、自分を守る術を失った人びとの誰もが口を閉じてしまうのと同じ理由による。」17

「しかし性的暴行を受けた子どもたちは、自我の形成、確立に必要なステップを奪われてしまった。自分を守ってくれる人もなく、怒り、いきどおる権利も奪われ、子どもは自分自身を貶め、自分は性的に利用されるに値するつまらない存在だと感じる。出来事を公にすることは、恥辱をさらすだけだ。性暴力の犠牲者たちはそれぞれの忌まわしい経験を心の襞の奥深くに埋め隠し、忘れようとする以外になす術を知らない。しかし、恥辱いつまでも心の中に残り、自分の存在に毒気を吹きかけつづける。その出来事が隠されたままであるかぎり、犠牲者の子どもにとって、性は恥と屈辱以外の何ものでもない。
この破滅的症候群は突然始まったものではない。それは・・・永年の伝統と慣習に由来する。西洋文明においてはその初期から、女は・・・男の所有物だった。・・・彼女の価値は、繁殖媒体として、あるいは娼婦としての能力で判断された。これが私たちの社会が引き継いでいる不名誉な伝統なのである。
少女に対する性暴力は、彼女たちの社会的地位に由来している。」18

「この本の中の女たちは、・・・みずからの体験を人に語る勇気をついに得たために、自己の尊厳と生きる強さを取り戻した人びとである。この証言集から学ぶレッスンは、私たちの子どもたちを信じ、守ること、そして子どもたちを危険においやってきた沈黙を一人一人が破っていくことである。」19

「「ハーッ」という大きな声が私のおなかから大砲のように出て、池の向こう側に反響した。
今までの私よりずっと強くなった自分を感じた。」234

強い女。であることはオッケーだ。
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by eric-blog | 2009-09-25 09:47 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

子どもが忌避される時代 なぜ子どもは生まれにくくなったのか

317-2(1368)子どもが忌避される時代 なぜ子どもは生まれにくくなったのか
本田和子、新曜社、2007

著者は、「子ども嫌い」を立証するものとして「親子関係」の変化、都市化する空間、コミュニケーション・メディアの変化による関係性の変化などに焦点をあてている。

項目の立て方と、その項目で議論されている内容がしっくりこないので、どう紹介しようかと悩み続けた本だ。

わたしなら、親子関係の変化の要因に
・ 家事負担と専業主婦の行方
・ 専業主婦と受験
・ 学歴社会と受験戦争
・ 子供部屋
以外に都市化そのもの、第二次産業、第三次産業化と職住分離、などを取り上げたい。
メディアによって「恐ろしい子ども」像が流布されていることもわかるが、それ以前に地域社会から子どもがいなくなっている現実、リアルな子どもと大人社会が分離されていることが、メディアによるイメージが受け入れられてしまう基盤になっていること、すなわち学校社会化を考える必要がある。

子どもが「学校化」されることで、子どもが大人から遠くなり、そして、結果、より子どもと大人の分離が進む。ますます学校に子どもが押し付けられる。

学校の先にしか、未来のなくなった社会。家族は子どもの学校化を助けるだけの存在になっているのではないだろうか。

そんなことばかり考えるものだから、読むのが進まない。

しかも、「生まれにくくなる」といった生物学的な要素は論じられていないのも、ちょっと残念。

考えてみませんか、なぜ子どもは生まれにくくなっているのか。そして、子どもが「いやがられ」「迷惑がられている」社会とは、時代とは、を。
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by eric-blog | 2009-09-25 08:41 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

病院で子どもが輝いた日

317-1(1367)病院で子どもが輝いた日
斉藤淑子、坂上和子、あけび書房、1995

赤鼻先生という院内学級のお話を、見ていて、実態を知りたくて、読んでみた。ここに紹介されているのは「訪問保育」。入院中の子どもたちの訪問保育をしてる保育園の取り組みだ。

子どもの成長には、治療だけでなく、家族以外の関係、子ども同士の関係、集団生活が必要だ。QOLのために。

治療期間の長い子どももいる。短い子どももいる。
動ける子どももいる。動けない子どももいる。

多様な子どもの現実に併せて、対応していく保育。

子どもの集団遊びを促進する遊具があると、子どもがどんどん動き出す。

大人の入院患者のQOLには、何があるのだろうか。病とQOLの問題は、難しいね。「医療」の方が上という「階級性」を越えないと、BQOLを実現するための協力はパワーゲームみたいになってしまう。「優先順位」と階級性を間違えてはいけない。
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by eric-blog | 2009-09-24 10:16 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

ディープ・ブルー 虐待を受けた子どもたちの成長と困難の記録

316-7(1366)ディープ・ブルー 虐待を受けた子どもたちの成長と困難の記録 アメリカの児童保護ソーシャル・ワーク
粟津美穂、太郎次郎社エディタス、2006

著者は日本人で大学時代から渡米。大学院で児童福祉を専攻し、2000年からソーシャルワーカーとして働きはじめる。この本はその中で出会った子どもたちの物語。なぜ家族から離れ、離され、児童福祉の制度の中で、どのように生き延びたか。「”小説より奇なり”という言葉どおり、彼らのことを書くために何かを創作したり、作り変えたりする必要はまったくなかった。」

18歳までの彼らの軌跡は、虐待を生き延びるエネルギーの興奮の中でしか、彼らが生きられないのではないかと思う程、問題を起こす、騒ぐ。刺激のない日常生活を落ち着いて過ごすことができないほどに、脳が刺激に慣れすぎているのではないかと、思える。

生活するということを学ぶことは、実は、大変なことなのだなと思う。
子どもの時に学んだことは、行動パターンとして18歳までは確実に影響する。

18歳までが、児童福祉の対象だ。誕生日を迎えるとともに、彼らは児童福祉を卒業する。彼らが「落ち着いた脳」「大人の脳」を獲得して行きつつ、暴力、薬剤、アルコール、貧困を逃れて、生活を立てて行くには、まだまだ支援が必要だ。地域社会、そして親類や家族、同胞そのものに、それらの生活習慣が共有されている時、個人の努力は難しい。

「家族」を基本に考えられているアメリカの児童福祉は、家族のもとにいるまま、さまざまな支援を受けるプログラムから、家族と切り離し、里親を探す、グループホームで生活させる、そして病院などに措置するなど、多様な手だての組み合わせで成立している。そして、「世界でいちばん強いはずの国で、黒人の男の子の四人に一人が大人になる前に殺されるか、拘置所に入れられる。」この国の児童福祉に未来はないと、批判して職を去る人もいる中で、日本人である著者が留まり続けているのは「この国の人たちの楽観主義と、粉骨砕身して新しいアイデアを編み出してゆく心意気に感心したからでもある。」012

制度は人のためでなければならない。それはその制度に働いている人のためでもなければならない。働く一人ひとりが有用感、効力感を感じることのできる制度運営があって初めて、制度が血の通ったものになるのではないだろうか。

虐待を生き延びた子どもたちの、エネルギーの爆発に心が痛む。その爆発は、日常とは相容れない。虐待とは日常を破壊するものなのだ。
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by eric-blog | 2009-09-19 13:40 | ■週5プロジェクト09 | Comments(2)

子どもの最貧国・日本 学力・心身・社会におよぶ諸影響

316-6(1365)子どもの最貧国・日本 学力・心身・社会におよぶ諸影響
山野良一、光文社新書、2009+

OECD諸国でも子どもの貧困率が高い日本。14.3%、7人に一人が貧困なのだ。学級に5-6人だ。

貧困は、日本においてはあたかも過去の、すでに克服された問題として、そしていまは派遣切りなどの若年層、単身者の問題としてのみ浮上してきたかのように語られる。厚生労働大臣の「怠け者」発言も出るほどだ。

高度成長期、バブルを経て、貧困についてすら調査をしてこなかった、関心を寄せてこなかったのが日本だ。ひとり親家庭の貧困率が先進国中最高の57%超。40
そして、なんと、市場経済に任せた場合と、政府の介入後を比較した場合、介入後に数字が改善していないという。45

著者はPISA2003の報告書を引きながら、子どもの社会経済文化的背景と学力の関係についての分析を紹介している。93
「社会経済文化的指標」の最下位のグループのスコアの落ち込みが激しいのだ。95

PISA調査がはかっている科学的リテラシー、問題解決リテラシーを政治家についても、そして日本社会全体についても、検証する必要があるね。

ただの倫理的なかけ声では問題は解決しないと著者は言う。原因を探り、手だてを打つ。そのことを阻んでいるものは、日本においては何なのだろうか?

もう一つ、この本が問題提起していることがある。
それは集団生活型の児童養護施設です。全国約500の児童養護施設に3万人。平均60人。10%以上の施設では100人以上の集団で生活している。214

これは、里親、グループホームを中心とした欧米の対応とはかけ離れている。

子どもにとって、何がよいことなのか。
それは学校でも施設でも同じことだ。何がよいことなのかがわかったら、それを実現するように努力する。手だてを改善する。社会的資源をふりわける。そのようにして問題解決していくのが「学び続ける」持続可能な社会、発展のある社会であるはずだ。

それができていない日本。

学び続け組織の5原則を思い起こす。
・ 自己習熟
・ チーム学習
・ 自己イメージの変革
・ ビジョンの共有
・ システム思考

できていないのは「自己イメージの変革」である。過去にとらわれ、新たな未来のビジョンを共に構築することができない。男女共同参画についてのバックラッシュがそのいい例だ。過去に囚われた反論が、共に未来を築くことを阻む。

集団主義ではあるが、チーム学習は出来ていない。科学への信念を欠くために、互いの役割分担や協力が徹底しない。また、現状把握、原因の分析ができないために、システム思考が成立しない。

こんなにもおろかな社会であったのか、日本は?

子どもの権利の原則にたって、そして、子どもがわたしたちの未来であるという当たり前の先行投資の必要性の上にたって、子どもの問題に取り組む必要がある。
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by eric-blog | 2009-09-18 08:42 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)