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CCJ総会

ICAPが1月に来日して、北と南の二つのRTCで、CAPを推進する体制にすることが決定。

それを受けて、CAPセンター・ジャパンの初めての総会が開催されました。理事として初めて迎える総会。
議長のNさんが粛々と進めてくださる中、まるで国会中継のような怒号が・・・どこで日本社会はこのようなパワーの行使を学んできたのだろうか。事務局の糾弾、議案の否決動議等飛び交う中、しかし、票決してみれば、反対票は4分の一以下でしかない。
多数は、事務局および理事会を支持し、承認している。ならば、もっと先へと議論を進めたい。

RTC、リジョナル・トレーニング・センターというのは、ある境界線によって担当エリアを決めること。そのことによって、主体的に地域内でのCAP推進責任を遂行できるということ。その上で、互いを尊重し、協力して、日本全国でCAPを推進していくことを目標に、努力する。

地域における執行と遂行を責任所在を明らかにし、そこにコーディネーターを置くという発想は、これまでのCAPグループ乱立状態を整理することに役立つ。これまでと同じように協力するにしても、どちらのグループの力が強かろうとも、その地域担当のグループおよびコーディネーターが尊重されることで、協力関係が保たれる。

北と南のRTCの関係が、そのように進められるのであれば、それぞれの地域においても、そのミニ版のような構造が、推進と協力を助けることだろう。

そんなビジョンを語り合えることもなく、これまでのグループ間の軋轢の歴史を聴かされ続けることの無意味さ。CAPを大切に思う人びとの間で、未来への確かなビジョンが、過去の軋轢の回復につながることを願っている。システムのまずさが、人と人の軋轢を生むことがあるのだから。

*ICAP
http://www.internationalcap.org/projects_projects.html
*CAPセンター・ジャパン
http://www.cap-j.net/
ERIC 角田尚子 (CCJ理事、2008年9月から2010年7月期)
新しい理事を迎えて
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by eric-blog | 2009-05-31 17:42 | Comments(1)

1421 中国が新大陸を発見した年

296-4(1326)1421 中国が新大陸を発見した年
ギャヴィン・メンジーズ、ソニーマガジンズ、2003
1421 The Year China Discovered the World, Gavin Menzies, 2002

この本のことはCDブックがあると、PLT会議の出席者の一人から紹介されるまで知らなかった! 世界の歴史観のコペルニクス的転換は中国によってもたらされていたということだ。DVDもぜひ見てみたい。

http://www.1421.tv/

1492年、新大陸を求めて洋を西へ、西へとたどった人々は「巨人の肩」に乗って、新大陸発見者の名乗りを受けたにすぎないのだという。東アジア的に言えば、「牛に乗って、一番乗りを果たしたネズミ」というところか。

この本のすごいところは、Treasure Fleetsが「宝船艦隊」、Zheng Heが鄭和、Zhu Di皇帝が永楽皇帝と、みごとに「漢字」で翻訳されているところだ。
翻訳者と学者のチームというか、連携の妙というか。できればホームページも「漢字」のものが欲しいところだが、こちらはまだないようである。

紫禁城を建設した明朝の永楽帝は、鄭和を派遣して世界から朝貢関係を求める体制を確立することを求めた。永楽帝は「永楽大典」という「全2万2211巻、3億7000万字におよび百科事典」を編纂させたのだが、1421の著者は、その規模を当時のヨーロッパと比較して「イングランド王ヘンリー五世の蔵書は手書きの本が6冊、うち三冊は尼僧院から借り出されたもの」51という。

「中国の大航海時代」は10世紀頃から続いているのだが、この大艦隊の派遣の後、中国は一挙に「鎖国」時代に入る。ジャック・アタリが指摘したところの「内向化」である。

膨大な財力と知識がありながら、なぜ中国は閉じて行ったのか。それはまた別の探究のスレッドとして、この「1421」は、中国がその時代に世界に残した跡を事細かに例証している。その情報はホームページでも紹介されており、さらにまた次々と新たな情報が付け加えられているのだという。このブログで、それらの証拠のあれこれを取り上げることすら、かなわない。一つずつのジクソーパズルのピースが当てはまるたびに、腕をつきあげて快哉を叫ぶ著者の姿が目に浮かぶ。

ギャバン・メンジーズは、英国海軍潜水艦艦長を勤めた「世界を航海したエキスパート」。船から眺めた陸地がどのように見えるか、中国艦隊のログから航海の時期を割り出し、南極大陸の結氷期であれば、どのように陸地が連続したもののように見えるか、羅針盤に狂いが生じていたとき、地図にどのようなゆがみが生じるかなどの推論から、いま伝えられる中世の地図に、どれほど中国艦隊からの情報が活かされているかを読み解く。

経線の確定が、艦隊が協働作業として目指したことでもあった。オリジナルのタイトルが示すように、宝船艦隊は「世界」を発見しようとしていたのだ。カノープス、南十字星を頼りに南半球を航海。北極星も南十字星も両方見えるカナリア諸島という場所の重要さも見えてくるのが、海から見るおもしろさか。

同じ著者による『1434』は、法王に面会した中国の使者がもたらした知識がヨーロッパのルネッサンスにつながったことをしめしたものだと言う。

このような洋の東西の交流を描いた本を読むと、漢字まじりの日本語で読める幸せを噛み締める。そして、もしも、中国が世界に認められた「新大陸の発見者」となり、そしてそのようなその後があったとしたら、いまの日本語はないのだろうなあ。

中国における権力闘争の「宦官」と「官僚」の構図もおもしろい。宦官であった鄭和と、永楽帝失意の後の官僚の台頭と「内向・保守」化。官僚は、そして科挙は改革にどう立ち向かうのか?

ただでさえ500ページ超の大作だから、わがままは言えないが、英文の表記も欲しいかな? ホームページを読み解く際の助けにはなる。
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by eric-blog | 2009-05-29 17:33 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

アメリカ 未完のプロジェクト 20世紀アメリカにおける左翼思想

296-3(1325)アメリカ 未完のプロジェクト 20世紀アメリカにおける左翼思想
リチャード・ローティ、晃洋書房、2000
Achieving Our Country, Leftist Thought in Twentieth-Century America, 1999

参加型学習、Learner-centered activityとイギリスのテキストである『ワールドスタディーズ』に採択されていた教え方・学び方を、そのように訳したのはERICの功績である。

アメリカの理想である「民主主義」が「参加型」つまりは「行為者」として関わることで完成されていくのだというのがこの本である。そして、著者が「アメリカの理想主義」として賛同を表明するのがデューイである。

デューイは、教育の分野では「経験学習」の提唱者として知られる。現在は構成主義的な立場、つまり、主体的に自らが理解を作り上げる存在としての学習者という理解である。

しかし、左翼知識人は「傍観者的」無為に陥っているというのがこの本の警告であり、希望は「行為者」としての主体性の獲得にしかないという。

民主主義はつねに「未完」であるのだ。本書のタイトルはハーバーマスの『近代 未完のプロジェクト』を想起されるものに、著者の助言によって決定したという。

本書の中で、ヨーロッパは福祉国家を達成した一つの目標として表れ、そしてアメリカは、その出自において「侵略」の刻印を押されたことの囚われから逃れられない国として描かれている。

デューイのプラグマティズムは、修正主義ではなく、民主主義そのものなのだと、著者は言うのだ。著者がデューイに同意すると同じく、わたしも著者に同意である。それが左翼思想というジャンルに入れられるかどうかというのは別として。わたしは「近代の人間化」を求めるセクターに、わたし自身を含めたいのだが。
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by eric-blog | 2009-05-29 08:35 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

対立の調停を子どもがする=ピアメディエーション

ピアと言えば「ピア・メディエーション」同年代による調停。
ERICが翻訳した『対立から学ぼう』(Conflict Resolution)を出版しているESR (Educator’s for Social Responsibility)が、子どもたちに対して行っている調停者トレーニングの名称だ。

調停と仲裁の違いを知っていますか? 

調停というのは、裁判所なんかで、調停員がいて、離婚や労働争議なんかについてやっていそうな感じ。そして、仲裁というのは、「けんかの仲裁」、昔であれば仲人さんが夫婦喧嘩の間に入って、「まあまあまあまあ、ここはわたしに任せてくださいよ」なんて、ね。

何が違う?

調停は、あくまでもメディエーション、2人の間を仲介するだけ。こっちの言い分を聞いて、あっちに伝え、あっちの言い分を聞いて、こっちに伝え、双方から解決案を出させ、合意のできるところで調印。中にはエラそうな調停員がいて、お説教たれられるような気がしないでもないが、基本的にそういうことはしない。双方の言い分を、平等に、出し合わせる。

仲裁は、「裁」という文字が示しているように、判断が伴う。英語はarbitration,語源は、「勝手気侭な、専横な」。仲に入った人が裁量する、裁定する、判断する。勝手気ままに、なんてことはないけれど。
「まあまあまあ」と割ってはいる人が、双方から信頼される人でなくちゃだめ。だから、やくざさんの手打ちでも、おやっさんがでてこなくちゃだめ。おやっさんが、「ここは一つ、オレの顔に免じて」てな役を引き受けるってこと。

昔の仲人さんの仲裁も「まあまあまあ、おかねさんも、腹に据えかねることもあるだろうが、ここはわたしの顔に免じて、もう一度ゆるしてやんなよ、ほら、熊公、手をあげたあんたが悪い。謝って帰って来て貰いなよ。わたしもこうやって一緒に頼んであげてるんだからさ」双方の言い分は、極端に言えば関係ない。

子どものけんかだってそうだ。「なんですかねぇ、うちの子がご迷惑をおかけしたようで。子どものけんかに大人が鼻突っ込んじゃ行けないなんてもんですが、にっちもさっちも、こじれちゃったみたいで。これじゃあ、同じご町内、気がおけませんや。どうかここは、一つ、親のわたしに免じて」「いやあ、そんな風にあやまられちゃ、こっちだって、子どものけんかのことだ、恐縮ですよ。ほら、おまえも悪かったんだろ。許してやんなよ。」

なんて、やりとりが五万と書ける。これらは全部、仲裁だ。では、調停のやりとりを書いてみよう。

「夕べ、はでにやったそうじゃないか。なんだい、おかねさん、なにがあったんだい?」(事実の確認)
「うちの宿六がさ、リストラされたってのに、お酒飲んで帰ってきたもんだからさ。こっちだって一生懸命パートに出て、10円でも安い買い物をしてとがんばってるのに、ついつい大声だしちゃったんだよ。そしたら後は売り言葉に買い言葉さあ。」
「クマさんはどうだい? なんだってんだい?」
「いや、確かに飲んできたよ。でも、リストラくらって早や三ヶ月。毎日毎日足を棒にして職探し。たまには気晴らしってなもんでよ。」
「で、なんだい。おかねさん、いまはどう思っているね?」(感情の確認)
「この人が苦しいのは重々わかっているのさ。だからこそ、わたしだって、苦情の一つも飲み込んで来たのさ。わたしだって苦しかったのに、どうすりゃ良かったのかねぇ。確かに、ゆんべのことはよくなかったねぇ。」
「クマさんはどうだい?」
「いっつもおかねには感謝している。それで余計に悪いなって思っちゃうんですよね。それがつらい。こんな碌でなしの亭主じゃあねぇ。申し訳ない。」
「で、これからどうするい?」(提案の選択肢を出し合う)
「たまには、ふたりで、軽く気晴らしの晩酌でも一緒にするかねぇ。」
「そうだな、なんとしても職探しがいの一番だが、けんかしたり、くよくよしたりしたからって、職が見つかるわけでもないやな。すかっとした気持ちで毎朝でかけたいねぇ。」
「じゃあ、どうだい。仲直りして、双方が機嫌良くがんばれるように、アイデアをもっと出し合っておくってのはどうでぇ? そんでもって、一つでも二つでも、やっていくってことにすりゃあ。」(解決のための約束)

と、こんな風になるのが、「調停」。いやに長ったらしいね。いやいや、ていねいなコミュニケーションは時間がかかるんですよ。

実は、日本社会はこんな風な「調停」に慣れていない。離婚調停だって「調停」と言いながら、「裁判所」という権威が「仲裁」ないし「裁定」してくれると思っている。なぜか? 日本社会は「対等」じゃないからだ。いや、対等という概念が希薄だからだ。これじゃあ、民主主義も根付くまいというぐらいの重症だと思えるほどに、階級社会。

「いまの若いものは権利意識ばかりが増長して」なんて嘆く御仁もおられるのだから、戦後60余年、すなわち二世代ほどの時間を経過して、民主主義も根付いたかに見える。果たしてそうなのか。

「権利の主張ばかりして」という言い方そのものに、ご注目。これを言っている人は、「目上」の人だろうか、それとも「目下」の人だろうか?「若造」だろうか、それとも「ご年配の方」だろうか?どちらがどちらに向かって言っているのだろうか。

「主張」はどう受け止められただろうか? 果たしてそもそもまともに扱ってもらえたのだろうか。頭ごなしに否定されたりなぞしなかっただろうか。主張するというのが、最後の手段になっていないだろうか。主張は、交渉の始まりなのに、である。

などなど、この一言からでも、さまざまな物語が想像できる。そして、たぶん、さまざまな物語が存在するのだ。

「対立の解決」の方法を実践しようとすれば、次のような条件が必要になる。
○ 調停の場につく。
○ 調停の場と調停者、そしてわたしとあなたを尊重する気持ちがある。
○ 双方に感情や価値観についての言語表現能力が備わっている。
○ 暴力や経済などの力を濫用しない。
○ 問題解決をしようという意志がある。
○ 約束を守る。

この場しのぎで済まそうというのであれば、対立は解決しない。「調停の場」に呼び出されたというだけで「面子」を失ったと感じて、「とりつくろう」ための言動をする人は危険だ。「調停の場」に出て来ない場合は論外だ。
日本社会では「交渉の席」につかせることが難しい。そのことについて浅田秀子さんという人が明快に説明してくれている。

「日本語の社会で最も古く根源的なのは、人々が近いか遠いかを軸にして人間関係を考えること」(大野晋、日本語練習帳)166
遠くの存在に対して「ウタフ」とていねいになる。170
そのウチソト感覚が上下関係に。172
祝詞という形式で、下手に出て、ていねいに言う=「訴える」ことで、聞き届けられる。174-179
つまり、上下関係があると思っている場合、「聞く立場」になってしまうと、聞き入れざるをえない構造になっている。

そんな階級社会で対等に交渉するための言語としての日本語を話しつつ、「対等さ」を前提に「交渉」したり、「調停」したりするのは、至難の技なのである。

とはいえ、わたしがわたしらしく生きることができる、そんな文化は、与えられるのではない、作り出して行くものだと信じている。みんなで始めよう。Let’s Communicate!

参考
敬語で解く日本の平等・不平等、浅田秀子、講談社現代新書、2001 ESDファシリテーター学び舎 ブログ参照
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by eric-blog | 2009-05-27 17:37 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

エンパワメント堺のファシリテーター養成講座

4月にはERICかくたも、ファシリテーターの一人として参加しました。
「フォローアップ講座」を成功させる鍵は、一人ひとりの成長への意欲と見通し!
ファシリテーターの三つの力
◎アクティビティ
◎スキルズ&ツールズ
◎ビジョンズ
のバランスの取れた研修になるとよいですね。
よりよい質の参加型実践を、子どもたちに届けられるように、育ち合っていける仲間が宝。
以下、今後の予定のお知らせです。

~~~~~~Empowerment Sakai presents~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~子どものワークショップ~
ファシリテーター養成講座
フォローアップ講座のお知らせ

 おまたせいたしました!!
4月のファシリテーター養成講座では、受講いただき、有難うございました。
養成講座終了後、早く皆さんにお伝えしなければいけないところ連絡が遅くなりました。申し訳ございませんでした。下記のようにフォロアップ講座として研修を続けたいと考えています。

日程時間場所内容
6月6日(土)10:00~12:00堺市総合福祉会館
研修室ネットいじめプログラム体験から考える~
7月4日(土)10:00~12:00未定子どもの現状よりファシリテーターとしての留意点
8月21日(金)10:00~16:00未定未定
8月28日(金)10:00~12:00未定未定
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by eric-blog | 2009-05-27 16:21 | △研修その他案内 | Comments(0)

Six 2 days Facilitator’s Training Courses at ERIC 2009

Six 2 days Facilitator’s Training Courses at ERIC 2009

1.  Environmental Education Program
You can get PLT Project Learning Tree facilitator’s certificates and more on Env. ed. through this course.
June 20-21 Sat.-Sun., 12 hours program facilitator’s training
TEXT: PLT PreK-8 Guide; Training Manual for Facilitators in Environmental Education

2. Education as, about, through, and for Human Rights
Let’s think and act! Human rights is about knowing and acting.
July 25-26 Sat.-Sun., 12 hours program facilitator’s training
TEXT: A Facilitators’ Handbook for Human Rights Education; Think! Education As and About Human Rights; Act! Education Through and For Human Rights

3. World Studies through Communication Games
World Studies is truly an authentic textbook on global issues. If you can get more of communication games flavor, it can serve as a better tools for both communication skills and global content.
Aug. 22-23 Sat.-Sun., 12 hours program facilitator’s training
TEXT: World Studies

4. Conflict Resolutions in Japan
Have you ever wonder why CR does not work the way it does in US? Here are some tools to dig into it! Can you solve it? No! But you can be happier and you’ll have chances to elaborate on your CR training.
Oct. 10-11 Sat.-Sun., 12 hours workshop facilitator’s training
TEXT: Conflict Resolution in the Middle School

5. Me, you and others, improved by thinking skills
Communications are skills, and thinking skills help to improve your skills. And we will discuss the vertical connections of these skills through elementary schools to secondary schools, so that teachers/facilitator’s will be able to have “critical reflection”.
Nov. 14-15th, Sat.-Sun., 12 hours workshop facilitator’s training
TEXT: Me, You and Others

6. TEST Teachers’ and Trainers’ Effective Skills Training 10
Starting from 2000, TEST has been always the last sum-up and building for the next facilitator’s training course, focusing on the innovation of education in Japan. Key words we have explored are: better quality of education, millennium learning, technology of self, reflections, institutional analysis, and what will be the next? It is a three-day training session, so including “machi ni deyou” activity.
Mar. 20-22nd, Sat.-Mon., 18 hours process facilitator’s training
TEXT: Let’s ESD!
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by eric-blog | 2009-05-27 15:39 | △研修その他案内 | Comments(0)

日本語が亡びるとき

296-2(1324)日本語が亡びるとき
水村美苗、筑摩書房、2008

IWPという3ヶ月にもわたる作家の国際合宿のようなものがあるらしい。
「川を見下ろすスィートルームでの長期滞在プログラム」との歌い文句は、
実際には折りからのIWP存廃の危機のあおりからか、学生寮程度の部屋に、隣の壁ビュー、
プラス相部屋と著者の期待を裏切ることばかり。

何がかなしゅうて、いまさらの学生気分?

そこに招かれていたのは、モンゴル、リトアニア、中国、ポーランド、イスラエルなど多様だ。
アイオワという白人優勢な土地柄では否が応でも目立つ集合体。

「人はさまざまな言語で書いている」

著者の発見だ。

人類はすべて話しことばを持つ。しかし「書き言葉」の歴史はたかだか6000年。
遡ればラテン語に行き着く「書き言葉」を持つヨーロッパ。漢字圏の中日韓。

すべての話しことばが文字を持つわけではなく、いまも自分たちの言葉を探る試みは続いている。

著者の記憶はフランスでの講演へとつながる。

「フランスにいきたしと思う」という心を日本の知識人が歌った時、フランス語は世界語であった。それが英語にその座を譲り日本語と同じレベルになったね(^_^;) ようこそ「その他の言葉」の世界へ!というのがその趣旨。著者がフランス語で行った講演だ。
なんと大胆な!

だが著者の心にこだましたのは、両親がイディッシュ語で書いていたと感想を述べた人の「日本文学のような主要な」という表現だった。

英語以外は等しく、同じ立場になったと問題提起したのに、である。

なぜ日本文学は世界で主要な文学の一つと言われるのか。著者の議論は漢字の和文化、そして「二重言語者」と「単一言語者」双方の文字文化の背景、そしてそれを背景とした明治時代の「二重言語者」らによる日本近代文学の成立へと進む。
明治という時代は、ヨーロッパでも、学問のことばが「フランス語」「ドイツ語」「英語」の三種が並び立っていた時代だったのだと。

そのような蓄積にも関わらず、いまの文学の状況には危機感を覚えると。

人類や地球を語るのに科学以上に面白いものがない。新たな視点が現れるのも科学の世界だ。そしてその知的探求を支えているのは英語なのだ。
文学は何するものぞ?

シンキング・スキルの勉強会での議論を思い出す。多分、いま学校教育が向かおうとしているのは「普遍語」としての認識なのだ。
重層化を生きる、再生産する。

ericかくた なおこ・
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by eric-blog | 2009-05-26 09:04 | ■週5プロジェクト09 | Comments(1)

戦争を止めたい フォトジャーナリストの見る世界

296-1(1323)戦争を止めたい フォトジャーナリストの見る世界
豊田直己、岩波ジュニア新書、2009

ERICに送られてきた書籍案内、イラク訴訟の会のニュースレターに同封されていた。「やめたい」なのか「とめたい」なのか、本書の中にもルビはない。
当然「とめたい」なのだろうと思う。しかし、「やめたい」のだという気持ちが多くの人びとの間で共有されなければ、戦争はとまらない。

イラクに、イスラエルに、サラエボに、アフガニスタンに、そしてバンダ・アチェに。豊田さんが足を運んでいない紛争係争地でわたしが気になるのは、アフリカだけじゃないか。

いくら戦争の写真を積み上げても、戦争はとまらない。戦争の悲惨さに、慣れてすらいくわたしたちがいる。しかし、それでも豊田さんの写真展に足を運んだ人は「しらなかったような気がする」と新たな感慨を持つ。

軍と「ベッド」を共にするような管理された戦争取材。豊田さんも防毒マスクを支給されながら、防毒マスクをつけていては写真などとれないこと。そして「防毒マスクをつけるとつけないときよりも恐怖感が増す」19ことに気づいたというのです。

「安全」が生み出す「恐怖感」

いまの新型インフルエンザにも似ていますが。

軍隊は人を救わない。
戦争は「敗者」しか生まない。

戦争をやめたい。どうすれば、わたしたちは「戦争」によって「安全」を求めることを止められるのだろうか。
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by eric-blog | 2009-05-25 10:14 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

1492 歴史の破壊 未来の略奪 キリスト教ヨーロッパの地球支配

295-4(1322)1492 歴史の破壊 未来の略奪 キリスト教ヨーロッパの地球支配
ジャック・アタリ、朝日新聞社、1994
原著1991

1992年.コロンブスの新大陸発見500年を前に出版されたもの。1492年の新大陸とヨーロッパの交流の始まりが、多くのことを変えたとアタリ氏は言う。

1000年から1300年、世界のいずこでも人口は増加傾向にあったという。その後1500年くらいまでは減少傾向があり、そのような大きな共通の鼓動のなか、「新大陸」とヨーロッパとの関係が始まる。

コロンブスがひきつれた船員たちが、梅毒という性病をヨーロッパにもたらしたことで、性的禁欲がキリスト教の教義となった。結果、少ない子どもの数が、市民をして、財産を自分の子どもに残したいという意識につながり、教会に寄付してしまうのではなく、市民階級の成長にもつながった。

一方、15世紀、まだ聖職者の地位も権威も確立していなかった。説教もうまいわけではなかった。同時に、キリスト教は「ローマ化」すなわち白人化を志向し、そのために、出自である中近東とのつながりを隠蔽し、そのつながりのリンクであるユダヤ教徒をヨーロッパから排除しはじめる。
「この通報によって、<大陸=歴史>は勝手にひとつの歴史をねつ造し、そのたと知者の歴史を語る権利を獲得するのだ。」355

ヨーロッパ的権威の創出である。

1492年は、ヨーロッパ大陸における最後のイスラム帝国、グラナダが攻撃を受け、敗北した年でもある。ヨーロッパは「ヨーロッパ」、アッカド語で「西洋」を意味するエレプerepuから来ているという、としてのアイデンティティを「ブロンド化」していく。

排除されたユダヤ人は、「改宗者」を装いながら、宗教的文化的二重生活を送り、そのため「疑う」人、哲学者、表現者、探究者となっていく。また、ユダヤ人を庇護した国々は、勤勉で識字能力の高い彼らを優秀な官吏として登用し、それらの地域における封建的支配の長期化につながっていく。

コロンブスを送り出したイベリア半島は、新大陸との格好の交流センターになり得たにもかかわらず、後背市場の欠如およびそのための内陸経路の開拓を支配階級が志向しなかったが故に、オランダ・アントワープにその座をゆずっていってしまう。

1492年という年は、「思想が経済の急成長に役立つための準備はすべて整う」って時期でもあったという。

一方で東洋では、明の第二代皇帝、永楽帝が大船団を視察のために1405年に送り出している。しかし、1433年モンゴルの侵寇の脅威からか、帝国を自らを閉ざし、万里の長城を築き、対外貿易を禁止するに至る。

歴史はあざなえる縄のごとく。

日本が世界との関係で浮上してくるのは、16世紀にもなってからである。
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by eric-blog | 2009-05-23 11:37 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)

ハワイ式問題解決法 ホ’オポノポノ

295-3(1321)ハワイ式問題解決法 ホ’オポノポノ
E.ビクトリア・シューク、学苑社、2008

2005年にトランセンド研究会の人を招いてERICの主催研修を行った時、ERICファシリテーターの福田さんが紹介してくれたのがこのホ’オポノポノ(ホーポノポノ ho’oponopono。レッスンバンク16-13に紹介)。

1. 真実の追求
2. 共同体としての責任
3. 自分に何ができるか
4. しめくくり

の四段階で、「すべての関係者が」「人望のある人物のもとに」、場を共有し、癒し、清算、未来の建設のために話し合う方法と紹介されている。なかなかに暖かい気持ちで終わったことを覚えている。

原語の意味は「ものごとを正す」

多少宗教がかった感があるのは、「祈り」やスピリチュアルな許しや癒しがあるからだろうか。

カラ自由になるまで緩める
ミヒ告白し、謝罪する
オキ切断する

この本にはさまざまな実践例が示されていますが、ホ’オポノポノが有効でないと、実践者らが感じる事例も紹介されています。そのような中に「力関係の働いている職場」などという表現があったりすると、(092,098,)じゃあ、「日本社会の○△□」の中では無理だろうなと思ってしまいます。

わたし自身は、わたしたちが、「個人」、近代的自我に止まっている間は、討論はできても、和解はないと感じる。また、『対立から学ぼう』を行っていても、「政治的参加者」「階級遵守語としての日本語によるコミュニケーション」に固執する人々の間では解決が難しいと感じる。そういう意味で、重層的な日本社会における和解は、何重にもねじれている。

少年たちとホ’オポノポノを実践している事例では、ホ’オポノポノをいつも使うことで4ヶ月ほどして変化が見られるようになるという。080

対立を扱う方法は、文化として、風土として、規則として、システムとして、信頼されるツールとして、常にそこになければならない。病いを扱う療法が、特別な処置であるのに対して、対立を扱う方法は、健全さを扱うものであり、それは日常に常に存在するものでなければならないのだ。

実践者らが、指摘しているのは、そのことなのだ。

ヒヒア(もつれ)などのハワイ語の響きも、また、心に沁みる。

ホ’オポノポノが「治療」のように扱われることがないように願う。
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by eric-blog | 2009-05-22 13:55 | ■週5プロジェクト09 | Comments(0)