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アイヌの歴史 海と宝のノマド

282-4(1265)アイヌの歴史 海と宝のノマド
瀬川拓郎、講談社選書メチエ401、2007

ノマドとは遊牧民のことだ。ウマモナドの語感に引かれて、ノマドに出会った。ではなく、テッサ・モーリス鈴木さんの「辺境から眺める」が近世アイヌの有り様が、近代化によって規定されたものであり、国民国家が「辺境」を生み出したと、言っていたその現実を、アイヌの側から、どのように選びとって行ったかを描こうとしている本、だ。規定されつつも、わたしたちは選んでいる。これは、「制度による精神療法」の「脱制度化」にも説明されていることだが、すべての制度をなくせば、わたしたちはない。その中で、どのように制度をその制度の所以であるところの目的にあったものとして、つまり人間のためにするものにしていくかが問われるのだと。


規定されつつも、アイヌが選択した、主体的に生きたものは何だったのかを、明らかにしたいと著者は言う。農耕社会が激変の歴史の中で変容と、複雑化し、矛盾が拡大してきたと同様に、彼らもそのような歴史を生き抜いて来たのだ。

「未開」社会の国家の拒否(ピエール・クラストル)
アフリカ狩猟採集民の平等社会(市川光雄)
支配と所有に取り込まれて、自由と平等を失った古代以降の社会(網野善彦)
などにも共通する、何かを彼らは生きているのではないか。

文明の一方的な論理である進歩史観を相対化すること。11

92
(北海道の)続縄文社会は、コメを欠く二流の農耕社会への移行ではなく、資源の量と差異を背景にもつポテンシャルの大きな狩猟採集社会として、農耕社会に向きあうことを選択したのではないだろうか。
続縄文社会は、狩猟採集という選択によって農耕社会の宝を手に入れ、階層化を拡大してゆく道をあゆみだした。・・・階層化が宝の流通に拍車をかけ、「多くもつため過少生産からの乖離が生じていったのだろう。

160
考古学であきらかになった戦争の9割以上が農耕社会にともなったものである。(佐原真)
戦争が多いか少ないかは、農耕社会か狩猟採集社会かというちがいによって決定されるのではない。それは単一の資源に大きく依存し、強い定住化が生じて、環境の変化に対する耐性の少ない生産のありかたがかかわっていた。(松木武彦)

224
「商品」というウィルス
商品が伝統的な贈与経済を破壊する。(田中二郎『カラハリ砂漠の自然と人間』「狩猟採集社会を通底していた平等原則の価値観は、あらたな貨幣経済原理の流入のなかで、今大きくゆらぎつつある。」)
東北北部と青苗文化という位相の異なる中間的な世界の連動は、青苗文化が「商品」を同族的関係にある東北北部から入手し、それをさらに擦文文化との同族的な関係に埋め込んで「贈与」に変換する、一種の翻訳過程だったのであり、いわばウィルスの無害化の過程だったのだ。

15世紀以降には、その干渉作用をもった文化や地域も失われ、「アイヌの共生システムの喪失」230がおこる。

246
サケの遡上しない川筋にも縄文遺跡は多く分布している。9世紀末から10世紀以降、この地域の人びとにとって、サケ漁が交易とかかわって必須の生業となるなかで、集落のリッチは劇的に転換し、サケが遡上しない多くの地域は居住不適地として切り捨てられてゆくことになった。

247
アイヌ・エコシステム(渡辺仁)
アイヌ社会を川筋社会ととらえる。そして、アイヌの集落は段丘面に営まれるが、この定住集落を拠点として、河川原地帯ではクマ猟、給料では早春・初冬のシカ猟、段丘面では秋のシカ猟と植物採集、氾濫原では植物採集、河川ではサケ・マス漁という、生計活動にもとづく生態ゾーンが成立していた。

著者は、渡辺がこのモデルを「伝統的」な静態的概念としていたことを批判し、このモデルは10世紀以降に生じていった「交易適応」の生態的な社会モデルであり、さらにそれ以前の縄文エコシステムを設定して、歴史的な動態モデルを提起している。(先日の「リキッド」だね)

253
気候や植生に規定された「陸域型」文化圏から、海流にもとづく「海洋型」文化圏への広域的な社会の転換もまた、縄文エコシステムからアイヌ・エコシステムへの転換ということができる。

256
アイヌ社会の宝をみるとき、それは名誉と威信にほかならなかった。宝をもたない者が貧乏人と軽蔑されたのは、かれが名誉と威信をもたない者だったからだろう。マルセル・モースがいうように、タラかは「名誉の貨幣」だったのだ。
アイヌの宝とは異文化からやってくるものであり、差異そのものだった。宝をもつことは差異をもつことであり、他者とのあいだに簡単に埋めることのできない差異をもつことが名誉と威信を保証した。そして宝は他者との差異化を押し進め、社会の階層化を拡大してゆく基盤をなした。
257-8
アイヌの歴史は名誉と威信を求める誇り高い歴史だったが、それは不平等や戦争の思想と一体のものだった。柔軟な自然利用と過少生産の縄文エコシステムは、硬直した自然利用と過剰生産のアイヌ・エコシステムに転換したが、それは同時に「日本」との共生の体系でもあった。進歩とも退歩とも単純に割り切れないこの両面性こそ、アイヌ社会の複雑化の実態だったといえる。
・ ・かれらの複雑化は、かれらという差異が生き残ろうとし、生き抜いてきた軌跡として理解しなければならないものだ。その点で、この「進化」は、私たちの評価などを越えたところにあるともいえる。
・ ・アイヌは狩猟採集に「とどまった」のではなく、歴史的な環境のなかで狩猟採集を「選びとった」のであり、私たちの歴史とつねに同時代を生き、深く交流しながら、複雑な狩猟採集社会としてちがった進化を遂げてきたのだ。アイヌ社会は最終的に日本社会に支配されたが、それは二つの集団間の力学的な問題であり、社会進化の優劣とは関係がない。
・ 私たちは、私たちとちがう価値を至上のものとし、ちがうかたちで進化した社会があったことを受け入れなければならないだろう。

259
『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』は忘れられない。
同じ都市環境のなかに生きながら、まったくちがった世界がみえている人びとがいることを、強い現実感をもって知ることができた。どこまでも均質にみえる世界のなかに、異文化が重なりあっているのを体感したのだ。

260
商品と貨幣によって媒介された現代の社会は、自己と他者の差異化を徹底的におしすすめ、差異のヒエラルキーのなかで一人一人が孤立し、おたがいに無関心なバラバラの差異になるところまで、私たちを連れてゆこうとしていのかもしれない。
しかし、連帯を欠いた差異に未来はない。アイヌという差異と連帯し、共に生きるこができなければ、私たち一人一人が孤立し、剝き出しの差異になる未来を回避することなど、とうていできないにちがいない。

***************

『聖徳太子絵伝』に、蝦夷が「ワシ羽」という命に等しい宝を差し出している場面が、描かれているそうだ。40数点も描かれているという、絵伝も、それぞれに見てみたいなあ。

『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』砂沢クラ、福武文庫、1990
「半生を語る 近文メノコ物語」
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by eric-blog | 2009-02-17 11:10 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

天皇と王権を考える9 生活世界とフォークロア

282-3(1264)天皇と王権を考える9 生活世界とフォークロア 【岩波講座】
網野善彦、樺山紘一、宮田登、安丸良夫、山本幸司 編集委員、岩波書店、2003

「王のことば – 西アフリカの事例から」 川田順造
高声と微音、こうしょうとびいん、神や貴人の声は微音で、それを俗界に伝える媒介者の声は高声で。(網野、1988)

声の文化的役割
声が社会のなかで担わせられている文化的属性によって、ことばづかいだけでなく、声そのものの発し方も異なって来る。132
◯声を発する者の社会的地位
◯声を発する資格
◯発信者と受信者相互の関係

第一 大声か小声か(音量)、声が高いか低いか(音高)、抑揚に富んでいるか一本調子か(音域)、速いか遅いか(テンポ)、同じリズム、旋律が繰り返されるか(定型化)、
第二 その社会での声の使い方にどのような位置を占めているか

西アフリカのモシ王国では、特定の儀礼的的役割を与えられた声では、音域が著しく狭い。わかりにくさ、あるいは日常語との違いは「声のコミュニケーションの秘儀性を増大させる。」133

反対の領域にあるものは、・・・・社会的地位の低い、抑圧された者の真情吐露や訴えに多く用いられている。

『サバンナの音の世界』川田順造
『ことばの文化史 中世』網野善彦
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by eric-blog | 2009-02-17 09:20 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

反開発の思想  岩波講座 開発と文化3

282-2(1263)反開発の思想  岩波講座 開発と文化3
川田順造、岩井克人、鴨武彦、恒川恵一、原洋之介、山内昌之編集委員、岩波書店、1997

編集委員の一人である川田順造さんが、序において、人間中心主義のゆくえを四つの開発モデルから考えている。

自然史的非人間中心主義
自然史的人間中心主義
一神教的人間中心主義
汎生的世界像(上記以外のもの)

第三モデルによる、汎生的世界像の社会開発が、不整合や軋轢を生んでいる。4
その不整合をなくし、持続可能性を確保するために「住民参加」や「エンパワメント」が論じられる。しかし、第二第三モデルが「欲望の限りない増大」を前提としているために、矛盾を含んでしまう。5

そこでシューマッハーの言うような「人間の欲望の抑制」が提起される。

レヴィ=ストロースという、第三モデルの代表のような存在との対話を次のように川田は引用する。14
「自然の理法に帰一するということは、特別に修行を積んだすぐれた仏教僧には、あるいは可能なのかもしれない。しかし、私には、平均的な人にできる方法、つまり対象に向って自分の認識を少しずつ拡大して試行錯誤をつづけることしかできない。それは瞑想などによって、一挙に彼岸に達するのではなく、あくまでも比岸にとどまって、能力の範囲で模索することだ。」
私もたしかに認識論的手続きとしては、それが論理的に妥当だと思った。そして自然史的一元論を成り立たせている認識の根本にもある、人間中心主義のつよさと、だがそれが人間を中心とする倨傲ではなく、能力が限られていることの自覚に由来する謙虚さであることを教えられて感動した。


「価値の普遍性と個別性」大塚和夫
公衆衛生思想と同様に、「民主主義」や「人権」、そしてFGM廃絶運動の価値は、西洋という個別的脈絡を越えて、ムスリム世界をも包含するより広い脈絡に受容され、より普遍的なものになってきたということができよう。このような家庭、すなわち、西洋起源の政治的、経済的、社会的その他の観念や制度の価値を非西洋社会が受容し、肯定的に評価するようになっていく過程を「価値の開発」と呼んでおきたい。36
「価値の開発」によって「民主主義」や「人権」といった価値の枠組みは普遍化したが、その内実は個別文化の脈絡において、さまざまに解釈、読解、流用され、結果的に起源の地(西洋)が主張するそれとどこかで対立するものになってしまっている、という捉え方である。37

特定社会における価値判断は、長期にわたって変化しない諸要素を持つが、一方では、部分的に不断にかわっている。「価値の開発」という発想は、そのようなダイナミズムを捉えるための一つの視点を提供するものである。37

「現代における「高貴な野蛮人」」 杉本淑彦

18世紀フランス啓蒙思想家が考え出した人間類型。

「声の文化」「無文字社会」の人びととの邂逅がすでに18世紀に多くの小説や物語となっているのだなあ。
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by eric-blog | 2009-02-16 12:11 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

ニーズ中心の福祉社会へ 当事者主権の次世代福祉戦略

282-1(1262)ニーズ中心の福祉社会へ 当事者主権の次世代福祉戦略
上野千鶴子+中西正司編、医学書院、2008

2003年 『当事者主権』発行、介護保険法の改定
2005年 障害者自立支援法
2006年 介護保険法の改定

状況は悪くなっている。

福祉社会への転換期をどう乗り切るか。

研究者とアクティビストの、邂逅による提案の書、と謳われている。

担い手、アクターを次の四セクターとして紹介している。(Daily, 2001:ILO)
第5章福祉多元社会における協セクターの役割 上野千鶴子、126

Public Sector
官 Public (state/government)
協 Common (civil)
Private Sector
私 Private (family)
民 Market

127 表1

ケアの与え手受け手ケア関係
官(準)公務員対象者措置関係
民ケア労働者消費者商関係
協ケア労働者/ボランティア利用者共同(協働)関係
私家族介護者家族要介護者世話-依存関係

管理的ではなく、ニーズ中心、当事者主権の福祉のためには、これらの最適混合が求められるのだという。

「第7章 三つの福祉政府体系と当事者主権」大沢真理

日本は福祉政府ではなく土建政府。186

「公務員」割合が少ない。
租税負担と社会保障負担の合計がGDPに占める比率が低い。しかも、租税負担は低下し、2001年には社会保障負担が上回るという逆転現象も。188

政府の総支出はGDPの36.6%。中央政府が7.8%、地方政府は13.8%、社会保障基金15%。

総固定資本形成はGDP比4.8%。しかも、公的資本形成に占める地方政府の割合が8割、7割。地方政府の支出に占める割合も4割。

土建政府が生活保障機能を果たせていたのは、191
◯重化学工業を中心とする経済成長が1980年代まで持続していた。
◯大量失業が回避されていた。
◯半熟練の男性労働者も安定的な雇用と相応の賃金を得られていた。
パフォーマンスの高い労働市場が福祉国家を機能代替したことから、財政余力も生じ、それが地方公共事業、農業や中小企業の保護などに投じられた。
しかし、サービス経済化、知識経済化が進むとともに、貨幣経済が極限まで肥大化した。従来の福祉国家を機能不全にさせた。

三つの福祉政府体系とは
住民の多様なニーズに応えてサービスを含む現物給付をおこなう地方政府
稼得を代替す所得移転をおこなう社会保障基金政府
全国的にミニマム保障の責任を負う中央政府

制度論的にはわかる。
しかし、わたしがとても気になるのは、「専業主婦」をよしとしない自分自身の価値観から考えて、若年労働者が、介護職に終生従事することの意味だ。

基本的に、わたしはシングル単位の社会論が好きだ。

全国的な転勤システムに囲い込まれている国家公務員、ナショナルな産業労働者は、「家族扶養」を前提とした賃金体系を、前提とするのだろう。なぜ、そのような転勤システムなのかは別問題として。でも、嫌いだ。

基本的には生産年齢世代のダブルインカムで、家族運営、再生産。
健康であっても、20歳以下、60歳以上に対しては、公的な収入サポートセーフティネットが必要。(実際には25-65歳の気がするが)

土建政府が半熟練男性労働者に賃金保障をしていたそのゆがみが、半熟練女性労働者を福祉政府が賃金保障するという、その構造がいやだ。

サービスの質そのものも、担われ方そのものも、もっと問われなければ、「当事者」主権にはならないのだ。先だっての文献に引き寄せた表現をするならば、「制度による介護」かな。

当事者すべての主権が問われて行ってほしい。「ニーズ中心」という表現そのものが、民セクターに引っ張られた表現であるようにも思える。
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by eric-blog | 2009-02-16 11:26 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

TradeGame09

TradeGame09
貿易ゲームを学校カリキュラムにどう取り入れるか?

2009年2月12日 14:30-15:20

1. 仲間探し すでに座っていた机のまま、始める。前方二つが7名ずつ、中程のグループは6名と4名、後方が8名、4名。
2. ミニレクチャー「参加」というキーワードについて
3. 「貿易ゲーム」やり方の説明、目的は「なるべくたくさんの富を生み出すこ
と」
4. 6つのグループに封筒配布[手前の2グループにA技術国を]
5. ゲーム開始[30分]
6. ふりかえり

検討事項
1. 仲間探しについて
グループを作るための方法として、「ピース合わせ」がある。例えば、「製品表」あるいは「貿易ゲーム ルールブック」などを分割し、再構成されるピースを持った人々がグループになるなどの工夫が可能である。
グループ作業の経験がない場合は、基本は「4人一組」が望ましい。
かならず「換えたい」とか、こっちの方がいい、という生徒は現れる。そうした場合の「なぜ?なに?想定問答」をポジティブに作っておく。
○ これは国際理解のための授業だからねぇ。
○ 多民族国家って大変なんだねぇ。
○ あなたは、人をいじめるの?
○ いつもとは違うものにもチャレンジしてみてよ。
○ そうなんだあ。やってみよう。
○ 親離れの次は、友離れ?

2. ミニレクチャーをPowerPointで行うことは可能だが、短い時間のために準備が大変(たぶん)。暗くするのも手間。模造紙に書いておいて、掲示することは可能。KYT方式で、注意事項を何人かに指名して考えてもらう。グループで「ルールブック」を読み合わせるとか? 一番いいのは模造紙板書だね。テレビでよくやっている「項目ごとはがし」って方法。

3. 貿易ゲームのルール
上に同じ。

4. 封筒の配布
技術国、資源国、情報国の三種があることをつげる。
例えば、6グループであれば、資源30枚、最大1125万円以上の富を生み出すことが可能である。(一枚あたりの最大生産高は正三角形25枚=37万5000円である。が、同一のものばかりになると価格が下落するので、結果的にはこうならない。)
自分たちが、トランプゲームのナポレオンのように、「何万円以上」を宣言して、封筒を選ぶことができるようにすることもできる。
しかし、貿易ゲームの本質は「所与の条件」としての先進国を考えるところにあるから、純粋にゲームとしてのおもしろさの完成を追及することは目的を違えて行くことになりかねない。
せいぜいくじ引きが妥当なところであるが、進め方には「銀行家」などとの距離によって情報や交易の簡単さが考えられる。

5. ゲーム
進行役とは別に「銀行」あるいは「マーケット」を設定するのが望ましい。帳簿をつけるのが大変。「新・貿易ゲーム」ではクリップを使って、お金にし、それをグループが管理し、最終的に集計することで競う方法をとっている。
生徒たちには、クリップという「現金」が効きそうだ。

6. ふりかえり
これも、グループ作業のトレーニングが不可欠。ゲームの中で考えたり、感じたりしてことが多いほど、ふりかえりは活発になる。
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by eric-blog | 2009-02-13 15:17 | □研修プログラム | Comments(0)

イギリス初等地理にみる学びのスタイルの転換

ThnkingSkills09
地理 2008年9月号
「第5回 イギリス初等地理にみる学びのスタイルの転換」pp.90-95
梅村松秀

1. ESDは価値観の教育
2. 地理とESDとは、ESDにあって地理にない概念をどう取り入れるかの問題である。知識理解としてではなく、価値観を押しつけではなく、教える工夫。
  ○「市民としての権利と責務」「将来の世代のニーズと権利」「生活の質」「行動における不確実性とそれへの備え」

Patric Kendellによる分類

シンキング・スキル=批判的思考
・ 情報処理のスキル Information processing skills
・ 調査のスキル Enquiry skills
・ 推論のスキル Reasoning skills
・ 創造的思考のスキル Creative thinking skills
・ 評価のスキル Evaluation skills

例えば、「学校周辺」というような単元は
・情報処理のスキル Information processing skills
・ 調査のスキル Enquiry skills
・ 推論のスキル Reasoning skills
・ 評価のスキル Evaluation skills
の展開としてまとめることができる。

このようにまとめられてみると、科学とは、方法論であることがよくわかる。
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by eric-blog | 2009-02-13 14:18 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

医療環境を変える 「制度を使った精神療法」の実践と思想

281-8(1261)医療環境を変える 「制度を使った精神療法」の実践と思想
多賀茂、三脇康生編、京都大学学術出版会、2008

「制度」はinstitutionの訳語だという。フランス語ではpsychothérapie institutionnelle 制度的精神療法。簡単なことなのだが、医学系の書き手たちは教養が豊かなために、簡単には済まない傾向が強い。この本も400頁を越えている。そのために、まず、自分の理解の枠を提示してから、ディテールの紹介をしたいと思う。

psychothérapie institutionnelleとはフランスのラ・ボルド病院で実践されている療法で、病院という制度そのもの、環境そのものを変化させていく療法のことである。「病んだ環境では病気を治すことはできない。だからまず治療環境を治して行こう。」

92-6(432) 増やされる障害児 「LD・ADHDと特別支援教育」の本質
宮崎隆太郎、明石書店、2004
は、診断や判断の制度が障害児を増やすという視点だった。診断や判定に対して、手だてがおっついていない現状に警告をならすと同時に、児童期という成長いちじるしい時期に、健全な成長のための手だてと治療的手だてのどちらが優先されることが有効なのかも、問うた本であったと思う。

「制度を使った精神療法」が指摘しているのは、精神病院という制度そのものが治癒、治療を阻んでいるのではないかということだ。そのために、病院の環境そのものを見直す必要があるのだと。それは患者と医師の関係、医師と看護士の関係、看護そのものの制度などの見直しにつながる。診察室で患者と向きあって行うことだけが治療ではないのだと。

それは、教育の現場におけるWhole School Approachとも通じるものがある。著者らは、制度による療法の「精度分析」の考え方は、「日本社会のいたるところで閉塞しているものをあらためて流れ始めさせるために私たちがもつべき勇気のことなのである。」と「はじめに」に謳う。

制度化された学習、institutional learningを、脱学習し、再構築しようということだが、それは1960年代にすでにパウロ・フレイレが実践しようとしたことにもつながるか。

とするとinstitutional facilitationというのも、あるだろうし、正しく、ERICという場所はそのような場所を構想していたものだ。

先日の「環境デザイン・ワークショップwith Youth」で出されたアイデアの中に、「エコ・キャンバス・キャンパス」、大学のキャンパスを、持続可能性の未来図のためのキャンバスにというものがあった。実践し、実証しようとするアクション・リサーチではなく、リサーチ・アクションだ。「失敗学を学び、対策は万全」という失敗を、「大学」というところが身にまとってしまっているのは、なぜだろうか。制度的学習の分析課題は多いね。

全体環境デザイン主義とでも言おうか。内外の連携も含めて。

いずれにせよ、この本で驚いたのは、わたしにとっては『三つのエコロジー』の著者であるフェリックス・ガタリが、1955年からラ・ボルド病院に参画していたということだ。系統的に学ばないことの陥穽だね。もっと早く「制度的療法」にも出会えていたかもしれないのに。

1992年にはガタリは沖縄県うるま市いずみ病院を訪問したという。なんてことだ!!!!

ドゥルーズとともに書いた著作のゆえに、ドゥルーズ・ガタリとも呼ばれるガタリ。

今年のTESTのお題は決まったね。精度分析。
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by eric-blog | 2009-02-13 10:44 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

辺境から眺める アイヌが経験する近代

281-7(1260)辺境から眺める アイヌが経験する近代
テッサ・モーリス=鈴木、みすず書房、2000

この週末に東京外国語大学多言語・多文化教育研究センター主催で、テッサさんの講演会があり、とても楽しみにしている。

アイヌ民族を狩猟採集の文化、民族として描き、日本民族と比較する視点を、わたしたちはついつい信じてしまう。しかし、著者は、17世紀以前、近代以前に、アイヌ文化には、農耕も焼物も、存在していたことの証明があるのに、この囚われは不思議なことだという。

北方圏に生きるアイヌおよびギリヤーク、イヌイットなどは、相互に交流し、多言語を話し、交易し、そして、基本的には自給自足できる生業を多様に身につけていたという。それらの自立した民族が「辺境の民」化されていくのが近代の国民国家の成立であり、近代産業化社会なのだという。
特に、松前藩時代から明治、土民保護法の成立が、日本社会におけるアイヌ民族の「辺境化」を徹底したという。

集約的漁業の労働力として収奪するためには、近代産業に依存し、貨幣経済に組み込む必要がある。そのために、農耕を禁じ、自給自足が不可能な状況に追い込んで行く。

先日、相模原市の環境デザイン・ワークショップを行った時、衛星都市という「辺境」として相模原市を見てみることを試みた。ベッドタウンであり、消費都市であり、余暇産業の需要が高く、土着性が少なく、移動性が高い。

また、日本社会そのものも近代化の中で「辺境」化され、特徴づけられていった歴史として見ることもできるだろう。

昨日16時からの「ETVの逆襲」、録画しておけば良かったと思ったが、立花隆、糸井重里、爆笑問題らが「考えるとわからなくなる」「流れに乗って行くしかない」「流れに乗っている人は、自分がどんな流れを作り出しているのか、わかっていない」などなどのコメントを最後に言っていた。

しかし、テッサ・モーリス=鈴木さんのような視点もまた、わたしたちを再帰的に形づくって行くことも事実なのだ。
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by eric-blog | 2009-02-12 09:08 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

パパ、ママどうして死んでしまったの  スウェーデンの子どもたち31人の手記

281-6(1259)パパ、ママどうして死んでしまったの  スウェーデンの子どもたち31人の手記
スサン・シュークヴィスト、論創社、2008
Still here with me, 2005

ただひとつよかったことは、同じようにママを亡くした子どもをなぐさめてあげられること。  

ユーリア 13歳 p.49

日本語のタイトルよりも、英語のタイトルの方が、内容にぴったりしている。
「なぜ?」という問いではなく、「どのように」「心が」生き延びて来たかが綴られているからだ。

日本では単身親のもとで育っている子どもが、経済的な困難で大学進学をあきらめるというニュースが流れている。

スウェーデンに生きる彼らの生活が、親が亡くなった後も同じだとは言えないが、物語に「経済的な苦労話」はない。そして、たぶん、日本のわたしたちが思うストーリーは、ちょっと古ぼけた「親を亡くして、苦労したんですねぇ」というフレーズなのに違いない。

「とてもいい本だ」と言いながら、出版社が見つからなかったと、訳者であるビヤネール・多美子さんは言う。

日本語のタイトルから連想する喪失感は、必ずしも精神的なものだけではなさそうだ。そんな対比が、以下の本を読んだ時のこととも合わせて、思えてしまう。いまだに日本社会で「大変なこと」とは、経済的な喪失なのだ。こんなことも解決できないのか、この社会は。

271-1(1169)高齢者の孤独 25人の高齢者が孤独について語る
ビアギト・マスン&ピーダ・オーレスン編、新評論、2008

同情心のためではなく、共感のための本である。
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by eric-blog | 2009-02-11 14:14 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

ボランティアのスキルアップ講座 8時間

記録  2009年1月31日
セッション1共通基盤づくり
10:00-12:00
1. 仲間探しで アイスブレイク [10:30まで]
・宮前区在住歴 35年から4年半ほどのバリエーション
・出身県  北海道、山形、千葉、東京、神奈川、京都,奈良、堺市
・一職場での正規雇用歴10年以上 40年勤めて定年退職という人も!
・家族 子どもの人数 大多数は2人
・血液型 2/3がB型。ショックが走った。
・いまの所持金  ATM派と現金派か?
2. わたしがボランティアをする理由[一人作業 5’]
3. 傾聴[ペア作業 1’ずつ]
4. 気づいたこと・感じたこと・学んだこと[ペアで3’全体共有→板書1]
5. 「ボランティア仲間の心がけ」話し合いの心がけ[ペア作業→全体共有→板書1に追記]
6. ボランティアって何だ?[グループ作業]
  ○いいボランティア/危険なボランティア対比表
○ ボランティアをする人が増えたら、町は・・・[因果関係図]
5. 全体共有[グループ作業成果物1,2を壁面に掲示]
セッション2 ボランティアに求められるスキル
13:00-15:00
1. 「新しい人を迎えるための心がけ」[三人グループ作業→板書2]
2. 「午前中、学んだことで、一番印象に残っていること」[三人グループで共有→全体共有、板書1に追記]
3. 後だし負けじゃんけん「頭でわかっていることがからだでできるには?」
4. 理想のボランティア像[グループ作業、A4の紙に→全体共有→白板に]
5. あなたのグループを評価しよう [『わたし、あなた、そしてみんな』126 グループを5グループに再シャッフル、個人作業→グループ作業]
6. 共通の課題と問題解決のための手だて20[三人のグループ作業→全体共有]
7. リーダーシップ採点表 [『わたし、あなた、そしてみんな』128 個人作業→グループ作業「共通点と異質点」→全体共有]
8. ふりかえり[サークルタイム]
2009年2月7日 10:00-12:00, 13:00-15:00

セッション1 対立の扱い方
1. 対立の扱い方についてカリキュラムを組むとすれば・・・カリキュラムを名付けてみる
 ・対立から対話dialogueへ
 ・対立を成長へ

2. カリキュラムに含めたい要素の共有
3. 対立から学ぼう 10の概念[板書]
 ・中等教育カリキュラムとして予防的であり、解決よりは人間的成長を目指している

4. 対立の扱い方の分類とメリット・デメリット
5.  温度計「わたしは○○のとき・・・」
6.  エスカレーターの分類 何が対立を激化させるか
 ・激化と内在化
・ 内なるモノローグが、内在化の引き金
・ 内在化が激化と同様に、わたしを苦しめる

セッション2 わたしの経験した対立と日本型コンフリクト
1. 対立をふりかえる リスト
2. 対立の場面の自己分析
3. 共感的傾聴
4. 感情をふりかえる 「行動・感情・価値観の氷山」
5. ウィンウィン型解決 双方が「本当に満たされたいこと」を見つける
6. わたしメッセージを練習しよう
7. 調停の台本を読む
8. 日本型コンフリクト「日本社会の○△□」
9. ふりかえり

ファシリテーターからの一言
・ 内在化までは分析できていたが、対立の場面を激化させる表現と内在化をすすめるモノローグの表現の共通性と異質性をもっと深めて分析すべきだと感じた。
・ 日本社会の○△□の特徴が、人権文化の「よりinclusive包括的に」「力の分有Power Shared」「プロセス思考Process thinking」と言う方向性とどう折り合うのかを、ともに考える時間がなかった。ボランティア研修ということで、人権尊重文化の担い手という意識が、弱かったのかもしれない。
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by eric-blog | 2009-02-09 14:51 | □研修プログラム | Comments(0)