<   2009年 01月 ( 28 )   > この月の画像一覧

チョコレートの真実

278-5(1251)チョコレートの真実
キャロル・オフ、英治出版、2007
Bitter Chocolate Investigating the Dark Side of the World’s Most Seductive Sweet, 2006

メソアメリカ原産、アステカ帝国の通貨でもあったカカオ豆が、ヨーロッパを魅了して以来、カカオ農園の労働者たちが手にする収入が、その最終プロダクツのチョコレート一枚の価格とどれほど隔たたり続けてきた。そして、その隔たりが近い将来解消される見込みはない。  それが著者の見通しだ。

アステカ帝国においては農民が、三角貿易時代においては奴隷が、そして、いまはアフリカにおいて子どもたちが、カカオ豆の生産を担っている。

アフリカにカカオをもたらしたのは、アフリカ人だ。自分たちの現金収入のために、バナナやコーヒーと混植することによって、健康に育つカカオは最適であった。しかし、そのような規模の生産を、市場と儲けは許さなかった。

まずはゴールドコーストに導入されたカカオ農園は、独立前後の経済のカンフル剤となったが、あっという間に、カカオ豆生産者側は価格コントロール力を奪われる。そして、いまはコートジボアール。マリやブェルキナファソから、子どもが若者が、飢餓を逃れ、チャンスを夢見て、移動してくる。「アフリカの奇跡」を起こしたウーフェが1993年に亡くなってから、「イボワリテ(コートジボアール性)」国民優遇政策がとられ、それまでの10数年、カカオ農園を拓くのに骨折ってきたマリからの農民、ブェルキナファソからの農民らが、土地を追われて行く。

中央が「カカオ取引適正監視委員会」などの組織を作れば作るほど、農民はそのための支出を強要される。

カカオ戦争に、軍事対立が拍車をかけ、コートジボアールは「繁栄、高い教育、多民族の共生。かつて地域のモデルだった国が、ほんの数年で、貧困、人種差別、欲望に引き裂かれてしまった。」224

戦争は、大手商社を設けさせたが、カカオの運搬・輸出の道を閉ざすことはなかったようだ。「チョコレート熱は永遠だ。」225

ギー-アンドレ・キーフェル GAK 闇の世界を知る男、知りすぎたがために、消された男。彼の「不正」を暴く心意気は、いまも、彼の「ネットワーク」に受け継がれているという。

19世紀のバンホーテン、キャドバリー、20世紀のハーシー、マーズ、
いまも生き続けているチョコレートで伸びた企業群だ。

読んでも読んでも見えない先は、ケン・サロ=ウィワを思い起こさせる。

232-2(1133)ナイジェリアの獄中から 「処刑」されたオゴニ人作家、最後の手記

128-2(614) コーヒー、カカオ、コメ、綿花、コショウの暗黒物語 生産者を死にお
いやるグローバル経済
ジャン=ピエール・ボリス、作品社、2005
[PR]
by eric-blog | 2009-01-30 16:41 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

未来を学ぼう 研修記録

記録
2009年1月17日 午前11時から午後6時

セッション1 共通基盤づくり
11:00-12:40
1. 段ボールレンガから「デザインの原則」を探る
2. デザインの原則を考えるHow についてふりかえる
3. 気づいたこと、感じたこと、学んだこと 全体共有
4. How の背景にある「Why?」をふりかえる
5. セッションの準備をする

セッション2 鍵となる経験の分野
13:40-
1. 今日のわたし からだで表現する
2. あなたのコミュニティ[コミュニティ意識を高める アクティビティ4]
○二か国語以上話す人/話さない人
○ 礼拝に行く人/行かない人
○ サイクリスト
○ 人間
○ 女の子・男の子
3. ふりかえり

セッション3 苦しみと喜びに心を開く
15:40-
1. 「川の岸辺」[価値ある地球と出会う アクティビティ11]
2. 「写真の世界への共感」[苦しみと喜びに心を開く アクティビティ3]
3. ふりかえり

2009年1月18日 午前9時から午後4時
セッション4 ふりかえりの鍵1
09:00-
1. いまCAPで起こっていること。感情・価値観・ビジョンの共有
2. 対立の場面[響き合う出会い アクティビティ4]
3. 聴くこととは [中扉の輪読]
4. 傍観者なのかWitnessなのか

セッション5 ふりかえりの鍵2
13:00-
1. 五感を磨く Sensory Awareness 
2. クリップ君と友達に
3. CAPの分析
・呼びかけネット?および質問を出した個人やグループ
・ 全国トレーナーによるトレーニング実績
・ グループ内トレーナーによる研修実績
・ CAPワークショップの実績
[PR]
by eric-blog | 2009-01-30 09:44 | □研修プログラム | Comments(0)

アフリカで一番美しい船

278-4(1250)アフリカで一番美しい船
アレックス・カピュ、ランダムハウス講談社、2008
Eine Frange der Zeit, 2007

原題は、時間の問題。スイス人の作家らしく(?)、お話は両方の側から進む。ドイツ側とイギリス側と。そして、ドイツ語を話すというマサイ族のムケンゲが、ちょっぴり彼らのサイドを代弁している。彼らのサボタージュの力をほのめかしながら。

時は、第一次世界大戦。アフリカはタンガニーカ湖。植民地獲得競争に乗り遅れたドイツが唯一獲得できたドイツ領東アフリカ(現タンザニア)。その境界を画するのが、キリマンジャロ、ヴィクトリア湖、タンガニーカ湖、などだ。アフリカで勢力を伸ばすには、この湖を制すること。

パーペンブルクのマイヤー造船所で建造された「ゲンツェン」は、分解され、5000個の木箱に詰めて、ダルエスサラームへと到着する。そして、タンガニーカ湖に。戦後は「リエンバ」と改名され、いまも客船として活躍しているらしい。

対するベルギー領コンゴ側には、イギリスから二隻の船が、なんと喜望峰経由で運ばれて来る。28名の部下を引き連れたスパイサー。

ということで、これは実話の小説化。

まるまる一頁に及ぶとしても、紹介したいのは、造船技師リューターとムケンゲの次の会話だ。90
「男たちは君のもとで働くことを喜んでいる。」
「彼らは君のもとで働くことを喜んでいる。弾を込めた武器を持った兵士たちが彼らを監視し、逃げようとする者はいつでも撃とうと構えてはいても。」
「彼らは君のもとで働くことを喜んでいる。偽の軍服を着た犯罪者どもが、夜に彼らの小屋を焼き打ちし、井戸に毒をまぜ、畑を踏み荒らしたが。」
「彼らは君のもとで働くことを喜んでいる。妻と子が寝ているあいだに鎖につながれここに連れてこられた者たちだが。」
「彼らは君のもとで働くことを喜んでいる。彼らの祖父母は取り残され、最後の力を振り絞って自分の入る墓穴を掘り、そこに横たわって、ハイエナに食われないように自分に土をかぶせているが。」
「彼らは君のもとで働くことを喜んでいる。兵士たちが妻と子を捕まえて人質にとり、我々が奴隷のように働かなければ彼らを飢え死にさせると脅していても。彼らは我々に生ゴムを集めに行かせる。そして我々が土曜日にじゅうぶんな量の生ゴムを持って帰らないと、我々の片手を切り落とす。」
・・・
「ぼくにどうしろと言うんだ」
「なにもかも君の責任ではない」とムケンゲが言った。
[PR]
by eric-blog | 2009-01-29 10:11 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

社会的共通資本

278-3(1249)社会的共通資本
宇沢弘文、岩波新書、2000

同名の本も借りていたのだが、まったく気づかなかったほどに、異質な、もちろん、基本的な主張は同じなのだろうが、異質な本だ。

著者は、社会的共通資本を自然環境、社会的インフラストラクチャー(ハード)、そし制度資本の三種に区分している。

そして、農業、都市、学校教育、医療、金融を論じ、地球環境についての問題提起を行っている。

農業について、著者は1961年制定の農業基本法が、農業をだめにしてきたという。農業を工業と同じような市場効率性に基づいて、評価しようとした点である。51

工業には農業にはありえない「規模の経済」がある。従って、日本の経済成長と農村の生き残りは「農村における人口流出、とくに若年労働力の流出によって、一人当たりの農業生産性は高い率をもって上昇しつづけるという奇妙な現象を呈することになった。」55

しかし、そのことは、国際的な流れの中に日本を置くと、日本列島からの農村の消滅に他ならなくなる。62

農村が果たしている環境的な役割、社会共通資本的な役割を考えた時、面積割合で考えるか、人口比率で考えるか、それを事前に決めるべきであると著者は言う。その上で、どのような政策によって、例えば、人口の20%が農村に定住して農業に従事するかが、考えられなければならないのだと。63

農家一戸当たりの農業収入の低さ、第二種兼業農家化は、一戸を経営単位として考える対策から来ており、農村を単位として経営するコモンズとして考えるべきだと、著者は言う。76-77

次に、いまや人口の8割を越える居住がある都市はどのような社会共通資本であるのか。「ある限定された地域に、数多くの人びとが居住し、そこで働き、生計を立てるために必要な所得を得る場であるとともに、多くの人びとがお互いに密接な関係をもつことによって、文化の想像、維持をはかってゆく場である。」95

土地の生産性に依存することなく、生産活動を行うことができる。

最適都市とはどのような都市なのか。99

もちろん、著者の十八番である「自動車の社会的費用」を考えた場合、最適都市は自動車依存型ではありえない。その理念が依拠するものとしてジェイコブズ(『アメリカ大都市の死と生』1961年)の四原則が紹介されている。120
1.道路の幅がせまく、曲がっていて、1ブロックは短い。
2.再開発にあたっても古い建物が残されること。
3.都市の各地区は二つないしそれ以上の機能をもっていること。多様性。アンチ・ゾーニング。
4.各地区の人口密度が十分に高くなっていること。

何よりも、歩くことを前提に作られること。

この本で著者が他の本にはなく力を入れているのが、学校教育についてであろう。ここまで語っていることに驚いた。

学校教育が果たしている社会的統合、平等主義、人格的発達という三つの機能について、いまのアメリカおよび日本の教育が不平等を拡大する方向に働いていることを指摘しつつ、それは経済の法人資本主義を改革しなければ、できないことなのだという。「抑圧、個人の無力化、所得の不平等、機会の不平等は歴史的にみて、教育制度に起因するものではないし、不平等で、抑圧的な今日の学校から生み出されたものではない。抑圧と不備揺動の根源は、資本主義経済の構造と機能の中にある。この点に、社会主義の国々をも含めて原題の経済体制を特徴づけるものがあって、人びとが経済的生活の管理に参加することを不可能にしている。」(87-88頁より、ボウルズ、ギンタス『アメリカ資本主義と学校教育』1976、翻訳は宇沢弘文によって、岩波書店刊1986) 143-145

序章に著者がいう「ゆたかな社会」とは
1.自然環境
2.住居、生活的文化的環境
3.学校教育制度
4.医療サービス
5.希少資源が、以上の目的達成のために、効率的、衡平に配分されるような経済的、社会的制度。

すべての人びとの人間的尊厳と魂の自立、市民の基本的権利が最大限に確保できる、本来の意味でのリベラリズムの理想が実現される社会。2-3

その社会は、経済が、社会的共通資本をどう扱うかにかかっているという。
[PR]
by eric-blog | 2009-01-28 11:10 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり

278-2(1248)源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり
山本淳子、朝日新聞社、2007

2008年は源氏物語千年紀。その背景を説明してくれているのだが、前半において引用されるのは『栄花物語』や『枕草子』。一条天皇がもっとも愛した中宮「定子」。教養豊かで、清少納言が定子から愛され、目をかけられていたように、才気煥発な局の運営は、定子自身の方針であり、彼女自身の教養が背景にあったのだという。しかしし、定子は父も亡くし、後ろ盾のない身。折から勃興してくる藤原道長は、キサキをキサキとも思わぬ横やり、いじめを繰り返す。身の置き場もないような状況での出産。男子誕生の喜びも道長の娘、彰子の入内騒ぎでかき消されてしまう。

そして、そんな定子を心から愛した一条天皇。

源氏物語のモチーフは

1高貴な血筋だが、不遇な女
2男からの純粋な愛
3男の愛にすがっている「あはれ」と女の死
4あとに残された男の悲しみ

であると藤原克己氏が指摘しているらしい。そして、著者は、このモチーフこそが一条天皇と定子の愛の姿であり、「源氏物語の時代」として紫式部にしみ込んだものなのだという。

藤原道長の娘としてキサキ候補として育てられた彰子は、なんとも若い数えの12歳で一条天皇に入内。紫式部があがったその局は、良家のお嬢様ばかりが女房となっているいささか暗い雰囲気。幼すぎた彰子は、実働の力にもならない女房たちを統べる方針ももたず、失敗のないようにとだけ、局にある。一条天皇の心は、いまだ亡くなった定子の元に。

史実に基づいて、描き出される時代背景は、とてもスリリング。

87歳まで生きたという彰子の、一条天皇後、24歳からの人生も、おもしろい。

そして、なんと言っても、圧倒的な量の「記録」の時代が一条天皇の時代であったのだね。豪華な紙、筆、すずり、漢文と和文、「書く」ということのハードとソフトの両方がquantum leapを体験した時代。それが1000年前という時代なのだ。
[PR]
by eric-blog | 2009-01-28 09:37 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

進化の隣人 ヒトとチンパンジー

278-1(1247) 進化の隣人 ヒトとチンパンジー
松沢哲郎、岩波新書、2002

春風亭小朝独演会で、チンパンジー・ネタが出た。チンパンジーが自分より下に対しては「オ、オ、オ、」と、上に対しては「ア、ア、」と発声する。その傾向は人間にも残っていて、「お、元気?」「あー、山田部長、いつもお世話に・・・」・・・。
独演会の次の朝、新聞を取りにいってきた連れ合いが「いま、郵便受けのところで、「おはようございます」と声をかけたら、「お、おはよう」って言われたよ。年配の男性だけどね。しばらく、お、とあ、が気になりそうだ。」と言う。

小朝さんが引用していたのが「日本霊長類研究所の報告によると」だったので、早速、何冊か当たってみることにしたのがこれ。どこから、どんな読書課題を見つけてくるのやら。よろしくおつきあいください。

かろうじて見つかったのは、チンパンジーが生まれてからすぐ出す声が「オッオッオッ」だという下りでした。47 これは仲間を呼ぶ声やその呼びかけに答える時に出す声だと紹介されています。

いずれにしても、小朝さんのおかげで出会った本。教育という分野のことについても、示唆に富んでいます。

日本の、つまりは世界の霊長類研究が始まったのは1948年。今西錦司さんらのニホンザルの研究から。先進国の中でサルが生存するのは、日本だけだった。
しかし、monkeyとapeでは、apeがヒトに近いという仮説を立てて、1958年、今西さんたちはアフリカに向う。(なぜ、日本語にはmonkeyとapeを区別する言葉がないのかな?)
そして1960年、ジェーン・グールドさんが野生のチンパンジーの長期観察研究をタンザニアのゴンベで始める。
1965年以来、京大チームが同じくタンザニアのマハレで継続的に研究。

去年は、日本の霊長類研究50周年記念だったのですねぇ。

類人猿apeを研究することは、化石などに残らない「心」を研究するための化石のようなものだと、著者は言います。人間の心の進化を跡づけることが加納なのだと。野外での実験観察の結果、父系で集団をなすチンパンジーでは、コミュニティを移籍する女性が文化を運び、子どもたちが継承するという結果が出ています。28

子育てを担う女性が移籍する方が、文化交流が起こりやすいということも考えられるね。おもしろい。

チンパンジー流の教育法は子どもの側の自主性に委ねる教育。53
「親が手本を示す」「親と同じことをしたいという強い動機づけがある」「(子どもからの働きかけに対し)親が極めて寛容である」
手取り足取りなどの「積極的な教示はない」が、見守りはある。55
「叱らない」「叩かない」「邪険にしない」「無視しない」160
押しつけもない、助言もない、ほめることもない。161

松沢式チンパンジー教授法161
1.直後のフィードバック、正しいことをしたときにほめる
2.基準がぶれない
3.正のフィードバック、ほめる。

人間についての研究も紹介されているが、三歳というのは、鏡に写った自分も認識できるような段階。チンパンジーは離乳期が三歳半なので、認知能力がかなり高くなるまで、親とともにいる。そのために知識や技術の引き継ぎが可能。

教育について、著者は書いていますが、基本的には、「訓練」であると思います。彼らの行っている訓練は、チンパンジーの「自然な生育環境」では役に立たないものであり、「できる」ことの証明として「訓練」してみせているだけのものだからです。

これまで同様の実験を何件も試して、アイさんが、松沢さんからの働きかけにもっともよく応えてくれたのだと思います。ありがたいことですね。

人間の研究者と被験者であるチンパンジーがいっしょに写っている写真が、何枚か収録されている。ぜひ、どなたか研究してみて欲しいと思うのだが、研究者らは一様に眉毛に緊張感がない、あるいは眉毛を心持ち上げ気味の、開放的な表情をしているように見える。特に松沢さんとアイの写真などは、さまざまに推測しつつ、じっくり見てしまう一枚である。
つまり、チンパンジーに対する研究者の表情と、その研究者の他の人間に対する表情とを比較すると、彼らがチンパンジーをどう位置づけているかが、判別できるのではないか。

ヒトの研究者を研究できるようになれば、霊長類研究も充実するだろうね。あれ、それは、ソシオグラフィの分野になるのかな? (何をアホなことを)

参加の文化のファシリテーターとして、どなたに対しても対等に、と心がけていると、「人間のつくっている日本社会」のコミュニケーション・ルールから外れてしまっている行動をしているだろうなと、思う時もしばしばである。しかし、それが自分にとっても心地いいので、「対等」なコミュニケーション・スタイルにこだわり続け、かなりからだでできているようになってきたのではないかと、自負している。

チンパンジーの研究者らが、チンパンジーという隣人との長いおつきあいの中で、どのようなコミュニケーション・スタイルを身につけられたのか、とても興味が引かれる。そんな気持ちにさせられた写真たちでした。

チンパンジーという種にとって、人工的な環境で生きるということが、第二の生息環境になってきている。アフリカの赤道直下近辺に分断して生息している数は10万人から25万人。日本に373人、2/3が動物園で暮らしている。(残りは製薬会社) 世界では5000人ほどが、人工的な環境で飼育されている。

チンパンジーたちはその知能の高さで、人間とどう関わり、どのような未来を切り拓くことができるのだろうか。著者が進化の隣人を大切に思う気持ちとは裏腹に、寂しい気持ちになりました。

石を道具として使うだけではなく、石で石の道具を作る。文字が判別できるだけでなく、文字で文字やことばについて考える、書き表すことができる。そのような「メタ」操作、思考の存在が、それでもヒトとチンパンジーを分かっている。

訓練の段階の次、文字を書くという「勉強」、そしてその「勉強」ののちの知識や情報の広い「言語」が開く地平の段階に、チンパンジーがいくことはない。文字の世界とは不思議な世界だ。
[PR]
by eric-blog | 2009-01-27 11:04 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

新しい責任のための新しい知性

今日は大学の授業最終日でした。
ナショナル・ジオグラフィのDVD『人類の旅』(2006年制作)を三回に分けて見ています。黒人大統領が誕生したことの意味を人類史的にも考えたいと思ったからです。ちょうどAERAが就任演説を対訳で1ページでまとめていたので、紹介しました。いい訳ですね~。
もちろん米国大統領として米国民に語ったことばですが、米国の持つ多様性が世界を代表していて、米国の新しい責任への挑戦が、世界の姿の縮図でもあると感じました。かつてのように、米国がモデルであるとは思えないですが、確かに世界の縮図であり、実験場、実証場なのだと。実験が失敗すると、かなり手酷い影響も受けますが。

もし、米国が新しい責任を遂行し、担うための新しい知性に啓かれていくならば、変化は可能だと、教育に携わるものとしては信じたいですね~。

『チェ・28歳の革命』で、志願者に「読み書きはできるか?文字を学ぶことも立派な革命だ」と諭していた姿。いつでも本を手放さずに読んでいる姿が描かれている。「文字を知らないと騙されるぞ」と、新兵たちを脅しているが、学ぶことにはそれ以上の意味がある。そのことを医者でもあった彼が感じていないはずがない。

いま、高い高等教育進学を成し遂げているキューバ、実験的都市農業を有機農法で進め結果を出しているキューバを見ると、チェのメッセージが生きていると思う。

騙し騙される「識字の暴力」ではなく、人間の解放から自己実現、エンパワメントに向かう知性の涵養はあるはずだ。わたしと地球を結ぶ価値観とビジョンに導かれて。
[PR]
by eric-blog | 2009-01-27 08:07 | □研修プログラム | Comments(0)

相模原地域課題ワークショップ

a0036168_16353315.jpg

毎回20名ほどで、テーマを絞って、ゲストを招いて行っているワークショップ。
今回は地域活動、そのものに焦点を当てました。
新宿区で活動する崎田さんがメインスピーカー。「本社のある町」はなんてうらやましい!

[PR]
by eric-blog | 2009-01-26 16:35 | □研修プログラム | Comments(0)

口述の生活史 或る女の愛と呪いの日本近代

277-5(1246) 口述の生活史 或る女の愛と呪いの日本近代
A Narrative Life History: The love and the Curse of a Woman in Modern Japan
中野卓 編著、お茶の水書房、1977 増補版 1995

岡山水島コンビナートの公害被害調査から入った集落でであった松代さんからの聞き取り。明治35年に生まれ、曾祖母、祖母の家に預けられ、育てられていた生活から、母との同居、そして、母の連れ合いに従って、戦時の満州、韓国への渡航。そして、その後の生活。聞き取り調査の1975年にはすでに83歳。

8歳から21歳が、苦労のし通しだったという。

3-4度も語られた話を、再構成したとは言うモノの、元々のことばを忠実に描き取っている。方言の表現、近親者のみに共有され、了解されうる関係性の指示代名詞。ニイサン、トオサン、カアサンなど。

近親者として育ったニイサンが、満州に行く前に一度と、もった性交渉で妊娠・出産。それがずっと、松代さん本人への未練ともあいまって、最初の夫との絆ともなり、また、離れがたさにもなっていく。

二人目は、一人娘の松代さんだが、祖母が家が断絶することも覚悟して、嫁に出した相手。それが性的変態性があることがわかり、なんとか性交渉から「逃げよう」とする。それを追いかけて暴力をふるう夫。

自らが稼ぎ手ではない女の居所のなさ。

それが近代女性だったのだろうか。

三人目の夫とのおだやかな暮らしと対比して、浮かび上がるのは、個としての生活保障がいまだに何もない日本の社会だということか。

とはいえ、そんな分析よりも何よりも、「語り」の世界にどっぷりつかるのが、この本の流儀なのだろう。
[PR]
by eric-blog | 2009-01-24 13:28 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

大邸宅と奴隷小屋 ブラジルにおける家父長制家族の形成

277-4(1245) 大邸宅と奴隷小屋 ブラジルにおける家父長制家族の形成
ジルベルト・フレイレ、日本経済評論社、2005
Casa Grande & Senzala

ブラジルの社会史家による上下巻の大部作。その他の三作でブラジルの歴史を描き出したいという意向だったらしい。その中で、この作品は「植民地期における家父長制家族の形成と展開」にあたる。

実は、上巻を読んだとき、もう下巻を借りて読むのはやめようと思っていた。下巻の章が
第四章 ブラジル人の性と家族生活における黒人奴隷
第五章 ブラジル人の性と家族生活における黒人奴隷(続)
となっていたからだ。

小朝独演会ですら、下ねたが多いと、辟易する、さらにはジェンダーの視点についてはとても偏っているので、どれほど、いらだつことかと、予想できるよね?

偏りと言えば、昨日の大学での授業では、文化的相違排除的な「初期の知能テスト」に憤らない学生を見て、あああ、わたしは公民権運動からの視点を強く持っているのだなと、改めて、確認したなあ。閑話休題。

しかも、上巻は、「本書で「温情的」に描かれる奴隷主と奴隷の関係をとりあげ、批判者が「非人間的な側面の無視」として論難し、信奉者が「真実」として擁護する光景」(下巻、訳者解説397) 描写が続くのだ。だからなんなんだ、ジルベルト・フレイレ財団からの出版物だなんて、著者本人がすっげー、大邸宅の側からのノスタルジーなんじゃないの? と思ってしまうほどなのだ。

しかし、下巻では、黒人文化がポルトガル人の陰鬱な文化に持ち込んだ生き生きとしたもの、音楽や説話の世界が描かれていた。その豊かさは、感動的だ。

186-3(887)太鼓歌に耳をかせ、石橋純、松籟社、2006  にも描かれる世界だ。

家族の中で、奴隷女が果たす乳母・養育者・母性としての役割は、以下のものにも同様だ。

62-8(285) 女の町フチタン-メキシコの母系制社会、V.ベンホルト=トムゼン、藤原書店、1996

プランテーションにおける性的放埒と堕落については、ある小説がすごく良かったのに、思い出せない! 

下巻 49
性的堕落のない奴隷制など存在しない。
「奴隷という財産の最も生産的な部位は子宮である。」

100
奴隷との接触から身に付いた悪癖・・・たとえば奇妙なサディズムがある。

216
このような人びとを不潔で、汚れをまきちらす元凶であると非難することはできない。彼らは奴隷から開放された後、・・・こうした職業に明確な衛生観念をもって従事し、・・・

教育やよい生活を保障されない人びとと共に作る社会で、よりよい社会を目指すこと、それを共有することは難しい。
[PR]
by eric-blog | 2009-01-24 13:12 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)