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ライフヒストリーの社会学

274-2(1232)ライフヒストリーの社会学
中野卓・桜井厚編、弘文堂、1995

旧聞に入るのかもしれないが、ライフヒストリーとライフストーリーとの違いの整理が、すでに、このころ、桜井氏によって行われていたとすれば、おもしろいと思って、紹介しておく。

編者の一人である中野卓氏については、『口述の生活史』として、この論文集の中でも、そのインタビュー手法、分析、まとめについて、論じられている。その他、ハワイ日系人、学徒出陣、離島トカラなどを題材に、多くのインタビューが代表作として言及されている。

「インタビューからライフヒストリーへ 語られた「人生」と構成された「人生」」小林多寿子43-70

が、「時間」に焦点をあてて、以下のように整理している。

ライフヒストリーは、五つの時間が設定されて組織されたものである。
1.インタビューの場であり、過去が想起された〈現在〉
2.〈クロノロジカルな時間〉
3.〈ライフサイクル的時間〉
4.〈歴史的な時間〉
5.〈個人的な時間〉

ライフヒストリーは、語り手に固有の〈個人的な時間〉が理解可能になるように構成されたものなのである。66-67

語り手と聞き手による構成という二重の解釈を経た「人生」の作品がライフヒストリー。

そして、ライフヒストリー研究の著作を中野の『口述の・・・』に寄せて明らかにしようとしている論文では、
1.「対象者の個人的記録」
2.記録やライフヒストリーへの注釈」
3.記録やライフヒストリーへの研究者の明示的な分析・解釈
の三つに区分して捉えようとする。
しかし、そこにも口述記録と表現という著者の関わりがあり、注釈にも著者の関わりがある。そして、論者は、中野の『口述・・・』が「感動を伴う知識」の産出方法なのであったことに焦点をあてる。「件期勇者の分析・解釈は、記述と編集を通してライフヒストリーと一体化して埋め込まれてしまう」という。135

ライフヒストリーそのものをデータとして扱うということは、その記述者・研究者をも含めた研究ということになるということだね。

でも、口述の生活史はすでに、図書館で入手不可能かも。
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by eric-blog | 2008-12-28 11:38 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

痴呆老人が創造する世界

274-1(1231)痴呆老人が創造する世界
阿保順子、岩波書店、2004

痴呆老人の側から、彼らの生きているストーリー世界を描き出した物語。著者初の一般書。

精神病院内の痴呆専門病棟がその舞台。三ヶ月でいったん退院という措置しかとれない縛りはあるものの、ほとんどが1-2週間で再入院。

知的機能は長谷川式簡易知能評価尺度で10点以下。あるいは計測不可。歩けることが入院の条件、しかし、日常生活には介助が部分的ではあれ、必要な人がほとんど。私物の持ち込みは禁止。

日中は、デイルームで過ごす。そこが、彼らにとってフィクションのストーリーの展開する場だ。

図面が示されているが、たぶん80平方メートル以上、二教室分の一角が斜めに切れているという感じの長方形の部屋である。このスペースに、登場人物は、ここに出てくるだけでも、22名ほど。小学校であれば、フリースペースのある教室に、22名の児童というのは広いと思うが、こちらは、大人である。ストーリーが濃いのは、当然のことだろう。

限られた空間、限られた関係、限られた小道具の中で、話は転がる。

それぞれがそれぞれのストーリーを持っているのだが、語り手である痴呆老人たちからは、「固有名詞」であるところの人名は失われている。「見立て」による役割が他者に振り当てられ、他者の行動の自分なりの解釈世界が成立する。解釈がぶつかっても、問題にならない。そこにこだわるだけの記憶力やエネルギーが欠けているために、そこそこの関係だけで、関係はころんでいくためだ。

こだわらない。こだわれない。ふわふわとしたストリーリーが、いわば、自由自在に漂っている空間が、この物語の舞台なのだ。

著者は、その世界につきあうだけのマンパワーがあれば、これらの痴呆老人たちも、在宅でケアできると、言う。79

全体の2/3が女性であり、男性は少ない。同時に、群れる女性、群れられない男性という違いも明らかだという。なだいなださんが「社会的な生き物になるために、必要であったオスの武装解除」というのは、実は「階層制の導入」であったのかもしれない。平場のデイルームでは、どのような関係を男性たちのストーリーは見せるのかと興味津々で、読み進めたが、ヒエラルキーをつくり出すほどのパワーは痴呆老人には残っておらず、「将軍」や「天皇」というストーリーを展開し、それにつき合う関係は、ここには生まれない。軍隊の同窓会における「はい、上官殿!」とはしゃいだ敬礼ごっこもない。
「群れない男性」という特徴だけが繰り返される。役割が与えられるにしても、「夫」なのだ。女性によって担われる近代家族主義の強固な虚構、おそるべし。

痴呆老人の創造する世界にも、世相が、そして彼女らが生きてきた時代の背景が、現れているのだなあ。

人間的な能力を発揮して、与えられた場で生きている痴呆老人の姿を暖かく、人間的に描き出している本である。
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by eric-blog | 2008-12-28 11:05 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

自然と共生した流域圏・都市の再生

273-2(1230)自然と共生した流域圏・都市の再生
「自然と共生した流域圏・都市の再生」ワークショップ実行委員会編著、山海堂、2005

ずいぶんいろいろなところで紹介されている本である。
--------------インヨウ-----------------
平成14~15年に開催された3回に及ぶワークショップ「自然と共生した流域圏・都市の再生」の内容をまとめる。基本的な視点、行政の視点、学(研究者)の視点等に分けて紹介。
<目次>
1基本的な視点(流域構成と都市水代謝;「自然との共生」とは何か;未来世代への責任)
2行政の視点(「自然共生型流域圏・都市再生イニシャティブ」とは;
「自然共生型流域圏・都市再生イニシャティブ」への各省の取組み;
「自然共生型流域圏・都市再生」における各省の取組みほか)
3学者(研究者)の視点(流域圏における水循環系の健全化;
総合治水から流域思考の都市再生イニシャティブへ;流域圏をどのように診るか―物質循環の立場から ほか)
着眼点・アプローチ・メッセージ
----------ドコカラダッケ?--------

平成13年の総合科学技術会議を受けて、自然共生型流域圏・都市再生技術研究イニシャティブという5カ年の研究計画が示された。
この本はその計画にそって行われた14年から15年度にかけて行われた三回のワークショップの記録である。

(財)リバーフロント整備センター
(財)日本農業土木総合研究所
(財)ダム水源地環境整備センター
(財)自然環境研究センター
(社)農村環境整備センター
の五つの公益法人がとりまとめ役。

丹保 憲仁さんの基本的な視点のまとめが、わかりやすい。文明の転換について、かなり積極的に発言されているようだ。
http://scienceportal.jp/HotTopics/opinion/20.html

文明を想定する以上、都市は存在するだろう。流域を考えると言っても、都市とその他は分けなければならない。都市・生産緑地・保全域の三区分で考える。
生産域には農業域と林業域がある。
基本的には近代開放型で考えてきた文明を複雑型クローズ型概念へ、変わる必要がある。
開放型上水道システムの成立条件を考える。
一人当たり、300平方メートルの森林があれば、成立する。BOD 3ミリグラム/リトッルの川を維持しようとすれば、都市用水の2倍量の薄め水が川に残っていないければならない。900平方メートルの集水域が一人当たりに必要だ。20
こんな流域は日本にはほとんどない。近代上下水道システムは限界だ。
その都市域を循環型にするには、人工的に閉水域を作り、何度も水を使うことも考える必要がある。物質循環にもエネルギーを使うので、これも小さくしたい。なるほど。

各省がかかわっての研究なので、本書に掲載されている図版は以下のホームページかせらも見ることが可能です。

7. 「都市・流域圏における自然共生型水・物質循環の再生と生態系評価技術開発に関する研究
http://www-basin.nies.go.jp/project/sizenkyousei/main.html


研究概要書:自然共生型流域圏・都市の再生
http://www.nilim.go.jp/lab/bbg/project/ppdf/p13.pdf

流域を単位とした緑地環境の解析と自然共生型流域圏の実現に向けた
シナリオの作成手法に関する研究
http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/chousakouiki/yokohamakaigi/05_seisaku_kenkyukai/2/05ishikawa1.pdf
流域を単位とした緑地環境の解析と 自然共生型流域圏の実現に向けた シナリオ作成手法に関する研究
http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/chousakouiki/yokohamakaigi/05_seisaku_kenkyukai/2/05ishikawa2.pdf

自然共生型流域圏の構築 を基軸とした国土形成に向けて ―都市・地域環境の再生―
日 本 学 術 会 議 土木工学・建築学委員会 国土と環境分科会
平成20年(2008年)7月24日
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-h60-6.pdf
総合科学技術会議における これまでの取組について 内閣府 政策統括官
http://2050.nies.go.jp/sympo/pdf/1-1-nojiri.pdf
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by eric-blog | 2008-12-23 17:21 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

松沢真 デザインの話。

273-1(1229) 松永真、デザインの話
アゴスト、2000

アゴストというコンピューター関連雑誌に連載されているエッセイをまとめたもの。世間は彼のデザインであふれているんだなあ。

若くして資生堂のサマーキャンペーンを任され、社外の人材を加えた初のプロジェクト方式で実施。当時、中学生だったわたしも覚えている衝撃的なポスターが彼の作品なのだ!
NONNO
MORE
カペラ
宝酒造の缶酎ハイ
スコッティ
キリンレモン
日本国憲法 ブックデザイン
カルピスの黒人キャラクターを使った広告
有名な会社のロゴなど、え、これもそうなんだ!?というほどだ。

彼がコンピューター関連雑誌に連載している理由は、こんなアナログな手仕事をしている人がいることを示したかったからだと。

しかし、図版で紹介されている「人・人・人」や「NTTのカレンダー」はコンピューター時代を感じさせる。
ロゴデザインそのものが、アナログよりはデジタルよりの仕事だからか?

いいなあ! デザインて!絵画以上に鑑賞してしまうのはなぜなのだろうか?
最近買ったAll wrapped up!は60年代の包装紙デザイン集。今年のクリスマスカードのデザインはここから作りました。昨年はモリスのを使ったんですが、絵画を自分のカードデザインに使うことは考えにくいですものね?
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by eric-blog | 2008-12-21 08:44 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

民主教育論 民主主義社会における教育と政治

272-9(1228)民主教育論 民主主義社会における教育と政治
エイミー・ガットマン、同時代社、2004
Democratic Education, 1999

1987年初版、その改訂新版を訳したもの。350ページ超の大作である。特に改訂版では、「親の決定」と公教育についても、より検討が加えられているようだ。

序章の「基礎に帰れというのは、教育界で常に叫ばれつづける一定の主張であるが、著者は、教育を考える人々に対して、それを叫んでいるのだ。

そして、国家と教育、初等教育、民主的参加、高等教育、学校外教育、成人教育、政治教育、終章は「国民教育最小限主義、多文化主義およびコスモポリタニズム」である。

もう、この本は、買ってじっくり読むしかないね。いや、英語版を入手したい!

とりあえず、このブログを読んでいる方々も、買いたくなるような一言、三言ほどをご紹介しよう。

社会の意識的な再生産を支持する社会は、すべての教育可能な子どもたちを教育して、彼らが共同して社会形成に参加できるようにしなければならない。46

熟慮的人格を発達させることは、主権在民の社会理想の実現にとって不可欠である。63
熟慮とは、「意見をもって結論にいたる注意深い洞察」であり、社会的には結論にいたる討論である。

宗教の自由を理由に、人種差別的な学校を運営できるかという問題については、


人種に基づく非差別は、われわれの社会では不可欠であり、広範に受容されている価値である。人種を理由にしてい教育から排除することは、われわれの共通の基準によって不正義となり、その不正義は、人種主義の歴史によって被害を受けた社会の深部に流れている。キリスト教ファンダメンタリストは教会の一員ではなく、まずもってわが社会の国民である。被差別という民主主義の基準は、・・・彼らの学校に対して、より大きな制限を課すが、しかしながらそのような賦課は、宗教的人種的に多様な社会において国民性を共有するために、ファンダメンタリストが支払わなければならない対価であるという、正当化できる。134

政治教育が優先されるべきだという章では

貧困層の労働条件あるいは学校教育を相当程度に改善することは、おそらく貧困層それ自身からの政治的圧力を必要とするのであるが、彼らは高度に権威主義的な家庭と学校に教育されてきており、そして (それゆえに?) 政治に参加しないかあるいは政治に対して実効的でない人々である。315
・・・
選挙権を完全に得る前に成人が教育されなければならないという主張は、民主的国民として教育される前に完全に選挙権を与えるべきだという主張と同様に、民主主義の原理にとって有害である。317
・ ・・
民主主義の政治に依存しなければ、成人を教育する受容可能な手段も、家庭の外で子どもたちを教える受容可能な手段も存在しないだろう。317

政治教育は、社会の意識的再生産に参加するように国民を準備するのであり、社会の意識的再生産は、民主教育のみならず民主政治にとってもまたその理想となる。318

マスメディア、産業および政府の主要な教育目的は、学校と同様に、国民の民主的審議に必要な知識、技能、徳性を涵養することである。319

非差別・非抑圧の原則による民主主義的合意形成によって信託される民主教育。
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by eric-blog | 2008-12-20 11:39 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

「痴呆老人」は何を見ているか

272-8(1227) 「痴呆老人」は何を見ているか
大井玄、新潮社、2008

日経新聞夕刊のコラムに、いま、「生物と無生物」の著者、福岡伸一さんが、書いていて、本を紹介している。お手軽なものが多いので、図書館で、予約する。するとすぐに、次の予約者がいるので、延長はできないよ、という状況になるか、あるいは50人待ちだったりするか、である。

『痴呆の哲学』弘文館 を平易に、そしてさらに、新しい視点を入れて、まとめたものだという。

最初から、「自分が痴呆状態になり、認識ができなくなったとき、延命医療を求めるか求めないか」という問いに対する日米の比較が出て来る。日本では、「人に迷惑をかけるから、いや」なのに対し、米国では「自立性・自己決定性が失われるから、いや」と、理由がまったく違っているのだそうだ。

痴呆の症状について、さすがだなと思った指摘は、認知症の「中心症状」と「周辺症状」を同一に扱ってはならない。周辺症状は、環境への不適応症状であり、環境を整えることで、改善できる、あるいは「問題行動」ではなくなるということでした。これだけをすっきり理解できただけでも、この本は読む価値がありました。39

さらに、では、どのような環境を整えることが大切なのかについて、「笑顔」、つまり、情報共有コミュニケーションではなく、情動共有コミュニケーションが大切だということ。そのことを、医学学会での発表について、まずはほめるというところから入るべし、と関連づけて書いているのには笑ってしまった。

コトバは、情報だけではなく、情動を伝えている。ゲラダヒヒに学べ。58
「共に楽しむ」「親密な関係をつくる」コトバのそんな機能を忘れてはならないと。

痴呆が進めば進むほど、コミュニケーション能力はより情動的なものだけに限られていくのだそうだ。

人格とは、環境に適応するための力動的な心理体制であるらしい。149

そして、「いのち」は、いちのが生きながらえるためには、人格を操作することも厭わない。いま環境に応じて、違う人格ととりかえることなど、朝飯前。「強い」自我を環境に対して保つことができなくなった「ぼけ」状態で、老人たちが自分中心の勝手なストーリーの中で生きるようになるのは、「いのちが私をしている」からなのだ。151

アーラヤ識という生命の根本的なところにある意識。93
唯識は表層意識と深層意識に分けられるが、そのもっとも深いところにあるもの。

そのアーラヤ識に、生存が操られているのが「ぼけ」の状態だと。
それは、老人だけに限らない。実体的自我など、存在しないのだ。

つながりの自己と自立の自己という、生存戦略がゆれている。

ひきこもりとは、日本的な状況。やさしい、他者に配慮するという理想的な日本人的人格が、ひきこもりになる。それは、「つながる自己」と自立を求める社会への変革という混乱の中で、「人とつながることもできない、自立することもできない」状態なのだという。193
そして、学校教育は、その不安を扱えていない。

つながる自己とは、閉鎖系生存戦略が到達した合理的な形であり、北米・ヨーロッパに見られる開放系生存戦略より優位である。地球が閉鎖系であることがわかったいま、閉鎖系生存戦略としての「つながる自己」というあり方を再評価すべきである。

というのが、著者の結論。そのまま、江戸時代などを「再評価」する論調になってしまうところが、わたしは好きになれないけれど、つながる自己と自立の自己の葛藤、そして、その先に、何を選択するのか、については、次に紹介する『民主教育論』でも、考えていきたい。

その他、
ことばが世界を規定する。
苦痛も、病名をつければ、病気になる。169

などなど、医学、老人医学の現状や実態も満載の面白い本である。

阿保順子『痴呆老人が創造する世界』
高塚雄介『ひきこもる心理とじこもる理由』
上山和樹『「ひきこもり」だった僕から』
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by eric-blog | 2008-12-20 10:46 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

段ボールレンガ

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by eric-blog | 2008-12-19 16:15 | □研修プログラム | Comments(0)

森林ボランティアと森林組合の関係について

272-7(1226) Interactions Between the Voluntary and Cooperative Sectors in Forestry
-the Case of NPO Trust Midori no Damu Kitasagami-

Alice Freeman, Modern Japanese Studies at the University of Oxford

まとめ

日本政府は、「美しい森づくり」キャンペーンにおいて、京都議定書の目標値達成計画の一環として、2006-2012年に30万ヘクタールの森林間伐を行うことをうたっている。そのためには森林組合と森林ボランティアの協働が鍵となるはずである。この研究書は、NPO法人緑のダム北相模と津久井郡森林組合のケーススタディである。

NPO法人 緑のダム北相模は、成功したボランティア団体であり、行政や企業との関係も太い。にもかかわらず、近隣の森林組合との関係は築けていない。森林組合は、森林ボランティアに訓練を、そして、ボランティア団体は森林組合の意義を広報し、あるいはまた後継者の参入へとつながる、そのような関係は築けないものだろうか。

第一章序 日本の森林
日本の面積の67%が森林。その41%が人工林。57%が民有地。しかし、1970年代に外材の輸入が始まると、林業は無視され続けてきた。
京都議定書の温暖化対策において、1990年のレベルから6%削減目標のうち、3.8%を間伐によって達成しようというのが、目標だ。
2004年のデータでは、林業を実施しているのは70%が森林組合だ。2007年2月に政府は森林管理への市民参加を促進する計画を発表した。しかし、そこのにおいても森林組合と市民との関係は不明確だ。
一方で、市民社会組織の現状は、1998年のNPO法によって法的地位を確保され、さまざまな活動を展開している。森林NPOは環境NPOの分類に入ると思われる。
森林ボランティアの現状は、2007年5月の林野庁調査によると1863団体。67%が里山林(天然林)の保全、そして、30%が人工林、22%が上流域の森林にかかわっている。59%の団体が森林所有者と契約を交わしている。森林ボランティアが行っている森林管理活動の多くは森林組合によって行われるものと重なっている。林道整備、間伐など。さらに46%の団体が環境教育を実施し、34%は啓発活動を行っている。
これらの機能も森林組合も果たしているものだが、両者には違いがある。森林組合が年間を通じて作業をしているのに対し、ボランティア団体は4-11日(27%)、月に二日活動するのは16%にしかすぎない。また、参加人数も少なく、高齢化している。51%が10-50人のメンバーである。会員の80%が50歳以上である。
シライシノリヒコ白石則彦が森林ボランティアの位置づけを明確にしている。「限られた労力でしかなく、現状では「担い手」とは呼べない。しかし、市民意識を高める効果はある。」『人と森の環境学』東京大学出版会、2004

森林組合は、日本全国に740ある。(全木連) 163万人の森林所有者を含み、公有林以外の森林の70%をカバーしている。その法的根拠が最初に示されたのは1907年森林法によってである。2/3の同意で設立され、設立されれば、すべての林業者の参加が求められる。
協同組合である以上、公共の利益の追求も、理念とされている。その理念は1951年第三次森林法によって強化された。
1978年には森林所有者協同組合法(森林組合法)と森林基本法に分けられた。森林組合は法人となり、会員へのサービスを中心として、利益追求の活動はしてはならないとされた。
森林組合の問題は二つある。会員の減少と高齢化(5万人/2005年、28%が65歳以上)、と収入の減少。2561億円/2005年。(森林組合のシステム、より)

私有と公共の両方の性格を持たされた森林組合。
公共性の課題にこたえるには、作業班が野生生物調査を行えるとか、森林所有者外との関係を深め、村落共同体的な組織になる必要がある。(石見尚『第四世代の協同組合論』)
公共性と公益性、その両方を、協同組合論的には期待されているのだ。

第二章事例研究

NPO法人 緑のダム北相模は1998年に設立され、2002年にNPO法人となった。2001年からは若林嵐山において鈴木重彦氏所有の41.8ヘクタールの森林管理を行っている。2005年からは24筆からなる80ヘクタールの管理も行っている。所有者らとは契約を交わし、管理費はもらっていないが、神奈川県からの補助金を森林法に従ってもらっている。

津久井郡森林組合 神奈川県の10ある森林組合中最大。1562人の会員と、4人の事務局員、15名の作業員がいる。城山、津久井、相模湖、藤野町の16500ヘクタールの森林を管理している。20世紀初頭に設立され、木材加工も行っていたが、1970年代の森林不況により撤退。95%の仕事は神奈川県からの委託である。1997年の水源森づくり制度では、県が森林所有者と管理契約を交わしていて、森林組合は電子入札制度で他の林業者と競争することになった。
契約には6種類ある。
◯水源林整備協定(90%) 人工林所有者は、20年の契約を県と結び、無料で管理してもらった上に、27000円を支給される。
そのような条件であるために、津久井郡森林組合ではなく、県と森林所有者は契約を結ぶのである。

ということで、緑のダム北相模も森林組合も、結局のところは県と契約している第三セクターのような非営利の存在なのである。

作業班の15名のメンバーは、2名が神奈川、7名が山梨、6名が九州からであり、理由は九州の労賃が安いからである。日当14000円。8時から16時まで、週6日間働く。3名が三十代である以外は60代。

北都留森林組合 

第三章緑のダムと森林組合の協同るあいは競合

作業班とボランティアでは10倍も仕事量が違う。
平均して50名の人が作業日には来るとは言え、まったくの新人も含まれる。緑のダムの実践では、さまざまなコース分けがされており、同様の作業棲み分けは、作業班との間でも可能であろう。今後の協同の可能性とは、作業班による技術指導や機械などによる施業が必要な時には協力するなどである。

第四章今後の可能性

2005年の森林組合法には「環境教育」がとりあげられた。34%の森林ボランティア団体が、プロからの指導を受けている。

北都留では、年に4日、森林体験学校を行っている。しかし、それ以上は、資金的な制約があり、できない。

森林インストラクター制度というものもある。筆記試験と実践・面接によって認定される資格だ。北都留には2名森林インストラクターの有資格者がいるが、緑のダムや津久井にはいない。彼らはインフォーマルな現場教育の方法が好きなようだ。


森林ボランティアが森林組合作業員への道になりえるか?
実際に北都留が行った体験学校、山梨県森林雇用センターの体験学校、緑のダムの体験学校に参加したが、いずれもまったく同じ活動をしていた。緑のダムに来る若いボランティアの数が、将来性を感じさせる。

森林のために転職を考える人はいない。労働条件が課題だ。北都留では日当17000円で、月給制である。そのために一人の作業班員の募集に100名もの応募があったという。

森林ボランティア活動は、森林組合の存在と活動についての理解を進めるか?
いまところ、これも疑問である。

今後、両者の間の協同が進むことを期待したい。
感想 作業班の待遇改善が、ボランティア指導などへの熱意のある有能な人材の確保につながるね。森林ボランティアの推進とは別のファクターだなあ。
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by eric-blog | 2008-12-19 13:17 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

蟹工船

272-6(1225)蟹工船
原作 小林多喜二、漫画 原恵一郎、新潮社、2008
解説 小森陽一

いま、リバイバルになっている1929年に書かれた小説をコミックにしたもの。
「殖民地における資本主義侵入の一ページ」
工場でもない、船でもない、蟹工船は、法の間をくぐり抜け、「法の執行停止」状態にある。法の執行停止状態とは戦争状態なのだ。

近代の国民国家、植民地主義というパイの奪い合い、国家への囲い込みが進む中、日本は、カムサッカで、ロシアと境界をめぐって争っていた。

国家事業としてカムサッカに投入される蟹工船。労働者の権利も、生存権すらもない。巡洋艦は、国家の側にあり、ストライキの首謀者も逮捕されてしまう。

原作よりも読みやすいと、わたしが感じたのは、ある一人の語り手が、漫画においては想定されているからだ。

小林多喜二が、「集団」を描くことに傾注したがために、無名のままに、状況のみが書かれていく原作に対し、漫画では、ある学生(無名のままではあるが)の視線から、描かれ、入り込みやすい。

原作よりも、完成された作品に仕上がっている、と、解説の小森さんも、大絶賛。
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by eric-blog | 2008-12-19 08:44 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

コモンズをささえるしくみ レジテマシーの環境社会学

272-5(1224)コモンズをささえるしくみ レジテマシーの環境社会学
宮内泰介編、新曜社、2006

市民参加の現場で、公園整備計画や管理の実際まで、だれが具体的に何をどうにない、どう活用するのかという議論の整理が求められるようになっている。

その正当性・正統性レジテマシーの根拠を事例を絡めながら紹介しているのが、本書である。
根拠となるものは、

・所有と利用  所有については「私的「公的」「共的」「非所有的」に概念区分されるという。174

・ 漁業権 生活・生存、地域性、当事者性
・ 歴史性
・ シナリオ、意味の共有
・ 発言力 結果を引き受ける覚悟と責任
・ 新たな創造性や共同性
・ 「あたりまえ」の感覚としての受動的な承認 感性
・ 当事者性
・ 環境正義伊丹空港の集団移転
・ 公と死

しかし、大事なことは、自分たちの言葉で価値を語り、レジテマシィを創造していくことだと、編者は序論においていう。社会学者も、アクターなのだと。29

ナマコ資源がいま危ないらしく、東南アジアの無主性のオープンアクセス、住民の移動性の高さなど、日本的漁業権とは違う、買い取り業者など資源に関わる人々のネットワークによって、資源保護がはかられるべきだという。193

この著者(赤嶺淳)の他の論文を読んでいないので確認できていないが、ことごとにクジラと比較する視点が出てくるのだが、ナマコという非回遊的な資源とどこでどう同一化させているのか、理解しにくい文脈であるのが難点だ。しかし、いま一番危ぶまれているのは日本の資源なのだそうだ。

もっとも衝撃を受けたのは、高知市における墓地山の開発だ。改葬拒否をした墓地が、5メートルも掘り下げられ、平地化されてしまった真ん中に切り立ち残されている写真は無残だ。土地所有は開発会社にあり、開発反対の根拠もなかったのだという。それを「私情」によって残したいというレジティマシーの方向でまとめている論調には同意しかねる。反対派は、墓地であったからこそ残された緑、歴史的景観などの論拠をはったようだが、墓地ってそのような扱いなのだね。驚いた。今度、高知市を訪ねたら、T山とK山を見に行ってみたい。

死者に対する思いが「私」であることに、たぶん衝撃を受けているのだろうかなあ。

墓地の土地所有なんて、ずいぶん新しい概念であっただろうに。320年も前から使われていた墓地は、最初はだれの所有で、いつ、「売買」可能な形態になったのだろうか? 明治に有力者による分割所有、廃仏毀釈による寺社との切り離し、戦後の分割相続、土地所有者の不在地主化。というのがその流れだ。

同様の問題を抱えている「墓地的」場所はどこだろうか?
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by eric-blog | 2008-12-18 09:31 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)